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店主の西貢が日々考えたことや体験したことをつづるブログです!

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ハノイの風景


何故だか知らないがここ二日ほど喉の奥が痛い。
熱はないので風邪をひいたわけではなさそうだが、気になって仕方がない。
ハノイの悪い空気のせいだろうか?
だとしたらずいぶん遅れて症状が出るものだと思う。
ハノイ滞在中に負担を感じた部分(のどと鼻の間くらい)とほぼ同じ場所が腫れているようなので、やはりハノイの排気ガスが原因だろうか。

ハノイには三日間いただけなのでマスクをせずに歩いていたが、長期滞在となればマスクは必須だと思う。それほどに私が見たハノイの大気汚染はひどい。

大気汚染の主原因はバイクの排気ガスだと思う。
ハノイの路地は常にバイクが押し合いへし合いしており、バイクによる交通渋滞が起こり、バイクのエンジン音とクラクションの声はやむところを知らない。

7年前はここまでひどくなかった。
20日間ハノイにいてものどや鼻が痛くなることはなかったし、道を横断する際にバイクにひかれる危険性を覚悟する必要はなかった。
ハノイの交通状況はここ数年で極端に悪化したようだ。

そのぶんバイクによる交通事故も増えているようで、私が帰国の日に空港に出向いた際にもバイク事故による交通渋滞にまきこまれた。
ベトナム政府は最近ハノイの観光開発に熱心なようだが、そのためにはまずバイク対策をなんとかする必要があると思う。
そのためにはまず公共交通機関を充実させる必要があるだろう。

私はロシア(モスクワとサンクトペテルブルク)に約二週間いたが、一度もタクシーに乗ったことがない。地下鉄・路面電車・バスを乗り継ぎ、足りない部分は足で補うことができたからである。
しかしハノイではわずか三日間の滞在中に三回もタクシーに乗った。それだけ公共交通機関が発達しておらず、バイクのために徒歩で移動することも危険だからである。
ハノイにはバスはあるのだが(私も空港とハノイ市内の往復のために利用した)、(慢性的交通渋滞のため)路面電車はとても作れる状況ではないし、地下鉄もしばらくはできる予定がないらしい。
そのため市民はバイクに頼らざるを得ないのだろう。
どうにかならないものだろうか。

ベトナムの友人がこんなことを言っていた。
「ベトナム人は遠いと思ったら歩くことはしない。バイクかバスかタクシーを使う」
そう言う友人もバイクを持っており、後部座席に座らせてもらってハノイ市内を走った。
後ろに乗せてもらいながら、皆がバイクを利用しなくなれば、バイクに乗らなくても市内を楽に歩きまわれるようになるのだけどなあ、とぼんやり考えた。

とはいえハノイの大気汚染の原因は日本にもある。
なぜならハノイを走り回っているバイクのほとんどがホンダ、ヤマハ、スズキなど日本製なのだから。

皆さんは白く塗られた木を見たことがありますか?
私はあります。
9年前に中国に行った時初めて見て、次にベトナムに行った時また見ました。
白く塗られた木というのは、たとえばこんなのです。
 
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これはベトナム・ハノイのホアンキエム湖で撮った写真で、はがれかけているとはいえ、白く塗った痕跡がはっきりとうかがえます。
木を白く塗るといっても幹の全面に塗るわけではなく、地表面から約1mくらいの高さまで(いいかげんな目測ですが)塗るのが普通です。
その後北朝鮮のケソンに行った時にもやはりこのような白塗りの木を見ました。
そして今回モスクワでも白塗りの木を見かけました。
下の写真はモスクワで撮ったものです。
 
 
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一体この白塗りの正体は何なのか?
そして何故社会主義国にこんな木が共通して現れるのか?というのはなかなか興味深い問題だと思います。
(とはいえ、メキシコでも同じような白塗りの木を見たという情報もあるので、必ずしも社会主義国にかぎったものではないようなのですけど)
 
この問題に関しては、こちらのサイト様が詳しく考察なさっています。
 
このサイト様によれば、木を白く塗る理由は主に二つ。
一つ目は街路樹を虫食いから守るために薬品を塗っているのだそうです。
二つ目は白く塗ることで木が反射材の役目を果たし、暗い道での交通事故を防ぐというものです。
 
私がベトナム人およびベトナム在住の日本人から聞いた理由も主にこの二つでした。
どちらの理由が正しいのかはわかりません。
ただし反射材の役割を果たすというのは確かにあるだろうなと思います。
私がそう考える理由は、モスクワで白く塗られた電信柱を見たからです。
塗り方は街路樹と同じで、街路樹と同じ目的のために塗られたものと推測できます。
 
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電柱の場合、虫食いから守る必要はありませんので、これはほぼ間違いなく反射材用だと思います。
いずれにせよこの白塗りの木やは、電力不足のため街灯をたくさん設置できない社会主義国において、少しでも道路を安全に利用できるようにするための工夫の産物なのではないでしょうか?
 
<追記>
杉本信行氏の『大地の咆哮』という本の中で、これと関連すると思われる内容が書かれていたので紹介してみます。
この本は上海総領事をつとめたこともある中国専門の外交官である著者が、自身の体験を交えながら現代中国について語った本です。
この本の第一章で著者の最初の訪中体験が語られているのですが、その中に「北京の夜は真っ暗闇だった」と題して、次のような経験が語られています。
 
「飛行機から降り、ほとんど電気が点いていないようなターミナルで手続きを終えると、出迎えに来てくれた先輩書記官の顔が見えた。
車に乗って走り出して改めて驚かされた。空港同様、道路が真っ暗で、街灯というものがない。しかも車はなぜか無灯のまま。なんとなく並木道であるのがわかるのは、道路のところどころに灯っている裸電球の光により並木がポツポツ浮かび上がっているからで、車はそれを頼りに走っている。カーブで対向車線が見えにくくなると、ドライバーはパッシングライトをぱっと点けてはすぐに消していた。
空襲を防止するという軍事的な理由で車の夜間の点灯走行を禁止しているのであるが、危なくて仕方がない。すごいところにやってきたものだ。これが十三億人の中国の首都北京なのだろうか。」(PHP文庫版、32〜33頁)
 
軍事的目的のため、街灯も車のライトも禁止されている状況では、月明かりや星明りを頼りに運転するしかありません。
そんなかすかな明かりですから、道路の両脇の並木くらいは白く塗っておかないと、どこが道なのかわからなくなりそうです。
常時灯火管制が敷かれていた社会主義国において、道路を安全に走行するための生活の知恵が、このような白塗りだったのかもしれませんね。

ハノイ再び(3)

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(1枚目)日本の大阪で見た南仏プロヴァンス風ホテル(ラブホテルかと思われる)。ベトナムに多い洋風建築はまさにこんな感じ(笑)。壁は黄色く屋根は赤茶色に塗られ、やたらに縦に長く、各窓にバルコニーのような張り出し構造を持つ。
(2枚目)ベトナムエアラインのオフィスビル。ここから空港行きのエアポートバスが出ている。
(3枚目)空港に向かうエアポートバス。バスの前にも物売りがいるのがベトナムらしい(笑)。
(4枚目)空港で食べたミエン・サオ。どう見てもあんかけ堅焼きそば。



明け方に目が覚めた。眠たい目をこすりながら時間を知るために携帯電話を起動させた。
携帯の画面に「7:16」という数字が浮かび上がる。
しまった、寝すごしたか!?
6時半にモーニングコールを頼んでいたのに電話をかけてくれた形跡がない。おかしいなあとぼんやり考えてから気がついた。ベトナムには2時間の時差があるのだ。
日本の携帯電話で「7時16分」なら、ベトナムでは「5時16分」。寝過ごしたのではなく、早く起き過ぎたのである。
もう一度寝なおして寝過ごしてしまうのも嫌だったので、少々早起きではあるが、起床することにした。
顔を洗ってパソコンを起動して昨日の日記を書いた。冷凍庫から凍りかけのコカ・コーラを取り出して飲みながらパソコンを打った。
コカ・コーラを冷凍庫に入れておいたのは、冷蔵庫だと全く冷えないからだ。

結局6時半に頼んだモーニングコールは6時50分くらいに来た。ベトナムの感覚では7時までは6時半なのだろう(笑)。
その後荷物をまとめて7時前にホテルを出た。
ロンビエンバスターミナルから路線バスに乗るか、それともベトナムエアラインのオフィス前からエアポートバスに乗るかで迷ったが、初めてエアポートバスに乗ってみるのも悪くないと思い、ベトナムエアラインのオフィスに向かった。
ベトナムエアラインのオフィスはホアンキエム湖の南西側にある。そこでエアポートバスに乗り込んだが(2ドル)、バスはなかなか出発しない。定員いっぱいまで客が集まらなければ出発しないのだ。
結局40分くらい待って、8時5分にバスは出発した。
バスはタンロン橋(ハノイ北部にある紅河を渡るための巨大橋)をわたってノイバイ国際空港へと向かう。空港に行く途中車窓の風景をずっと眺めていたのだが、タンロン橋北側に日本企業の工場が密集していた。パナソニック、キャノン、ヤマハ、ニッセイなど見なれた日本企業の名前が工場の白い壁に大きく書かれていた。
ハノイにはフランスの植民地支配の影響から洋風のビルが多い。そういうビルは大抵3〜5階建てで、ベランダのような張り出し構造をもっている。屋根は三角形の傾斜をもつものが多く、瓦葺きの場合大抵赤茶色である。傾斜をもつ屋根の場合、屋根のてっぺんには天を衝く小さな突起構造物(避雷針だとおもう)が付いている。たまに平屋根のビルもあるが、そういう屋根の上には大抵タンクが置かれている(雨水貯蔵用のタンクだろうか?)。
傾斜つきの屋根の上にもタンクが置かれていることがあるものの、その場合には大抵タンクを支えるための基台がある。また屋上付きのビルには屋上の上にさらに建物を建て増したものが多く、韓国の屋塔房(オクタッパン)を彷彿とさせる。

なんてことを観察していると、いつの間にかノイバイ空港に着いていた。
時刻は9時前。10時50分のモスクワ行きに乗る私としてはちょうど良いタイミングだ。
チェックインカウンターで荷物を預ける前に、預ける荷物をサランラップでくるんでおいた。ロシアでは預け入れ荷物が空港職員によって荒らされるケースが多く、こういう自衛策をとることが一般化している。
しかしサランラップは薄く、しかも素人が不慣れな手つきでくるんだものなので、私の荷物はひどく不格好なシロモノとなった。これでどの程度自衛効果があるかは神のみぞ知る。(追記:荒らされていませんでした。よかった!)
チェックインをすませてわかったことなのだが、飛行機の調整にとまどったためにモスクワ行きの飛行機の出発が遅れているという。もとの出発時間は10時50分であるが、変更後の出発予定時刻は13時10分という。2時間以上の遅延である。

モスクワの空港に友人(ロシア人)が迎えに来てくれることになっていたので、私はこの遅延をまずその友人に知らせる必要があると思った。
そこでモスクワまでの国際電話をかけられそうな電話機を探したのだが、空港中歩きまわっても公衆電話が見当たらない。
困り果ててインフォメーションカウンターで電話機はあるかと尋ねてみたところ、空港内に郵便局があるからそこで国際電話をかけられるとのこと(郵便局はベトナム語で「Buu dien」という。漢字では多分「郵電」)。
ようやく郵便局を見つけた私はカウンターのお姉さんにモスクワまで電話をかけたいと伝えたところ、お姉さんが電話をかけてくれた。
以下はその友人と私の会話。

私「やあ」
友「・・・?(誰かわからないので沈黙している)」
私「私だよ、私。貢だよ」
友「ああ、貢!あんた今どこにいるの?」
私「うん、今ベトナムのハノイにいるよ。飛行機が遅れちゃってそれで連絡したんだよ」
友「ええ!?遅れたって・・・それじゃロシアに来れないじゃない!」
私「私が飛行機に乗り遅れたんじゃなくて、飛行機のフライトが遅れたの!2時間くらい遅れそうだからよろしくね」

という感じで1〜2分ほど会話をして料金は28,000ドン(約140円程度)くらい。思ったより安かった。
そんなわけで空港で2時間以上時間をつぶさなければならなくなったので、ブランチでも食べようかと思い(朝食べたのは凍りかけたコーラのみ)、空港の4階にあったLucky Cafe Restaurantに入った。
そこでミエン・サオ(堅焼きそばのあんかけのようなものが出てきた)と飲み物を頼んだ。
額は80,000ドンだったが、何故か会計の際に5%のサービス料と10%のVAT(何だろう?)を請求され、総額92,000ドンだった。
やはり空港内の飲食店は割高だ。

その後出国手続きと機内持ち込み荷物の検査を済ませて飛行機に乗り込んだ。
座席番号は46のE。
できれば窓側の席に座って中央アジアの沙漠や南ロシア平原を見下ろしたかったのに、座席は真ん中三列シートの真ん中。窓の外を見るどころかトイレにすら行きにくい最悪の座席。
何てついていないんだ・・・。
ともあれ2時間以上遅れたモスクワ行き飛行機は雲の中目がけて飛び立った。
行く先でどんな出来事が待ち構えているのやら・・・・。

(後記)
これはモスクワに行く前のトランジットとしてベトナムのハノイに一泊だけした際の体験記です。
この続きが、以前に「はじめてのロシア語実戦」で書いた厳しいロシアの入国検査になるわけです。

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<写真1枚目>ベトナム料理の定番、フォー(pho)。香草をたっぷりのせたフォーを食べながらタイガービールを飲むと、「ベトナムに来たなあ」としみじみ感じる。
<写真2枚目>pho24。フォー専門のチェーン店らしい。
<写真3枚目>闇の中を疾駆するバイクの群れ。ライトの明るさのせいでまるで光の川のように見える。
<写真4枚目>宵闇に浮かぶ玉山祠の門。
<写真5枚目>ホテルのテレビで見た韓国ドラマ。やっぱりベトナムでも韓国ドラマは人気らしい。ちなみにホテルのテレビも韓国製だった。
<写真6枚目>「日本生活の案内」・・・ベトナム人に日本の生活を紹介した本らしいのですが、何じゃこりゃ!表紙からしていきなりミスリードしてるのですけど。


どうにかホテルにたどり着き、予約していた旨を話すと、部屋のカギを渡された。
501号室。5階の部屋だ。
5階までは階段で登らなければならなかった。20kg程度の荷物を持ちながら5階まで上がるのは結構な重労働であり、体から汗がふきでるのを感じた。

ホテルでシャワーを浴びて小休止すると、いつの間にか夕暮れ時になっていた。
夕食を食べにまた外に出た。
外に出る前にホテルのフロントの青年が、「パスポートを出してくれ」と言うので、「滞在中パスポートをホテルで保管するのかな?」と思っていたが、パソコンにパスポート情報を打ち込んだら返してくれた。
以前にハノイで滞在した時は宿に滞在している間中パスポートを預けておかなければならなかったのに比べると、ずいぶんゆるくなったものである。

夕食を食べに外に出た。
やっぱりバイクの数はおびただしかった。ひっきりなしにクラクションを鳴らしながら疾走するバイクの群れは、夕暮れの空の下で巨大な光の洪水のように見えた。
その光の群れの中をどうにかして歩きわたるとホアンキエム湖にたどりついた。
7年前に私がハノイに滞在していたとき、何度も来た湖である。

肌にまとわりつくような生温かい風は7年前と変わらないが、あの時は3月、今は8月である。暑さの質が違う。
体から汗が吹き出すような感触を抱えながら、いい加減空腹に耐え切れなくなってPho24という小ぎれいな店に入った。
小汚くて安いクアンコム・ビンザン(平民食堂)を避けてあえて小ぎれいなチェーン店に入ったのは、明日のモスクワ行きを考慮しての事だ。ここで体調を崩してはならない。

Pho24には外国人の客が多かった。より正確に言えば私を含めて外国人の客しか見かけなかった。地元のベトナム人はフォーのような庶民料理を食べにわざわざ高い店に入らないためであろうか。
フォーとタイガービールを頼んだら9万ドンくらいだった。なるほど、この値段じゃわざわざベトナム人が来ないわけだと思った。
食事を終えてお勘定をしようと思ったところで突然店の電気が全て消えた。停電だろうか。
店員はいつものことで慣れているのか、誰も驚かずにのんびりおしゃべりしている。5分ほどで電気が復旧したので、お勘定を済ませて店を出た。
店を出てしばらく考えた。最近日本では「停電が起こるかもしれない」という不安が広がり、一度も停電が起こっていないのに(計画停電はあったが)人心は動揺している。
それに比べてベトナムはどうだろう。
日常的に停電が起こっても人々は「またか」というぐらいで誰も動揺していない。
日本とベトナム、余裕のある国は一体どちらなのだろうか?

ホアンキエム湖の南東にあるチャンティエンプラザ(国営百貨店らしい。今は何故か閉鎖中)の隣にタンロン書店がある。越日辞典を買おうと思い立ち寄って見たのだが、いい辞典が見当たらない。
その代わり韓国語辞典が以前に比べてずいぶん充実していた。隣にいた二人の若い男性客たちも韓国語辞典を手にとって何やら話していた。今ベトナムでは韓国語学習熱が高まっているらしい。

日本語学習コーナーも覗いて見たところ、思いがけないものを見つけた。
写真を見ていただければわかるのだが、本のタイトルは「日本の生活案内」なのに、表紙の写真は韓国なのである。
これは一体何なのか?著者は日本と韓国の区別がつかなかったのか?それともツッコミを期待してあえてボケをかまして見たのだろうか?
何にせよベトナミーズ・ジョークは難しすぎる。

結局辞書は買わずにベトナムの地図帳だけを買って店を出た。
その後ホテルに戻ったところ、ベトナムに長期滞在中の知人がフロントで私を待っていてくれていた。
私たちは再会を喜び合い、その人のおすすめの喫茶店でお茶を飲みながら色々と語り合った。
その会話のなかで特に印象的だったのは「最近ベトナム人がどんどん韓国人化しつつある」ということだ。
ベトナムでは今韓国ドラマが人気で、若者たちは韓国のファッションを真似し、(これは多分冗談だろうが)走り方まで韓国人に似てきたという。
私も今回ベトナムに来て同じ事を感じていたので、その説に共感した。

ベトナム人にとって学ぶべき対象としてのアジアの先進国が、日本から韓国にシフトしつつあるのかもしれない。

私は以前から韓国(北朝鮮を含む)とベトナムは似ていると思っていた。中国という超大国の圧力を常に受けながらも中国文化を取り入れつつ独立を守ってきたという歴史的経緯を共有している。そのために両国は心情的に近いものを持っており、韓国文化を愛好するベトナム人が増えているのもそのような歴史的経緯によるものではないだろうか。

そんなこんなで楽しい歓談のひとときは過ぎ去り、次回は字喃(チュノム。前近代においてベトナム語を表記するため漢字をもとにして作ったベトナムの国字)を教えてもらうという約束をして別れた。
私は宿に戻ってフロントにモーニングコールを頼むと、そのまま寝てしまった。

(続く)

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<写真1枚目>ハノイ旧市街。狭い路地にバイクがひしめいている
<写真2枚目>ノイバイ国際空港
<写真3枚目>ノイバイ空港からハノイ市内を結ぶ路線バス。写真に写っているのは結構きれいなほう。実際にはもっと汚いのも多い。
<写真4枚目>旧市街を疾走するバイクの群れ。どうやってこのバイクたちをかわしながら道を渡ろうか?
<写真5枚目>ハノイの顔、ホアンキエム湖。湖中の小島には「亀の塔」と呼ばれる塔がそびえている。

ロシアに行く前に乗り換えでベトナムのハノイに一泊しました。
その時の旅行記を書いていたので、ここでアップしたいと思います。


パパーン、ギュウウゥーン、ブッブー。
肌にまとわりつくような暑さの中、クラクションをけたたましく鳴り響かせながら、バイクの列は流れるように街角を走り抜ける。
このバイクの波の間を、重たい荷物を抱えた旅行者が、えっちらおっちらと慣れない足どりでホテルを目指していた。
この旅行者がベトナムに到着したばかりの私である。
今、私はベトナム社会主義共和国の首都ハノイにいる。
ハノイには前に一度来たことがあるので、今回は二度目の旅行となる。
ただし二度目とはいっても一度目の旅行はもう7年も前になるのだから、実質上初めてみたいなものだ。
こんなにハノイにはバイクが多かったか?と場違いな疑問を抱きながら、命からがらホテルにたどりついた。

話を数時間前にさかのぼらせてみよう。
5時間近くのフライトを耐えて、ベトナムにようやく入国した私を待っていたのは、ベトナム人の「(タクシーに)乗らないか」攻勢だった。
それまで飛行機の窓からベトナムをながめて、「土が赤いな」とか「土だけじゃなく、家の屋根も赤いな」とか「空港の北側には結構大きな山があるのだな」とか「ハノイ周辺は湖沼が多くて湿地帯みたいだな」とか「ノイバイ空港は大きく、立派になったな」とか考えて旅情やら回顧にふけっていた私の頭を、タクシー運転手たちは見事現実に引き戻してくれた。

そうなのだ。空港にたどりついて旅は終わるのじゃない。そこからが始まりなのだ。
ベトナム語はおろか英語すらろくに話せない状態で、どうにか宿までたどり着き、無事に食事にありつかなければならないのだ。
韓国のような言葉の通じる外国(あくまでも私にとってだが)に慣れきっていた私にとっては久々のサバイバル体験である。
やってやるぞという挑戦心と、どうしようという不安をともに抱えたまま、私のホテル行き作戦は始まった。

タクシーの兄ちゃんたちの「乗らないか」攻勢をかわしつつ、案内カウンターに出かけると、「ハノイ市街に行きたいのか?」とそこで待っていた兄ちゃんに言われ、バスに乗せてやるからついて来いと言われた。
その兄ちゃんについていくと、空港の外に車が待っていて、それに乗せられた。
車の中には運転手らしき人ともう一人若い兄ちゃんが座っていて、私に金を払えという。
料金は2ドル(3ドルと言っている人もいた)で、二十分後に出発するという。
ははあ、これがエアポートバスなのだな、と思ったものの、一抹の不安が私の頭の中をよぎった。
もしこの車が本当のエアポートバスでなかったならどうしようか?
もしどこか見知らぬところに連れて行かれて身ぐるみはがされたらどうしよう?
車内で現地人に囲まれた状態で金を出せと脅されたら、抵抗しきれないだろう。

そう思った私は、十中八九大丈夫だろうとは思いつつも、この車に乗って市内に行くのをやめた。
おそらく彼らは悪い人ではないのだろうが、現地語をろくに解さず、現地事情にも疎い私には、その判断ができない。
判断のつかないものに自分の運命を預けたくはないので、結局車を降りて、別のルートを探すことにした。

空港の出発ターミナル(2階)を出るとハノイ市内までの路線バスがあると聞いていた。
路線バスなら運転手たちに脅されることも、ぼったくられる心配もないと思ったので、路線バスに乗ってみたいと思った。
実際に出発ターミナルを出てみると、出発ターミナル前にバスやタクシーで乗りつけるための高架道があった。
その道を左に降りていくと、そこに2台のバスがとまっていた。7番バスと17番バスだ。
17番バスはロンビエンバスターミナルまで行くという。
ロンビエンバスターミナルは私が行こうとしている旧市街のホテルに近い。
そういうわけで17番バスに乗り込んだ。
バスに乗り込むと、中年のおじさんと若い兄ちゃんがこちらをやけに見ていた。何か思うところがあったのだろうか。
バスに乗り込んだものの、どうやってお金を払うのかわからず、キョロキョロしていたら、どこかから車掌のようなおじさんが現れて5000ドンを請求してきた。(1円=200ドン程度。つまり5000ドンは25円程度。エアポートバスに比べると破格の安さである)

私が7年前にハノイのホアンキエム湖からノイバイまで行った時はバス代2500ドンだった。運賃は倍に値上がりしたわけだが、ドンの価値も下落したため、旅行者にとっての負担は大して変わっていない。

7年前に私がハノイでバスを乗り回していた頃、バスといえば韓国製のHYNDAI車だった。韓国で使われていたバスのおさがりをそのまま使っていたようで、車体に韓国語の表記がそのまま残っていたものだ。
今見るバスはベトナム語の表記しかなく、かつてのように韓国のおさがりをそのまま使っているわけではないように見えたのだが、実際に乗り込んでみると、「HYUNDAI」と書かれてあり、やはり韓国製であった。
車体は相当古く、窓ガラスは一度も拭かれていないかのように真っ白く濁っていた。

バスは東側に大きく迂回してチュンズオン橋を渡ってハノイ市街に入り、ロンビエンバスターミナルで停車した。
ターミナルで下車すると、そこに待機していたベトナム人たちが「ライライライ」と言いながら私たちに手招きをした。タクシー(もしくはバイクタクシーか)に乗れということだろう。

ターミナルでバスを降りてホテルに向かう道中、あまりのバイクの多さに絶句した。
ハノイにバイクが多いのなんて、郵便ポストが赤いというくらい自明のことだったのに、それでも驚いた。
私の記憶が正しければ、7年前よりバイクの数が多くなっている。
7年前にも大通りはバイクだらけだったが、旧市街の小道にまでバイクが殺到してくることはなかった。たまにやって来るバイクをかわしさえすれば悠然と旧市街散策を楽しめたものである。

それが今はどうだろう。
小道は歩道と車道の区別が無いだけに大通りより危険なエリアになってしまっている。狭い道の上に物売りと歩行者とバイクが所せましと押し合いへし合いしているような状況である。
ぼんやりしていてはいつ事故が起こってもおかしくない。

ハノイは7年前よりも外国語の表示が増え、豊かで華やかになった反面、カオス度は上がったような気がする。
これがこの数年間のベトナム経済躍進の結果なのだろう。

(続く)


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