ハニワ堂古書店

店主の西貢が日々考えたことや体験したことをつづるブログです!

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(写真1枚目)ケゴギ・チョンゴル。正真正銘の犬鍋です。犬好きな人にはごめんなさいね。

(写真2枚目)清澗亭遠景。海に向かって突き出したこの丘が萬景台であり、清澗亭はかつて萬景楼と呼ばれていた。

(写真3枚目)清澗亭

(写真4枚目)清澗亭から見えた東海(日本海)の風景。この島は「無路島」か?

(写真5枚目)崔圭夏元大統領が書いたという漢詩。額の形を考えれば仕方のないことなのだけど、横書きなのがちょっと残念。

(写真6枚目)李承晩初代大統領親筆の「清澗亭」の額


11月22日 月曜日(3)

自転車を返した頃には午後2時を過ぎていた。
昼ごはんをまだ食べていなかったので、お腹がすいた。
何か食べようと思い、国道7号線沿いの食堂にふらっと入った。
入った先は「栄養湯(ヨンヤンタン)」の店だった。

栄養湯とは、平たく言ってしまえば犬の肉を煮込んだスープである。
愛犬家の皆様には申し訳ないが、私は犬食に全く抵抗の無い人間である。
今までに韓国では6回ほど、日本でも(新大久保で)1回犬肉を食べたことがある。
(来世で犬に復讐されても文句の言えない人間である。)

その私の犬食経験の中でも一番か二番目においしいと感じた犬肉が、この店で食べたケゴギ・チョンゴル(개고기 전골。「ケゴギ」は「犬肉」、「チョンゴル」は「鍋料理」)であった。
大抵チョンゴルは一人では食べさせてくれないものなのだが、この店では一人でも食べることができた。
14000ウォンという高級料理だったが、「勉強代だ」と思って食べてみることにした。(豪遊しているな、我ながら。)

このチョンゴルはスープがとてもおいしく(シャンタンのような味がした)、中に入っていた犬肉も柔らかく、犬肉特有の臭みが鼻に心地よく(私は犬肉の臭みが好きだったりする)、まさに舌鼓を打った。
多分今回の旅行で一番満足した食事だろう。
ゆっくり時間をかけて犬肉を味わい、最後はご飯をスープの中に入れてスープも全部飲んでしまった。
(書いていたらまた食べたくなってきた。でもあの店の名前もメモしてないし、もう一度あの店に行くことは多分無いんだろうなあ)

食堂を出てからバスに乗り、清澗亭に向かった。
清澗里停留場でバスを降りると、そこにやけに可愛らしいモンモギ(멍멍이。韓国語で犬は「モンモン(멍멍)」と鳴くことから、犬を可愛く言うときは「モンモギ」と呼ぶこともある。ちなみに普通の韓国語では犬のことは「ケ(개)」もしくは「カンガジ(강아지)」という)が二匹いた。
あまりに可愛かったので、写真を撮ろうと近づいたところ、逃げられてしまった。
そんなに怖い人に見えたのか?(さっき犬肉を食べたから・・・?)

気を取り直して清澗亭を見学する。
清澗亭は海に向かって突き出した丘の上にある。『新増東国輿地勝覧』ではこの丘を萬景台と呼び、その上にある楼閣を萬景楼と呼んでいる。
この萬景楼が清澗亭の前身であろうと考えられる。
もともと清澗亭の「清澗」とは、この付近(清澗亭の東側で、おそらく現在の国道7号線付近)にあった駅の名前に由来している。
駅といっても鉄道の駅ではない。本来の意味の「駅」である。

「駅」とは本来、古代中国で生まれた交通システムであり、旅行者に馬や物資や宿を提供する宿場のような場所であった。(現代でいえば国道沿いのモーテルや高速道路のサービスエリアなどがその役割を担っているような気がする)
古代中国で生まれた駅の制度は朝鮮にも導入され、高麗時代や朝鮮時代には重要な交通路に駅が置かれていた。

清澗亭は本来「萬景楼」と言われていたのだが、清澗駅の近くに有ったことから、いつの頃からか「清澗亭」と呼ばれるようになったものと考えられる。
清澗亭からは日本海がよく見えた。波の向こうには小さな島が見えたが、あれが今思えば「清澗驛の東に在り」と『新増東国輿地勝覧』に書かれた「無路島」だったのではないかと思う。

清澗亭には李承晩(イ・スンマン)大統領が書いたという「清澗亭」の額が有ったが、それよりも面白かったのは崔圭夏大統領(チェ・ギュハ。この人が大統領だったことを知ってる人がどれだけいるのやら・・・)の額だった。

そこには「嶽海相調す、古えの楼上。果たして是れ関東秀逸の景なり。(嶽海相調古楼上 果是関東秀逸景)」という漢詩の一節のようなものが書かれていた。
崔圭夏大統領がどういう教育を受けた人なのかは知らないが、美しい風景を見るとつい漢詩を作ってしまう朝鮮士大夫のDNAのようなものが彼にも流れていたのだろうか。

ちなみに漢詩の意味は、「山と海の風景が清澗亭という昔の楼の上で眺めるとよく調和している。やはりこれは関東のすばらしい景色だなあ」ってな感じです。(多分)
ところで清澗亭は昔は「萬景楼」と呼ばれていた(と思う)という話をさっきしたと思いますが、「亭」と「楼」の違いって何でしょうね?

憩うための屋根付きの建物が「亭」、高さのある建物(通常二階以上)が「楼」なのだと私は理解しているのですけど、誰か教えてください。

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(写真1枚目)門をくぐると廃墟があった

(写真2枚目)廃墟の建物に開いた穴二つ。これはどこにつづいているのか・・・?

(写真3枚目)ポム・パウィ(虎岩)の上で。とにかく石ばかりが写っているなあ

(写真4枚目)ポム・パウィ遠景。左の建物はコンドミニアムという宿泊施設。オフシーズンのようで、食堂は開いてませんでした。

11月22日 月曜日(2)

石段を登ると門があった。門をくぐると、何に使われたのかわからない建物の廃墟が有った。
私はこういう廃墟を見つけると、俄然テンションが上がってしまう人間なので、とにかくウロウロ歩き回りながら、写真を撮り、何に使われた建物なのかを考えた。

今思うと、この建物跡は飲食店(それも高級な)か宿泊施設の残骸だったのではないか。廃墟の傍にあった人工の池の跡や花壇の跡は、来客の目を楽しませるための施設だったと考えられる。
そう考えると、廃墟の下の空き地に雑然と置かれていた遺物も、来客の目を楽しませるために集めたものではないかと思われる。
真相は不明だが、私はとりあえずそう考えておくことにしたい。

その空き地と廃墟を後にしてさらに自転車を走らせると、ポム・パウィ(범바위。日本語に訳すと「虎岩」)が有った。
ポム・パウィは、湖に向かって突き出した岸壁であり、『新増東国輿地勝覧』に「湖東の小峯(筆者注:実際には湖南)、半ば湖心に入る。古えの亭基有り。是れ永郎仙徒の遊賞の地なり」と言われた場所である(と私は考えている)。
ポム・パウィに登ると、足がすくんだ。大して高い場所に登ったわけではないのに、そこから見える雄大な景色に驚いた。

そこからは永郎湖とその周辺の景色が一望できた。
湖の青に空の青、そして海の青さまですべて一望のもとに見下ろすことができた。
今回の旅行の中で私が一番感動したスポットかもしれない。
 
そんなこんなで三箇所も見所があったのだから、一時間以内で湖一周なんかできるはずもない。
結局2時間近くかかって湖を一周し、自転車を返却した。

私は延滞料金を出そうと財布を出したが、レンタサイクルのおじさんは「お金はいいよ。お疲れ様だったね」と言ってお金を受け取ろうとしなかった。

「ああ、韓国人だなあ・・・」と私は思った。
韓国人の中にはこちらがお金を払おうとしても、「お金はいらないよ」と言って割引してくれたり、おごってくれる人がかなりいる。
「ケンチャナヨ(괜찮아요)」精神のいい加減さと言ってしまえばそれまでだが、杓子定規に物を考えない人間味にあふれた魅力と考えることもできる。
韓国人のこういう部分に感動して韓国にハマった人は、おそらく私だけではあるまい。

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(写真1枚目)永郎湖全景。海側から撮るとこんな感じになる

(写真2枚目)永郎湖の北側にあったレンタサイクル

(写真3枚目)通川郡殉国同志忠魂碑。最大のナゾは「何故ここにあるのか?」である。通川と永郎郡の間に一体どんな関係があるというのか?

(写真4枚目)歴史的遺物が散在している庭園(?)。この石羊は何故ここにいるのか?

(写真5枚目)この門の向こうには何があるのか・・・?


11月22日 月曜日(1)

これまでの旅の疲れがたまっていたため、朝10時くらいに起きた。
結局十時間近く寝たような気がする。
朝、顔を洗おうとしたら温かいお湯が出たので、軽くシャワーを浴びることにした。
おばちゃんが社長さんに状況を説明してくれたおかげで、温かいお湯が出ないという問題は解決したようだ。

朝をだらだらと過ごし、11時過ぎに部屋を出た。
今日は杆城より南にある、永郎湖(ヨンナンホ)、清澗亭(チョンガンジョン)、仙遊潭(ソニュダム)という三箇所をまわることにした。

まず一番南にある永郎湖に行くためバスに乗った。
13世紀作の歴史説話集『三国遺事』によれば、新羅の永郎という人物が金剛山(クムガンサン)から帰る途上でこの湖の美しさに魅了され、そこをしばらく離れなかったという伝説から、永郎湖という名前が付いたという。

永郎湖は海の間近にある湖で、その水は海に注いでいるが、関東にはこういう湖が数多く有る。高城郡の松池湖(ソンジホ)や江陵市の鏡浦湖などがその代表的な例だろう。
この種の湖の多くは、湾の出口に砂が堆積した結果湾が陸にとじこめられて湖になったものだと推測されるが、実際のところはよくわからない。

永郎湖の北岸に自転車をレンタルできる場所が有ったので、自転車に乗ることにした。
一時間3000ウォンだというので、まず3000ウォン支払って自転車を借りた。
永郎湖を一周するだけなら一時間あれば十分だと思ったが、見所がいくつかあり、思ったより時間がかかってしまった。

まずは湖南岸にあった「通川郡殉国同志忠魂碑」である。
朝鮮戦争の際に北朝鮮と戦って戦死した通川郡出身者を顕彰した碑である。
通川郡は江原道(カンウォンド)の邑の一つで、杆城、高城のそのまた北にある都市である。
南北分断の際には北側とされたが、多くの人々が朝鮮戦争までの時期に南側に逃れてきたようである。
大抵北側から南側に逃げてきた人々(越南者という)は、北側の共産主義教育を受けたという理由で、南側では様々な差別を受けた。
それゆえに北側のスパイではないことを示すため、朝鮮戦争の時は誰よりも勇敢に北朝鮮軍と戦ったという。
この「通川郡殉国同志忠魂碑」には、故郷を捨てて南側に逃れ、北朝鮮軍と戦った通川郡出身者たちの苦しみが込もっているような気がした。

越南者たちは同郷人で集まって同郷人会を組織することが多いのだが、通川郡も同様に通川郡民会という組織を作っており、その組織がこの碑を建てたという。
碑の建設のためにお金を出した人名の中には鄭周永(チョン・ジュヨン。現代グループの創設者)の名前もあった。北側の出身だということは知っていたが、通川郡出身だったとは知らなかった。

 
永郎湖の南岸にはゴルフカントリークラブが有った。その入り口の横に小さな空き地が有ったのだが、そこがどう見ても普通の空き地ではなかった。
古い時代の石塔や灯ろう、石人やさらには石羊まで置かれていた。歴史的遺物が何の説明も無く空き地に無造作に放置されていたのである。
石塔や灯ろう、石人にももちろん興味をひかれたが、それ以上に初めて見る石羊に興味をひかれた。
一体この空き地は何だろうと不思議に思い、その空き地をうろうろしていると、空き地から上の方に登れる石の階段があった。

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