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中国の上海と杭州に行ってきました。
なので、それに関する記録を少し残しておきます。 日記形式の記録もあるのですが、それはまたの機会として、今回はメモ的に旅をしながら考えたことを書いてみたいと思います。
今回は上海と杭州なんていう有名な都市に行ってきたものの、あまり観光地らしいところには行きませんでした。
上海に行ったというのに外灘(バンド)も見ていないし、杭州に行ったのに六和塔にも登っていない。 それで「アンタ、何しに行ったの?」と中国の知人からもお叱りを受けております。 では私が観光地めぐりをしないで何をしていたかと言いますと、あまり観光客の行かない宗教施設を見に行ってたのです。
それがタイトルにもある孔子廟と城隍廟(じょうこうびょう)です。 孔子についてはもう説明の必要はありませんね。中国の昔の偉い人です。
・・・という説明はあまりにも端折りすぎだと思うので、少しだけ説明しておきます。 孔子は本名を孔丘と言い、春秋時代(紀元前770年〜403年)の魯(ろ)の国の人で、儒教の開祖として知られています。 儒教は漢代以降中国の官学となったため、孔子は文宣王(ぶんせんおう)と呼ばれ、畏敬の対象となりました。 そのため中国の各都市には孔子廟が造られ、それに併設される形で公立の学校も建てられ、地方における儒教教育の拠点となりました。 孔子廟は、「文宣王(=孔子)の廟」ということで、略して「文廟」とも言います。 また、城隍廟というのは都市の守り神(城隍神)を祀る廟です。
その土地の守り神という点では日本の産土神(うぶすながみ)に近いものと言えるかもしれません。 昔の中国の都市にはたいてい孔子廟と城隍廟がセットで設けられ、都市の統合の象徴的役割を荷っていました。
そのような孔子廟と城隍廟が、辛亥革命、日中戦争、文化大革命を経た現代にどれほど現役で残っているのかを知りたくて、あえて観光客があまり行かないであろう孔子廟と城隍廟を見て回ったというわけです。 見てきたのは、旧上海県城の孔子廟と城隍廟、それから旧杭州府城の孔子廟と城隍廟です。
(上海の城隍廟の様子。道士たちが祈祷を行っているようだ)
旧上海県城の城隍廟は思ったより観光地になっていて(豫園が近くにあるからですかね)道教式の儀式みたいなことをやっていて面白かったです。 一方、上海の孔子廟の方は中国人でも知らない人が多いらしく、知人の中国人に「上海の孔子廟を見てきた」と言ったところ、「上海には孔子廟は無いはずだ」と否定されてしまいました。あるんだけどなあ・・・。 (旧上海県の孔子廟の大成殿。孔子を祀る建物) (旧上海県の孔子廟の明倫堂。勉強するところ)
(旧杭州府城の孔子廟の孔子像。道教の神像みたい)
旧杭州府城の孔子廟はただで入れたので良かったです。
それから城隍廟の方は特に見どころがあるようにも見えなかったのに、わざわざ韓国語の表示まで有って驚きましたね。そんなに韓国人がこの廟を熱心に訪ねてくるのか? (旧杭州府城の城隍廟の功徳箱。何故か韓国語でも書いてある。「功徳箱」は日本なら「賽銭箱」、韓国なら「福田函」に当たるか)
・・・で、これらを見て思ったことは、「日本の神社みたい」ということです。
何がありがたいのかよくわからないけどとりあえず拝んどけばいいことあるだろう、という感じの現世利益的な祈り方をされているように思えるんですよね。 もちろん城隍廟は本来日本の産土神みたいなその土地の神を祀る廟ですから、神社みたいになるのは当然だと思うんですよ。(中国は道教、日本は神道ですけど) でも孔子廟のような儒教的な施設までが、日本の神社みたいになっていたのは驚きました。 写真を見ていただければわかると思うんですけど、これは参拝者が孔子様へのお願いを書いた紙です。 (願いことを書いた紙がたくさんぶらさげてあった。杭州の孔子廟にて)
(子供の受験合格と家族の健康を祈る母親の願い事。日本の絵馬みたいなものか)
写真の紙には子供の大学受験がうまくいくようにという願いと家族みんなが健康で安らかに暮らせますようにという願いが書かれています。 受験だけならともかく、家族の健康まで孔子様に祈れば何とかしてくれるのか?孔子様はそんなに万能か? と私なぞは疑問に思いますね。 何というのか現在の中国の人にとって孔子というのは、日本人にとっての菅原道真ポジションの神様みたいになっているのではないかなと思います。 儒教の聖人というよりはむしろ関羽のような道教の神様という感じ。 孔子廟にびっしり吊るされている合格祈願の紙を見て、日本の合格祈願の絵馬を思い出したのは私だけじゃないはずだ。 孔子廟は韓国にもあるんですけど、いやむしろ保存状況は韓国の方がいいんじゃないかと思うくらいにたくさん残っているんですけど、中国とはずいぶん様子が違うんです。
まず韓国では中国みたいに入場料を取って参拝者を迎え入れたりしません。 それから韓国では孔子を祀る建物である大成殿を原則的に公開していません。 また、中国みたいにでっかい孔子像を造ったりしません。基本的には孔子の位牌があるだけです。 中国と韓国で同じ孔子廟でもこんな違いが出るのは、お互いのお国事情の違いによります。
中国ではもうすでに儒教が官学としての地位を失い、道教的な宗教施設となって参拝者を呼び込むことで生き残ろうとしているのだと思います(よく知らないけど)。 でも韓国ではまだ孔子廟が儒教施設として現役なんです。韓国では今でも全国的な儒教組織が勢力を保っており、孔子廟はその地域の儒教組織の拠点としての役割を果たしています。 そのような儒教組織は、昔からの伝統的な儒教式祭祀を守ろうとしています。 だから一般の参拝者を呼び込んで観光地化する気はなく、中国みたいに大成殿にでっかい孔子像を造って参拝者に公開したりはしないのです。 道教や仏教と異なる儒教式の純粋な信仰は中国よりも韓国で残っていると言えるのでしょうかね。 ちなみに日本にもわずかながら孔子廟はあります。
日本で一番有名な孔子廟といえば、JR御茶ノ水駅の近くにある湯島聖堂です。 これは江戸幕府が造った孔子廟で、江戸時代には昌平坂学問所という幕府直轄の学校が併設されていました。 私は一度この湯島聖堂の祭礼である釈奠(せきてん)を見に行ったことがあるのですが、祭官を務めていたのは神田明神の宮司さんでした。 日本の神道が仏教と融合していたのは有名な話ですが、儒教とまで融合していたとは知らなかったのでずいぶん驚いたものです。 日本のこの状況を見ると、中国の孔子廟の道教化を笑えませんね。 結局孔子廟の純儒教的性格を守り続けているのは韓国くらいのものなのだろうかと思います。(北朝鮮で孔子廟がきちんと残っているとは考えがたい。台湾やベトナムはどうだか知らないけど) 次に城隍廟ですが、韓国にも城隍廟がありました。
「ありました」と過去形で言うのは今は無くなってしまったからなのですが。 韓国も李朝時代には中国にならって地方都市に孔子廟と城隍廟をセットで造っていました。 しかし、城隍廟というのはあくまでも中国の模倣として政府が造らせたものであったため、中国のように民間に浸透せず、李朝の滅亡とともに消えていってしまったようです。 ただし、城隍廟とほぼ同義の「城隍堂」という言葉は韓国の土着信仰と結びついて現在でも残っています。 韓国の田舎を歩くと村の入り口などに石が積まれていることがあります。 それをソナンダン(서낭당)と言うのですが、これは城隍堂を意味する韓国語「ソンファンダン(성황당)」がなまったものです。 村の入り口に石を積む習慣はおそらく中国の城隍神信仰とは関係無いのでしょうけど、中国から城隍神信仰が入ってくると、この石積みを「城隍堂」の名前で呼ぶようになったのでしょう。 (ソナンダンに祈りをささげる女性。写真はこちらのサイトからお借りしました。http://www.cbinews.co.kr/news/articleView.html?idxno=38810)
孔子廟が民間信仰化して儒教本来の姿を失いつつある中国と、未だに儒教本来の姿をかたくなに守り続けている韓国。
城隍廟が道教的な民間信仰として今でも残っている中国と、城隍廟そのものは消えてしまったけど在来の民間風習の中にその名前だけをとどめている韓国。 中国と韓国は共通する面も多くあれど、違う点もたくさんあります。 今回は孔子廟と城隍廟を見て回ることでそのような共通点と相違点に気付かされたような気がします。 |
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2012年03月16日
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