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店主の西貢が日々考えたことや体験したことをつづるブログです!

われ思う。ゆえにわれ書けり

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特定秘密保護法案が成立した日、私はぼんやりと考えた。
間違いなく日本に戦争の危機が高まりつつあると。
そしてその相手は中国になるだろう、と。
 
以前に自衛官の人と話をする機会があって、日本の仮想敵国はどこなのかと聞いたことがある。
その人ははっきりと、「中国です」と言った。
「北朝鮮じゃないのか?」と聞き返したところ、「いや、中国です」と言われた。
やっぱりそうなのか、と思った。
 
北朝鮮は単に日本人の外敵に対する恐怖を煽るためのスケープゴートにすぎない。
本当の狙いは中国なのだろう。
 
特定秘密保護法案は主に軍事的情報の秘匿のための法律だ。
来たるべき中国との戦争に備えてこのような法律を作る必要があったのだろう。
 
しかし、中国が膨張政策をとっていることが事実としても、衝突することが果たして必要なのか?
最近のネット言論や一部マスコミはやたらに中国の脅威を書きたてるが、それはむしろ両国の戦争を引き起こす方向に世論を導いてしまうのではないか?
政治家は有権者の「民意」を汲み取るのが仕事だ。
もし、マスコミやネット言論の影響で国民の間で対中開戦論が大きな声になったなら、その世論に押される形で戦争せざるを得なくなるかもしれない。
戦争をなんとか回避しようと呼びかける人々は「非国民」と呼ばれて口を封じられ、威勢のいい過激な発言がもてはやされ、誰も得しない戦争が現実のものになってしまうかもしれない。
戦争は起こったら最後。なかなか終わらせられない。
終わったとしても両者の間に大きな傷と遺恨を残す。
 
そんな誰も得しない戦争を、何のためにする必要があるのだろうか?
大量の国家予算と多くの国民の命を奪ってまで、何故戦争をする必要があるのか?
 
日中軍事衝突が現実になるかもしれない危険性を感じながら、そう思わずにはいられない。
 
日本において在地領主的な武士層を基盤とした武家政権が誕生した理由についてずっと考えてきた。
どうして中央の貴族政権が長続きせず、地方の武士が力を握ったのか?
 
その理由が少しずつわかってきたような気がする。
それは平安朝廷における中央軍の不在に求められるのではないだろうか?
 
日本の朝廷は奈良時代には衛士や防人の制度を持ち、地方の軍団の兵士を都や辺境地に配備していた。
しかし唐の衰退に伴う国際的緊張の緩和によって、朝廷はコストのかかる衛士や防人の制度を徐々に廃止していった。
その結果、平安時代の中期以降は都には検非違使などの警察的組織や御所の警備程度の軍事力しか置かれず、地方の軍事力は武装化した在地勢力に依存するような状況になっていた。
 
そのため、地方の在地勢力は武装化して成長する余裕を持ち得たし、京都の朝廷自体が軍事力を彼らに依存し、叛乱を起こさないかぎりは彼らの成長を黙認していた。
もし朝廷が巨大な中央軍を持ち、その兵力を地方から徴発するシステムが延々と続いていたならば地方で武士勢力が成長する余地はなかっただろう。
 
もし中央軍が存在していたなら、地方の武士は中央軍の兵士とされ、地方に軍事力は残らなかった。
したがって、軍事力を持った地方の武士団は形成され得ず、地方の武士団の支持を受けて朝廷に対抗した源頼朝のような存在も現れなかっただろう。
 
武士の系譜として、近年軍事貴族制という概念が登場している。
従来の在地領主制論に対するカウンターとして登場したものであるが、上横手氏が指摘されているように、この軍事貴族論と在地領主論は相反するものではない。
相互に補完し合うものである。
 
例えば鎌倉幕府の源頼朝は在地領主というよりは軍事貴族という方が妥当だろう。
源頼朝は伊豆に流配されていたから東国で挙兵しただけで、そこに所領があったわけではない。
清和源氏の嫡流であったからその血筋の良さ(貴種性)を買われて関東の武士団にまつりあげられたにすぎない。
それに対して頼朝を支持した北条氏や千葉氏、三浦氏などは在地領主といえるだろう。
軍事貴族(頼朝)と在地領主(北条氏など)が結びついた結果として武家政権としての鎌倉幕府が成立し、朝廷と幕府の二頭体制を基調とした日本型封建制が成立する。
 
地方の在地領主としての武士層が成立した原因は、中央朝廷の軍事力の放棄にあるのではないか。
国家による軍事力の放棄が、ヨーロッパと近似する封建制度の基礎になったというのは、単なる偶然としても興味深い現象である。
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
 
最近更新をさぼっていますが、今後も考えたことをちょくちょく書いていく場として、もう少しブログを続けていくつもりですので、温かい目で見守っていただけたらと思います。
 
今回は新年早々やたらに物騒なタイトルになっていますが、私が以前に体験した危険な精神状態について書いておきたいと思います。
こんなことを書くと心配される方もいらっしゃると思いますが、あくまでもこれは過去の話です。現状は落ち着いていますので、ご心配なさらぬようお願いいたします。
 
 
数ヶ月前、私はとある学会発表を前にして震えあがっていました。
どう贔屓目に考えてもうまくやりとおせる自信が無く、演壇の上で立ち往生してしまう光景しか想像できませんでした。
 
「ああ、無理だ。絶対無理だ。発表をやりとげられるはずがない」
「もう逃げられるのなら、逃げ出してしまいたい」
「今、大地震が起こったら、発表をしなくてもよくなるかな・・・」
 
こんなどうしようもない逃避願望に襲われていました。
さらに、
 
「もし、自分が事故にでも遭って大けがをすれば、逃げられるのだろうか?」とか、
「もしこのまま死んでしまったら、楽になるのだろうか?」
なんて、危険な考えまで頭をよぎったりしました。
 
今思えば、たかが学会発表一つ。
成功しようが失敗しようが何て事はない。
 
ええ、そうなんです。そんなことは悩んでいる当時だって、「頭」ではわかってたんです。
でも「心」は、「頭」とは別に、悲観的なことばかりを考えて暴走していたのです。
 
理性的で穏健な理性(頭)より、非論理的で危なっかしい情動(心)の方が力を持ってしまう瞬間というのが人生の中ではたまにあるものでしょうが、この時の私がまさにそれでした。
頭がはたらく時間には、心が不安を糧にして荒れ狂うために、じっとしていられず、夜はほとんど眠れなくなりました。こんな状況でよい学会準備などできるはずもないため、貴重な時間を空費し、心はいよいよ焦り、さらに不安にさいなまされるという負のスパイラルに陥っていました。
 
アルコールを飲んだり、寝不足で頭がぼんやりすると心の働きが弱くなるため、少し気分が楽になりました。
これは本当の解決ではなく、ただの逃避にすぎないのですけど、心の働きによる苦しみから逃げるためには一時的な効果がありました。
 
この時私は思いました。
自分を苦しめ、狂わせているのはなによりも「自分の心」なのだと。
このままでは、自分は心によって壊されてしまう、心によって殺されてしまう、と。
 
自分が相当精神的に危ない状況にいることを悟った私は、弱り切った精神状態の私を誰かに受け入れてもらいたくて、相談に乗ってくれる人に手当たり次第に電話をかけました。
「今、私は心が弱り切ってるんだ。どうか私を元気づけてほしい」と、恥も外聞も捨てて、私は泣きつきました。
そんな困り者の私を、みんなはいやな顔もせず、きちんと話を聞いて、アドバイスしてくれました。
その時、私は本当に恵まれた人間関係の中にいることに気付きました。
人の心なんてものは、私が思っていた以上にはるかに脆いもので、一人では自分の心すらきちんと保っていけないのだと知りました。
 
結局、その時は不安が頭をよぎるたびに誰かに相談して発散し、心をうまく落ち着かせることで学会準備に集中し、どうにか学会発表を乗り切りました。
そのようにしてこの危険な精神状態を脱することができたのですが、この経験は私にいくつかの教訓を残しました。
 
一つ目は、「私は自分が思っていたよりもはるかに精神的に弱い人間なのだ」ということ。
もう一つ目は、「心は強い不安や恐怖に襲われた時に理性以上の影響力を持つ事があるが、そんな心に自分の身を任せてはいけない」ということ。
 
今は危機的な状況を脱し、精神状態はすこぶる落ち着いていますが、また同じような緊張状態を強いられた時に、また似たような危機が訪れないとはいえない。
だから私はその時のことを、こういう形で記録しておこうと思ったのです。もう一度同じような事態が起こっても、既に体験済みのことならば、昔の経験を思い出して切りぬけることができるだろうから。
 
それにしても、この経験をとおして私が一番強く感じたのは、心が自分を苦しめるようになったら、それは果ての無い無間地獄なのだということでした。
心というのは人間ならば常に持っているものです。
どんな人間であっても自分の心から離れることはできません。
 
だからその心が自分を苦しめるようになったなら、その責め苦に逃げ場はありません。
お風呂に入っていても、ご飯を食べていても、テレビを見ていても、心が働き続けるかぎり、延々と苦しめられることになるのだから。
人によってはきっと夢の中でも苦しめられるでしょう。
これは24時間365日、片時も休むことを許されずに拷問が続くようなものです。
どんな地獄の責め苦よりもつらいものではないでしょうか?
 
うつ病というのもこういうものなのでしょうか?
 
どこで何をしていても、延々と自分の心が自分を責め続ける感覚。
心によって殺されつつあるような感覚。
うつ病というのもこんなものなのでしょうか?
 
心を病んだ人々がアルコールやドラッグに溺れていくというのも、わかるような気がしました。
アルコールやドラッグで心の働きを麻痺させることが、心による責め苦を軽減させる一番手軽な方法だからです。
 
私の場合、不安の種は学会発表で失敗するのではないかという思いこみでした。
非常にはっきりした不安です。
こういうものはその不安の要因が取り除かれさえすれば、症状はおさまるものです。
 
しかし、もっと漠然とした正体不明の不安に冒された人たちは深刻でしょう。
不安の根がどこにあるのか誰にもわからないため、いつまでも心による責め苦は終わらないのですから。
きっと心による苦しみに疲れ果てて、自ら命を絶つことでその苦しみから逃れた人たちも多かったと思います。
日本における自殺者三万人(年間)の中には、そういう人たちがかなり多く含まれているのだと思います。
 
自分を一番苦しめるのは自分の心で、心が自分を苦しめるようになったならどこにも逃げ場はなくなるのだと、自分はこの年になって初めて気付きました。
 
自分自身の心の健康に気遣いながらも、他人の心にも多少は気遣えるようになりたいというのが、今年の目標であります。
うまくいかなかった時、失敗した時などに、あなたはその原因をどう考えますか?
 
「あいつがしっかりやらないから自分が失敗したんだ」なんてふうに他人を責めますか?
それとも、
「私がきちんとしてなかったからうまくいかなかったんだな」と自分を責めますか?
 
ものの本などを読むと、
 
失敗を他人のせいにする=良くない事
失敗を自分のせいにする=良い事
 
のような二分法で書いてあるものが多いです。
 
でも、私、この二分法にはかなり疑問を持ってるんですよね。
 
失敗を他人のせいにするのが良くないというのは、同感です。
何でも他人のせいにばかりする人なんてのは見ていて見苦しいし、きっと性懲りもなく何度でも同じ失敗を繰り返すでしょう。
それでいて、「自分は悪くない、あいつが悪い!」を連呼するもんだから、そのうち誰も助けてくれなくなって、孤独になっていくんですよ。
 
そんなのが良い生き方なわけないですね。
 
でも、失敗を自分のせいにすることがいいとも思わないんですね、私は。
何故かというと、私の周囲の悩んでいる人たちは大体こういう思考回路のせいで、不必要に悩んでドツボにはまっている人が多いから。
 
「あの失敗は私の頭が悪かったせいだ」とか「私の努力が足りなかったからうまくいかなかったんだ」なんて延々と考えるうちに、「私は実力も努力も足りなくて失敗ばかりしている、価値の無い人間なんだ」なんていうネガティブ思考のスパイラルに陥ってしまう人が実際に結構いるんです。
 
「私のこういう部分がいけなかったから失敗したんだ。よし、じゃあ次はここのところを直してやってみるぞ!」と自分を責めながらも、前向きにリトライしていける人もたしかにいます。
でも実はそんなに良い性格の人は多くないです。
 
ほとんどの人間は「自分のせいで」と考えすぎると、だんだんすねたり、臆病になっていくものです。
「どうせ私なんか何一つうまくできませんよ」なんて変にすねちゃって、少し考えればできることでも出来なくなってしまう人や、「この仕事は私なんかがやったらみんなに迷惑かけちゃうから・・・」なんて言って挑戦すること自体に臆病になってしまう人は結構多いんです。
 
それに「自分のこういうところが悪いから、直さなきゃ」なんて考えてみたところで、そう簡単に自分の性格は変わらないです。
子供の時ならいざ知らず、もう20歳を過ぎた大人の場合、そう簡単に性格は変えられません。
変えること自体にものすごいエネルギーとストレスがかかるでしょう。
何か失敗するたびに自己改造をすることなんて、普通に考えれば無理なんです。
 
だから「自分のせいで」なんて考えない方が素直に、うまく世の中を渡っていけると思うんです。
 
じゃあ、うまくいかないのは誰のせいなのでしょうか?
 
私の考えはこうです。
「誰のせいでもありません」
 
物事が成功するか失敗するかは、人によって決まるのではなく、環境によって決まるのだと私は考えています。
だいたい物事がうまくいかない時、その原因になっているものは、タイミング相性だと思います。
 
大抵の場合はこの二つをうまく合わせてやればうまくいくと思います。
たとえば、AさんがBさんをデートに誘って断られたとします。
その時にAさんが「私に魅力が足りないからだ」と思い込んで自己嫌悪に陥ったり、「Bさんってひどい人!」と思ってBさんを怨んだりしても仕方がないと思います。
こんなことは単にAさんがBさんを誘った時、ちょうどBさんの都合が悪かっただけかもしれないし(タイミングの問題)、そもそもAさんとBさんはそもそも相性が良くないだけかもしれません(相性の問題)。
誰も悪くはないんですよ。ただ、シチュエーションが悪いだけで。
 
なにより、うまくいかなかった時に「タイミングと相性が悪かったんだ」と考えれば、誰も責めなくてすんで、次にまた同じようなことをやる時にもう少し客観的に全体を見て判断できるようになります。
自分を責めるのも、他人を責めるのも、結局はあまりいい結果にはならないような気がします。
 
うまくいかない時には、誰かのせいにしないで、次につなげていく方がいいんでしょうね、きっと。
暑い日が続きますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
気がつけばこのブログも一ヶ月間放置しておりました。
 
暑さのせいにするのはあまり良くないのですが、うちの家はクーラーが無くてサウナ状態なので、生産的なことができずにいたのです。
ブログに書きたいネタは山ほどあるのですが、暑くてだらけてるので、書く気力がわいてこないのです。
 
でもそんなことを言ってても仕方ないので、無い気力をふりしぼってあえて記事を書いてみますね。
本日書こうと思ってる内容は、二日前に暑くて眠れない夜に考えた内容です。
自分の経験も踏まえて、「人間はどのようにしてものごとに執着して失敗するのか?」ということを考えました。
 
こんなことをわざわざ書くのは、自分の周囲の人たち(私自身も含めて)の失敗の原因の大半が、「物事に執着しすぎること」から生じているのではないかと思ったからです。
 
恥ずかしい話ですが、ほんの数ヶ月前まで私は出口の見えない迷路の中にいました。
現状をどうやって打破したらいいのかわからず、このまま何もできずに堕ちていくだけなのかと絶望的な気分に陥ったりしていました。
 
そんな絶望的心理に陥った原因は、今考えてみると、一つの物に執着しすぎたためです。
ある一つの物に固執しすぎて、「これがうまくいかなければ自分はおしまいだ」みたいな考えに陥り、周囲の人たちの助言も耳に入らず、別の方法を考えることもできなくなっていました。
そのせいでその一つがうまくいかないと、絶望的な気分に落ち込んで出られなくなってしまっていたのです。
 
きっとこのような心理に陥った人は私だけではないでしょう。
今まさにその問題で苦しんでいる人も多いと思います。
 
私だって今はずいぶん楽な気分になれていますが、また危機的状況が来たら、同じような精神状態にまた落ち込みかねないと思います。
 
そこで私は、私が実際に陥った絶望的な精神状態(私はこれを「ストーカー的愛着の心理」と勝手に名付けていますが)の特徴を覚えておけば、同じような精神状態にまた陥ったときに対処しやすいのではないかと考えました。
 
今回の記事はそういう自分用のメモとして書くものですが(このブログの記事は全部そうだけど)、もしかしたら同じような経験をした(してる)人たちには共感しやすいかもしれません。
 
「ストーカー的愛着の心理」とは書きましたが、私が実際にストーカー行為をしていたということではありません。
「ストーカー的」というのはあくまでも喩えです。
あるものに執着するそのこだわり方がストーカーみたいだということです。
このような心理状態に陥っていた私の思考方には、次の三つのような特徴がありました。
これを見れば、私が「ストーカー的」と表現した理由がわかるかと思います。
 
<特徴1>
「ある一つの物事に対して、自分が一番理解している、もしくは愛していると思い込んでいる。」
 
これは対象は何であってもかまいません。
たとえばそれが異性だったりする場合、「Aさんのことを一番理解していて、一番愛しているのはボクだけだ!」と思い込めば、完全にストーカーの心理状態です。
私の場合、それが異性ではなかった(というより人間ではなかった)だけの話です。
これが厄介なのは、自覚無しにそう思い込んでいることも多いということです。
なので、なかなか自分がそういう独りよがりに酔っていることに気付かないのです。
 
<特徴2>
「他の人間は自分が執着しているものについてろくに理解していない、もしくは他の人間がそれを貶めていると思い込んでいる。」
 
これは<特徴1>の裏面ですね。
自分が一番あるものについて理解しているとか愛してるとか思い込んでいるわけですから、自分以外の人たちはそれについて当然ろくに知りもしてないとか思い込むわけですよ。
たとえば自分のひいきにしていたアイドルグループが有名になってしまって、新しいファンがたくさんついたのが面白くなくて、「なんだ、あいつら。最近ファンになったばかりのにわかのくせに。あのグループの良さなんか何も知らないくせに・・・」なんて毒づき始めたら、この心理状態に陥ってる可能性が高いです。
自分の心の中だけで思ってる<特徴1>とは違って、他者に対する批判を伴うことが多いので、気付きやすいかもしれません。
最近他人の批判ばかりしているなあ、と気がついたら、少し注意してみるといいかもしれません。
私もこの心理状態に陥ってた時には、よく他人の批判をしていました。
今思うと、あまりにも傲慢だったと思います。
 
<特徴3>
「自分の執着しているものについては、ほんの少しの欠点さえ許せない。」
 
これはまさにストーカー的思考ですね。
たとえば、清楚で素敵だと思っていた新入女子社員のA子さんが最近ケバい格好をするようになったのが気に食わなくて仕方がない。
「彼氏でもできたのか?」とか邪推していたら、最近仲良くしているB子にそういうファッションを勧められたのだという。それでA子さんに裏切られたと考えたり、B子を恨むようになったりすれば、ストーカーとしてかなりやばいところまできてるような気がします。
ああ、上の話はもちろん喩え話ですよ。身近にあった話とかではありません。
 
人間は誰しも自分の愛する物に対しては、自分の望むようであってほしいと思うものです。
でも、時には自分の期待や嗜好に添わないことはあります。
そんなの当たり前です。みんな「そんなの当たり前だ」と思いつつ、気に食わない部分に関しては華麗にスルーしながら、なんとかやっているものです。
でも、そういう部分についてスルーできなくて、どこにいても何をしていても気になってしまうとしたら、自分がそれについて過度に執着してしまっているということです。
そして、それが、「君が変わってしまったのはボクに対する裏切りだ」とか「君が変わってしまったのはアイツのせいだ。アイツさえいなくなってしまえば・・・」なんて考えるようになってしまうとかなり危ないです。
自分が死ぬか、相手を殺すか、それとも一緒に死ぬかみたいな構図になってしまうと目も当てられません。
 
実際に犯罪レベルまで到達してしまうケースは稀だと思いますが、こういう心理状態に陥ってしまうと、どうやっても自分が苦しまざるを得なくなります。
できたらこんな状況を作らないようにしたいものです。
 
こういう心理状態に陥りやすい人には(自分も含めて)いくつか特徴があると思います。
集中力が高く、粘り強さがあり、一貫性を大事にする性格です。
いわゆる「真面目」で誠実な人間ほどこういうタイプが多いような気がします。(なんて書くと自画自賛してるみたいだけど、別にそういうわけじゃないよ。真面目なんて単に人間的につまらないだけかもしれないし、一貫性なんてのは単に融通がきかないってだけのこともあるからね)
 
自分はそういうタイプだよ!と思う人は自分にそういう部分がないか少し振り返ってみるといいかもしれません。
もしすでにそんな状況に陥ってるという人は、もっと浮気性になってみるといいかもしれません。
色々な物事に手を出してみれば、一つの物にそんなに極端に執着することもできなくなるはずですから。
あとは、「○○について理解の無い人とは話したくない」なんて言わずに、普段会わない人に会ってみるのもいいかもしれません。
その人とのコミュニケーションを通じて、自分の現状を客観視できるようになると思いますから。
 
執着する人はどこかしらに不自然な力が入ってるのだと思います。
自分もそうだったからわかりますが、何かに執着しすぎて苦しくなった時は、脱力してみることが大切です。
「こうでなければいけない!」という力の入った思考をやめて、「こうであってもいいじゃない」というような力の抜けた思考をしてみることです。 
そうしたら執着から少しは自由になって気分も楽になるかもしれません。
 
ストーカー的に執着する人には、「正しい」か「間違い」か、「敵」か「味方」か、「成功」か「失敗」か、のように二者択一的発想をする人が多いような気がします。
そのために「これが無くなったら自分はおしまいだ!」みたいにしがみついて、愛着の袋小路から抜け出せなくなる人が多いのではないかと思います。
そこから抜け出すためには「どちらでもOKだよ!どっちに転んでもHAPPYだよ!」みたいな超然とした余裕がほしいものです。普段からそういうふうに考える癖をつけておくと、袋小路にはまりこみにくいのではないかと思います。
 
こういうストーカー的愛着の心理を自覚しにくい最大の理由は、それが「純愛」ときわめて良く似ているからかもしれません。
たしかにそういう愛着を抱く人は、問題さえ起こらなければとてもいいファン(愛好者)です。
でも本当にいいファンと決定的に違うことは、どこかしらでその対象に依存してしまっていることだと思います。
だからこそ、本当にいいファンより、余計にたくさんのものを貢いだりしてしまうのです。
だから、表面的に見て「過度にいいファン」というのが、ストーカー的愛着心理に陥る最大の予備軍なのかもしれません。
なにごともほどほどが一番ということですね。
(と、一般論でしめてみる)

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