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このブログで韓国に関する記事を延々と書き続けていると、いつの間にか韓国・朝鮮について批判的な記事を書いている自分を発見する。
もちろんどんな国や社会にだって問題点はあるものであり、時には批判をする必要がある場合もある。
しかし、特に批判をすべきでない部分についてまで、つい批判をしてしまうのは何故なのか?
他の韓国・朝鮮関係の書籍やブログ、または日本人の嫌韓的な発言を見るにつけて思うのは、韓国・朝鮮を悪く言うのは、ほとんど日本人の宿痾(しゅくあ。古くからの持病のこと)みたいなものだということだ。
知らず知らずのうちに自分もその病気のために、必要の無い韓国批判をやってしまっていると思う。
韓国・北朝鮮の悪いニュースが流れるたびに、日本人は「これだから韓国人(朝鮮人)は・・・」という反応をよく見せる。
それはもともと相手に対する良くない印象を持っているからこそ、それにピッタリはまるような事件が起こると、その良くない印象と照らし合わせて「やっぱり」と思ってしまうからなのだろう。
そうして悪い事件ばかりを集めて悪い印象をより強固にし、それを他の人にも語ることによって悪い印象の拡大・頒布につとめてしまう。
インターネット上にごまんとある嫌韓サイトなどはその最たるものだが、そうでない場合でもこのような構図はよく見られる。(このブログは嫌韓サイトではないつもりだが、このブログで韓国・朝鮮に対して悪い印象を持った人もいるかもしれない。その点注意しなければと思う)
このような日本の伝統的な(?)嫌韓的風潮を目の当たりにすると、韓国の「反日」を批判することなど日本人にはできないような気がする。日本人も似たようなことをやっているからだ。
外国人を語る際に「やってはいけないこと」と私が思うのは、ある極端な事例のみをもって「××人はこうだ」と断定してしまうことや、日本人として視点のみから相手の国に対する評価を下してしまうことだ。(とはいえこれから逃れるのは難しいのだけど)
特に前者のような、「××人はああだからこうだ」と断定してしまう事例は、欧米人よりもアジア・アフリカ系、特に韓国・北朝鮮・中国に対して起こりやすい。
たとえば、「ヒトラーの命令によってドイツ人は悪いことをたくさんした。だからドイツ人は悪い奴らだ」と考える日本人はほとんどいないだろう。
しかし、「金正日の命令によって朝鮮人は悪いことをたくさんした。だから朝鮮人は悪い奴らだ」と考える日本人はたくさんいるのである。
実際に殺害した人間の数(同国人に対する虐殺も含む)ではヒトラーの方がはるかに多いだろうし、その国民の同意を得て権力者になったという点では、ヒトラーの政策の方がはるかに国民の意思を反映していたといえるだろう。
しかし、日本でのドイツ人と朝鮮人の評価は、全く逆になるのである。
この理由は、つまるところ日本人が被害を受けたかどうかにかかっているのであろう。
結局、ほとんどの日本人は他国を評価する際に「日本人」という自らの視点の限界から抜け出せていないのである。
だから日本から遠く、日本の直接的な利害と関わりなさそうなヨーロッパの話題になると日本人はその良い面ばかりを強調したがるのに、日本から近く、日本の直接的な利害と関わる朝鮮半島の話題になると、日本人はその悪い面ばかりを強調してしまうのである。
これは日本人の宿痾である。宿命的に背負った病のようなものである。
このような病のことを重村智計氏は「朝鮮病・韓国病」と呼んだが、同感である。
他国を評価する際に日本人としての視点から離れることは難しい。特に日本と直接の利害関係を有している国を相手にするならなおさらである。
そういう時に効果的だと私が思うのは、自分が評価しようとしている国に関してよく知っている外国人の友人の言葉を聞くことである。
きっとその人は自分たち日本人とは違う視点からその国を見ている。
そういう人の意見を聞くことが、日本人としての自分の視点から脱却するために役立つのではないかと思う。
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