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店主の西貢が日々考えたことや体験したことをつづるブログです!

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俗権と聖権(3)


ちょっとしたつぶやきのつもりで書き始めたのだが、もう三回目になってしまった。いい加減今回で終わらせたいと思う。
前回で日本史の中から西洋的な中世封建制が発見されたと書いた。
しかし西洋の中世封建制と日本の中世封建制は異なるものである。
日本と西洋はそれぞれユーラシア大陸の東端と西端に位置し、19世紀に至るまで本格的な接触は無かった(もちろん長崎貿易を通じて互いの情報がわずかに入り込んでいたとはいえ、極めて限定的なものに過ぎなかった)。
したがってどちらかがどちらかの真似をしたなどということはなく、両者の社会体制に共通点があったとしてもそれは単なる偶然の一致に過ぎない。

天皇はローマ教皇ではないし、武士と騎士は似て非なるものである。
あまり両者を同じ「中世封建制」という言葉で呼ぶと、互いの相違点や独自性を軽視することになりはしないかと心配になる。

とはいえ、現在に至るまで鎌倉・室町時代を中世と呼ぶ明治以来の時代区分は変わっていないし、これからもしばらくは変わりそうにない。
ということは、日本の「中世」を西洋の「中世」になぞらえることに対して、大きな反対意見がなく、大部分の学者がその妥当性を暗黙のうちに認めているということなのだろう。
たしかに西洋の学者でもオットー・ヒンツェやウィットフォーゲル、ライシャワーのように日本と西洋の封建制の共通点を指摘する意見は多く、日本と西洋の類似性は日本学者の思い込みとばかりは言えなそうである。
それでは日本や西洋の学者が指摘する日本と西洋の共通点の核心とは何だっただろうか?

私の考えでは、これまで述べてきた「俗権と聖権の分離」、そしてそれによって生じる様々な権力の分立傾向こそ、日本と西洋に偶然現われた共通点の核心だったと思う。
何故権力の分立傾向が西洋と日本でそれぞれ偶然に生まれたのかを説明するのは容易ではない。という以上に今の私にはそれを説明できるだけの準備が無い。

ただ、アジアの帝国において俗権と聖権を一身に兼ね備えた絶対的王権が誕生しえた理由について、ウィットフォーゲルは大規模治水工事の必要性から説明している。
たとえばエジプトならナイル川の治水工事、中国ならば黄河の治水工事が文明の発達には必要で、そのような大規模治水工事を成し遂げるためには多くの人間を動員できる巨大な権力の存在が必要とされた。
それゆえに古代エジプトや中国で巨大な専制王権が生まれ、存続し得たのだという。

しかしウィットフォーゲルの大規模治水工事説では、大きな河川の無い地域、たとえば朝鮮半島などでも俗権と聖権を一身に兼ね備えた王権が誕生し得た理由を説明できない。
朝鮮半島についてはもう少し別の説明が必要になると思う。

そして朝鮮半島と日本の比較が、何故日本で西洋に類似した権力の分立が生まれえたかを考えるヒントを与えてくれるだろう。

朝鮮半島と日本列島はともに海に面して山が多いという共通点があるものの、片方は大陸と陸続きであり、片方は海によって隔てられているという明確な相違点がある。
朝鮮半島は大陸と陸続きであるため、もし大陸の勢力が朝鮮半島に侵略しようとした場合、その攻撃をダイレクトに受けざるを得ない。それに対して日本は海という天然の外堀があるため、大陸勢力の攻撃をダイレクトに受けることは少ない。
例えば高麗王朝が元の侵略に三十年近く悩まされ続けて結局降伏したのに比べると、日本はわずか二回しか侵略を受けず、しかも二度とも暴風雨という自然災害によって守られている。
もし日本が陸続きであったなら元軍の波状攻撃に何十年も苦しめられ、日本の村や町は空前絶後の荒廃を経験することになったかもしれない。
そういえば太平洋戦争の時も日本はろくに地上戦を体験していない。首都ベルリンまで連合国の陸軍によって踏みにじられた友邦ナチス・ドイツのような悲惨な経験を日本は味わっていない。

昔の軍歌「愛国行進曲」の中で「金甌無欠ゆるぎなき 我が日本の誇りなれ」と言う一節がある。
「金甌無欠(きんおうむけつ)」というのは「国家が外国の侵略を受けたことがなく、傷一つ無く完璧であること」を意味する言葉だが、これは何よりも海という自然条件に守られてきたからこそ可能なことであった。

このように海という天然の外堀によって守られている日本においては、外敵の侵略というのがそんなに現実的な脅威として認識されにくい。
また、「国境をきちんと守っていないと外国人が次々と入って来てわが国は外国人だらけになってしまう」という現代アメリカのような悩みとも日本は無縁である。
せいぜい北朝鮮の不審船を取り締まっていさえすれば、日本の国境の取り締まりは足りるのである。(最近は中国漁船の登場などで南西諸島が少しきな臭くなってはいるが)
また日本人が勝手に国境を越えて亡命してしまうということもまず考えにくい。そのため東ドイツや北朝鮮のように国境に兵士を多数置いて自国人を見はらなくてもよい。

日本はこのように外国からの侵略を直接受けず、また人間の出入りが極めて少ない国であるため、政治権力の力によってきっちり締めあげなくても日本民族による社会はまず壊れない。
中世の時代に天皇権力と将軍権力が分立し、一つの政治権力が日本全体を支配する体制が無くなっても、日本社会はゆるやかな統合性を維持し続けた。
日本の国土が将軍家領、寺社領、藩領などのようにそれぞれの政治権力によって分割されても日本社会の一体性は崩れなかった。
幕末の時代には幕府を倒そうとする新政府軍と幕府を守ろうとする奥羽同盟との間で激しい戦いが繰り広げられたが、戊辰戦争が終われば日本はまた一体性を取り戻した。中国のように国共内戦が中国と台湾という二つの国を生むようなことはなかった。
どんなに権力が分裂しようが日本社会は壊れないという安心感こそが、日本で権力分立が進んだ原因であったと思う。

それに対して朝鮮半島はどうか?
朝鮮半島の最初の統一は新羅による統一だが(676年)、これは唐の勢力を追い払うことによって達成された。
新羅と結んで百済、高句麗を滅ぼした唐は、百済故地に熊津都督府を、高句麗故地に安東都護府を置いて朝鮮半島の直轄支配を目指した。
新羅はこのような唐の野望を打ち砕くため、高句麗遺民や百済遺民と手を結んで唐に対する硬軟織り交ぜた抵抗を試みた。
その結果唐は676年に朝鮮半島から手を引き、新羅による半島統一が成し遂げられたのだが、朝鮮における統一・分裂は常に他国からの侵略・独立の問題と直結している。
朝鮮半島で百済・新羅・高句麗の三国分立が可能だったのは同時代の中国が五胡十六国、南北朝の分裂時代で朝鮮半島への圧力が相対的に少なかったからである。
中国で統一王朝が成立してしまうと初めは隋、次に唐による侵略が行なわれた。
こうなるともう半島内で分裂している場合ではない。政治的に統一して抵抗しなければ朝鮮民族そのものが消えてしまいかねない。
新羅時代末期に高麗や後百済のような国々が独立して後三国の角逐が可能だったのは中国で唐が滅亡して五代十国の分裂時代だったためである。
超大国中国に近接している朝鮮のような国にとっては、中国が分裂してくれている時代の方がその圧力を受けずに自由にやれるのである。

新羅の滅亡と高麗の統一は、朝鮮史上で見れば古代中央集権国家の崩壊と再生のドラマとして見ることができるのかもしれない。
(日本で平将門が京都の朝廷を滅ぼして関東を都に新国家を作れば、高麗の王建とそっくりな状況が生まれたかもしれない。しかし日本は古代中央集権国家が崩れ行くのを放置し、それを滅ぼさない形で別の権力が並立する道を選んだ。)
その後の朝鮮の歴史は第一回で述べたとおりだが、中央集権国家高麗が制度疲労を起こすと、新たな中央集権国家朝鮮がそれに替わった。
超大国中国や、契丹、女真、モンゴルといった強力な北方民族と近接している朝鮮にとって、政治的統一は朝鮮民族社会を外敵から守るために必要であり、権力の分裂は民族の危機に直結したのであろう。
そのために日本のような権力分立の道を歩まず、高麗時代以降は中央集権制を維持することに全力を尽くしたのだと思う。
朝鮮ではその支配領域内に王権以外の権力が存在することが許されず、それゆえに地方勢力が育たず、地方の特産物の開発が進まなかったのであろう。

韓国の地方でのお土産をめぐる私の議論はあちこちを経めぐってようやくスタート地点に戻ってきた。
まだ書きたい内容は残っているが、キリがいいのでこのテーマはこれで終わりにする。


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