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北朝鮮の金正日総書記が亡くなった。
このニュースを聞いた時、驚くとともに「ついにこの時が来たか」と思った。
今のところニュースを見る限り北朝鮮国内に大した混乱は無く、この事件が北朝鮮の体制を大きく変化させることは無いように見える。
ともあれニュースで金正日の死を嘆き悲しんでいる北朝鮮国民の姿を見ながら、私は玉音放送を聞いて泣き崩れた日本国民の姿を思い起こした。
「何故北朝鮮の国民は泣くのだろう?」という問いは、「何故あの時日本人は泣いたのだろう?」という問いに通じる。
どちらも外国人から見れば理解不能に見えるだろう。
北朝鮮の国民に対して、「何故あなたたちは泣くのか?」と聞いたら答えは単純だろう。
「私たちの指導者が亡くなられたからだ。」まずこういう答えが返ってくるだろう。
「でも金正日はあなたたちに何も与えてくれないひどい指導者だったじゃないか」と問い詰めてみたところで彼らの考えは変わらないだろう。
本当に金正日を敬愛している人は「そんなことはない!私たちの指導者を侮辱するな」と言って反発するだろうし、金正日に反発している人だとしても「それでも彼は私たちの指導者であることに変わりはない。指導者が死んだら悲しむのが当然だろう」と言うのではないかと思う。
同じように終戦時の日本人に対して「どうして戦争が終わって泣くのか?」と聞いたら答えは単純である。
いわく、「わが国が負けたから。」
それに対して「はじめから勝てるわけのない戦いだったのだから、もっと大きな被害が出ないうちに終わってまだ良かったじゃないか」と言おうものなら、やはり反発を受けるだろう。
「勝てない戦いではなかった!」と頑なに主張する人もいれば、「勝てない戦いを始めたこと自体は愚かだったが、それでもわが国が負けたのだから悲しむのは当然だ」と答える人もいるだろう。
何にせよ、北朝鮮の今の姿は終戦時の日本の姿を彷彿とさせる。
北朝鮮の国民も2012年の「強盛大国化」という高すぎる目標に向かって邁進していた。
その姿は「米英撃滅」というおよそ実現不可能な目標のために戦争を続けた日本の姿によく似ている。
私たちが北朝鮮を見る時に必要なのは、自分たちの姿と重ね合わせて相手を理解しようとする想像力ではないだろうか。
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