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(*)杆城郷校では諸事情のため写真を撮れませんでした。そのかわりソウルにある陽川郷校(ソウル特別市江西区加陽洞、宮山の南側斜面に所在)の写真で代用します。
(写真1枚目)陽川郷校の門
(写真2枚目)陽川郷校の外にあった石碑。郷校の発展に力を尽くした地方官たちを顕彰する碑である。杆城郷校にも東側の門外にこんな石碑があった。
(写真3枚目)陽川郷校内部。中央にある建物は、学生たちが講義を受けた明倫堂。陽川郷校の場合、今は成均館儒道会(成均館大学校を作った団体)の江西区支部の事務所として使われているらしい。(推測)
(写真4枚目)陽川郷校の大成殿。大抵の郷校では、表に明倫堂、奥に大成殿を置く。(陽川も杆城も襄陽も全てこのタイプだった)ただし成均館はこの逆。
11月24日 水曜日(1)
北朝鮮の延坪島砲撃の翌日、杆城の町はいつもどおりだった。
あんな事件が起こったからといって混乱が起こったりはしていない。
平和慣れした日本人とは違って、韓国人にとっては「またか」という程度なのかもしれない。
今日統一展望台に行ったらどうなるだろうかと思った。
おそらく韓国軍は前線の状況に相当ピリピリしているだろうから、統一展望台への立ち入りを拒否されるかもしれない。
それはそれで貴重な体験ができるかもしれない、とは思ったが、他に行きたいところがあったので、そちらに行くことにした。
この日は杆城の郷校(ヒャンギョ)と五峰里(オボンニ)のワンゴン(漢字では「旺谷」)マウルに行こうと考えていた。
(「マウル」とは「村」を意味する韓国語である。日本語の「むら」と語源が同じであるという説も有る)
杆城の郷校は杆城の町から西に2、3km行ったところにあるらしい。
往復で歩くと結構だるいので、行きだけはタクシーを使うことにした。
タクシーに乗ると、運転手が「学生さんですか?」と尋ねてきた。
「ええ。そう見えますか?」と答えると、「見えます」とのこと。
私はそんなに学生っぽく見える人間なのだろうか。
郷校に着いたときタクシーのメーターは5440ウォンとなっていた。
私が1万ウォンを支払うと、運転手は5千ウォンを返してきた。
「5440ウォンですけど?」と私が言うと、「いいから」と言って私に5千ウォンを握らせた。440ウォンはサービスしてくれたらしい。
商魂ではなく人情で生きる韓国人らしいサービスの仕方だった。
杆城の郷校は1420年に最初に作られて以降、何度か位置が変わっているらしい。現在は杆城の西の校洞里(いかにもな地名)にあるが、現在位置に移ったのは1640年だという。
その後建物は朝鮮戦争の時に大部分が焼失し、現在の建物は戦後に再建したものだという。
襄陽(ヤンヤン)の郷校を訪ねた時にも不思議に思ったものだが、すでに国立教育機関としての役割を終えてしまっている郷校を、地元の儒者たちが再建するのは何故なのだろう。
孔子廟である大成殿のみを再建するならまだしも、学生の講義棟である明倫堂や学生の宿舎である東廡・西廡まで再建する理由がわからない。
郷校で学ぶ学生なんて現代にはいるはずも無いのに。
そんなことを考えながら郷校の周囲をぶらぶらした。
写真を撮ろうとしてカメラを出した瞬間、異常に気が付いた。
「カメラにバッテリーが入っていない・・・」
充電するためにカメラのバッテリーを抜いたまま、カメラだけ持ってきてしまったようである。
さて、どうしたものか。これでは写真が撮れない。
いくら考えてみてもバッテリーの無いカメラを動かす名案は浮かばなかった。今回は写真を撮ることはあきらめて、メモをとることだけに集中することにした。
(そのために、郷校の写真はありません。残念でした)
杆城の郷校の門は閉まっていた。塀を越えて侵入することは(やろうと思えば)出来たが、そんな泥棒みたいな真似はしてもしょうがないので、やらなかった。
郷校の門に管理事務所の電話番号が書いてあった。
そこに電話すれば門を開けてもらえて、郷校に関する話も聞かせてもらえるのかもしれなかったが、カメラが無い状態ではろくな成果も期待できないだろうと思い、今回は電話しないことにした。
杆城の郷校にはまた機会をあらためて訪問することにしよう。
郷校を(外から)ひととおり見終わってから、杆城の町まで2、3kmの道を歩いた。
杆城に着いたところでお腹がすいたので、昼ごはんを食べることにした。
ソダム(소담)という店で味噌チゲを頼んだら、おかずが十一品目も出てきた。こんなに沢山おかずが出てきたのは久しぶりなので、とても嬉しかった。
記念に写真を撮っていこうと思い、カメラを取り出したものの、バッテリーが無くて撮れずじまい・・・。
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