ハニワ堂古書店

店主の西貢が日々考えたことや体験したことをつづるブログです!

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

日本において在地領主的な武士層を基盤とした武家政権が誕生した理由についてずっと考えてきた。
どうして中央の貴族政権が長続きせず、地方の武士が力を握ったのか?
 
その理由が少しずつわかってきたような気がする。
それは平安朝廷における中央軍の不在に求められるのではないだろうか?
 
日本の朝廷は奈良時代には衛士や防人の制度を持ち、地方の軍団の兵士を都や辺境地に配備していた。
しかし唐の衰退に伴う国際的緊張の緩和によって、朝廷はコストのかかる衛士や防人の制度を徐々に廃止していった。
その結果、平安時代の中期以降は都には検非違使などの警察的組織や御所の警備程度の軍事力しか置かれず、地方の軍事力は武装化した在地勢力に依存するような状況になっていた。
 
そのため、地方の在地勢力は武装化して成長する余裕を持ち得たし、京都の朝廷自体が軍事力を彼らに依存し、叛乱を起こさないかぎりは彼らの成長を黙認していた。
もし朝廷が巨大な中央軍を持ち、その兵力を地方から徴発するシステムが延々と続いていたならば地方で武士勢力が成長する余地はなかっただろう。
 
もし中央軍が存在していたなら、地方の武士は中央軍の兵士とされ、地方に軍事力は残らなかった。
したがって、軍事力を持った地方の武士団は形成され得ず、地方の武士団の支持を受けて朝廷に対抗した源頼朝のような存在も現れなかっただろう。
 
武士の系譜として、近年軍事貴族制という概念が登場している。
従来の在地領主制論に対するカウンターとして登場したものであるが、上横手氏が指摘されているように、この軍事貴族論と在地領主論は相反するものではない。
相互に補完し合うものである。
 
例えば鎌倉幕府の源頼朝は在地領主というよりは軍事貴族という方が妥当だろう。
源頼朝は伊豆に流配されていたから東国で挙兵しただけで、そこに所領があったわけではない。
清和源氏の嫡流であったからその血筋の良さ(貴種性)を買われて関東の武士団にまつりあげられたにすぎない。
それに対して頼朝を支持した北条氏や千葉氏、三浦氏などは在地領主といえるだろう。
軍事貴族(頼朝)と在地領主(北条氏など)が結びついた結果として武家政権としての鎌倉幕府が成立し、朝廷と幕府の二頭体制を基調とした日本型封建制が成立する。
 
地方の在地領主としての武士層が成立した原因は、中央朝廷の軍事力の放棄にあるのではないか。
国家による軍事力の放棄が、ヨーロッパと近似する封建制度の基礎になったというのは、単なる偶然としても興味深い現象である。

全1ページ

[1]


.
西貢
西貢
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(1)
  • kino3
友だち一覧
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

標準グループ

登録されていません

検索 検索

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事