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店主の西貢が日々考えたことや体験したことをつづるブログです!

われ思う。ゆえにわれ書けり

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(上のイラスト)本文の内容が殺伐としているので、かわいらしい漫画でも付けときます。この漫画は、エニカさんという韓国の漫画家が描いた「ハヌルとパダの深層報告書(하늘과 바다의 심층 보고서)」という漫画のワンカットです。チュソク(旧暦の仲秋)の日に、左のパダが間違えて「あけましておめ・・・」と言おうとしているところを、右のハヌルが「楽しいチュソクを過ごしてくださいね〜!」と訂正しているところ。
お正月だからお正月のワンカットをと思って載せてみたのですが、これチュソクの話でしたね。失敬。



日本で政治的に「右」だというと、天皇制を賛美し、日本民族の優秀さをほめたたえる「国粋主義」「国家主義」「民族主義」をイメージするのが普通である。
それに対して政治的に「左」というと、社会主義的で反ナショナリズム的傾向が強く、日本だけの国益よりも他国との協調を重んじるというイメージがある。

それに対して韓国の「右」と「左」はどうか?
実は日本における「右」・「左」とは中身がずいぶん違うような気がする。
それを知らずに韓国における「右派」と「左派」を日本の「右翼」と「左翼」の対立軸で考えるとわけがわからなくなってしまう。

韓国において右派と呼ばれる勢力は大韓民国を最も重視する「国家主義」だといえると思う。
それに対し左派というのは、韓民族(朝鮮民族)を最も重視する「民族主義」といえるだろう。

日本人がこの対立構図を見ると、「おいおい、同じものじゃないか。どこに対立軸があるんだ?」と思ってしまうだろうが、それは日本において国家主義と民族主義がほぼ同じものとみなされているためである。
韓国においては国家主義と民族主義は同じものではない。何故なら国家と民族が一致していないからである。
よく知られているとおり、韓国は1945年に南北に分けられ、北部の朝鮮民主主義人民共和国と南部の大韓民国ができあがった。
韓国における右派というのはこの大韓民国を絶対的なものと考え、北朝鮮を敵対視する勢力である。
それに対し左派は大韓民国よりも韓民族を絶対的なものと考え、北朝鮮に対して友好的な勢力である。

国家を絶対視するという点で韓国の右派と日本の右翼は共通する部分があるため、韓国の右派については日本人でもある程度理解しやすい。
それに対して左派が何故右派以上に民族主義的なのかという点については、多くの日本人が理解に苦しむところだと思う。
日本の比較的左翼的な進歩的知識人と言われる人が、韓国の左派的進歩的知識人と話をして、韓国の左派的知識人の民族主義に面食らってしまうなんてことはよくある光景である。
たとえば進歩的左派政治家と目されていた盧武鉉(ノムヒョン)大統領が親日派の追及などという民族主義的政策を行なったことに驚いた日本人は多かっただろう。

「左」という名前が付いていても、日本の「左」とはずいぶん意味が違うのである。
では何故このような差異が生まれたのか?
それは日本と韓国の近現代史の違いに理由がある。
しかし話が長くなりそうなので、本日はここまでで一旦打ち切ろうと思う。
続きはまた気の向いたときにでも。

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中国の少数民族切手。左上から回族、朝鮮族、蔵(チベット)族、満族、オロス(ロシア)族、プイ族。
 
 
ある満洲人のサイトをのぞいていて不思議に思ったことがある。
その人は満洲人(中国少数民族の一つとしての満族)の文化を紹介しつつ、「満族万歳、中国万歳」と書いていたのである。
どうやらそのサイトの開設者にとって、自分が満族であることと中国人であることは全く矛盾しないようなのである。
多民族国家であることを自他ともに認め、少数民族の自治を認めている中国ならではの状況だろう。
 
ひるがえってこれが日本ならばどうだろうかと考えてみる。
自分が日本国内の少数民族であるという自覚のある人たちが、「わが民族万歳、日本万歳」とはなりにくいのが実情ではないか。
日本人であることと日本以外の民族であることは両立しにくい。自分のアイデンティティを保つためには片方を棄てて片方を選ぶ必要がある。
その例としてすぐに思い浮かぶのは在日韓国・朝鮮人と中国朝鮮族の違いだ。
 
日本に住む在日韓国・朝鮮人は3世ともなれば、(民族学校に通いでもしないかぎり)朝鮮語を覚えず、見た目はほとんど日本人と同じになってしまう。韓国人に言わせれば、「在日は日本人と変わらない」(筆者の知人談)と言われるくらいに日本人に同化してしまうにもかかわらず、「日本に帰化して日本人になるのは抵抗感があるんですよね」(筆者の知人談)と言ってなかなか日本国籍を取ろうとはしない。日本社会で生きていくには明らかに帰化したほうが得であるにもかかわらず、それをためらわせてしまう何かが日本社会にはあるのだろう。
 
それに対して中国朝鮮族の多くは、若い人でも中国語と朝鮮語のバイリンガルが多く、日常的に朝鮮語を使って生活している。それなのに彼らは中国国籍をとることに抵抗感は特に無く(少なくとも在日ほどには無いだろう)、中国人として暮らしている。
 
様々な民族が混在して暮らしているのが常態の中国では、中国人でありながら少数民族として生きるという選択肢がありうる。それに対し、ほぼ日本民族だけで日本という国を作り上げてきた日本では、日本人=日本民族であり、日本に帰化するというのは単なる国籍取得の問題ではなく、自民族を棄てて日本民族になることを意味するのである。
だからこそ、朝鮮民族にしてみれば、中国で暮らす限り民族性の根幹である言葉や生活習慣を守ることができるため、中国人になることは抵抗感がない。それに対し日本で暮らすのであれば、言葉や生活習慣を守りにくく、そして朝鮮式の名前を名乗りにくくなるため、民族性を保持しにくい。だから「国籍」を民族性の最後の砦として守ろうとするのであろう。
 
日本は明治の時代に沖縄と北海道を併合し、その後台湾や朝鮮のような植民地を得たため、ある程度多民族的状況が生まれたとはいえ、その根幹にあるのは日本人=日本民族という等式がほぼ当てはまりうる単一民族国家である。(たとえば外国人が日本に帰化しようとする時に、「日本人として帰化するなら日本風の名前にしなさい」などと平然と民族的同化までせまってくるところが、日本の単一民族国家的性格をよく表している)
そして韓国・北朝鮮も日本と同じく単一民族国家である。近代における急激な領土拡張がなかったぶんだけ日本より純度の高い単一民族国家かもしれない。
 
基本的に単一民族国家の特徴として、自分たちの国の中に異民族の存在を許さないというのがある。異民族に対して同化をせまり、それを受け入れなければ排除するという行動様式である。(逆にいえばそのような行動様式の結果として単一民族国家を作り上げることができたのであるが)
 
日本による朝鮮の合併は、単一民族国家が単一民族国家を吸収合併するという世界的にも珍しい事態であり、同化と排除の論理が働くかぎり、両者の間に対立が生じるのは必至であった。
日本は支配下においた朝鮮に対しても同化の論理で日本語や日本的価値観を押し付け、それに従わないものには「不逞鮮人」というレッテルを貼って弾圧した。
一方朝鮮人側は、同化をせまる日本人に対して敵愾心を燃やし、自分たちの民族性に固執した。
支配者側も被支配者側も多民族的状況に慣れておらず、それゆえに支配者への不満、被支配者に対する疑念は容易に日本民族対朝鮮民族という民族対立へとつながった。
今に至るまでの日韓歴史問題の淵源は、単一民族同士ゆえの葛藤という点に求められるのかもしれない。

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(写真)韓国の仁川(インチョン)。ここはかつて日本人の居留地があったところで、現在は観光地化のため昔の日本人居留地のような風景を作っている。韓国において植民地時代が、「モダン文化発祥の時代」として再評価されつつある。


植民地支配、特に日本の植民地支配を評価する時、異なる二つの意見が存在しており、互いに相容れない主張を繰り広げている。

一つ目は植民地支配を否定的に評価する意見であり(これを以後「植民地支配否定論」と呼ぶことにする)、今の日本では基本的にこちらが主流をなしている。
このような主張に共通しているのは、「日本はアジアの国々を支配して様々な収奪をおこなった。そのために現在韓国・中国から批判されることになっている。日本はこれらの国々に対する謝罪と補償をきちんと行ない、二度とこのような過ちを繰り返してはならない」という「植民地支配=収奪」ととらえる見方である。

これに対してもう一つの意見は植民地支配を肯定的に評価する意見である(以後これを「植民地支配肯定論」と呼ぶ)。そのような意見は大抵次のように述べる。「日本の植民地支配は他国にくらべれば悪いものではなかった。日本は植民地から収奪するよりはむしろ投資した額の方が大きかったのであり、日本によるインフラ整備がアジアの国々の近代化を促進した。さらに日本のアジア進出がアジア諸国の解放をもたらしのであり、日本の植民地支配はプラスの側面の方が大きかった。現に日本が一番長く支配した台湾では日本支配を感謝する声が多い。したがって日本の植民地支配は収奪ではなくむしろ恩恵であった。」
このように植民地支配を「恩恵」と考えて称賛しようとする論調は近年になって急激に大きくなりつつあるが、戦前の日本ではむしろこちらの意見が多数派であった。
そういう意味で、植民地支配否定論と植民地支配肯定論は戦後の思想と戦前の思想の対立という様相を帯びているといえるのかもしれない。

植民地支配否定論は日本による支配がいかに過酷であったかを強調することで、自らの説を補強しようとしている。
その逆に植民地支配肯定論は日本の支配がいかにその地域の近代化に役立ったかを強調することで、自らの説を補強しようとしている。
この両者は同じデータを使ってもたがいに異なった意見を出すために、議論は常に平行線となる。
たとえば、「日本統治時代に朝鮮における米の生産量が上がっていた」というデータがある。
このデータを見て植民地支配肯定論者は「日本の指導下で米の生産が上がって朝鮮農民は豊かになった。だから日本はいいことをしたのだ」と評価する。それに対して植民地支配否定論者は、朝鮮米の日本への移出量も同時に増えていたことを指摘して、「日本人が食べるための米を朝鮮農民が無理やり作らされていたにすぎない」と評価する。
どちらの意見も事実の一面を突いてはいる。ただ日本の植民地支配をどのように評価するかという立場の違いによって、その解釈が真逆になってしまうのである。

日本の植民地支配問題を考える際に、様々なデータを用いて良かったか悪かったかを論議することもそれなりに意味があることなのだろうとは思う。
しかしこの問題を考えるときに真っ先におさえておかなければならない前提は、日本の支配が文字通り「支配」だったということだろう。
よそからやって来た日本人がすべて政策を立案・実行し、そこに代々暮らしてきた現地人はそれに従うほかなかった。
そのような体制は、表面的には日本人と現地人の合意の上で成立しているように見えても、実際には日本の警察や軍隊のような暴力装置によって支えられていたものである。
また植民地期には、現地人と日本人は明らかに対等ではなく、様々な場面で区分(身分差と呼んでもいいと思う)がもうけられていた。

私の個人的な考えとしては、ある人間集団が他の人間集団を支配し、その両者の間に超えられない身分差を作り出してしまうという点で、植民地支配を「良かった」などと評価することは決してできないと思っている。
「植民地期に日本人と現地人を平等に扱った日本人もいた」とか「植民地期にも日本人と現地人の間に友情は芽生えていた」という意見もたしかにある。
もちろんそういう意見を否定はしない。たしかにそういう例はあったし、私自身も実際にそういう人に会ったことはある。
しかし、そのような例は植民地支配の暴力性・理不尽さを打ち消すどころか、むしろそれを浮き彫りにさせてしまうものでしかない。
たとえば「植民地期に日本人と現地人を平等に扱った日本人もいた」という話が強調されるのは、それが当時珍しかったためである。「日本人と現地人では待遇に差がつけられるものだ」という社会通念のようなものが存在したからこそ、「日本人と現地人を平等に扱う日本人」が目立ったのである。
さらに、そのような話の中に「日本人と現地人を平等に扱った現地人」というものは登場しない。日本人と現地人で差別をもうけないという「恩恵」をほどこすのは、常に支配者側である日本人の特権だからである。
また「植民地期にも日本人と現地人の間に友情は芽生えていた」という意見はあるが、彼らは何語で会話をしていたのだろうか?おそらくほとんどの場合が支配者の言語である日本語であっただろう。その逆はなかなか考えられない。
現代ならば、英語か現地語で友情が芽生えるかもしれない状況が、植民地時代にはほとんどあり得ない光景だった。現地人は支配者の言語である日本語を学ばされ、それをうまく習得できた者だけが支配者である日本人と友達になれたのである。
植民地時代の日本人と現地人の友情というものは、そういう片方だけに負担をせまるような状況の上に成立していたのであり、必ずしも対等な関係とは言えなかったと思う。
彼らが今の時代を生きていたならば、もっと対等な友情を育むことができたのではないだろうか?

植民地支配肯定論者が言うように、日本が作った社会的インフラが今の台湾・韓国・北朝鮮(部分的には中国も)で今でも残っていることは事実である。
しかし上で述べたような植民地支配の暴力性や理不尽さを考えると、「日本は良いことをしたんだ!」などとはとても言えなくなるのである。


モンゴル語の辞書をパラパラめくっているとたまに、「おや?」と思うことがある。
その「おや?」には色々な「おや?」があるが、一番多いのは朝鮮語と共通する語彙を見つけた時だ。

たとえばモンゴル語で「父親」は「ААВ(アーブ)」という。これは文語だと「abu(アブ)」もしくは「aba(アバ)」というらしい。
これを見てすぐ思い浮かぶのは「父親」を意味する「아버지(アボジ)」という朝鮮語である。
これは標準語だと「アボジ」だが、方言で「アブジ」と発音することがよくあり、モンゴル文語の「アブ」と極めてよく似た発音になるのである。

またモンゴル語で「月」を「САР(サル)」というが、朝鮮語では「달(タル)」という。
また、モンゴル語で右側(Баруун Зүг)、左側(Зүүн Зүг)という時の「側」は「Зүг(ズク)」というのだが、朝鮮語ではこれを「쪽(チョック)」という。

このように朝鮮語とモンゴル語には似たような語彙がしばしば見られる。
今ここで挙げた言葉がたがいに関連を持つのか、それとも単なる偶然の一致なのかはわからないが、両国の関係の歴史を考えると、単なる偶然としてすませてしまえないような気がする。

朝鮮とモンゴルが深い関係を結んだのは13世紀から14世紀までのいわゆるモンゴル帝国時代(最近は「イェケ・モンゴル・ウルス」という言葉が一般的になりつつあるが)である。
この時代にモンゴルはユーラシア大陸の大部分を征服し、東は高麗、沿海州、サハリンから西は南ロシア平原、アラビア半島まで勢力を伸ばした。
この時代高麗王朝と呼ばれた朝鮮もまたモンゴル帝国の勢力圏内に入り、日本遠征に協力させられたことは有名な話である。
こういう時代であるから、モンゴル文化が朝鮮に入り込むのは当然である。そんなことはモンゴルの勢力圏におさめられた地域では全て経験していることであろう。
しかし朝鮮の場合面白いのは、逆にモンゴルにも影響を与えていると思われることなのである。

モンゴル時代において、朝鮮はモンゴルに人を輸出していた。それは主に女性と宦官だった。
元代社会では高麗女性の人気が高く、元の上流階級では高麗女性を娶ることが社会的ステータスになっていた。
そのため元王朝は高麗に対して良家の少女たちを元に送るように要求し続けた。これを「貢女(こうじょ)」という。
韓国では「貢女」の歴史を民族の悲劇としてとらえ、まるで奴隷に売られたかのようなイメージで貢女をとらえているようだが、実際にはそんなみじめなものではなかったと思う。

貢女として元に連れて行かれた女性たちの多くは元の上流階級に嫁入りしている。
元王朝といえばマルコ・ポーロがその栄華を絶賛したように、間違いなく当時の世界のセンターだった。
元での生活水準は明らかに高麗よりも高かったはずであり、「貢女」のシステムは、女性やその家族たちにとって社会的ステータスを上げるための一種の「チャンス」にもなりえたのである。
もちろん元のような遠い異国に娘を行かせることは親心としては辛かったであろうし、娘もおそらく遠い異国の地で故郷を想って涙を流したことだろう。そういう意味での悲劇はたしかにあったであろう。
しかし、それでも「貢女」としての立場を逆手にとって出世していったたくましい高麗女性たちはたしかにいた。

その代表格が元朝最後の皇后である奇氏である。
彼女は高麗の武官奇子敖(キ・ジャオ)の末娘で、貢女として元の後宮に入り、そこで皇帝の寵愛を受けた。
元朝最後の皇帝は順帝トゴンテムルという人物であり、奇氏はその人の皇后として皇太子アユルシリダラ(元の滅亡後、北元の初代皇帝となった)を産んだのである。
この奇氏の時代、つまり元朝の最末期には元の宮廷では「高麗趣味」が流行していた。
宮中の女官や宦官は高麗人でかためられ、高麗風ファッションが流行していたのである。
ある意味モンゴル帝国の「韓流」といえようか。
もちろんこの流行の中心にいたのは皇后奇氏なのだが、実は順帝自身も高麗が好きだったのかもしれない。
というのは、順帝自身、1330年7月から翌年の12月までの間、高麗で暮らしていたことがあるからである。その時順帝はまだ11〜12歳程度の少年であった。
彼は元朝廷内部の政治的いざこざのために高麗の大青島に流配されていたのだが、育ち盛りの少年の心に高麗での生活はなつかしい経験として記憶されたのではないだろうか。
彼はその経験に味をしめたのか、晩年には高麗の済州島(チェジュド。いわずと知れた韓国の観光地)で隠遁生活を送ることを望み、自分用の離宮の建設工事まで行なわせていた。

結局その隠遁生活の夢はかなわず元朝は崩壊し、順帝と奇氏と二人の息子アユルシリダラは済州島ではなくモンゴル高原へと逃亡せざるを得なくなったわけなのだが。

このように、元の最末期には高麗趣味が流行していた。元朝の滅亡以降、モンゴルと朝鮮の直接的関係が希薄化していくとはいえ、この時にモンゴルに植え付けられた「高麗風」は、高麗に植え付けられた「モンゴル風」と同様にその文化形成に影響を与えたのではないだろうか?

さて、それにしても気になるのは、何故元朝で高麗女性がもてたかということだ。
元朝は世界中から人がやって来る所であったから、その気になればヨーロッパの金髪碧眼の美女だって、西アジアのエキゾチックな美女だっていただろうにと思う。それなのにモンゴル貴族たちはどうしてあえて高麗女性を選んだのだろう?

ここから先は単なる私の想像でしかないが、世界中の人間を見ているモンゴル貴族たちが一番好んだのはやっぱり自分たちと近い顔立ちの女性だったのではないだろうか?
高麗人はモンゴル人と顔がよく似ており、それでいてモンゴル人より綺麗だったから人気があったのだろうと思う。
宋代の中国人徐競が書いた『高麗図経』という本には、「高麗人はよく沐浴して清潔にしているため、中国人を見ると垢だらけだと馬鹿にする」と書かれており、高麗人が中国人より清潔にしていたことがわかる。
これはもちろんどこにでも湧水や小川があるという朝鮮半島の水資源の豊富さのおかげなのだが、水にとぼしくてろくに身体を洗うことができなかったモンゴル人たちにとって、高麗人は清潔で美しく見えたのではないか。
また、夫婦となり愛を育んでいくためには言葉が必要である。
外国人と結婚する際には言葉の壁が小さい方が望ましい。
その点モンゴル語と朝鮮語は文法が似通っており、習得するのは比較的簡単である。
きっと高麗女性は他国の女性よりうまくモンゴル語を習得できたために、いっそう人気が高かったのだろう。


今朝yahooジャパンの記事を見ていたら、台湾の馬英九総統が「尖閣はわが国の領土」と主張したという。
参考URL:http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110722-OYT1T00130.htm

台湾が尖閣諸島を自国の領土と主張しているなんて話は中学生の時から知っていたので、私は別に驚きもしなかった。単に台湾の総統として政府の公式見解を述べたまでだろう。

しかし、結構多くの日本人がこの発言にショックを受けていたみたいだ。
ネット上の意見を見てみると、「台湾は親日国だと思っていたのにどうしてこんな反日的な発言をするのか」というような書き込みがあった。

こんな発言ができるなんてよっぽどおめでたい人たちだと思う。
どうして台湾は親日国だから、「尖閣は台湾の領土」と言わないと思ったのだろうか?

私がこのような日本人の意見についておかしいと思う点は、二つある。

一つ目は、台湾の国民がいくら日本統治時代をなつかしがり、日本文化に共感とあこがれを抱いていたとしても、そのことと領土問題とは全く別物だということである。「それはそれ、これはこれ」という発想である。
台湾は親日国だから日本にとって都合の悪いことは言わないはず、なんていうのは日本人の勝手な願望でしかない。

二つ目は、ある国を「親日」だとか「反日」だとかレッテルを貼ること自体がナンセンスだということである。
一つの国の国民がすべて同じ考えを持っているなんてことはあり得ない。日本人に色々な考えの人がいるように、台湾にだって色々な考えの人がいる。
元台湾総統李登輝は以前に「尖閣は日本の領土」と主張して日本人を喜ばせたというが、それは李登輝がそういう考えの人だったというだけである。全ての台湾人の意見を代弁していたわけではない。

さらにいえば、一人の人間にしたって、100%親日的(反日的)な人間などいない。
ある程度日本のことを知っている人なら、「日本の〜なところは好きだけど、××なところは良くないと思うな」となるのが当然である。
それを、「〜なところは好きだ」のみを取り上げて「親日」だとか「××なところは良くない」のみを取り上げて「反日」だなんて言ってみたところで、むしろ現実認識を曇らせるだけで、何の役にも立たない。

台湾の「親日問題」をめぐる日本人の発言を見ていていつも気持ち悪いと思うのは、日本人があくまでも日本人の利益のために台湾人の「親日」を褒め称えている点である。
そういう言論の中に登場する台湾人は、日本の支配をなつかしがる親日的国民であり、外省人と中華人民共和国に圧迫されているあわれむべき人々であり、日本が独立を応援してあげなければならない存在として描かれていることが多い。

私は以前からずっと、日本人のもつそういうステレオタイプ的な台湾イメージに違和感を感じてきた。
その違和感の原因は、このような台湾イメージを通して、日本の脆弱な自我が透けて見えるためだと思う。
よく知られているとおり、日本は近代化の過程で台湾・朝鮮を併合し、中国への侵略戦争をおこなった。
その結果、韓国・中国に今に至るまでその責任についての謝罪を求められている。
しかし日本は韓国と中国の謝罪要求に対して真摯な対応を行なっていない。
それは、自分たちの過ちを認めると、近代日本の歩みそのものを否定しなければならなくなり(実際にはそう思い込んでいるだけなのだが)、日本の脆弱な自我が崩壊しかねないからである。

実際には他国に対して過ちを犯していない国など存在しない。どこの国も多かれ少なかれ他国に迷惑をかけながら生きている。
しかし日本は、「他人様に迷惑をかけることは最大の罪」という文化のためか、それとも他国との交渉が圧倒的に少ない島国的歴史経緯のためか、他国に迷惑をかけたという事実の重さに恐怖し、過剰に反応することが多い。
自分たちの過ちを認めようとせず「いいこともしてやったじゃないか」とか「他の国だって似たようなことをやったのに何故ウチだけが謝らなければいけないんだ」といって謝罪を回避する日本政府のかたくなな態度は、一部の「進歩的知識人」が日本の侵略行為を過剰に告発する態度と、基本的には同じ過剰反応の表と裏に過ぎない。

日本人は過去の過ちに対する怯えから、謝罪を回避しようとあれこれ画策するものの、韓国・中国は日本のそんな態度を許してはくれない。
そんな状況下で「日本人はいいこともしてくれた」と日本をほめてくれる台湾は、日本人の傷ついた自我を癒してくれる唯一の存在なのだろう。

日本の「親台派」を自称する人士の中には、台湾を日本の属国程度にしか考えていない人がかなりいる。
そういう人はあくまでも「日本の利益のために」台湾の独立を応援する。
だから台湾の政治家が中国との関係を重視し始めると、その政治家を批判する(馬英九総統もそのためによく批判されている)。
このような日本人は真に台湾を愛しているのではない。自分たちの思い通りに動く「親日国」を愛しているだけであり、それは台湾を対等の独立国と見なしていない態度である。
だから私は台湾独立を訴える日本人の「親台派」に違和感を覚えるのだ。

台湾が独立するか否かはあくまでも台湾人自らが選択すべき問題である。
日本人が日本の利益のために台湾の独立を主張するのはただのエゴイズムでしかない。

台湾人は日本人のために生きているわけではない。
彼らにとって大事なのは日本がどうなるかではなくて、自分たちがいかに生きていくかである。
自分たちが生き延びるためには日本に接近もするし、状況に応じては中国(大陸)との関係の方を重視したりもする。そして、領土問題に関しては自分たちの立場をはっきり伝えることもする。

そんなのは当たり前のことなのだ。
どこの国もやっていることであり、台湾だって同じことをやっているだけなのだ。
なのに何故台湾が「尖閣諸島はわが国の領土である」と主張しただけで、「台湾は親日国だと思っていたのに」とまるで裏切られたかのようなことを言うのだろうか。
台湾は日本の属国じゃない。(国際的に国家として承認されてはいないが)実質的に独立国なのだから、たとえ日本の国益に反したとしても、自分たちの都合で動いて何が悪いのか。


「親日国」とか「反日国」なんていうレッテルを貼るのは、国際関係を見るうえで、百害あって一利無しである。
100%親日な国や100%反日な国なんてものは存在しない。
全ての国は、(自国の利益のために)協力できる部分では協力し、対立すべき部分では対立する。それは時と状況に応じた打算的な行為であり、ギブアンドテイクで動く「大人の付き合い」である。
「あの国は反日国だから、付き合うべきではない」、「あの国は親日国だから協力してくれるはずだ」なんていう極端な意見(実際によくあるから困るのだが)は、「○○ちゃんは私のこと馬鹿にするから一緒に遊ばない」、「××ちゃんは友達だから私と遊んでくれるはず」なんて言っている小学生の仲よしグループとほとんど変わらない。

日本のやることを全て肯定してくれる100%の「親日国」なんて存在するはずはないし、日本を批判する国を全て「反日国」とレッテル貼りして敵視していたら、まともな外交関係なんか結べるはずはない。
それがわからないから、日本はいつまでも「外交音痴」と言われ続けているのではないか。


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