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はっきりとしたことはここには書きませんが、学業のことでイヤな事が起こり、へこんでいます。
まあ、モノづくりの現場ではこんなことは日常茶飯事なんでしょうけど、私はまだ初体験なので、テンション下がりまくりです。
今までの努力が水の泡になった気分。
今の努力に自信がなくなるような気分。
われながら「メンタル弱過ぎだろ!」と思いますが、いざ自分の身に起こってみると人間って案外弱いものですね。
あ、そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。
多分、数日間テンションが下がるだけでしょうから。
この一、二年くらいの学業計画に遅れがでるだけでしょうから。
人生を台無しにするほどの挫折ではありませんから。
そこまでメンタル弱かったら、この歳まで大学院生なんかできませんわ。
でも少しだけ愚痴る程度のことは許してほしいんです。
モノづくりをする人たちってすごいよね。
作っても評価されるかわからないもののために自分の人生を削ることができるんだから。
認められなくても黙々と制作に打ち込める人たちって本当に尊敬します。
テンションだだ下がりではありますが、しばらくしたら発表があるので、そっちの準備もしなければいけません。
なので、私もブツクサ言いながら、今日もパソコン画面に向かって作業を続けております。
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韓国の李明博大統領の行動・言動が日本のメディアで伝えられている。
彼の竹島視察や天皇に対する謝罪要求に対して、日本政府は強い不快感を表明している。
ある政治家は彼の謝罪要求に対して「礼を失する行為だ」と述べている。
たしかに対等の関係の国同士ならば失礼な行為にあたるだろう。
李明博の言動に憤慨している日本人も多いと思う。
しかし、日本と韓国の関係は、もう普通に対等の関係になっているのだろうか?
1965年の日韓基本条約の際に賠償をおこなったからもう解決済みだといえるほどに日本のしたことは軽いものだっただろうか?
戦後日本が韓国にしてきたことが、「もう未来永劫日本による侵略はないだろう」と韓国人を安心させられるほど誠意に満ちたものだっただろうか?
少なくとも過去の日本の行為は賠償金だけでなんとかなるほど軽いものだったとは思えないし、今の日本の態度が韓国人を納得させられるほど誠意に満ちているとは言いがたい。
考えてもみるがいい。
かつて日本がしたことの重さを。
「竹島をとられる!」と日本のメディアは騒いでいるとはいえ、かつて日本は韓国全土(朝鮮半島全土)をとったのだ。
日本でいえば皇室に相当する韓国皇室の皇后(閔妃)を殺し、韓国皇室を滅ぼしたのである。
もし日本が同じことをやられたとすれば、賠償金を支払われただけで相手を信用できるだろうか?
全面的な謝罪と、「二度と侵略行為をおこないません」という誓約を勝ち得るまでは決して安心できないに違いない。
別に私は韓国のナショナリズムを全面的に肯定したいわけではない。
あのナショナリズムも日本のナショナリズムと同様に、さまざまな問題をはらんでいると思う。
しかし、韓国でナショナリズムが燃えさかるのは、実は日本の行動や態度のためではないだろうか?
韓国で反日ナショナリズムが広がる原因として、日本人はよく「反日教育のせいだ」と言う。
だが私はそれだけが原因ではないと思っている。
日本でも「(一部の人が言うところの)自虐教育」が戦後さかんにおこなわれたにもかかわらず、現代日本ではかえって反韓・反中感情が高まり、右傾化の動きを示している。
学校教育だけが世論を作るわけではないのだ。
それは韓国だって同じである。
韓国人だって学校教育だけを通じて日本を知るわけではない。
今はテレビやインターネット、旅行、仕事などを通じて日本のことを知る機会は多い。
おそらく韓国のことをよく知ってる日本人より、日本のことをよく知ってる韓国人の方が多いと思う。
それだけ日本の情報がたくさん入り込んでいるにもかかわらず、あの戦争について話をすると、韓国人は日本に対して批判的になる。
それも反日教育のため?
いや、それだけではないだろう。
実際に彼らが見た日本の姿が、たしかに彼らにとって批判に値するものだからだろう。
実際に日本社会で暮らし、日本のニュースを見ながら、彼らは直感的に感じるのだろう。
「日本はまだ韓国併合を反省していない。きっと機会があればまた同じことをやるだろう」と。
それはそうだ。
日本人である私だって、どんなに贔屓目に見ても、今の日本を信用できない。
今すぐには何も無くとも、必要になればまた朝鮮半島に出兵するだろう。
倭の五王の時代からずっと、日本の歴史はそれを繰り返してきたのだから。
そして大多数の日本人は、そのことに疑問を持たずに生きている。
韓国人が何故日本のことになるとあそこまで神経質になるのかわからないまま生きている。
今日本では大津のいじめ問題がさかんに取りあげられているが、日韓関係もこのいじめ問題に似ている。
加害者にはいじめをしているという自覚は無くすぐに忘れてしまうが、被害者はいつまでも覚えていてそのトラウマに苦しむのである。
多くの日本人はまったく自覚がないだろうが、被害者は現にそこにいるのである。
償うことはできないとしても、せめて被害者の心情を理解しようと努めるくらいはしてもいいのではないだろうか?
それがいじめ問題を無くしていく道でもあるし、韓国との対等なパートナーシップを築いていく方法ではないかと思う。
相手の気持ちを推し量ることに長けた日本人にそれができないはずは無い。
相手の気持ちを考えながら対話をして、そうやって少しずつ信頼関係を築いていくべきなのだ。
愛の無い批判は、きっと争いを招くだけだろう。
<おまけ>サムソン(三星)所有の湖巌(ホアム)美術館の散歩道(京畿道龍仁市)
エバーランドに併設されている美術館なんですけど、とてもいい庭園がありました。エバーランドの広さにサムソンの財力の大きさを思い知りました。
「サムソン」って何かって?電子機器で有名な韓国の会社だよ。
英語だと「Samsung」なので、「サムスン」と呼ばれることが多いんだけど、韓国語の原音を知る者としては「サムスン」と呼びたくないんです。
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うまくいかなかった時、失敗した時などに、あなたはその原因をどう考えますか?
「あいつがしっかりやらないから自分が失敗したんだ」なんてふうに他人を責めますか?
それとも、
「私がきちんとしてなかったからうまくいかなかったんだな」と自分を責めますか?
ものの本などを読むと、
失敗を他人のせいにする=良くない事
失敗を自分のせいにする=良い事
のような二分法で書いてあるものが多いです。
でも、私、この二分法にはかなり疑問を持ってるんですよね。
失敗を他人のせいにするのが良くないというのは、同感です。
何でも他人のせいにばかりする人なんてのは見ていて見苦しいし、きっと性懲りもなく何度でも同じ失敗を繰り返すでしょう。
それでいて、「自分は悪くない、あいつが悪い!」を連呼するもんだから、そのうち誰も助けてくれなくなって、孤独になっていくんですよ。
そんなのが良い生き方なわけないですね。
でも、失敗を自分のせいにすることがいいとも思わないんですね、私は。
何故かというと、私の周囲の悩んでいる人たちは大体こういう思考回路のせいで、不必要に悩んでドツボにはまっている人が多いから。
「あの失敗は私の頭が悪かったせいだ」とか「私の努力が足りなかったからうまくいかなかったんだ」なんて延々と考えるうちに、「私は実力も努力も足りなくて失敗ばかりしている、価値の無い人間なんだ」なんていうネガティブ思考のスパイラルに陥ってしまう人が実際に結構いるんです。
「私のこういう部分がいけなかったから失敗したんだ。よし、じゃあ次はここのところを直してやってみるぞ!」と自分を責めながらも、前向きにリトライしていける人もたしかにいます。
でも実はそんなに良い性格の人は多くないです。
ほとんどの人間は「自分のせいで」と考えすぎると、だんだんすねたり、臆病になっていくものです。
「どうせ私なんか何一つうまくできませんよ」なんて変にすねちゃって、少し考えればできることでも出来なくなってしまう人や、「この仕事は私なんかがやったらみんなに迷惑かけちゃうから・・・」なんて言って挑戦すること自体に臆病になってしまう人は結構多いんです。
それに「自分のこういうところが悪いから、直さなきゃ」なんて考えてみたところで、そう簡単に自分の性格は変わらないです。
子供の時ならいざ知らず、もう20歳を過ぎた大人の場合、そう簡単に性格は変えられません。
変えること自体にものすごいエネルギーとストレスがかかるでしょう。
何か失敗するたびに自己改造をすることなんて、普通に考えれば無理なんです。
だから「自分のせいで」なんて考えない方が素直に、うまく世の中を渡っていけると思うんです。
じゃあ、うまくいかないのは誰のせいなのでしょうか?
私の考えはこうです。
「誰のせいでもありません」
物事が成功するか失敗するかは、人によって決まるのではなく、環境によって決まるのだと私は考えています。
だいたい物事がうまくいかない時、その原因になっているものは、タイミングと相性だと思います。
大抵の場合はこの二つをうまく合わせてやればうまくいくと思います。
たとえば、AさんがBさんをデートに誘って断られたとします。
その時にAさんが「私に魅力が足りないからだ」と思い込んで自己嫌悪に陥ったり、「Bさんってひどい人!」と思ってBさんを怨んだりしても仕方がないと思います。
こんなことは単にAさんがBさんを誘った時、ちょうどBさんの都合が悪かっただけかもしれないし(タイミングの問題)、そもそもAさんとBさんはそもそも相性が良くないだけかもしれません(相性の問題)。
誰も悪くはないんですよ。ただ、シチュエーションが悪いだけで。
なにより、うまくいかなかった時に「タイミングと相性が悪かったんだ」と考えれば、誰も責めなくてすんで、次にまた同じようなことをやる時にもう少し客観的に全体を見て判断できるようになります。
自分を責めるのも、他人を責めるのも、結局はあまりいい結果にはならないような気がします。
うまくいかない時には、誰かのせいにしないで、次につなげていく方がいいんでしょうね、きっと。
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暑い日が続きますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?
私はすでに死にそうですが。
最近インターネットでロンドンオリンピックのメダル獲得数をチェックしているのですが、日本はなかなか金をとれませんね。銅メダルコレクションをやってるのか、というくらいに銅が多い。
まあ、銅でも立派なんですけど。
中国とアメリカのトップ2が圧倒的ですね。3位以下を全く寄せ付けない状態。
開催国ながら不振だったイギリスが一気にメダルを増やして総合3位になったのは驚きました。
メダルが多い地域を地図上に落としてみると、ヨーロッパ&アメリカと東アジアになります。
世界第二の人口密集地帯である南アジア(インド・パキスタン地域)は振るいません。
この結果だけ見ると、経済力とオリンピック成績がほぼ正比例の相関関係になることがわかります。
必ずしも人口が最大の要因ではない。
しかし、経済力も人口も大したことないのに頑張ってるなあと感心するのは北朝鮮とカザフスタンです。こういう例外もあるから面白い。
逆にもう少し頑張ってほしいと思うのは台湾ですかね。東アジア諸国が全て好成績をおさめている中、台湾のメダル獲得数が1個というのはいかにもふがいない。
同じくらいの人口規模で、経済規模ははるかに小さい北朝鮮が頑張っているのを見ると、もう少しなんとかできんものかと思ってしまう。
まあもちろん、メダルの数が全てではないのは確かなんですけど。
それにして「ロンドンオリンピック」で検索をかけると韓国人選手問題に関する記事ばかりヒットするのが気持ち悪い。
ネット右翼たちはどんだけ韓国に粘着してるんだろう、と思ってしまう。
ほとんどストーカーの域に達している。(前回で言ったところの「ストーカー的愛着の心理」のもっとひねくれたタイプですね)
オリンピックを見ながら他国の足を引っ張って喜んでるようでは、日本の未来はあまり明るくないのではないかと不安になる。
最近常々思っている事は、
「他人の良いところが見える人ほど成功し、他人の悪いところが見える人ほど失敗するのではないか?」
ということだ。
他人の良い点を見つけ、そこから学んでいける人は社会的に評価されやすいため、成功しやすく、他人の悪いところが気になってそれにケチばかりつけている人は周囲から疎んぜられるために成功しにくいのではないかと思う。
だから最近は自分も、自分より成功している人を見ると、嫉妬するより先に、その人から何を学べるかということに注意しながらその人を観察するようにしている。
そうやって人と接していけば、人と会うこと自体がいい勉強になり、人に会う事が楽しくもなる。
そうやって楽しみながら、少しずつ成長していきたいと思う。
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暑い日が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
気がつけばこのブログも一ヶ月間放置しておりました。
暑さのせいにするのはあまり良くないのですが、うちの家はクーラーが無くてサウナ状態なので、生産的なことができずにいたのです。
ブログに書きたいネタは山ほどあるのですが、暑くてだらけてるので、書く気力がわいてこないのです。
でもそんなことを言ってても仕方ないので、無い気力をふりしぼってあえて記事を書いてみますね。
本日書こうと思ってる内容は、二日前に暑くて眠れない夜に考えた内容です。
自分の経験も踏まえて、「人間はどのようにしてものごとに執着して失敗するのか?」ということを考えました。
こんなことをわざわざ書くのは、自分の周囲の人たち(私自身も含めて)の失敗の原因の大半が、「物事に執着しすぎること」から生じているのではないかと思ったからです。
恥ずかしい話ですが、ほんの数ヶ月前まで私は出口の見えない迷路の中にいました。
現状をどうやって打破したらいいのかわからず、このまま何もできずに堕ちていくだけなのかと絶望的な気分に陥ったりしていました。
そんな絶望的心理に陥った原因は、今考えてみると、一つの物に執着しすぎたためです。
ある一つの物に固執しすぎて、「これがうまくいかなければ自分はおしまいだ」みたいな考えに陥り、周囲の人たちの助言も耳に入らず、別の方法を考えることもできなくなっていました。
そのせいでその一つがうまくいかないと、絶望的な気分に落ち込んで出られなくなってしまっていたのです。
きっとこのような心理に陥った人は私だけではないでしょう。
今まさにその問題で苦しんでいる人も多いと思います。
私だって今はずいぶん楽な気分になれていますが、また危機的状況が来たら、同じような精神状態にまた落ち込みかねないと思います。
そこで私は、私が実際に陥った絶望的な精神状態(私はこれを「ストーカー的愛着の心理」と勝手に名付けていますが)の特徴を覚えておけば、同じような精神状態にまた陥ったときに対処しやすいのではないかと考えました。
今回の記事はそういう自分用のメモとして書くものですが(このブログの記事は全部そうだけど)、もしかしたら同じような経験をした(してる)人たちには共感しやすいかもしれません。
「ストーカー的愛着の心理」とは書きましたが、私が実際にストーカー行為をしていたということではありません。
「ストーカー的」というのはあくまでも喩えです。
あるものに執着するそのこだわり方がストーカーみたいだということです。
このような心理状態に陥っていた私の思考方には、次の三つのような特徴がありました。
これを見れば、私が「ストーカー的」と表現した理由がわかるかと思います。
<特徴1>
「ある一つの物事に対して、自分が一番理解している、もしくは愛していると思い込んでいる。」
これは対象は何であってもかまいません。
たとえばそれが異性だったりする場合、「Aさんのことを一番理解していて、一番愛しているのはボクだけだ!」と思い込めば、完全にストーカーの心理状態です。
私の場合、それが異性ではなかった(というより人間ではなかった)だけの話です。
これが厄介なのは、自覚無しにそう思い込んでいることも多いということです。
なので、なかなか自分がそういう独りよがりに酔っていることに気付かないのです。
<特徴2>
「他の人間は自分が執着しているものについてろくに理解していない、もしくは他の人間がそれを貶めていると思い込んでいる。」
これは<特徴1>の裏面ですね。
自分が一番あるものについて理解しているとか愛してるとか思い込んでいるわけですから、自分以外の人たちはそれについて当然ろくに知りもしてないとか思い込むわけですよ。
たとえば自分のひいきにしていたアイドルグループが有名になってしまって、新しいファンがたくさんついたのが面白くなくて、「なんだ、あいつら。最近ファンになったばかりのにわかのくせに。あのグループの良さなんか何も知らないくせに・・・」なんて毒づき始めたら、この心理状態に陥ってる可能性が高いです。
自分の心の中だけで思ってる<特徴1>とは違って、他者に対する批判を伴うことが多いので、気付きやすいかもしれません。
最近他人の批判ばかりしているなあ、と気がついたら、少し注意してみるといいかもしれません。
私もこの心理状態に陥ってた時には、よく他人の批判をしていました。
今思うと、あまりにも傲慢だったと思います。
<特徴3>
「自分の執着しているものについては、ほんの少しの欠点さえ許せない。」
これはまさにストーカー的思考ですね。
たとえば、清楚で素敵だと思っていた新入女子社員のA子さんが最近ケバい格好をするようになったのが気に食わなくて仕方がない。
「彼氏でもできたのか?」とか邪推していたら、最近仲良くしているB子にそういうファッションを勧められたのだという。それでA子さんに裏切られたと考えたり、B子を恨むようになったりすれば、ストーカーとしてかなりやばいところまできてるような気がします。
ああ、上の話はもちろん喩え話ですよ。身近にあった話とかではありません。
人間は誰しも自分の愛する物に対しては、自分の望むようであってほしいと思うものです。
でも、時には自分の期待や嗜好に添わないことはあります。
そんなの当たり前です。みんな「そんなの当たり前だ」と思いつつ、気に食わない部分に関しては華麗にスルーしながら、なんとかやっているものです。
でも、そういう部分についてスルーできなくて、どこにいても何をしていても気になってしまうとしたら、自分がそれについて過度に執着してしまっているということです。
そして、それが、「君が変わってしまったのはボクに対する裏切りだ」とか「君が変わってしまったのはアイツのせいだ。アイツさえいなくなってしまえば・・・」なんて考えるようになってしまうとかなり危ないです。
自分が死ぬか、相手を殺すか、それとも一緒に死ぬかみたいな構図になってしまうと目も当てられません。
実際に犯罪レベルまで到達してしまうケースは稀だと思いますが、こういう心理状態に陥ってしまうと、どうやっても自分が苦しまざるを得なくなります。
できたらこんな状況を作らないようにしたいものです。
こういう心理状態に陥りやすい人には(自分も含めて)いくつか特徴があると思います。
集中力が高く、粘り強さがあり、一貫性を大事にする性格です。
いわゆる「真面目」で誠実な人間ほどこういうタイプが多いような気がします。(なんて書くと自画自賛してるみたいだけど、別にそういうわけじゃないよ。真面目なんて単に人間的につまらないだけかもしれないし、一貫性なんてのは単に融通がきかないってだけのこともあるからね)
自分はそういうタイプだよ!と思う人は自分にそういう部分がないか少し振り返ってみるといいかもしれません。
もしすでにそんな状況に陥ってるという人は、もっと浮気性になってみるといいかもしれません。
色々な物事に手を出してみれば、一つの物にそんなに極端に執着することもできなくなるはずですから。
あとは、「○○について理解の無い人とは話したくない」なんて言わずに、普段会わない人に会ってみるのもいいかもしれません。
その人とのコミュニケーションを通じて、自分の現状を客観視できるようになると思いますから。
執着する人はどこかしらに不自然な力が入ってるのだと思います。
自分もそうだったからわかりますが、何かに執着しすぎて苦しくなった時は、脱力してみることが大切です。
「こうでなければいけない!」という力の入った思考をやめて、「こうであってもいいじゃない」というような力の抜けた思考をしてみることです。
そうしたら執着から少しは自由になって気分も楽になるかもしれません。
ストーカー的に執着する人には、「正しい」か「間違い」か、「敵」か「味方」か、「成功」か「失敗」か、のように二者択一的発想をする人が多いような気がします。
そのために「これが無くなったら自分はおしまいだ!」みたいにしがみついて、愛着の袋小路から抜け出せなくなる人が多いのではないかと思います。
そこから抜け出すためには「どちらでもOKだよ!どっちに転んでもHAPPYだよ!」みたいな超然とした余裕がほしいものです。普段からそういうふうに考える癖をつけておくと、袋小路にはまりこみにくいのではないかと思います。
こういうストーカー的愛着の心理を自覚しにくい最大の理由は、それが「純愛」ときわめて良く似ているからかもしれません。
たしかにそういう愛着を抱く人は、問題さえ起こらなければとてもいいファン(愛好者)です。
でも本当にいいファンと決定的に違うことは、どこかしらでその対象に依存してしまっていることだと思います。
だからこそ、本当にいいファンより、余計にたくさんのものを貢いだりしてしまうのです。
だから、表面的に見て「過度にいいファン」というのが、ストーカー的愛着心理に陥る最大の予備軍なのかもしれません。
なにごともほどほどが一番ということですね。
(と、一般論でしめてみる)
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