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(写真1枚目)永郎湖全景。海側から撮るとこんな感じになる
(写真2枚目)永郎湖の北側にあったレンタサイクル
(写真3枚目)通川郡殉国同志忠魂碑。最大のナゾは「何故ここにあるのか?」である。通川と永郎郡の間に一体どんな関係があるというのか?
(写真4枚目)歴史的遺物が散在している庭園(?)。この石羊は何故ここにいるのか?
(写真5枚目)この門の向こうには何があるのか・・・?
11月22日 月曜日(1)
これまでの旅の疲れがたまっていたため、朝10時くらいに起きた。
結局十時間近く寝たような気がする。
朝、顔を洗おうとしたら温かいお湯が出たので、軽くシャワーを浴びることにした。
おばちゃんが社長さんに状況を説明してくれたおかげで、温かいお湯が出ないという問題は解決したようだ。
朝をだらだらと過ごし、11時過ぎに部屋を出た。
今日は杆城より南にある、永郎湖(ヨンナンホ)、清澗亭(チョンガンジョン)、仙遊潭(ソニュダム)という三箇所をまわることにした。
まず一番南にある永郎湖に行くためバスに乗った。
13世紀作の歴史説話集『三国遺事』によれば、新羅の永郎という人物が金剛山(クムガンサン)から帰る途上でこの湖の美しさに魅了され、そこをしばらく離れなかったという伝説から、永郎湖という名前が付いたという。
永郎湖は海の間近にある湖で、その水は海に注いでいるが、関東にはこういう湖が数多く有る。高城郡の松池湖(ソンジホ)や江陵市の鏡浦湖などがその代表的な例だろう。
この種の湖の多くは、湾の出口に砂が堆積した結果湾が陸にとじこめられて湖になったものだと推測されるが、実際のところはよくわからない。
永郎湖の北岸に自転車をレンタルできる場所が有ったので、自転車に乗ることにした。
一時間3000ウォンだというので、まず3000ウォン支払って自転車を借りた。
永郎湖を一周するだけなら一時間あれば十分だと思ったが、見所がいくつかあり、思ったより時間がかかってしまった。
まずは湖南岸にあった「通川郡殉国同志忠魂碑」である。
朝鮮戦争の際に北朝鮮と戦って戦死した通川郡出身者を顕彰した碑である。
通川郡は江原道(カンウォンド)の邑の一つで、杆城、高城のそのまた北にある都市である。
南北分断の際には北側とされたが、多くの人々が朝鮮戦争までの時期に南側に逃れてきたようである。
大抵北側から南側に逃げてきた人々(越南者という)は、北側の共産主義教育を受けたという理由で、南側では様々な差別を受けた。
それゆえに北側のスパイではないことを示すため、朝鮮戦争の時は誰よりも勇敢に北朝鮮軍と戦ったという。
この「通川郡殉国同志忠魂碑」には、故郷を捨てて南側に逃れ、北朝鮮軍と戦った通川郡出身者たちの苦しみが込もっているような気がした。
越南者たちは同郷人で集まって同郷人会を組織することが多いのだが、通川郡も同様に通川郡民会という組織を作っており、その組織がこの碑を建てたという。
碑の建設のためにお金を出した人名の中には鄭周永(チョン・ジュヨン。現代グループの創設者)の名前もあった。北側の出身だということは知っていたが、通川郡出身だったとは知らなかった。
永郎湖の南岸にはゴルフカントリークラブが有った。その入り口の横に小さな空き地が有ったのだが、そこがどう見ても普通の空き地ではなかった。
古い時代の石塔や灯ろう、石人やさらには石羊まで置かれていた。歴史的遺物が何の説明も無く空き地に無造作に放置されていたのである。
石塔や灯ろう、石人にももちろん興味をひかれたが、それ以上に初めて見る石羊に興味をひかれた。
一体この空き地は何だろうと不思議に思い、その空き地をうろうろしていると、空き地から上の方に登れる石の階段があった。
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