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2、国境の町、丹東(9月20日)後編
穏やかな午後の風景。川向こうに北朝鮮の住宅が見える。(遼寧省・丹東にて)
朝鮮料理店の名前は「柳樹之家(朝鮮語では버드나무집)」といった。
店員と韓国語で話ができるかと思い、韓国語で話しかけてみたが、さっぱり通じない。
「ティンブードン(听不懂。相手の言葉が理解できない時に使う中国語)」というだけで、朝鮮語で返答してきてくれない。
この店の従業員たちは普通の中国人(朝鮮族や北朝鮮の人ではなく)なのだろう。
私は犬肉スープと鶏粥とビールを頼んだ。
久しぶりのキムチに舌鼓を打ちながら、ようやくほっと一息つくことができた。
9月中旬から活発化した中国における反日の動きは、どうやら目に見える以上に深刻なようだ。
中国にいる日本人だけでなく、当の中国人自身があそこまで心配するほどなのだからなおさらだろう。
隣国同士仲が悪いのはよくあることだとは言うけれど、今回の反日デモは明らかに異常なほどの盛り上がりを見せている。
同じ隣国同士でも、中国で反韓デモがこんなに盛り上がるとは考えにくいし、反朝デモに至っては全く起こらない。
単なる尖閣諸島だけの問題ではなく、かつて日本が中国を侵略したという過去が、この問題には大きな影響を与えているのだと思う。
それは単に中国共産党の反日教育だとか、権力維持のための日本叩きとか、そういう次元にとどまらないもっと根の深い問題なのかもしれない。
私は韓国人の反日感情については理解できる気がしている。
しかし中国人の反日感情についてはまだ理解できない。
彼らの日本に対する反発感情は何に由来しているのだろうか?
中国をかつて侵略した国のうち、モンゴルでもなく、イギリスでもなく、ロシアでもなく、日本だけが槍玉に挙げられるのは何故なのか?そ
れらの侵略国のうち、日本だけが特別に許せないとするなら、その理由は何だろうか?
私は、それを知りたいと思う。
それを知るためにはもっと中国に足を運んで、中国語を理解できるようになって、中国人の本音を聞きださないと駄目だ。
それにしても尖閣国有化の原因を作った石原慎太郎に対しては「よくもやってくれたな」と思う。
彼が行なった尖閣購入は、中国・台湾の尖閣に対する領有権主張を沈静化させるどころかより過激化させ、中国全土における反日感情を呼び起こすことになってしまった。
尖閣購入なんていう茶番は、単に在中邦人を危険にさらしただけで、何の効果ももたらさなかった。そういう意味で、私は石原慎太郎を許すことができない。
自衛のために韓国人になりすますなんてことをやっていると、在日が「通り名」を使って自分の出自を隠そうとした気持ちがわかるような気がする。
正体を明かしたら差別・迫害を受けることが目に見えているのなら、他国の人間になりすますのが賢い判断である。
それは「○○人だから」という理由で差別する社会の方に問題があるのであって、個人による詐称はやむなしの自衛行為である。
丹東の市街地で見かけたトウガラシを干す風景。韓国では見慣れた風景だが、中国では初めて見た。朝鮮族が住んでいるからなのだろう。
それにしても今回の旅行は一人で来て正解だった。
日本人・中国人・韓国人はそんなに顔立ちが違うわけではない。
黙ってさえいれば中国人の中にまぎれこむことが可能である。
二人以上で来ていたら、気がゆるんで日本語でおしゃべりなどして、周囲の中国人に日本人だとばれてしまっていただろう。
そういう意味では、今の時期は日本語ガイドを雇ったり、日本人の団体でツアー旅行を行なったりするのは逆に危険だと思う。
目立たないように個人で動き、外国人だとばれたら、「韓国人です」と詐称しておくのが最も安全な方法かもしれない。
そんなことまで計算に入れたうえであえて旅行に出たわけではないが、結果的には一番いい選択だったわけだ。
食事を終えて会計をしようとしたら、店のおばさんが「サーシーリウ」と言った。「リウ」が「六」なのはわかるが、「サーシー」というのはいくつなのだろう?
「サンシー(三十)」か「スーシー(四十)」なのだろうとは思うが、どっちだろう?
とりあえず多く見積もって46元出してみたら、向こうも納得したように受け取った。
やっぱり「スーシーリウ(四十六)」のことだったみたいだ。
「スーシー」を「サーシー」と発音するような訛りもあるのだろうか?
タクシーに乗って宿に戻る途中で鴨緑江を見た。
最初は海かと思ったのだが、よく見ると向こう側にかすかに明かりが見えた。
ああ、対岸がある。ということはあの対岸が北朝鮮なのか。
夜の闇の中に小さな光がポツポツと浮かんでいる。
吸い込まれそうな深い闇に覆われた対岸の国。
それが、世界で最も謎の多い国、北朝鮮だ。
私は闇の中に浮かぶ対岸の小さな光を食い入るようにながめた。
対岸の暗闇の中に住む人々は、不夜城のようなこちら側をどんな目で眺めているのだろうか?
憧憬?羨望?それとも単なる無関心か?
闇の中に消える橋。中国(右側)と北朝鮮(左側)を結ぶ橋だが、北朝鮮に明かりが無いため、橋が闇の中に吸い込まれているように見える。(遼寧省・丹東にて)
(つづく)
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最近身辺あわただしかったり、約3カ月ほどスランプ気味で、きちんと研究活動ができなかったのだが、本日は一日中ひきこもってそれなりに研究活動が進んだような気がする。
結局朝起きてから今の時間に至るまで一歩も外に出ないという超不健康的な生活をしていたのだが、そんな日の方が研究活動ははかどるから不思議だ。
もしかしたら私には引きこもりの才能があるのかもしれない。
三日くらいなら誰とも話さなくても平気だし、一人でいてもそれなりに楽しく過ごす事はできる。
まあ旅行も他人と一緒に行くより一人旅派ですしね。
さすがに履歴書の特技欄に「引きこもり」なんて書くわけにはいかないが、これは意外と重要な能力ではないかと最近(特に今日)思い始めた。
明日は少し外出しなければいけないが、これからしばらくはひきこもりながらの学究生活に集中したいと思う。
中国旅行記はもう少ししたら続きも載せますので、あとしばらくお待ちください。
ちなみに中国からはもうずいぶん前に無事に帰国してますので心配しないでくださいね。
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2、国境の町、丹東(9月20日)前編
瀋陽の高速バスターミナル(遼寧省快速汽車客運站)
瀋陽(シェンヤン)から丹東(ダンドン)に行くバス。82元で約4時間かかった。
遼寧省瀋陽の高速バスターミナル(快速汽車客運站)で丹東行きのバスに乗り込んだ私は、約4時間バスに揺られたすえに丹東に到着した。
バスに乗り込んだのが3時だったので、今は7時前。あたりはすっかり暗くなってしまっていた。 バスから降りると、おじさんやおばさんがやたらに声をかけてきた。 おそらく宿屋の客引きだろう。 私はすでに宿を予約してあるので、客引きを完全に無視して宿の方へ向かう。 予約しておいた宿は、チェンシャンビジネスホテル(誠詳商務酒店)という所で、一泊148元。九緯路と江城大街の交差点にある。 色々と迷いながらもようやくホテルを見つけて、中に入った。 フロントのお姉さんが「予約はしましたか?」と言うので、予約内容をプリントアウトした紙を見せた。 するとお姉さんの顔がにわかに曇った。 「今は日本人は泊まれないんですよ」 ああ、ここも駄目なのかと思った。 実は私は瀋陽(シェンヤン。遼寧省の省都。私が丹東の前に滞在していた町)でも、宿の予約を入れたにもかかわらず断られてしまい、中国渡航前日に急遽宿を予約しなおしたことがあった。 だからこの宿でも断られる可能性があるな、と覚悟して来てみたのだが、案の定断られてしまった。 しかしここで断られたからといって「はい、そうですか」と言って引き下がるわけにはいかない。 初めて来たばかりの異国の町で、旅行荷物を抱えながら当ても無く宿を探し歩くほどしんどいことはない。夜道は危険なうえに、今は日本人に危害を及ぼしかねない輩がわんさかいるのだからなおさらだ。 「私は予約しましたよ!ここが駄目なら、別の宿を紹介してください!」
下手くそな中国語で、それでも強気で交渉してみた。 お姉さんもさすがに申し訳ないと思ったのか、別のホテルに色々と連絡してくれた。当てが見つかったのか、「一緒に行きましょう」と言うので、荷物を持ってそのお姉さんの後について歩いた。 しかし結果は散々だった。二、三軒まわってみたものの、すべて「日本人は無理だね」と断られてしまった。 中国のホテルは保安上の理由から、宿泊が制限されるものが数多くある。たとえば100元以下の安宿は、まず外国人は宿泊不可である(実際には非合法に宿泊させる宿もあるが)。私も以前に120元程度の宿を予約しようとして、「外国人は無理です」と断られてしまった経験がある。 今は連日の反日デモのおかげで保安上の理由から、安宿は軒並み「日本人お断り」になってしまっているのだろう。 私と宿のお姉さんは途方にくれた。このまま泊まるところが決まらなかったら、最悪野宿になってしまう。これほど危険なことはない。 最初に泊まる予定だったチェンシャンビジネスホテル。ここのおじさんにはずいぶんお世話になり、丹東を発つ日には握手をして別れた。
もう一人いた宿のおじさんも宿を探して電話をかけてくれて、どうやら当てが見つかったらしい。彼はお金を握りしめると、私を連れてタクシーに乗り込んだ。 また断られるのじゃないか?と私は不安な気持ちのまま、ただおじさんの後について行った。 タクシーを降りると、おじさんは廃墟のようなオンボロビルの門前に行き、そこで暗証番号を入力して中に入った。 本当にこんなボロビルの中にホテルがあるのか?と私は半信半疑で彼のあとについていった。 ハオユエンビジネスホテル(灝源商務旅館)の入り口。初めてここに来たときにはホテルとは思えなかった。
三階まで上がると、突然きれいなフロントが現れた。わりといいホテルのようだ。
私は何だか狐につままれたような気分のまま、お金を払わされて部屋に通された。 部屋はビルの外観とは似つかわしくなく、ずいぶんときれいだった。 ハオユエンビジネスホテルの部屋。トイレの電気はつかなかったが、温水がきちんと出たのでわりと便利だった。
宿の名前はハオユエンビジネスホテル(灝源商務旅館)といって、江城大街と九江路の交差点にある林江名城というビル群の中にあった。 チェンシャンホテルのおじさんがここを紹介してくれたのは、保安上の理由だろう。ハオユエンホテルは他のホテルと違って、一見するとホテルに見えない。 さらにフロントに行くにはまず門のところで暗証番号を入力したうえ、三階まで登らなければいけない。 さらにはそのフロントを通過しなければ客室には行けないのだから、デモ隊が集団で客室まで襲撃しに来ることはかなり困難である。 さらに客室自体がかなり少ないようで(このビルの3階だけがホテルになっている)、宿の従業員が客の顔を把握しやすい。 これらの点を考慮して、ここなら日本人客を泊めても大丈夫だと判断したのだと思う。 「夕飯は食べたか?」とチェンシャンホテルのおじさんに聞かれたので、「まだだ」と答えたら、「カップラーメンでも食べるか?」と言われた。
その口ぶりから、私が外出するのをあまり好まないようだった。 私が彼の話を理解してなさそうだったためか(実際によく理解できてなかったのだが)、彼は筆談で説明してくれた。 いわく、 「なるべく人と話すな」 「日本人は今は危険だ」 「これは釣魚島(尖閣諸島)問題のためで、君のせいではなくて、君の政府のせいだ」 「もし国籍を聞かれたら韓国人だと答えろ」 中国人自身がここまで反日デモを重く受け止めているとは思っていなかったので、正直言って驚いた。いつもどおりの平穏そうな日常の裏で、かなり大きな問題が進行中なのだということをあらためて感じた。
その一方で、そこまで心配してくれるこのおじさんの心遣いがうれしかった。 「私は韓国語ができますから、韓国人のふりはできますよ」と言ったら、彼は「それは良かった!ここでは君は日本人ではなく、韓国人だ」と安堵していた。
まさか、韓国経験がこんなところで活きることになるとは思いも寄らなかった。 中国で韓国人になりすますために韓国語を学んでいたわけではないのだが、今は背に腹は変えられない。自衛のために韓国人を名乗らせてもらうことにしよう(この時、私は自分の韓国名も考えていた。いざ名前を聞かれた時に答えに窮しないためにである)。 「夕飯は何が食べたいんだ?」と聞かれたので、「朝鮮料理が食べたい」と答えたら、チェンシャンホテルのおじさんは、私を連れてタクシーに乗り、店の前まで連れて行ってくれた。
そして「これをタクシー運転手に渡しなさい」と言ってハオユエンホテルの住所を書いた紙を渡してくれた。 朝鮮料理店の前でチェンシャンホテルのおじさんとはお別れになったが、彼はチェンシャンホテルからハオユエンホテルまでのタクシー代とハオユエンホテルから朝鮮料理店までのタクシー代を全て払ってくれた。 その心遣いには本当に頭がさがる思いで、これだけで私は中国人に恩義を感じずにはいられない。 (つづく)
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このブログも一カ月以上放置していたが、いい加減更新したい。
なので、書きためていた旅行記を順次アップしていくつもり。
中国国旗を付けた日本製自動車。デモ隊に壊されないための自衛策であろう。(遼寧省・丹東にて)
「このレストランは100%香港資本で作られた企業です。」という横断幕が付けられた「吉野家」(遼寧省・瀋陽駅前にて) 釣魚島(尖閣)を守るための署名運動。女性ばかりの平和そうな雰囲気だったが、「駆除倭寇 振興中華!(倭寇を追い払って中華を発展させよう!)」というスローガンはなかなか激しい。(遼寧省・瀋陽の懐遠門近辺にて) 1、私が中国に行ったわけ
2012年9月、日中国交回復四十周年を目前として、これまでにない規模の反日デモが中国全土で繰り広げられた。
私はちょうどその時に中国旅行を計画していた。 「今中国は危険だぞ」「渡航はまた別の機会にした方がいいのでは?」という知人たちの忠告を受け、また自分でも中国ニュースを調べながら、渡航すべきか延期すべきかを思い悩んだ。 たしかにデモ隊が日本大使館・領事館や日本料理店を襲撃しているのは事実らしい。 また在中邦人たちもなかなか「日本人だ」と名乗れないような事態になっているとも聞く。 しかしそんな話を見聞きしても、中国行きを取りやめようという考えはわいてこなかった。 それは、一つには今まで準備してきたことを無駄にしたくないという思いによるものであり、もう一つは「こういう情勢だからこそ」見られるものがあるだろうという好奇心のためである。 私が中国に渡るのは単に楽しく快適な旅がしたいからではない。中国、ひいては東北アジアという地域についての理解を深めたいからだ。安全で快適な旅をしたいのなら、他の地域に行けばいい。 中国に行くからには、そこでしか見られないもの、そこでしか得られない経験をしたい。多少の不便や危険はもとより覚悟のうえだ。 今の中国が危険だというならどれほど危険なのか、自分の目で確かめてみたかった。 自分の目で確認もせずに、他人からの又聞きで知ったかぶりをする人間にはなりたくない。 10年前に「東アジアとともに生きていこう」と誓いを立ててからというもの、何らかの形で常に東アジアとの関係を保ちながら今まで生きてきた。 「反日」や「尖閣」をキーワードにして東アジアがにわかに騒然としてきた今、現地で何が起こっているのかを確かめるために中国に渡るのは決して意味の無いことではなかろう。 そういう思いから、周囲の反対にもかかわらず、私は中国に渡ることにした。 この文章はその中国旅行の行程の一部、中国と北朝鮮の国境の町丹東(ダンドン)を訪れた際の日記である。 荒削りで読みにくい部分も多い文章ではあるが、書いた当時の旅先の雰囲気を残すため、推敲は最小限に抑えた。 反日デモが吹き荒れているという報道ばかりが流されていた中国の、ちょっと変わった旅行記としてお読みいただければ幸いである。 (つづく)
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平日の昼間にもかかわらず、二本目の記事をあげてみる。
こんなことやってると、「仕事しろよ、このニートが」と言われかねないけど、まあニートなのは半分くらい事実なので、ニートらしく二本目の記事もあげてみます。
タイトルを見てピンときた人は中島みゆきファンでしょうか?
中島みゆきの「タクシードライバー」という歌の中で、「♪タクシードライバー 苦労人と見えて 私の泣き顔 見て見ぬふり」という歌詞があるのです。
今回はこないだソウルで出会ったタクシードライバーについて書きたいと思います。
その日私は、空港に行くため大荷物を抱えていた。
宿はけわしい坂の中にあったため、この荷物を持って地下鉄駅まで歩く気にもなれない。たまたま通りかかったタクシーを呼んで、乗り込んだ。
↑
タクシーに乗った場所はこんな所。結構きつい坂でした。
タクシーに乗り込んで運転手と軽く会話をする。
私が二言、三言話すと、彼も私が日本人だと気付いたようだ。
「日本人ですか?私も1年半くらい日本に住んでたことありますよ」と韓国語で言った後、「こんにちは」と日本語であいさつをした。
年齢は四十代後半くらいだろうか。
気さくな感じの人だった。
「私は東京の品川にある会社で働いていたんです・・・」
彼の話によれば、彼はIT関連の仕事をしていたらしい。
それが何故今はタクシードライバーをしてるのだろう?と私が不思議そうな顔をすると、彼もそれを察したらしく、「今は・・・一生懸命に生きているんです」と笑った。
日本と同様に韓国も景気がよろしくないご時世だ。
きちんと就職しても途中でいつリストラされるかわからない。
きっとこの人もそんな形で解雇されたものではないだろうかと思う。
それでも世をすねたりせず、「一生懸命に生きてる」と前向きな事が言える彼の姿に、私は軽く感動を覚えていた。
そうなのだ。
現状がいくら不遇でも、評価されない生き方をしていても、それは決して恥ずかしいことではない。
「一生懸命に生きている」ことに、何らやましさを覚える必要はないだろう。
彼は実際に日本を見てきたという経験があるためか、日本のことをやたら誉め始めた。
「ほら、見てくださいよ。韓国のこの交通マナーの悪さを」
彼は他の車を指さしながら、私に語った。
「日本では東京オリンピックでみんなマナーが良くなったのに、韓国はオリンピックから二十年も経ってまだこんな水準ですよ。本当に日本人は大したもんです」
韓国人と話していると、ときおりこんなことを言う人がいる。
「日本はすごいのに韓国はダメだ」という形で日韓比較をおこなうわけだが、あまりに頻繁に聞くので、単なる日本人相手のリップサービスとも思えない。
彼らの本音にかなり近いのではないか。
「日本の会社で働いてみてわかったんですが、日本人は合理的ですね。韓国の会社では上司の顔色をうかがって部下はなかなか退勤できないんですが、日本人は自分の仕事だけすませたらすぐに退勤する。韓国も日本から学ばなければいけない点です」
日本でも上司の顔色をうかがって退勤できない部下はたくさんいるから、たまたま彼が見た会社がそうだっただけではないかと思うけど、彼にとっては大きなカルチャーショックだったらしい。
私は日本人だから、日本を誉められて悪い気はしないけど、少し持ち上げすぎかと思う。そこまで誉められると、くすぐったいを通り越して恥ずかしくもなる。
「最近韓国では従軍慰安婦問題とかで日本を非難する人が多いけど、私はあれについてもどうかと思うんですよ。」
彼が政治問題について過激な意見を言いだした。
「もし日本が韓国より貧しい国なら、あんなことをやりますかね?日本が自分たちより豊かだから、非難するんでしょう」
おお、これは韓国人としてはなかなか公然と言いにくい発言だ。
タクシーの中に私と彼しかいないから言える本音だと思う。
実のところ、韓国にも自国のナショナリズムに対して批判的な人はかなりいる。
ただ、それを公然と口にすると社会的非難を浴びざるをえないから、発言しないだけだ。
日本における天皇制タブーに近いところがある。
私は彼のこの過激な意見(当たっている部分もあると思うが)に、「そのとおりだ」とも「それは違う」とも答えなかった。
その国のことに関して、ろくに知りもしない外国人が軽々しく口を出すべきではないと思うからだ。
ただ「そうですか」とだけ答えた。
タクシーが目的地に到着すると、彼は言った。
「また韓国に来てくださいね」
私は答えた。
「ええ、また来ますよ。われわれ日本人も韓国から学ぶべきことがありますから」
彼は私の言葉に目を丸くして、そしてまた笑った。
「そうですね、お互いにいいところを学びあえばいいんですね」
「そうです。そうやってお互いに学ぶことこそが、交流ですから」
と私は答えて、タクシーを降りた。
韓国を去る前にいい人とめぐり会ったなと思った。
きっともう二度と出会うことはないと思うけど、あのタクシードライバーに幸多からん事を願っている。
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