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中国の少数民族切手。左上から回族、朝鮮族、蔵(チベット)族、満族、オロス(ロシア)族、プイ族。
ある満洲人のサイトをのぞいていて不思議に思ったことがある。
その人は満洲人(中国少数民族の一つとしての満族)の文化を紹介しつつ、「満族万歳、中国万歳」と書いていたのである。
どうやらそのサイトの開設者にとって、自分が満族であることと中国人であることは全く矛盾しないようなのである。
多民族国家であることを自他ともに認め、少数民族の自治を認めている中国ならではの状況だろう。
ひるがえってこれが日本ならばどうだろうかと考えてみる。
自分が日本国内の少数民族であるという自覚のある人たちが、「わが民族万歳、日本万歳」とはなりにくいのが実情ではないか。
日本人であることと日本以外の民族であることは両立しにくい。自分のアイデンティティを保つためには片方を棄てて片方を選ぶ必要がある。
その例としてすぐに思い浮かぶのは在日韓国・朝鮮人と中国朝鮮族の違いだ。
日本に住む在日韓国・朝鮮人は3世ともなれば、(民族学校に通いでもしないかぎり)朝鮮語を覚えず、見た目はほとんど日本人と同じになってしまう。韓国人に言わせれば、「在日は日本人と変わらない」(筆者の知人談)と言われるくらいに日本人に同化してしまうにもかかわらず、「日本に帰化して日本人になるのは抵抗感があるんですよね」(筆者の知人談)と言ってなかなか日本国籍を取ろうとはしない。日本社会で生きていくには明らかに帰化したほうが得であるにもかかわらず、それをためらわせてしまう何かが日本社会にはあるのだろう。
それに対して中国朝鮮族の多くは、若い人でも中国語と朝鮮語のバイリンガルが多く、日常的に朝鮮語を使って生活している。それなのに彼らは中国国籍をとることに抵抗感は特に無く(少なくとも在日ほどには無いだろう)、中国人として暮らしている。
様々な民族が混在して暮らしているのが常態の中国では、中国人でありながら少数民族として生きるという選択肢がありうる。それに対し、ほぼ日本民族だけで日本という国を作り上げてきた日本では、日本人=日本民族であり、日本に帰化するというのは単なる国籍取得の問題ではなく、自民族を棄てて日本民族になることを意味するのである。
だからこそ、朝鮮民族にしてみれば、中国で暮らす限り民族性の根幹である言葉や生活習慣を守ることができるため、中国人になることは抵抗感がない。それに対し日本で暮らすのであれば、言葉や生活習慣を守りにくく、そして朝鮮式の名前を名乗りにくくなるため、民族性を保持しにくい。だから「国籍」を民族性の最後の砦として守ろうとするのであろう。
日本は明治の時代に沖縄と北海道を併合し、その後台湾や朝鮮のような植民地を得たため、ある程度多民族的状況が生まれたとはいえ、その根幹にあるのは日本人=日本民族という等式がほぼ当てはまりうる単一民族国家である。(たとえば外国人が日本に帰化しようとする時に、「日本人として帰化するなら日本風の名前にしなさい」などと平然と民族的同化までせまってくるところが、日本の単一民族国家的性格をよく表している)
そして韓国・北朝鮮も日本と同じく単一民族国家である。近代における急激な領土拡張がなかったぶんだけ日本より純度の高い単一民族国家かもしれない。
基本的に単一民族国家の特徴として、自分たちの国の中に異民族の存在を許さないというのがある。異民族に対して同化をせまり、それを受け入れなければ排除するという行動様式である。(逆にいえばそのような行動様式の結果として単一民族国家を作り上げることができたのであるが)
日本による朝鮮の合併は、単一民族国家が単一民族国家を吸収合併するという世界的にも珍しい事態であり、同化と排除の論理が働くかぎり、両者の間に対立が生じるのは必至であった。
日本は支配下においた朝鮮に対しても同化の論理で日本語や日本的価値観を押し付け、それに従わないものには「不逞鮮人」というレッテルを貼って弾圧した。
一方朝鮮人側は、同化をせまる日本人に対して敵愾心を燃やし、自分たちの民族性に固執した。
支配者側も被支配者側も多民族的状況に慣れておらず、それゆえに支配者への不満、被支配者に対する疑念は容易に日本民族対朝鮮民族という民族対立へとつながった。
今に至るまでの日韓歴史問題の淵源は、単一民族同士ゆえの葛藤という点に求められるのかもしれない。
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2011年12月27日
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