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(写真1)洛山寺(ナクサンサ)の一柱門
(写真2)2005年に焼失した洛山寺の状態を復元したもの。楼閣の石の基壇だけが残り、鐘が焼け爛れている。
(写真3)洛山寺の虹霓門(ホンエムン)。アーチの13個×2=26個は江原道の26邑から一つずつ集めたものという。
(写真4)海から見た洛山寺。この丘が五峰山だ
(写真5)洛山寺の本殿。この塔は高麗時代のもの
11月20日 土曜日(1)
前日は束草に着いて、宿を見つけて、夕食をすませて寝ただけだったので、この日から実質的に旅行の始まりとなる。
朝、前日に買っておいたパンを食べながら、どこに行こうか計画を練る。
テレビを点けたら「成均館スキャンダル」という、女性が男装して成均館(韓国の昔の最高学府。科挙に合格するための儒学教育を行なったところ)に通うという内容の時代劇がやっていた。それを横目で見ながら、計画を立てる。
結局、この日は束草観光ではなく、南の襄陽(ヤンヤン)に行くことにした。
荷物をまとめてチョヌ荘を出る。シャワーのお湯がぬるいとか部屋ごとに浄水器がついていないとかの不満点はあったものの、施設はそんなに悪くなかったため、もう一泊しても良かったのだけど、他の宿についても知りたかったので、結局宿を出ることにした。
襄陽に行く前に束草内で新たな宿を探すことにした。灯台の近くが面白そうだったのでその近くで宿を探そうとしたのだが、観光地価格のためか高めだった。(ちょっと良さげなモーテルで、最安値の部屋が5万ウォンだったのは驚いた)
部屋を探していると、乾物屋の親父さんが「部屋があるよ」と声をかけてきた。今思えば、これについて行ったのが間違いだったのだろう(ちなみにこの宿はモーテルではなくて民泊だった。民泊は日本の民宿のようなものと考えてもらいたい)。
部屋を見せてもらったが、それなりの広さで3万ウォンだという。悪くないなと思って、ちょっとまけてもらって2万7千ウォンでそこに泊まることにした。
オンドルはきちんと利くし、部屋の照明も暗くはなかったのだが、一つだけ致命的な欠陥があった。それはシャワーのお湯が出ないこと。
韓国の宿の中にはお湯が出ないところも多い。
私が2002年に初めて韓国で一人旅をしたときも、宿のお湯が出なくてずいぶん苦労した経験がある(その時は2月だった)。
それ以降、安宿に入るときはお湯が出るかどうかを必ず確認するようにしていたのだが、最近きちんとお湯が出る宿ばかりに泊まっていたせいで今回は確認を怠った。その油断の結果がこのざまだ。
今、シャワーを浴びることができなかった恨(ハン:欲求不満に近い精神状態をいう)を抱えながらこの文章を書いている(この文章は2010年11月20日の夜に書いたものです)。
昼間それなりに汗をかいたせいで、頭や体がかゆい。風呂に入りたくて体がうずうずしている。
夏なら水でも浴びていればいいが、冬に暖かいシャワーを浴びれないのは致命的である。
しかもこの宿は浄水器がそもそも無いため、お湯を飲むこともできない。
寒空の中から部屋に戻ってきた身としては不便で仕方が無い。
・・・宿の主人は気のいい人だったんだけどねえ。
このまま宿の不満を書き続けてもしょうがないので、この話は一旦ここで強制終了することにする。
旅行の話に戻ろう。
関東に来て一番驚いたことはソウルに比べてずいぶん暖かいことだ。
「西海岸より東海岸の方が暖かい」ということは知識としては知っていたが、実際に体感してみると、新鮮な驚きだった。
民泊の部屋に荷物を置いた私は、東海岸の暖かさを楽しみつつ、襄陽に行くバス停を探した。
あんまり暖かいので外でアイスクリームを食べながら(本当にそれくらい暖かく感じたんです。ソウルから来た身としては)、襄陽行きのバスを待った。
襄陽でまず向かった観光地は洛山寺(ナクサンサ)だ。
洛山寺は日本海(韓国名:東海)の海辺ぎりぎりのところにある五峰山という山の上に建てられた華厳宗のお寺である。7世紀ごろに新羅の僧義相が創建したと伝えられている。
15世紀に朝鮮王朝7代目の世祖によって改修され、規模が拡大されたという。(朝鮮王朝は仏教を弾圧したと一般的に言われているが、王室が仏教を保護した例はたくさんあり、仏教を弾圧したという通説は本当なのか疑わしくなるときもある)
しかし2005年に起こった山火事によって、主要な建物の大部分が焼けてしまい、現在見ることができるのはその後に復元されたものだという。
この寺の感想を一言でまとめると、とても感じのいいお寺であったということ。
門楼の下が休憩所になっていて無料でコーヒーが飲めるようになっていたり、海の見える絶壁の上に喫茶所が有ったりと、参拝者の便宜をはかろうと努力している姿がうかがえた。
『新増東国輿地勝覧(しんぞうとうごくよちしょうらん)』という書物によると、この洛山寺には観音窟と呼ばれる洞穴があったそうな。
ここは昔から観音菩薩の住処として信仰されていた場所で、朝鮮王朝の太祖李成桂(イ・ソンゲ)の四代前のじいさんがここで子供ができることを祈ったという。(その結果生まれた子供が李成桂のひいじいさんというわけだ。つまりこの寺の観音窟が無ければ、李成桂は生まれていなかったというわけ。・・・もちろんただの伝説ですけどね)
ちなみに、『新増東国輿地勝覧』とは、16世紀に作られた官撰の地理書でして、その前の15世紀に作られた『東国輿地勝覧』をバージョンアップしたものです。『東国輿地勝覧』は無くなってしまったのですが、『新増東国輿地勝覧』は全部残っているので、韓国の昔の地理を知るためには必須の史料なのです。
そのいわくつきの洞穴を探して寺の中をウロウロしてみたのだけど(他の参拝客から見れば不審人物だったと思う)、結局見つけられなかった。一体どこにあるのだろう?
(追記:後で調べてみたところによりますと、洛山寺の中にある紅蓮庵という建物の下の岸壁にあったそうです。気付かなかった・・・)
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