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店主の西貢が日々考えたことや体験したことをつづるブログです!

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4、九連城と朝鮮語(9月22日)前編
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北朝鮮の威化島。兵士たちがこちらを見ている。
 
9月22日は7時頃に目が覚めたのだが、この日記を書いたり、洗濯をしていたらいつの間にか遅くなって、結局宿を出たのは11時頃だった。
この日は朝から昨日より大きな爆発音が鳴り響いていた。
また結婚式か?と思っていたら、「ハッピーバースデイトゥーユー♪」の誕生日ソングが聞こえてきた。
結婚式が終わったと思ったら今度は誕生日か。
何かを祝うたびに戦争のように音をけたたましく鳴らす漢民族の風習には毎回唖然とさせられる。

宿を出る前に昨日包んでもらっていた平壌高麗館の残った料理を食べる。
冷蔵庫が無いので腐っていたらまずいなと思い、念のため正露丸も一緒に飲む。
正露丸は本来日露戦争の時、満洲の原野で戦っている日本軍の衛生のために作られたものだというが、今私はその旧満洲で正露丸を飲んでいる。
奇しくも100年前の日本人と同じ用法で使っているわけである。きっと正露丸も再び満洲の地で日本人の役に立てて喜んでいることだろう(何だそれ?)。

この日は九連城(ジウリエンチェン)という所に行く予定だった。
九連城はもともと丹東が鴨緑江下流の中心都市になる以前の中心地であり、金・元代には婆娑府と呼ばれていた。
朝鮮側の義州(ウイジュ)と相対する中国側の辺境であり、前近代においては対朝鮮外交窓口の役割も果たしていた場所である。
また、日露戦争の時の激戦地としてもよく知られている。

九連城に行くには213番か215番バスに乗ればいいので、私はバスに乗って九連城に向かう。
しかしおかしなことに、バスは行けども行けども九連城にたどり着かない。
しまいには何故か鴨緑江の中洲のような島に渡って、ひたすら農村地帯を走っていく(後でわかったことだが、この島は鴨緑江にそそぐ靉河(アイフー)の中州の島で、套里村(タオリーツン)とか河西甸子(フーシーディエンズ)とか言われているところだった)。

あれ?これは大丈夫なのか?ここはどこなんだ?ここからどうやったら九連城に行けるんだ?と内心あせっていたところで、バスは停まった。
終点にたどり着いたためらしい。

まずい、こんなところで降ろされても何もできない。
こんな農村では私みたいな外国人は明らかに不審者である。
村人に捕まって日本人だとばれたらどうなるだろうか・・・とあれこれ思い悩みながら、バスが終点から折り返すまでずっと降りないで座っていることにした。
すると終点で折り返すバスに何人かお客さんが乗ってきた。
そのおばさん達は大きな声でおしゃべりを始めたが、よく聞いてみると、中国語ではない言葉で話している人達がいた。

これは朝鮮語じゃないか!と思った私は、しめた、と思い、そのおばさんの一人に話しかけてみた。「朝鮮語を話せますか?」と。

「うん。あんたはどこに行くんだい?」
「実は私は九連城に行きたいんですが、どうやったら行けるかわかりますか?」
「九連城なら213番バスに乗らなきゃだめだよ。これは214番バスだから、このバスに乗って岔道口(チャーダオコウ)まで行って、そこで乗り換えなきゃ」

どうやら私は間違えて214番バスに乗っていたらしい。
中国語がわからず難儀していた私にとって、朝鮮語を話す人々に出会えたことはまさに天佑であった。
私はなんだかんだ言っていつも朝鮮語に助けられているような気がする。
朝鮮語を話すおばさん達は私に色々話しかけてきた。

「どうしてこんな所に来たの?」
「私は大学で歴史を勉強しているもので、ここに歴史遺跡があるから来たんです」
「遼寧大学の留学生かい?」
「いえ、旅行者です」
「アイゴー、勇敢だねえ。中国語を一つも知らずに一人でやって来るなんて。こういう所はガイドを連れて歩かなきゃ」

そこで私も逆に聞き返してみた。

「朝鮮族の方ですか?」
「いや、私らは華僑だ。年に何度も北朝鮮に仕事で行ってるんだ。でも最近はあまり行けないんだ。たくさん搾取されてね」

彼らは朝鮮族ではなく華僑と言っていたが、たしかに中国語訛りの強い朝鮮語を話していた。
だが、おばさん同士の会話を聞いていると、北朝鮮内にも親戚がいるようで、北朝鮮の経済政策を批判しているようだった。

私はこのおばさん達のおしゃべりを横で聞きながら、「あんたはどこの国の人だ?」と聞かれたら何と答えようか考えていた。
彼らは朝鮮語ができるから、私の韓国語がネイティブのものでないくらいすぐに気がつくと思う。なので「韓国人です」とは言わずに「在日韓国人です」と答えようかと思った。それが一番無理のない、自然な回答のような気がしたからだ。

しかし結局、「どこの国の人だ?」とは質問されず、「岔道口(チャーダオコウ)の停留所で降りたら道を渡って213番バスに乗りなさい」と親切な助言だけもらって私はバスを降りた。
大声で「カムサハムニダ!(朝鮮語で「ありがとうございます」の意味)」とお礼を言いながら。
 
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岔道口(チャーダオコウ)のバス停留所。ここでバスを乗り換えた。名前のとおり、ここで道が二つに分岐している。

岔道口とは、「分かれ道入り口」という意味で、ここで213番バスと214番バスの路線が分岐していた。
私は岔道口停留所で213番バスに乗り、1元払って九連城に向かった。
九連城は五龍背よりもっと小さな町で、農村の中に道一本だけ商店や銀行や小学校などの施設が並んでいる田舎町だった。
 
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九連城(ジウリエンチェン)のバス停を降りたところ。この道一本に学校、商店、銀行など主要施設が集中している。
 
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九連城周辺の街並み。中国の家はレンガ造りが多い。木と土で家を作る日本や朝鮮とは異なる特徴だと思う。

バス停を降りたはいいものの、遺跡に関する案内板も何も無く、どこへ行けばいいのか皆目見当がつかない。
とりあえずボーッと突っ立っているのはただの不審者なので、特に当てもなく歩き始めた。
歩いていれば何らかの手がかりが得られるのではないかと思った。

「九連城」という名前からすると、おそらく城壁が長く連なっている場所だったのではないかと想像できる。
そうなると、万里の長城のように、山並みに沿って城壁が築かれたのではないか。
したがって、九連城の遺跡にたどり着くためにはまず山を見なければならないだろう。というふうに推測して、山の方に上がっていく道を登ってみた。
 
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九連山の入り口。登るときにはこの入り口を見つけられずに苦労した。前に見える山が九連山。

道の途中で子供たちがメンコ遊びをしていたり、おしゃべりをしていたりした。とてつもなく平凡な風景である。
その平凡な風景に私みたいな部外者は明らかに異質である。
不審者だと思われているだろうな〜、と思いながら、山の方へと上がっていく。
すると道が途中で途切れ、そこでおばさん達が立ち話をしていた。

おばさんが私の姿を見つけて話しかけてきた。
「あんた、どこに行くの?」
「ええと・・・、私は外国人で、学生です。歴史遺跡を探しているんですが・・・」

「歴史遺跡(リーシーイージー)」という言葉を聞いて、向こうも納得したらしい。

「この近くにルーベンベイっていうのがあるよ。それなら、この道を降りて左に行ってもう一度登るといいよ」
それだ!と思った。

「ルーベンベイ」の「ルーベン」は「日本」のことだと思うから、「ルーベンベイ」というのは日露戦争関連遺跡だろう。
この九連城は日露戦争の古戦場だから、その遺跡が残っていてもおかしくないはずだ。
そこに行けば何かわかるかもしれないと思い、「謝謝(シエシエ)」と言って道を下った。
道を下ったところで教えられたとおりに左側に向かって歩いた。ひたすら歩いてみたが、何ら手がかりになりそうなものは見当たらない。
 
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「ルーベンベイ」を探しながら、ふと見つけた小さな祠。何を祀っているのかはわからなかったが、やっぱり中国にもこういう民間信仰の祠はあるのだろう。

「ルーベンベイこちら→」のような案内板が有れば・・・、と期待したのだが、そんなものも無く、ただひたすら田舎道が続くばかり。
仕方なく、そこにいたおじさんに「このあたりに遺跡がありますか?」と聞いてみた。
おじさんは「どこの国の者だ?」と尋ねてきたので、「韓国です」といつもの如く詐称した。
するとおじさんは「遺跡なんて無い」と答えた。さっきのおばさんの発言と食い違う。
単にこのおじさんが知らなかっただけかもしれないが、やたら意味有りげに国籍を尋ねてきたので、もしかしたら相手の国籍に合わせて答えを変えていたのかもしれない。
 
「ルーベンベイ」はあくまでも日本関連の遺跡だから、韓国人には教えないということなのだろうか?ならば「日本人です」と答えれば教えてくれたのだろうか?でも今の国際情勢を考えると正直に答えるのがいいとは限らない。
民族差別の恐ろしいところは他人を信用できなくなることだと思う。
自分が何者であるかがばれた途端に相手の態度が変わるかと思うと、相手を容易に信用できなくなる。だからこちらも嘘をついてしまうことになるのだが、嘘をつけばつくほどそれがばれることへの不安が大きくなり、相手に対する不信感も増大する。
誰だって好きこのんで嘘をつくわけじゃない。嘘をつかなければ迫害されるという恐れから嘘をつくのだ。
何故差別される民族が自分の出自を偽るのか、自分が迫害される側に立つことで今回初めてわかったような気がする。
(つづく)

原稿が書けない

ちょっとグチらせてください。
 
来週明けまでに提出する原稿を一つ抱えているのだけど、全く筆が進まない。
下書きばっかり増えて、本文は一文字も書き進まない。
 
どうすればいいのか。
 
「書かなければいけないけど、書けない」という状況は非常にストレスになるなあと思う。
スランプに陥った作家もこんなものなのだろうか?
 
いつもなら締め切り三日前くらいになると神がかった集中力が降臨するのだけど、今回はその様子もない。
ただ時計を眺めたり、こんな駄文を書いたりしているうちに時は無情にも進んでいく。
 
文章を書くときに一番大切なのは開き直りかもしれない。
うまく書けなくてもくよくよせずにどんどん先に書き進んでいく開き直りこそ、一番大切な気がする。
 
あと少し待てば、開き直れるだろうか?
3、威化島(ウィファド)と北朝鮮レストラン(9月21日)後編
 
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北朝鮮側から見た中国。まるで威嚇するかのように高層ビルが立ち並ぶ。
 
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北朝鮮側の風景。崩落した護岸ブロックの上をヤギがのそのそと歩いている。水でも飲みに来たのだろうか?
 
船の上から、北朝鮮側の写真もたくさん撮ったが、中国側の写真も何枚も撮った。それは、北朝鮮側から見ると中国がどんなふうに見えるのかを知りたかったからだ。
古びた家が点々と立ち並ぶ北朝鮮に対して、高層ビルが次々と建てられている中国。
鴨緑江から両国の岸辺を眺めてみれば国力の差は歴然としている。

ふと、600年前に李成桂も同じような体験をしたのだろうか、と思った。
1388年に明の遼東攻撃を命ぜられた李成桂は威化島に陣を敷き、攻撃のチャンスをうかがった。しかし、時を待つうちに彼の心は変わり、明を討つかわりにその軍を率いて高麗の首都開城(ケソン)を襲ってクーデターを引き起こす。この「威化島回軍」事件が、その後の李成桂による王朝簒奪の起点となるのだが、李成桂が威化島で心変わりをした理由は何だっただろうか?

ひょっとすると、彼が威化島で明側の圧倒的な国力を実見していたためかもしれないと思う。現在の北朝鮮の人々が対岸の中国を見て圧倒的な国力の差を実感するように、李成桂も威化島から明側を眺めて「遼東攻撃は失敗する」と実感したのではなかろうか?
李成桂の作り上げた朝鮮王朝は、基本的に明に対して従属的な外交方針を貫いたが、その外交方針の源は、威化島での李成桂の体験に根差すものだったかもしれない。
 
船は威化島を離れて新義州(シニジュ)の製紙工場の方に近づく。製紙工場は煙突から煙を出していたことから、今でも稼動しているらしい。朝鮮戦争で破壊された鴨緑江断橋にはたくさんの人が集まっていて、北朝鮮側をバックにして観光客達が記念撮影をしていた。
 
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新義州の製紙工場。煙を上げていたから、今でもまだ稼働しているようだ。
 
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鴨緑江断橋(左)と新鴨緑江大橋(右)。左の鴨緑江断橋は今はすっかり観光地となり、北朝鮮に向かう鉄道は右の鴨緑江大橋を通っている。

この鴨緑江断橋は昔日本が造ったもので、かつては「鴨緑江鉄橋」といった。1937(昭和十二)年刊行の山崎惣與著『満洲地名大辞典』によれば、次のような説明がある。
 
該鉄橋は満鮮両地を連絡する唯一の交通路にして、其の規模の点に於いて東洋第一と称せらる。全長三〇九〇呎(フィート)、鋼桁二〇〇呎六連、三〇〇呎六連、合計一二連あり、明治四十二年八月一日起工、同四十四年十月竣工、其間二十有六ヶ月を要したりと雖も、各冬季約四ヶ月、夏期一ヶ月の休工を控除せば僅かに十六ヶ月を費したるのみ、而も其の経費一四〇六八〇〇余円を以て竣成せり、而して其中央なる一橋桁(三〇〇尺)を閘門式とし、一日四回開閉し以て船舶の航行に便す。鉄橋の両側は人車道にして中央に軌条を通す。此鉄橋の開通以来安東及新義州両地の交通に多大の利益を与え、殆ど国境を撤して一市を形成するの観あり。殊に最近此両地間に、自動車の運転するに至りし為め更に其度を深くせり。
(同書十六頁。句読点や漢字・送り仮名は現代風に改めた)
 
かつてこの鴨緑江断橋は「東洋第一の橋」と称えられ、丹東(=安東)と朝鮮の新義州をほとんど一つの町のようにしていたというが、今はただ残骸が観光地として跡をとどめるだけである。

船を降りてから北朝鮮を背景にして記念撮影でもしようと思い、その辺りで写真を撮っていた中国人観光客にカメラを渡して撮ってもらった。彼は写真を撮り終わった後、「どこの国の人ですか?」と聞いてきたので、私はすかさず「韓国」と答えた。これが私の記念すべき国籍詐称の第一回目だった。この後、私は同じ質問を受けるたびに「韓国人」と詐称し続けることになる。
 
 
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鴨緑江の中国側沿岸は公園になっており、北朝鮮をバックにして記念写真を撮っている観光客が多かった。緊張感の無いのどかな国境である。
 
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鴨緑江を遊覧する北朝鮮の観光船か?手を振ってみたら振り返してくれた。乗っているのはおそらく北朝鮮の富裕層であろうが、地味な色の服を着ている人が多いのが北朝鮮らしい。
 
鴨緑江岸辺をウロウロ歩きまわって疲れたので、温泉にでも行ってゆっくりしようかと思った。丹東の近くに五龍背(ウーロンベイ)という温泉地があるのは知っていたが、市街地からかなり離れているのでタクシーで行くと高くつく。お土産屋さんで買った丹東地図で五龍背温泉行きのバスが無いか探してみる。
すると駅前から出ている218番バスに乗ればいいということがわかった。そこで早速丹東駅まで行って、218番バスを見つけて飛び乗った。乗車する際、いくら払えばいいのかわからなかったので、前の客の真似をしてとりあえず2元払っておいた。
バスは市街地を離れて少しずつ農村に入っていく。周囲はコウリャン畑ばかりで、堆肥の匂いが鼻をつく。一体、この先に温泉地などあるのだろうかと不安になりながらバスに揺られてガタゴト進む。
しばらく走ると、ある程度大きな市場のある町に入り、大きな駅舎が見えてきた。それが五龍背駅で、バスはその駅前で停まった。私もそこでバスを降り、駅前をウロウロしながら、目的の温泉を探す。ここはかつて満鉄の社員たちの保養所にもなっていたところで、日本人ゆかりの露天風呂が残っていると聞いた。その露天風呂を探してやって来たのだが、どこをどう行けばいいのかわからない。
 
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五龍背温泉の風景。この赤字の看板が鉄路療養院に入る目印。

すると、「鉄路療養院」と書かれた赤い看板が見えた。これだ!と思った私はその看板の導くままに進んだ。すると左手には「日式露天風呂」、右手には「鉄療」と書かれた施設が現れた。どっちに入ろうか悩んだが、今回の目的はあくまでも露天風呂に入ることだったので、日式露天風呂の方に入ることにした。
露天風呂は50元、タオルと水着も合わせると80元だった。露天風呂は男女混浴になっていた。なるほどだから水着着用なのだな、と思った。まあ男女とも全裸で混浴に入る日本の感覚の方が世界的に見れば一般的ではないだろうが。お湯はぬるくなく、熱くもなく、ちょうどいいくらいの温度だった。ただ、従業員が常駐して湯船を見守っている(監視している?)のが落ち着かなかった。

温泉を出た後、またバスに乗って駅前まで戻った。駅前から今度は文化公園の近くにある「世界最大」らしい北朝鮮レストランに行くことにした。名前は「平壌高麗館」。散々迷ったすえにたどり着いた時にはもうすでに北朝鮮歌謡ショーは終わっていた。
残念に思いながらも、ビビンバと冷麺とヤンマリキムチ(양말이김치)と鴨緑江ビール(丹東で作っているビール)を頼んだ。しめて97元。到底一人で食べきれる量ではなかったので、余った分は包んでもらって翌日の朝食にすることにした。
中国内の北朝鮮料理店に行くのはこれで二回目なので、どうしても一回目に行った平壌玉流館(上海にある)と比べてしまうのは仕方ないことだろう。どちらも北朝鮮出身の女性店員が接客してくれるのは同じなのだが、玉流館はチマチョゴリ姿でお出迎えしてくれるのに対し、高麗館は洋服である。洋服ならせめて北朝鮮国旗の色に合わせて青と赤の組み合わせの制服を着てくれるとうれしかったのだが、赤と白の服でガッカリした。これではどうしても玉流館の方に軍配をあげたくなる。
ただ、玉流館の店員がなるべく高い料理をすすめようとしつこかったのに対し、高麗館の方は特にそんなことなかった。この点は高麗館の方に軍配をあげたい。思うに国境の地方都市丹東より、中国第一の大都会上海の方が圧倒的に金持ちが多いので、玉流館の店員も稼ごうと必死だったのかもしれない。
 
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ビビンバ(左)とヤンマリキムチ(右)、冷麺(奥)。素朴な味でなかなかおいしかった。緑色の瓶は鴨緑江ビールという丹東地元のビールだった。
 
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平壌高麗館。歌謡ショーが終わってしまったせいか、客は少なかった。客の言葉づかいから見て、中国人客が大半のようだ。

ここの料理は北朝鮮らしく、韓国ほど洗練された印象はないのだが、キムチなどは地味にうまい。大体朝鮮半島は南に行けば行くほど料理が辛くなると言われているが、北朝鮮料理は韓国ほど激辛に走らないので、ほどよい辛味とほんのりした甘みのハーモニーが絶妙である。特に冷麺とヤンマリキムチはピリッと辛いながらもほのかな甘みが非常においしく、ついつい食べ過ぎてしまった。韓国より北朝鮮の味付けの方が日本人向きかもしれない。
この店に来る客はほとんどが中国人なのだろう。こちらが朝鮮語で話しかけても、店員さんは中国語で答えてきたりした。店員さんから見れば、中国語でなく朝鮮語(しかもネイティブほどうまくない)で話しかけてくる私なんぞは実に奇妙な客だったに違いない。
北朝鮮の女性店員さんは、開城で会った人も上海で会った人も、さらにここで出会った人もみな等しく、ほとんど感情をあらわにしない。いつも微笑みを浮かべた顔を崩さず、決して大声を出さず、はしゃがず、怒らない。感情をすぐあらわにする韓国女性に慣れている私からすると、本当に不思議な存在だ。きっと感情を表に出さないような特別な訓練を受けているのだろうが、同じ民族でここまで違うのかと思わざるをえない。
しかし、帰りぎわに記念撮影を頼んだ女性店員(この人だけは何故かチマチョゴリを着ていた)はやたらにハイテンションで「ええ、私が撮ってさしあげますよ!」とカメラを手に取り、「そんなふざけないでシャキッと立ってくれないと撮れないじゃないですか!(ピースしてただけなのに・・・)」とはしゃぎながら撮ってくれた。こんなにはしゃぐ北朝鮮女性を初めて見たので、少し安心した。やはり彼女らもきちんと感情のある普通の人間なのだと再確認できたからだ。
(つづく)

研究者はサービス業?

とある学会誌に投稿した論文が、「修正後掲載」という結果になった。
これは、「あなたの論文を雑誌に載せてあげてもいいけど、こちらの要求どおりの修正をしてね」ということである。
それで今、修正作業に取りかかっているわけだが、修正要求というのは結構「無いものねだり」の場合も多く、全て要求どおりに修正できるわけではない。
 
こういう作業をやっていると、「論文の修正要求というのは顧客のサービス改善要求に似ているなあ」と思ったりもする。
相手の要求に全て応えられるわけではないが、なるべく相手を満足させられるようにこちらも努力する必要がある。
それは顧客を満足させることを業務とするサービス業に似た部分がある。
結局研究なんてものもサービス業の一種なのかもしれない。
3、威化島(ウィファド)と北朝鮮レストラン(9月21日)前編

ハオユエンビジネスホテルで快適な一晩を過ごした私は、さらに今日と明日のぶんの追加宿泊を願い出た。
宿の従業員は私がさらに泊まることには了承してくれたが、そのかわりある条件を付けられた。
どんな条件なのか理解できなかったが、書いてもらってようやく理解できた。
その条件とは、「もし公安に『この宿にいつ来たのか?』と聞かれたら、『今日来たばかりです』と答えてほしい」ということだった。
昨日から泊まっていたとは答えてくれるな、ということらしい。
それを知って、「ああ、やはり」という気がした。

やはり「日本人お断り」というのは単なる宿側の判断ではなく、公安の指示によるものだったようだ。
きっと昨日から泊まっていたと答えたら、宿側も何らかの処分を受けざるを得ないのだろう。彼らは私のために危ない橋を渡ってくれていたらしい。

さらにここで新しい事実も発覚した。
私は前日に150元の部屋代(実際にはデポジット込みで300元)を支払っていたが、あの部屋は実際には368元の部屋だったらしい。
(テレビがうまく映らないとか風呂場の電気が点かないとか色々問題はあったけど)チェンシャンホテルの価格に合わせて割引してくれていたらしい。
そのことに感謝するとともに、二日目以降は正規の金額を支払わされるのではないかと私はドキッとしたが、支払いはチェックアウトの時でいいと言われたので、宿泊費が合計でいくらになるかは今のところまだわからない。

部屋で出かける準備をしていると外から爆発音のような大きな音が聞こえてきた。
パンパンパンッ!と銃声のような音がしたかと思うと、ヒュ〜と何かが飛んで行くような音がした。
これが何回も繰り返されるものだから、私は緊張した。

まさか戦争ということはあるまいが、近くで軍事訓練でもしているのだろうかと思った。
宿の人に「爆発音のような大きな音がしたでしょう?」と聞いてみたのだが、宿の人は「そんなの知らないよ」と全く関心が無い様子。

外を歩く人々もきわめて平常どおりなので、別にたいしたことではないのか?と思いながら外に出る。

駅に向かってずっと歩いて行くうちに爆発音の理由がわかった。
街中でやはり前に聞いたような音が鳴り響いているので、音の原因を突き止めようと、音のする方に近づいてみた。
すると、結婚式場の前で男達が数人で打ち上げ花火のようなものを打ち上げていた。
パンパンパンッと爆発して花火がロケットのように空へと舞い上がった。
耳をつんざくような爆発音と大量の煙。
知らない人がこれを見たら市街戦でもしてるのかと思うだろう。
通行人たちはあまりの爆音に耳をふさぎながら通り過ぎていた。

なるほど、結婚式の祝砲だったのか、と私は納得した。
中国ではお正月にも爆竹を鳴らして新年を祝うくらいだから、結婚式の時にもこういうことをするのだろう。

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市街地に立ち込める硝煙。これが結婚式のお祝いなのだから驚く。(遼寧省・丹東にて)
  

私は中国で新年を迎えたことがないのでどれだけ騒がしいのか知らないが、経験者によると中国のお正月はきわめてうるさいそうだ。
これは日本とも韓国とも違う。
韓国は正月になるとみんな帰省して実家で静かに新年を迎えるので、ソウルの町は途端に静かになる。
中国のようなにぎやかさはそこには無い。

駅まで歩いて、そこで瀋陽行きの切符を買った。
硬座(普通の座席)37元。
瀋陽―丹東間のバスが82元だったことを考えると、半分以下の値段である。
長蛇の列に並んでかなり待たされたが、いい買い物ができたなと思う。

中国はどこでもそうなのだが、駅の切符売り場はいつも長蛇の列である。
お客の数に比べて圧倒的に窓口が足りてないのだと思うが、そんなに長距離移動する人が多いのかと不思議になる。

丹東駅はでっかい毛沢東の像がある以外は特に特徴もない駅だったが、一つ驚いたことは、バスの切符売り業者(おそらくダフ屋)がほとんどいないことだ。
私が今までに見たことのある中国の駅には、必ずといっていいほどバスの切符売りがいたものだが、ここではほとんど見かけなかった。
ひょっとしたら隣のバスターミナルの方にいたのかもしれないが。
 
イメージ 5
 鴨緑江の岸辺。奥に遊覧船乗り場が見える。
その後、鴨緑江沿岸まで歩き、遊覧船に乗ってみた。
60元。
お客はほとんど中国人ばかりのようで、中国語しか聞こえてこなかった。
もう少し韓国人がいてもよさそうなものだと思ったが、韓国語は聞こえてこない。
遊覧船はまず鴨緑江中州の島、威化島(中国語ならウェイフアダオ。朝鮮語ならウィファド)に接近した。
威化島は西暦1388年に遼東攻撃を命じられた高麗の将軍李成桂(イソンゲ)が陣を敷いた島で、今は北朝鮮の領域になっている。
威化島はひたすら草が生い茂る起伏の無い島で、時々目に映る北朝鮮兵士の詰所を除いては人工物らしきものは見えず、てっきり人が住んでいないのかと思っていた。

しかし舟が鴨緑江をさかのぼるにつれて少しずつ住居の姿が見えてきた。
住居は二階建てから三階建ての西洋式建築で、今は古びてしまっているとはいえ、北朝鮮ではかなりの高級住宅に見えた。
川で泳いでいるスイマー(おそらく北朝鮮の人だろう。何のために泳いでいるのかはよくわからない。やたらに愛想がよく、こちらに向かって手を振ってくれる人が多かった)や川で洗濯しているおばさんや、老朽化して打ち捨てられた船で遊んでいる子供たちの姿が見えた。

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何故か国境の川を泳ぐ人々。彼らは北朝鮮の人だろうか?(遼寧省・丹東の鴨緑江上にて)

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北朝鮮の子どもたち。打ち捨てられた船に乗って遊んでいる子どもの姿も見られる。(遼寧省・丹東の鴨緑江上にて)

北朝鮮はこんなにも近いのか、と思った。
こんなにも近いのに、向こう岸に渡ることはできないのか。
こんなにも近いのに、こちらと向こうでは別の国で、全く違った言葉を話す人々が全く違った生活をしているのか、と思った。

国境線がはっきりと見えない日本という国で生まれ育った私にとって、これは初めての国境体験であり(韓国から北朝鮮へと越境したことはあるが、あれは厳密な意味での国境ではない)、大きな衝撃だった。
さらに相手が北朝鮮という謎に包まれた国だからなおさらである。

中国人観光客たちは「ニーハオ」や「ハロー」と叫びながら、北朝鮮側に手を振っていた。
誰一人として、「アンニョンハシムニカ(こんにちは)」や「パンガプスムニダ(お会いできてうれしいです)」と朝鮮語で叫ぶ者はいない。

私が「アンニョンハシムニカー!」と叫んで、手を振ると、隣にいた中国人が驚いたように私の顔を見て、「ああ、こいつは朝鮮語であいさつしたのだな」と理解したのか、ニヤリと笑った。

こちらのあいさつに対して北朝鮮側の人々の態度はさまざまだった。
全く無視する人もいれば、黙ってこちらを見ている人もいるし、手を振り返してくれる人もいるかと思えば、石を投げてくる人もいた。

私が特に印象的だったのは、まだ4、5歳くらいの男の子(だと思う)がこちらのあいさつに対して手を振り返してくれたことだ。
あのくらいの年頃では、まだこの遊覧船が何なのか、この船に乗っている人たちがどんな人なのかもわかってはいないだろう。
こちらが手を振る姿を見て、ただ純粋に手を振り返してくれただけなのだろう。
その子を連れている親はじっとこちらを見ているだけだったから、手を振り返してくれたあの子のことがとても印象に残っている。
あの子が大きくなる頃には、あの子も国境のこちら側に自由に行き来できるようになっているのだろうか?

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北朝鮮の生活。青い服を着た男の子(だと思う)はこちらに向かって手を振ってくれた。(遼寧省・丹東の鴨緑江上にて)

(つづく)

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