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(図)手塚治虫著「アドルフに告ぐ」のワンカット。ナチスの将校となったカウフマンを嫌うカミルの母親。カウフマンは何とかして弁解を試みるが、子供まで収容所に送り込んだ彼の言葉は、説得力ゼロである。
2011年大みそかの紅白歌合戦に少女時代、KARA、東方神起など韓国からたくさんのグループが出場して話題になった。
実はこの紅白歌合戦の裏で、韓流紅白をぶちこわせという嫌韓デモがNHKホールのすぐそばで起こっていたらしい。
デモに参加したある男性によれば、アメリカ人のレディーガガが紅白に出場するのは「親日」だから問題なく、「反日」の韓国人が紅白に出場するのは許せないのだという。
レディーガガの親日というのが何なのかよくわからないのだが、この人にとっては韓国人=反日というのはほとんど既定の事実らしい。
日本人がそれぞれ違うように、韓国人にだって色々な人がいるというのに、この人の頭の中では「韓国人=反日=敵」なのであろう。
日本社会に巣くう排外主義による洗脳の結果を見たような気がする。
このように身近に住む外国人・他民族を敵とみなして排撃しようとする動きを見るにつけ、ナチス時代のユダヤ人差別は決して他人事ではないな、と思う。
あの時代のドイツも不景気の中で排外主義が燃え上がり、その矛先が一番身近な他民族であるユダヤ人に向かった。
日本ではこの排外主義の矛先が、一番身近な他民族である朝鮮民族に向かっている。
いずれナチスのような極端な排外主義を鼓吹する勢力が日本でも多数派を占めるようになるのではと不安になる。
われわれは歴史の過ちを二度と繰り返してはならない。
そのためには過去の歴史から学ばなければならないだろう。
ナチス時代のドイツの歴史から、今学ぶべきことが多いと思う。
ナチス時代のユダヤ人迫害を思う時、いつも思い出す漫画がある。
それが手塚治虫の「アドルフに告ぐ」である。
もちろんこれは漫画であり、ナチス時代のドイツの現実を忠実に映し出したものではない。
だが、人間が他者を差別するようになるプロセスを描いた作品であり、参考になる部分が多い。
この漫画の主人公であるアドルフ・カウフマンは、ドイツ人の父と、日本人の母の間に生まれ、少年時代を神戸で過ごした。
カウフマン家の近所にはユダヤ人のアドルフ・カミルが住んでおり、二人は親友同士だった。
カウフマンの父はナチスの幹部であったため、ユダヤ人の子とは遊ぶなと言い聞かせていたものの、カウフマンとカミルの友情は壊れなかった。
アドルフ・カウフマンは、おそらく当時のナチス幹部の子弟の中で、最もユダヤ人に対する差別意識を持たない子供であった。
彼の母親が日本人であり、なおかつ少年時代を過ごしたのが日本であったため、ドイツ人とユダヤ人の対立を見ずに育ったことがその原因である。
彼は父の遺言によってヒトラー・ユーゲントに送られることになった時も、「カミルと別れたくない」とごねて、「ユダヤ教に改宗すればドイツに行かなくてもいいかな」などと考えるほど、ユダヤ人に対する嫌悪感を持っていなかった。
しかし、ドイツに行ってヒトラーユーゲントに入ったことで、彼のユダヤ人観は一変する。
当時のドイツでは白昼堂々とユダヤ人に対する暴行や嫌がらせが横行し、ヒトラーユーゲントではユダヤ人がいかに残忍で汚くて嘘つきであるかを教え込まれた。
このような環境で育つうちに、彼は次第に「ユダヤ人は差別されても当然なんだ」と思い込むようになり、自ら率先してユダヤ人狩りを行なうようになる。
特に彼の反ユダヤ感情を増幅させたのはある二つの事件による。
一つ目は、カウフマンの初恋の人であるエリザの家族を、カウフマン本人が収容所送りにしたこと。カウフマンは本当はやりたくはなかったのだが、上官に監視されている状況で、やむを得ず彼らを捕えて収容所に送り込んだ。
二つ目は、親友アドルフ・カミルの父親をカウフマンが撃ち殺したこと。これも上官の命令でやむにやまれず撃ったものだったとはいえ、親友の父親を殺したという罪悪感は、カウフマンを大いに苦しめることになる。
この二つの事件の結果、カウフマンは親友カミルや初恋の人エリザに対して激しい「やましさ」を抱くことになった。
その結果として反ユダヤ感情が高まるというのは、逆説的であるが、実際にはよくあることだと思う。
カウフマンは自分自身の犯した罪の大きさに恐れおののき、崩壊しそうになる心を守るため、自己正当化を試みた。
その時に彼が頼ったのはヒトラーが唱える反ユダヤ主義であり、彼はそれを信奉することによってユダヤ人に対する「やましさ」を心の奥底に押し込めたのである。
それ以後のカウフマンの行動・言動は、まさにナチスエリートのそれであった。
「ユダヤ人は基本的に犯罪者である。だから彼らを弾圧するのは当然であるし、そうしなければならないのである。」
「ユダヤ人は幼い子供であっても容赦するな。子供だって大きくなれば立派な犯罪者になるのだから。」
こんな狂った論理に従ってカウフマンはユダヤ人弾圧の急先鋒となる。
犯した罪の大きさを直視できないから相手を悪者として迫害することで自己正当化をはかるが、それによってさらに罪は大きくなる。
カウフマンはユダヤ人迫害の悪循環から抜け出せないまま、罪を重ね、反ユダヤ主義への心理的依存を強めていく。
その結果、エリザやカミルの家族からも嫌われ、エリザを強姦し、カミルを拷問にかけるまでに至ってしまうのである。
「ユダヤの豚め!」
かつての親友カミルに対して、カウフマンが最後に投げかけた言葉がこれであった。
差別意識は人間を狂わせ、人間関係を崩壊させる。
そんなことを「アドルフに告ぐ」という漫画は我々に教えてくれている。
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西貢様お久しぶりです、ひよこです。今回民族差別とは異なるが、自分の犯した罪の大きさがあまりにも大きかった為に自己の正当化や負の感情を増幅していく事例がありました。
ある新書で取り上げれていましたが「大津市のいじめ自殺事件」の主犯の3名の事件後の行動が類似しています。
2013/8/10(土) 午後 5:17 [ pyo*pho*12*1 ]
そうなんですか。私はあの事件はよくわからないのですが、人間の心理的な防衛機制として、犯した罪が大きければ大きいほど、被害者を悪者にして自分の行動を正当化しようとするのが常です。
2013/8/12(月) 午後 7:04 [ 西貢 ]