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私が東京をひきはらってからようやく一ヶ月がすぎた。
韓国語がうまくなったような気はまったくしないが、とにかく日々の生活にも少しずつ慣れてきた。
それにつけても思うのは、日本語と韓国語の近さであり、日本人と韓国人の情緒的な近さである。
昨日は韓国人の知り合いと一緒に本屋をうろうろしたのだが、私は相手の早口な韓国語にたじたじで、ほとんど単語だけで会話していた。
しかしそれでも会話が成立するのは、日本語と韓国語が似ているためだと思う。
ほとんど日本語の直訳で通じてしまうのだから、なんだか外国語を話しているような気がしない。
本屋のマンガコーナーなどは、日本のマンガばかりで、日本に戻ってきたのかと錯覚してしまうほどだ。
本当にここは外国なのかと不思議な気分になる。
しかし、不意に発したこちらの日本語が通じないとき、「やはりここは外国なのだ」とあらためて思う。
韓国は日本によく似ているが、日本ではない。
いくら日本のまねをして日本の文化を取り入れたって、韓国は日本と同じにはならない。
それは大日本帝国の35年間の支配によっても証明されたことである。
では、韓国と日本が同じものにならないのは何が違うからなのだろう?
韓国を韓国たらしめている、もしくは日本を日本たらしめている、核のようなものはどこにあるのだろう?
日本と韓国の違う点を一つ一つ挙げていくことはそんなに難しいことではない。
しかし、その違いが何に由来するものかを明らかにすることは、言うほど簡単なことではないだろう。
韓国と日本を分けている核はどこにあるのか?
その答えを得るために私はここ(ソウル)にいるのだと思う。
日本とは似て非なるこの国で、日本とは何か、韓国とは何かという問題を、じっくり考えてみたい。
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2010年03月17日
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