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店主の西貢が日々考えたことや体験したことをつづるブログです!

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ときおり、「これは科学的な研究の結果明らかになったことなのだから間違いないんだ」と言う人を見ることがあります。
 
こういう人を見るたびに、科学というものが誤解されているなあと思います。
 
「科学的」とは、間違いのないことでしょうか?「科学的」とは疑う余地の無いものでしょうか?
 
どちらも違います。
 
科学というのは、間違いを犯しうるものだし、大いに疑う余地のあるものなのです。
 
科学とは、実験や資料の分析を通して導き出される推論の体系です。その推論はもちろん蓋然性(確からしさ)の高いものではあるのですが、絶対に正しいとはいえません。
違う実験をやってみたり、違う資料が出てきたりすれば、容易に修正されうるものなのです。
 
そういうことを言うと、「じゃあ科学なんて不確実で大したものじゃないんだな」と考える人が出てくると思います。
 
そうです。科学とは不確実なものです。
しかし、だから「大したものじゃない」かといえば、それは違います。
 
科学とは、不確実で常に更新や修正を必要とするものであるからこそ、価値があるのです。
 
もし絶対不変の真理のようなものがあるとするならば、それは宗教や信仰といったたぐいのものでしょう。
 
科学とは異なる別物です。
最初の例で挙げた、「科学的だから正しい」なんていう言葉は、科学の信仰であって、本当の科学ではありません。
 
信仰の根幹にあるのは信じることです。
絶対的に正しい神や真理の存在を信じ、それに対する疑いをはさまないことです。
 
科学の根幹にあるのは疑うことです。
一般的に正しいと思われていることに疑問をはさみ、「実はこうなんじゃないか?」と別の考えを提示して、従来の通説などを書き換えていくことです。
 
科学と信仰は、その根底において正反対の性格を持っているのです。
 
科学は絶対に正しいものではなく、常に更新され続けるものです。
だからこそ人類の歴史の中で科学は進化し続けることができたのです。
 
たとえば根拠を示すことが科学的な論証の方法であることはみなさんもご存知でしょう。
これは、もちろん根拠を示すことによって自分の説を裏付けるという意味もあるのですが、実はもう一つの裏の意味があります。
 
それは、自分の説の根拠を示すことによって、その論証に対して他の人が反論できる余地を残すことです。
 
もし、「この説は正しいから正しいんだ」と強弁して根拠を示さなければ、他の人たちはその説を批判できないでしょう。何を根拠に正しいと主張しているのかわからないからです。
 
でも根拠を示したうえで「この説は正しい」と主張すれば、他の人たちは、「でもこういう別の実験結果がある」とか「資料の解釈に誤りがある」などという理由で反論ができます。
 
反論ができるからこそ、科学は発達するのです。
もし反論の余地がなくなれば、科学はそこで停滞し、いずれは衰退に向かうでしょう。
 
だから皆さんも、「これは科学的だから正しいんだ」という人を見たら、そのまま鵜呑みにしないようにしましょう。
そういう人は、科学がどういうものかわかっていない非科学的な人か、もしくは知っていながら嘘をついている人である可能性が高いからです。
(単に説明が面倒くさくて省いている人という可能性もありますけどね)
 

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