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店主の西貢が日々考えたことや体験したことをつづるブログです!

われ思う。ゆえにわれ書けり

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今朝、YAHOOジャパンのニュースを見て驚いた。
「まだ寒いけどクールビズ」って何ですか?

クールビズって、寒さに耐えられる元気な体を作るためにやるものでしたか?
まさか。

夏場にクーラーを使わないようにするため、涼しい格好をするというものでしたよね?
本来の目的は省エネでしたよね。

どうして寒いときに寒い格好をするという「我慢大会」になっちゃったんですか?

天候にあわせた服を着ることで、節電をしようという本来の目的はどこに行ったんですか?

もしこれで風邪でも引いて病院に行くことになったら、全然省エネじゃありませんよね。

我慢しないで気楽な格好をすることで省エネしようという運動だったはずなのに、どうしてこんなに不経済な我慢比べみたいなことになってしまったのでしょう?

本来の目的を思い出してくださいよ、本当に。

イメージ 1

イメージ 2

一枚目はフラゴナールの「ぶらんこ」(1767年頃)。ぶらんこで遊ぶ女性と、その下でスカートの中をのぞき見る男性。
二枚目は申潤福(シン・ユンボク)の「端午風情」(1805年頃)。ぶらんこに乗ったり、髪を整えたり、水浴びをしてくつろいでいる女性たちを蔭にかくれてのぞき見ている男性たち。儒教意識が強かったといわれる朝鮮時代にも、意外にこういう絵はあるものです。
ほぼ同時期に西洋と東洋で、ぶらんこにまつわるエロティックな絵が描かれているのは面白い偶然です。
ぶらんこには性欲を刺激する要素があるのかしらん。


福島原発事故以来、原発ネタ以外書けないくらいに情緒不安定になっていたのですが、最近少しもち直したので、ちょっと違う話を書きます。

今回のテーマは「性欲は何故隠されるか?」ということです。
人間の三大欲求としてよく、食欲、性欲、睡眠欲が挙げられますが、この中で性欲だけは「公然と言うことがはばかられるもの」、「子供に見せたくないもの」、「なんとなく恥ずかしいもの」という風に考えられています。
おそらくこれはほぼ世界共通だと思うのですが、何故人間は性欲を隠したがるのでしょうか?

性欲は、食欲や睡眠欲などと同じように、人間にもとから備わっているものであり、必要なものであるはずです。それなのに、何故「いけないこと」のように考えられるのでしょうか?

そもそも食欲&睡眠欲と性欲は機能的に異なります。食欲と睡眠欲は「個体の生存に必要な欲」であるのに対し、性欲は「種の保存に必要な欲」です。ぶっちゃけた話、食欲と睡眠欲は満たさないと生きていけないものなのに対し、性欲は満たさなくても生きてはいけるのです(子孫が生まれないだけで)。だからこそ、性欲は隠したり禁止したりできるわけです。

でもこれは、性欲を禁止しても大丈夫な説明にしかなりません。性欲が「隠される」理由としてははなはだ不十分でしょう。
たまに、「性欲はなんとなく恥ずかしいものだから隠すようになった」なんて説明する人もいますけど、これは答えになっていません。「何故人間は性欲を恥ずかしがるようになったのか?」がわからない限り、意味のある答えにはならないのです。

他の動物は性欲を隠したり禁止したりはしません。こんなことをするのは人間だけです。
だから、人間だけが持っている文化的特徴から、「性欲」=「恥ずかしいもの」という図式が成立するようになった理由を探さなければならないでしょう。

これは私の個人的な考えなのですが、性欲がタブー視されたそもそもの理由は、性欲が結婚制度を破壊するからなのではないかと思うのです。
強すぎる性欲の持ち主は、配偶者とのセックスだけでは飽き足らず、不特定多数の異性と性関係を持ちたがります。その結果、不倫などが横行し、配偶者以外との子供が沢山生まれる事態になると、結婚生活は破綻し、子供をきちんと育てられなくなります。
これが一人の人間の行動だけならいいのですが、不倫が横行する社会的風潮が生まれたら、家庭の崩壊が相次ぎ、社会は壊れていきます。
もし性欲を煽るようなことをすればそのような社会的危機が起こることを恐れ、人間は性欲を煽るようなものを隠すようになったのではないでしょうか?

ところで、何故人間は「結婚」というものを重視するのでしょうか?
人間以外にもつがいを作る動物はいますけど、結婚という名の一種の契約を社会的・文化的に重視している生物は他にいないと思います。
結婚というのは、ぶっちゃけて言ってしまえば、「自分は配偶者以外と性的関係を持たないぞ」ということを社会に対して誓うようなものであり、その約束を破ると社会的制裁を受けます。
動物のつがいと違うところは、社会によって約束の履行を迫られている点だと思います。
何故人間社会がここまで「結婚」というものを重視するか?というと、人間の子育てにその原因があると思うんです。
人間は、すべての生物のうち、大人になるまでに最も時間のかかる生物です。それは、人間社会がその他の生物の社会(そんなものがあるのかどうか知らんが)に比べてはるかに複雑で、その社会の正式な一員になるまでに習得しなければならないものがあまりにも多いからです。
そのために、人間の親は子供を育てるために、他の生物の親よりはるかに大きいコストを払わなければなりません。
それだけのコストを母親だけが払わなければならないのなら、きちんと子育てできない可能性があります。
そこで人間は、父親の方にも子供を育てる責任がある、として、結婚という制度を作り、父親が子育てを放棄して逃げ出さないように監視し始めたのではないかと思います。

しかし、父親の方にしてみれば、「その子は本当に俺の子か?別の男の子供じゃないのか?」という疑問が残ります。他の男との間に生まれた子供なら、自分が子育ての責任を負うのは真っ平ごめんだということです。
だから、人間社会では、「結婚するまで女性は処女であるほうが良い」という考えが生まれ、処女をやたらにありがたがる傾向が生まれたのでしょう。
結婚するまで処女であったということが、生まれてくる子が間違いなく夫の子であるという証明になるからです。
男性よりも女性の方が、(昔は)性的な情報から遠ざけられたのはそのためでしょう。
男性に子供の養育の責任を果たさせるためには、「私は浮気なんかしていません」ということを行動で示す必要があり、そのために「一婦二夫に見えず」のような貞淑観念が生まれたりしたのでしょう。

だんだん何を書いているのかわからなくなってきましたが、今まで述べたことを整理すると次のとおりです。

(1)人間社会は複雑なため、人間の子供は大人になるために膨大な時間がかかる。そのために、人間は母親だけで子供を育てるのはしんどい。父親にも子育ての責任を負ってもらわないといけない。

(2)父親にも子育ての責任を負わせるために結婚制度が作られた。男性は自分の子供以外を育てたがらないため、女性は結婚まで処女であることが求められたり、貞淑観念を教え込まれたりした。

(3)結婚生活を維持し、子供を安定的に育てていくためには、夫婦が配偶者以外の異性と性的関係を持たないようにさせる必要がある。そのために、子供の頃から性的な情報からは遠ざけさせ、性欲を無駄に肥大化させないようにしていた。

(4)性的なものが隠され、禁止されたりしたのは、性欲は結婚制度を壊しかねない危険なものだから。しかし、隠されれば隠されるほど、希少価値が高まり、性的なものが実際以上に高く評価されるという副作用も生まれた。(最後のところは付け足し)


今週に入ってから、スーちゃん関連のニュースばかりで、原発ニュースがずいぶん少なくなりました。
これはただ作業が進展していないからであって、解決したわけでは全くないんですけどね。
世間の人々がいい加減原発ネタに飽きたせいもあるのでしょうけど。

以前に池田某という経済学者が(名前は失念)、自身のブログで「原発より自動車の方が危険だ」と主張されていました。
それがあまりにも一般人の安全感覚とずれていたので、専門家というのは他人の痛みのわからない人々なのだなあと思いました。

何でもその人が言うには、「自動車では毎年5000人もの人間が死んでいるのに、原発で死んだ人はまだいない。だから原発の方が安全である」だそうで、「自動車のリスクは容認できるのに、それより安全な原発のリスクを容認できないのはおかしい」だそうです。(うろ覚えなので、多少間違っていても勘弁してね)

読んだ後、「この人は何を言っているのだろう?」と思ってしまいました。こんな人が経済学者として日本のエネルギー問題を語るんですか。
(まあ、私の頭が悪くて、池田先生の真意を理解してないだけかもしれませんけど。というかそうであってほしいですね。)

「安全」の定義を「事故が起こらないこと」と考えるのならば、「事故の起こる確率」が安全を測るための重要な基準になります。日本で現在稼働中の原子炉の数は55程度(正確な数は知らんが・・・)。それに対して日本国内の自動車台数は、何千万台・・・?
「事故の起こる確率」を原発と自動車で比較するなら、
(原発事故の回数)÷(事故を起こしうる原子炉の数)=(原発事故が起こる確率)と、
(自動車事故の回数)÷(事故を起こしうる自動車の数)=(自動車事故が起こる確率)
を比較しなければフェアじゃないんです。

池田さんは、あえて「事故を起こしうる原子炉の数」と「事故を起こしうる自動車の数」という、数百万倍も差のある数字を無視して、単純に「原発事故の回数」と「自動車事故の回数」を比較して、「原発は自動車より安全だ」と述べているのです。
この方は小学生のときに割り算を習わなかったのかと疑問になりますね。

さらに、この池田氏は、(よしておけばいいのに)「原発はたばこより安全だ」と主張するために、「今の東京では被曝より受動喫煙の方が危険だ」などと述べておられます。
本当に何を言っているのかわかりません。

「今の東京で放射線被曝より受動喫煙の方が危険」なのは、原発が東京から200km以上離れているのに対し、喫煙者が東京にたくさんいるからです。
じゃあ反対に、喫煙者が200km以上離れたところにいて、放射能の漏れた原発が東京にたくさんあればどうですか?
それでも池田先生は、「原発よりたばこが危険だ」と言うのでしょうか?

この方には、原発事故のために家も土地も失い、放射能による健康被害におびえながら暮らしている人々の気持ちはわからないようです。
結局この方の意見は、「原発が事故起こしても俺のところは安全だから、事故を気にせず原発推進しようぜ」という都会人のエゴを代弁しているだけのような気がします。

自分の家の近所に原発を抱えていない人の、能天気な言葉ですね。


福島原発事故が起きてからもう一ヶ月以上になるが、まだ事態の収束は見えない。
政府も東京電力も打つ手無しといった感じだ。
今は単に原子炉に水をかけ続けて急激な温度上昇を防ぐしか手段が無いのだろう。

最近は放射性物質の飛散がおさまっているとはいえ、そのかわりに汚染水だけはどんどん増え続けている。この汚染水を一体どうやって処分するつもりなのだろう?
(現在6万トン以上貯まっているようだが、あと一ヵ月後には倍増することが予想される)

とにかく原発様が爆発して人間にとんでもない被害を与えないように、祈りをこめて水をかけるしか今はやることが無い。
もし原発様がお怒りになられたら、またとんでもない事故が再び起こるかもしれないのだ。
はっきり言って、今の状態は原発の機嫌がよくて安定しているだけの話であり、人間が原発をコントロールできているわけではない。
まるで、神の祟りを恐れてひたすら供物をささげる未開時代の人類と何ら変わりが無い。
(実際原子炉の中で何が起こっているのか、誰にもわからないのが実情らしい)

今回の事故で、原発が「クリーン」(笑)でなければ「安全」でもない発電方法だったことを、多くの人が知ったと思う。

しかしそれにもかかわらず、「日本に原発は絶対必要!なぜなら日本は資源に乏しく・・・(以下略)」と唱える人が多くて閉口する。
これだけの災厄を経ても原発信仰から抜け出せないのかと不思議に思う。

私は、強硬な原発廃止論者ではないが、賛成か反対かと問われれば、「反対」と答える人間である。
何故なら、原発はどう考えてもコストに比べてメリットが小さいためである。

今回の事故でどの程度の損失が出るかはまだわからないが、国内における損害のみならず、外国人観光客が来なくなることや日本商品が海外で売れなくなることまで合わせると、その損失額はとてつもなく大きなものになるだろう(おそらく日本の国家収入をはるかに上回ると思う)。

また、事故が起こらなくても原発には大量のコストがかかる。
それは、放射能まみれの「核のゴミ」をどこに捨てるかという問題である。
核のゴミはもちろんそのまま自然に帰してはいけないものなので、放射線が漏れ出さないように厳重に管理しなければならない。その維持・管理費が問題となる。
プルトニウムに至っては半減期が2万4千年と長いため、使用済みプルトニウムに関しては少なくとも2万4千年間管理しなければならないのだろうか。それを考えるとコストはとんでもないことになるだろう。

原発はそれだけ高くつく、「ダーティー」で「危険」な発電方法であるにもかかわらず、「日本は原発依存から抜け出さなければいけない」と言うと、「原発に反対するなら電気使うな!」と反論(とすらいえないのだが)してくる輩がいる。

こういう意見について、一つずつ反論をしてみなければならないだろう。

(1)「原発に反対するなら電気使うな!」説
この説のおかしさは言うまでもないことなのだが、あえてそのおかしさを指摘するなら、原発=電気ではないということだ。私が反対しているのは原発なのであって、電気そのものではないのだ。
電気を作る方法というのは、原子力だけではない。水力でも風力でも、火力でも、太陽光でも電気は作れる。その気になれば自転車を漕いだって電気をつくることはできる。
実際に原子力発電は日本の電力のうち3割程度を占めているにすぎない。
それにもかかわらず、原発のみが発電方法と考えているような意見は明らかにおかしい。

(2)「今原発が無くなったら電力不足で日本は大変なことになるが、それでもいいのか?」説
もちろん今突然日本中の原発を一斉に止めたら日本は大混乱になるだろう。
だけど、私は「原発に反対だ」とは言ったが、「今一斉に止めろ」とは言っていない。
実際には原発にかわる代替発電法を開発し、それを実用化させるに従って、徐々に原発を減らして行くのが現実的だろう。
今のところは、「今後は原発に頼らないようにしよう」という方向にエネルギー政策を決め、代替エネルギーの開発を進めて行くのがよいだろう。

(3)「原発が無くなったら電気代が上がるぞ!」説
たしかに代替発電の開発やら何らでお金がかかるので、電気代は上がるでしょう。
でも実はこれから、「原発事故のせいで」日本中の電気代が馬鹿みたいに高くなるでしょうね。
東京電力一社で今回の事故の賠償はできないので、おそらく他の電力会社も賠償金を負担せざるを得ないでしょう。そしておそらくそれでも賠償しきれない分は、政府が肩代わりして国民の税金から支払われることになるでしょう。
「10兆円くらいになるかもしれない」と今から言われている賠償金を日本国民が電気代or税金の形で支払わなければならないのだから、原発のせいで日本人はとても高い電気を買わされることになるでしょう。

(4)「原発に反対するなら、他のいい発電法を開発してみせろ!」説
他のいい発電法を開発できるなら、やってみたいですが、門外漢の私では不可能です。
でもこのように答えると、「ほら、できないだろ。できないなら無責任に反対するな」というよくわからない反論を受けます。
この人たちの頭の中では、「自分ができないことは反対してはいけない」らしいです。
私はそういう次元で反対しているわけではないというのに・・・。
この説の問題点は、「わからない奴は黙ってろ」式の方法で一般人が意見を述べることを封じ、政府・電気会社・御用学者たちが自分たちに都合のいいように原発を推進して利益を得て、一般人にコストと事故のリスクを押しつけてしまうことです。
たとえ原発にかわる発電方法を思いつかないからとして、「原発は怖いから嫌だ」と文句を言って何が悪いのでしょう?
だって、原発を作るお金はどこから出てるのですか?
結局は私たちが払った電気代や税金の中から出ているじゃないですか?
事故が起こった時にはその健康的・経済的損失を誰がかぶるんですか?
われわれ一般人じゃないですか?
われわれ一般人は電気会社の奴隷ではありません。
電気代を払ってあげている「お客様」なのですから、「危険な発電方法は嫌だ」と意見を述べて何が悪いのでしょう?

日本では電気会社は完全なる独占企業です。
その結果、われわれは危険な原発を、個人の意思とは無関係に、「使わされ」続けてきたのです。
そして今、東電は事故のリスクとコストを国民に押しつけようとしています。
私たちは、ようやく電気の供給システム自体を見直すべき時にきているのでしょう。


福島第一原発事故の影響が続々とニュースで報道されていますね。
東日本大震災(「東北・関東大震災」よりしっくりくる名前だと思う)によって原発に事故が起こったと聞いて以来、ずっとそれに関するニュースを調べていたのですが、ついに東京の水道水からも乳児が飲むには危険なほどの放射線数値が出てしまいました。

遅かれ早かれこういう事態は起こるだろうなと予想していたのですけど、いざ起こってみるとやっぱり心配になりますね。
原発事故による放射能汚染被害がこれだけ出ているにもかかわらず、「人体にただちに影響が出るほどではないから、安全です。皆様も冷静な対応を」といい続けている政府の閣僚、東電の経営者、一部の学者たちには本当にあきれます。

彼等は放射能の危険性に関する重要な部分を意図的に隠していると思うからです(まさか知らないで言っているってことはないでしょうからね)。

まず「人体にただちに影響が出るほど」っていうのはどれくらいのレベルのことを想定して言っているのでしょうかね?
「ただちに影響が出るほど」っていうのはすぐに自覚症状が出るほどの値でしょうか?
一時間あたり1シーベルト(=1000ミリシーベルト=1000000マイクロシーベルト)の放射線を浴びると目まいや吐き気のような自覚症状がすぐに現れるといいますけど、これは浴び続けるとそのまま死に直結する大変危険なレベルですからね?
「人体にただちに影響が出るほど」っていうのは、原子力発電所で働いている職員ですら浴びることのないほどの放射線ではないでしょうか?(事故時を除いて)
だから「人体にただちに影響が出るほどではない」という発言を聞くたびに、「当たり前だっつーの!」と思ってしまいます。
たとえば福島第一原発から200km以上離れた東京で「人体にただちに影響が出るほど」の放射線がまきちらされているとしたら、原発から30km圏内に住む人々はみんな即死してるでしょう。
それだけの放射能がまきちらされることは起こってはならないし、まず起こりえないと思うんです。

問題は、「人体にただちに影響が出るほどではない」=「安全」ではないだろうということです。
放射能汚染の本当の怖さというのは、気付かないうちに「人体にただちに影響が出ないほどではない」放射能によって被曝し続け、時間をかけて身体に異状が出ることではないのでしょうか?

なぜ「人体にただちに影響が出るほど」でなければ、即「安全」といえるのか全くわかりません。

また、「今回計測された値(通常一時間単位の放射線量で表される)は一般人が年間に浴びる放射線量の何分の一以下だから安全です」なんて言われたりもしますけど、その放射能を24時間365日浴び続けたらどうなるのでしょうか?
単純計算したって、24×365=8760倍になるんですけど、これでも「安全」と言えるのでしょうかね。
こんなこと私のような門外漢にだって想像できるんですけど、政府や東電の方々はそんな簡単なことも伝えようとしません。

それとも政府や東電の言う「安全」というのは、世間一般で使われている「安全」に比べるとはるかにハードルが低いものなのかもしれません。
「1年以内に放射線被曝で死なない」=「安全」とか。
「10年後に白血病になる確率が20%高くなりますけど安全です」とか、そんなレベルなのでしょうか。
私のような人間にとってはそれでも十分恐怖なのですけど、彼等から見れば「安全」なのかもしれません。

思うに、政府や東電は「安全だ」と言い続ける事で、現在刻々と進行しつつある事態の深刻さから現実逃避をはかり、加えて国民に「安全だ」と信じ込ませることによって国民からの批判をかわそうとしているのではないでしょうか。
これはただの邪推ですかね、そうであればいいですね。

何にせよ、「安全」という言葉で国民をけむに巻こうとしているかのような政府・東電・報道の姿勢に私は不満を感じるのです。

「冷静な対応」というのは、政府や東電の言う「安全」という言葉をただ信じて、思考停止して何もしないことではないでしょう。
最悪の事態を想定しながらもパニックに陥らず、最悪の事態を避けるためにあらかじめ手を打ちながら行動していくことではないのでしょうか?

原発事故の問題はまだ終わってはいないのです。
むしろ首都圏のような原発から離れた地域の場合、放射能汚染はむしろこれから本格化するのだと思います。
そういう状況でもパニックにならずに、常に最悪の事態を避けて行動していくことが、我々には求められているのではないでしょうか?


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