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店主の西貢が日々考えたことや体験したことをつづるブログです!

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「国難の今、わがままな教師たちを叱る」という産経新聞の記事を読んで、強い違和感を感じた。

産経新聞の右翼的傾向は今更言うまでもないことなのだが、「国難の今」と「わがままな」という語句に、太平洋戦争時の空気に似たものを感じたのだ。

記事の内容は以下に転載しておくが、国歌斉唱・国旗掲揚にかかわる思想的問題を、単なる「わがまま」という次元に矮小化しようとする魂胆がこの記事からは露骨にうかがえる。
こういういやらしさが産経の産経たるゆえんだと思うが、読んでいて背筋が冷たくなるような気がした。

国歌斉唱・国旗掲揚を拒否する教師たちは、国歌や国旗そのものを否定しているわけではない。
国歌としての「君が代」と国旗としての「日の丸」に対して疑問を持ち、上から与えられた国歌と国旗ではなく、全国民的な議論の結果としての国歌と国旗を作り上げるべきだと考えているのである。

国民が自らの国の国歌や国旗を作り上げていくのは民主主義国家の国民として当然の権利であるにもかかわらず、そういう過程を経ないまま、政府は国歌と国旗を国民に強要している。教師たちが国歌や国旗に対して「ノー」を突き付けるのは、そういう政府のやり口に対する抵抗なのである。

私個人は、国歌や国旗など所詮記号にすぎないと思う立場なので、この教師たちに同調するわけではないが、彼らの危機意識のようなものは理解できる。
それは、国のあり方は国民一人一人が決定していかなければならず、「長いものには巻かれろ」式の大勢順応方式では国は滅びるという危機感である。

現在のような非常時にはできるだけ多くの国民が声をあげて、よりよい日本の国のあり方をみんなで考えていかなければならない時だというのに、産経新聞はそういう動きを「わがまま」の一言で押しつぶそうとしている。

これでは戦時中の言論統制と何ら変わりない。あの時もそのような言論統制によって自滅したというのに、この国はまた同じ過ちを繰り返そうとしているのだろうか?


【産経抄】
国難の今、わがままな教師たちを叱る
2011.6.1 02:47
 早坂隆氏の『世界の日本人ジョーク集』に「スープに蠅が入っていたら?」というよくできた話がある。「問題なく蠅を食べる」という中国人など、各国の人々の反応をジョークとして取り上げている。中でも対比がおもしろいのが、米国人と日本人だ。

 ▼米国人は「ボーイを呼び、コックを呼び…あげくに裁判沙汰となる」。一方の日本人は「自分だけに蠅が入っているのを確認してから、そっとボーイを呼びつける」。訴訟大国の米国と、なるべくなら争いごとを避けたい日本との風土の違いを示しているように思える。

 ▼だが一昨日、最高裁で判決があった国歌斉唱時の起立をめぐる裁判を見ると、日本も訴訟大国になったのでは、と錯覚させる。東京だけでも国旗・国歌をめぐる同様の訴訟が24件も起きている。750人近い教職員がその当事者となっているというから、驚きである。

 ▼自分の思想信条と合わない職務命令には従いたくない。聞こえはいいかもしれないが、普通の企業や組織ではそれは「わがまま」という。「蠅一匹で」とはいわないが、処罰を受けたら裁判に持ち込むというのなら、世の中訴訟だらけになってしまう。

 ▼幸い、最高裁の判決では斉唱時の起立を求めた職務命令は思想、良心の自由を侵害せず、合憲と断じた。4年前、国歌のピアノ伴奏の命令も合憲となっている。司法としてこれ以上の判断はない。いいかげんに不毛な議論はやめ、命令に服したらいかがか。

 ▼国難といわれる今、日本人は心をひとつにすべきときだ。それなのに、何百人もの先生たちが国旗や国歌に背を向けて裁判闘争にうつつを抜かす。日本を応援している外国人たちの目にどう映っていることだろう。


今朝、YAHOOジャパンのニュースを見て驚いた。
「まだ寒いけどクールビズ」って何ですか?

クールビズって、寒さに耐えられる元気な体を作るためにやるものでしたか?
まさか。

夏場にクーラーを使わないようにするため、涼しい格好をするというものでしたよね?
本来の目的は省エネでしたよね。

どうして寒いときに寒い格好をするという「我慢大会」になっちゃったんですか?

天候にあわせた服を着ることで、節電をしようという本来の目的はどこに行ったんですか?

もしこれで風邪でも引いて病院に行くことになったら、全然省エネじゃありませんよね。

我慢しないで気楽な格好をすることで省エネしようという運動だったはずなのに、どうしてこんなに不経済な我慢比べみたいなことになってしまったのでしょう?

本来の目的を思い出してくださいよ、本当に。

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約1か月ぶりの更新だ。

でも特にネタが無いのです。
最近は完全に家にひきこもって毎日を過ごしていたので、そんなに書くほどのネタが無いのです。

大学院生のくせに大学にも行かず、バイトもやらずに過ごしてるなんて、それ何てNEET?ってな感じですが、私らしいと言えばとても私らしいと思います。

最近中国語を勉強していたりします。
といっても、ひきこもり学生の勉強方法なので、授業を受けに行くなんてことはしません。
ただ教材を買って、MP3に録音した音を聞きつつぶつぶつ言いながら散歩するだけです。
それ何て不審者?って言われそうな感じですが、私らしいと言えばとても私らしいと思います。
(私って、一体・・・)

最近インターネット上で発見して勉強しながらいつも聞いている(見ている?)テレビ番組があります。
中国語の放送で「民族底片(minzu dipian)」という番組なのですが、中国に住む約55の民族を1民族5分程度で紹介する番組です。
きちんと字幕も出てくるので、私みたいな引きこもり中国語学習者にはうれしい番組ですよ。
(「底片」=写真の原板のこと)

そういう番組を見てると、中国の広さを感じるとともに、日本人ってのもこういう民族の一つに過ぎないのかなあと不思議な気分になります。
日本人の場合は中国と海を隔てて数がわりかし多かったので、中国の中の一民族になることはなかったけど、本質的には大きな違いはなかったのかと思いますね。

朝鮮族の回を見たときは昔の恋人に会ったような懐かしいような嬉しさがありましたよ。
だって、中国語の説明は理解できないのに、登場する朝鮮族が歌っている歌は理解できるんですから。

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一枚目はフラゴナールの「ぶらんこ」(1767年頃)。ぶらんこで遊ぶ女性と、その下でスカートの中をのぞき見る男性。
二枚目は申潤福(シン・ユンボク)の「端午風情」(1805年頃)。ぶらんこに乗ったり、髪を整えたり、水浴びをしてくつろいでいる女性たちを蔭にかくれてのぞき見ている男性たち。儒教意識が強かったといわれる朝鮮時代にも、意外にこういう絵はあるものです。
ほぼ同時期に西洋と東洋で、ぶらんこにまつわるエロティックな絵が描かれているのは面白い偶然です。
ぶらんこには性欲を刺激する要素があるのかしらん。


福島原発事故以来、原発ネタ以外書けないくらいに情緒不安定になっていたのですが、最近少しもち直したので、ちょっと違う話を書きます。

今回のテーマは「性欲は何故隠されるか?」ということです。
人間の三大欲求としてよく、食欲、性欲、睡眠欲が挙げられますが、この中で性欲だけは「公然と言うことがはばかられるもの」、「子供に見せたくないもの」、「なんとなく恥ずかしいもの」という風に考えられています。
おそらくこれはほぼ世界共通だと思うのですが、何故人間は性欲を隠したがるのでしょうか?

性欲は、食欲や睡眠欲などと同じように、人間にもとから備わっているものであり、必要なものであるはずです。それなのに、何故「いけないこと」のように考えられるのでしょうか?

そもそも食欲&睡眠欲と性欲は機能的に異なります。食欲と睡眠欲は「個体の生存に必要な欲」であるのに対し、性欲は「種の保存に必要な欲」です。ぶっちゃけた話、食欲と睡眠欲は満たさないと生きていけないものなのに対し、性欲は満たさなくても生きてはいけるのです(子孫が生まれないだけで)。だからこそ、性欲は隠したり禁止したりできるわけです。

でもこれは、性欲を禁止しても大丈夫な説明にしかなりません。性欲が「隠される」理由としてははなはだ不十分でしょう。
たまに、「性欲はなんとなく恥ずかしいものだから隠すようになった」なんて説明する人もいますけど、これは答えになっていません。「何故人間は性欲を恥ずかしがるようになったのか?」がわからない限り、意味のある答えにはならないのです。

他の動物は性欲を隠したり禁止したりはしません。こんなことをするのは人間だけです。
だから、人間だけが持っている文化的特徴から、「性欲」=「恥ずかしいもの」という図式が成立するようになった理由を探さなければならないでしょう。

これは私の個人的な考えなのですが、性欲がタブー視されたそもそもの理由は、性欲が結婚制度を破壊するからなのではないかと思うのです。
強すぎる性欲の持ち主は、配偶者とのセックスだけでは飽き足らず、不特定多数の異性と性関係を持ちたがります。その結果、不倫などが横行し、配偶者以外との子供が沢山生まれる事態になると、結婚生活は破綻し、子供をきちんと育てられなくなります。
これが一人の人間の行動だけならいいのですが、不倫が横行する社会的風潮が生まれたら、家庭の崩壊が相次ぎ、社会は壊れていきます。
もし性欲を煽るようなことをすればそのような社会的危機が起こることを恐れ、人間は性欲を煽るようなものを隠すようになったのではないでしょうか?

ところで、何故人間は「結婚」というものを重視するのでしょうか?
人間以外にもつがいを作る動物はいますけど、結婚という名の一種の契約を社会的・文化的に重視している生物は他にいないと思います。
結婚というのは、ぶっちゃけて言ってしまえば、「自分は配偶者以外と性的関係を持たないぞ」ということを社会に対して誓うようなものであり、その約束を破ると社会的制裁を受けます。
動物のつがいと違うところは、社会によって約束の履行を迫られている点だと思います。
何故人間社会がここまで「結婚」というものを重視するか?というと、人間の子育てにその原因があると思うんです。
人間は、すべての生物のうち、大人になるまでに最も時間のかかる生物です。それは、人間社会がその他の生物の社会(そんなものがあるのかどうか知らんが)に比べてはるかに複雑で、その社会の正式な一員になるまでに習得しなければならないものがあまりにも多いからです。
そのために、人間の親は子供を育てるために、他の生物の親よりはるかに大きいコストを払わなければなりません。
それだけのコストを母親だけが払わなければならないのなら、きちんと子育てできない可能性があります。
そこで人間は、父親の方にも子供を育てる責任がある、として、結婚という制度を作り、父親が子育てを放棄して逃げ出さないように監視し始めたのではないかと思います。

しかし、父親の方にしてみれば、「その子は本当に俺の子か?別の男の子供じゃないのか?」という疑問が残ります。他の男との間に生まれた子供なら、自分が子育ての責任を負うのは真っ平ごめんだということです。
だから、人間社会では、「結婚するまで女性は処女であるほうが良い」という考えが生まれ、処女をやたらにありがたがる傾向が生まれたのでしょう。
結婚するまで処女であったということが、生まれてくる子が間違いなく夫の子であるという証明になるからです。
男性よりも女性の方が、(昔は)性的な情報から遠ざけられたのはそのためでしょう。
男性に子供の養育の責任を果たさせるためには、「私は浮気なんかしていません」ということを行動で示す必要があり、そのために「一婦二夫に見えず」のような貞淑観念が生まれたりしたのでしょう。

だんだん何を書いているのかわからなくなってきましたが、今まで述べたことを整理すると次のとおりです。

(1)人間社会は複雑なため、人間の子供は大人になるために膨大な時間がかかる。そのために、人間は母親だけで子供を育てるのはしんどい。父親にも子育ての責任を負ってもらわないといけない。

(2)父親にも子育ての責任を負わせるために結婚制度が作られた。男性は自分の子供以外を育てたがらないため、女性は結婚まで処女であることが求められたり、貞淑観念を教え込まれたりした。

(3)結婚生活を維持し、子供を安定的に育てていくためには、夫婦が配偶者以外の異性と性的関係を持たないようにさせる必要がある。そのために、子供の頃から性的な情報からは遠ざけさせ、性欲を無駄に肥大化させないようにしていた。

(4)性的なものが隠され、禁止されたりしたのは、性欲は結婚制度を壊しかねない危険なものだから。しかし、隠されれば隠されるほど、希少価値が高まり、性的なものが実際以上に高く評価されるという副作用も生まれた。(最後のところは付け足し)


今週に入ってから、スーちゃん関連のニュースばかりで、原発ニュースがずいぶん少なくなりました。
これはただ作業が進展していないからであって、解決したわけでは全くないんですけどね。
世間の人々がいい加減原発ネタに飽きたせいもあるのでしょうけど。

以前に池田某という経済学者が(名前は失念)、自身のブログで「原発より自動車の方が危険だ」と主張されていました。
それがあまりにも一般人の安全感覚とずれていたので、専門家というのは他人の痛みのわからない人々なのだなあと思いました。

何でもその人が言うには、「自動車では毎年5000人もの人間が死んでいるのに、原発で死んだ人はまだいない。だから原発の方が安全である」だそうで、「自動車のリスクは容認できるのに、それより安全な原発のリスクを容認できないのはおかしい」だそうです。(うろ覚えなので、多少間違っていても勘弁してね)

読んだ後、「この人は何を言っているのだろう?」と思ってしまいました。こんな人が経済学者として日本のエネルギー問題を語るんですか。
(まあ、私の頭が悪くて、池田先生の真意を理解してないだけかもしれませんけど。というかそうであってほしいですね。)

「安全」の定義を「事故が起こらないこと」と考えるのならば、「事故の起こる確率」が安全を測るための重要な基準になります。日本で現在稼働中の原子炉の数は55程度(正確な数は知らんが・・・)。それに対して日本国内の自動車台数は、何千万台・・・?
「事故の起こる確率」を原発と自動車で比較するなら、
(原発事故の回数)÷(事故を起こしうる原子炉の数)=(原発事故が起こる確率)と、
(自動車事故の回数)÷(事故を起こしうる自動車の数)=(自動車事故が起こる確率)
を比較しなければフェアじゃないんです。

池田さんは、あえて「事故を起こしうる原子炉の数」と「事故を起こしうる自動車の数」という、数百万倍も差のある数字を無視して、単純に「原発事故の回数」と「自動車事故の回数」を比較して、「原発は自動車より安全だ」と述べているのです。
この方は小学生のときに割り算を習わなかったのかと疑問になりますね。

さらに、この池田氏は、(よしておけばいいのに)「原発はたばこより安全だ」と主張するために、「今の東京では被曝より受動喫煙の方が危険だ」などと述べておられます。
本当に何を言っているのかわかりません。

「今の東京で放射線被曝より受動喫煙の方が危険」なのは、原発が東京から200km以上離れているのに対し、喫煙者が東京にたくさんいるからです。
じゃあ反対に、喫煙者が200km以上離れたところにいて、放射能の漏れた原発が東京にたくさんあればどうですか?
それでも池田先生は、「原発よりたばこが危険だ」と言うのでしょうか?

この方には、原発事故のために家も土地も失い、放射能による健康被害におびえながら暮らしている人々の気持ちはわからないようです。
結局この方の意見は、「原発が事故起こしても俺のところは安全だから、事故を気にせず原発推進しようぜ」という都会人のエゴを代弁しているだけのような気がします。

自分の家の近所に原発を抱えていない人の、能天気な言葉ですね。


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