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3、威化島(ウィファド)と北朝鮮レストラン(9月21日)前編
ハオユエンビジネスホテルで快適な一晩を過ごした私は、さらに今日と明日のぶんの追加宿泊を願い出た。
宿の従業員は私がさらに泊まることには了承してくれたが、そのかわりある条件を付けられた。
どんな条件なのか理解できなかったが、書いてもらってようやく理解できた。
その条件とは、「もし公安に『この宿にいつ来たのか?』と聞かれたら、『今日来たばかりです』と答えてほしい」ということだった。
昨日から泊まっていたとは答えてくれるな、ということらしい。
それを知って、「ああ、やはり」という気がした。
やはり「日本人お断り」というのは単なる宿側の判断ではなく、公安の指示によるものだったようだ。
きっと昨日から泊まっていたと答えたら、宿側も何らかの処分を受けざるを得ないのだろう。彼らは私のために危ない橋を渡ってくれていたらしい。
さらにここで新しい事実も発覚した。
私は前日に150元の部屋代(実際にはデポジット込みで300元)を支払っていたが、あの部屋は実際には368元の部屋だったらしい。
(テレビがうまく映らないとか風呂場の電気が点かないとか色々問題はあったけど)チェンシャンホテルの価格に合わせて割引してくれていたらしい。
そのことに感謝するとともに、二日目以降は正規の金額を支払わされるのではないかと私はドキッとしたが、支払いはチェックアウトの時でいいと言われたので、宿泊費が合計でいくらになるかは今のところまだわからない。
部屋で出かける準備をしていると外から爆発音のような大きな音が聞こえてきた。
パンパンパンッ!と銃声のような音がしたかと思うと、ヒュ〜と何かが飛んで行くような音がした。
これが何回も繰り返されるものだから、私は緊張した。
まさか戦争ということはあるまいが、近くで軍事訓練でもしているのだろうかと思った。
宿の人に「爆発音のような大きな音がしたでしょう?」と聞いてみたのだが、宿の人は「そんなの知らないよ」と全く関心が無い様子。
外を歩く人々もきわめて平常どおりなので、別にたいしたことではないのか?と思いながら外に出る。
駅に向かってずっと歩いて行くうちに爆発音の理由がわかった。
街中でやはり前に聞いたような音が鳴り響いているので、音の原因を突き止めようと、音のする方に近づいてみた。
すると、結婚式場の前で男達が数人で打ち上げ花火のようなものを打ち上げていた。
パンパンパンッと爆発して花火がロケットのように空へと舞い上がった。
耳をつんざくような爆発音と大量の煙。
知らない人がこれを見たら市街戦でもしてるのかと思うだろう。
通行人たちはあまりの爆音に耳をふさぎながら通り過ぎていた。
なるほど、結婚式の祝砲だったのか、と私は納得した。
中国ではお正月にも爆竹を鳴らして新年を祝うくらいだから、結婚式の時にもこういうことをするのだろう。
市街地に立ち込める硝煙。これが結婚式のお祝いなのだから驚く。(遼寧省・丹東にて)
私は中国で新年を迎えたことがないのでどれだけ騒がしいのか知らないが、経験者によると中国のお正月はきわめてうるさいそうだ。
これは日本とも韓国とも違う。
韓国は正月になるとみんな帰省して実家で静かに新年を迎えるので、ソウルの町は途端に静かになる。
中国のようなにぎやかさはそこには無い。
駅まで歩いて、そこで瀋陽行きの切符を買った。
硬座(普通の座席)37元。
瀋陽―丹東間のバスが82元だったことを考えると、半分以下の値段である。
長蛇の列に並んでかなり待たされたが、いい買い物ができたなと思う。
中国はどこでもそうなのだが、駅の切符売り場はいつも長蛇の列である。
お客の数に比べて圧倒的に窓口が足りてないのだと思うが、そんなに長距離移動する人が多いのかと不思議になる。
丹東駅はでっかい毛沢東の像がある以外は特に特徴もない駅だったが、一つ驚いたことは、バスの切符売り業者(おそらくダフ屋)がほとんどいないことだ。
私が今までに見たことのある中国の駅には、必ずといっていいほどバスの切符売りがいたものだが、ここではほとんど見かけなかった。
ひょっとしたら隣のバスターミナルの方にいたのかもしれないが。
その後、鴨緑江沿岸まで歩き、遊覧船に乗ってみた。
60元。
お客はほとんど中国人ばかりのようで、中国語しか聞こえてこなかった。
もう少し韓国人がいてもよさそうなものだと思ったが、韓国語は聞こえてこない。
遊覧船はまず鴨緑江中州の島、威化島(中国語ならウェイフアダオ。朝鮮語ならウィファド)に接近した。
威化島は西暦1388年に遼東攻撃を命じられた高麗の将軍李成桂(イソンゲ)が陣を敷いた島で、今は北朝鮮の領域になっている。
威化島はひたすら草が生い茂る起伏の無い島で、時々目に映る北朝鮮兵士の詰所を除いては人工物らしきものは見えず、てっきり人が住んでいないのかと思っていた。
しかし舟が鴨緑江をさかのぼるにつれて少しずつ住居の姿が見えてきた。
住居は二階建てから三階建ての西洋式建築で、今は古びてしまっているとはいえ、北朝鮮ではかなりの高級住宅に見えた。
川で泳いでいるスイマー(おそらく北朝鮮の人だろう。何のために泳いでいるのかはよくわからない。やたらに愛想がよく、こちらに向かって手を振ってくれる人が多かった)や川で洗濯しているおばさんや、老朽化して打ち捨てられた船で遊んでいる子供たちの姿が見えた。
何故か国境の川を泳ぐ人々。彼らは北朝鮮の人だろうか?(遼寧省・丹東の鴨緑江上にて)
北朝鮮の子どもたち。打ち捨てられた船に乗って遊んでいる子どもの姿も見られる。(遼寧省・丹東の鴨緑江上にて) 北朝鮮はこんなにも近いのか、と思った。
こんなにも近いのに、向こう岸に渡ることはできないのか。
こんなにも近いのに、こちらと向こうでは別の国で、全く違った言葉を話す人々が全く違った生活をしているのか、と思った。
国境線がはっきりと見えない日本という国で生まれ育った私にとって、これは初めての国境体験であり(韓国から北朝鮮へと越境したことはあるが、あれは厳密な意味での国境ではない)、大きな衝撃だった。
さらに相手が北朝鮮という謎に包まれた国だからなおさらである。
中国人観光客たちは「ニーハオ」や「ハロー」と叫びながら、北朝鮮側に手を振っていた。
誰一人として、「アンニョンハシムニカ(こんにちは)」や「パンガプスムニダ(お会いできてうれしいです)」と朝鮮語で叫ぶ者はいない。
私が「アンニョンハシムニカー!」と叫んで、手を振ると、隣にいた中国人が驚いたように私の顔を見て、「ああ、こいつは朝鮮語であいさつしたのだな」と理解したのか、ニヤリと笑った。
こちらのあいさつに対して北朝鮮側の人々の態度はさまざまだった。
全く無視する人もいれば、黙ってこちらを見ている人もいるし、手を振り返してくれる人もいるかと思えば、石を投げてくる人もいた。
私が特に印象的だったのは、まだ4、5歳くらいの男の子(だと思う)がこちらのあいさつに対して手を振り返してくれたことだ。
あのくらいの年頃では、まだこの遊覧船が何なのか、この船に乗っている人たちがどんな人なのかもわかってはいないだろう。
こちらが手を振る姿を見て、ただ純粋に手を振り返してくれただけなのだろう。
その子を連れている親はじっとこちらを見ているだけだったから、手を振り返してくれたあの子のことがとても印象に残っている。
あの子が大きくなる頃には、あの子も国境のこちら側に自由に行き来できるようになっているのだろうか?
北朝鮮の生活。青い服を着た男の子(だと思う)はこちらに向かって手を振ってくれた。(遼寧省・丹東の鴨緑江上にて) (つづく)
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