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俗権と聖権(3)


ちょっとしたつぶやきのつもりで書き始めたのだが、もう三回目になってしまった。いい加減今回で終わらせたいと思う。
前回で日本史の中から西洋的な中世封建制が発見されたと書いた。
しかし西洋の中世封建制と日本の中世封建制は異なるものである。
日本と西洋はそれぞれユーラシア大陸の東端と西端に位置し、19世紀に至るまで本格的な接触は無かった(もちろん長崎貿易を通じて互いの情報がわずかに入り込んでいたとはいえ、極めて限定的なものに過ぎなかった)。
したがってどちらかがどちらかの真似をしたなどということはなく、両者の社会体制に共通点があったとしてもそれは単なる偶然の一致に過ぎない。

天皇はローマ教皇ではないし、武士と騎士は似て非なるものである。
あまり両者を同じ「中世封建制」という言葉で呼ぶと、互いの相違点や独自性を軽視することになりはしないかと心配になる。

とはいえ、現在に至るまで鎌倉・室町時代を中世と呼ぶ明治以来の時代区分は変わっていないし、これからもしばらくは変わりそうにない。
ということは、日本の「中世」を西洋の「中世」になぞらえることに対して、大きな反対意見がなく、大部分の学者がその妥当性を暗黙のうちに認めているということなのだろう。
たしかに西洋の学者でもオットー・ヒンツェやウィットフォーゲル、ライシャワーのように日本と西洋の封建制の共通点を指摘する意見は多く、日本と西洋の類似性は日本学者の思い込みとばかりは言えなそうである。
それでは日本や西洋の学者が指摘する日本と西洋の共通点の核心とは何だっただろうか?

私の考えでは、これまで述べてきた「俗権と聖権の分離」、そしてそれによって生じる様々な権力の分立傾向こそ、日本と西洋に偶然現われた共通点の核心だったと思う。
何故権力の分立傾向が西洋と日本でそれぞれ偶然に生まれたのかを説明するのは容易ではない。という以上に今の私にはそれを説明できるだけの準備が無い。

ただ、アジアの帝国において俗権と聖権を一身に兼ね備えた絶対的王権が誕生しえた理由について、ウィットフォーゲルは大規模治水工事の必要性から説明している。
たとえばエジプトならナイル川の治水工事、中国ならば黄河の治水工事が文明の発達には必要で、そのような大規模治水工事を成し遂げるためには多くの人間を動員できる巨大な権力の存在が必要とされた。
それゆえに古代エジプトや中国で巨大な専制王権が生まれ、存続し得たのだという。

しかしウィットフォーゲルの大規模治水工事説では、大きな河川の無い地域、たとえば朝鮮半島などでも俗権と聖権を一身に兼ね備えた王権が誕生し得た理由を説明できない。
朝鮮半島についてはもう少し別の説明が必要になると思う。

そして朝鮮半島と日本の比較が、何故日本で西洋に類似した権力の分立が生まれえたかを考えるヒントを与えてくれるだろう。

朝鮮半島と日本列島はともに海に面して山が多いという共通点があるものの、片方は大陸と陸続きであり、片方は海によって隔てられているという明確な相違点がある。
朝鮮半島は大陸と陸続きであるため、もし大陸の勢力が朝鮮半島に侵略しようとした場合、その攻撃をダイレクトに受けざるを得ない。それに対して日本は海という天然の外堀があるため、大陸勢力の攻撃をダイレクトに受けることは少ない。
例えば高麗王朝が元の侵略に三十年近く悩まされ続けて結局降伏したのに比べると、日本はわずか二回しか侵略を受けず、しかも二度とも暴風雨という自然災害によって守られている。
もし日本が陸続きであったなら元軍の波状攻撃に何十年も苦しめられ、日本の村や町は空前絶後の荒廃を経験することになったかもしれない。
そういえば太平洋戦争の時も日本はろくに地上戦を体験していない。首都ベルリンまで連合国の陸軍によって踏みにじられた友邦ナチス・ドイツのような悲惨な経験を日本は味わっていない。

昔の軍歌「愛国行進曲」の中で「金甌無欠ゆるぎなき 我が日本の誇りなれ」と言う一節がある。
「金甌無欠(きんおうむけつ)」というのは「国家が外国の侵略を受けたことがなく、傷一つ無く完璧であること」を意味する言葉だが、これは何よりも海という自然条件に守られてきたからこそ可能なことであった。

このように海という天然の外堀によって守られている日本においては、外敵の侵略というのがそんなに現実的な脅威として認識されにくい。
また、「国境をきちんと守っていないと外国人が次々と入って来てわが国は外国人だらけになってしまう」という現代アメリカのような悩みとも日本は無縁である。
せいぜい北朝鮮の不審船を取り締まっていさえすれば、日本の国境の取り締まりは足りるのである。(最近は中国漁船の登場などで南西諸島が少しきな臭くなってはいるが)
また日本人が勝手に国境を越えて亡命してしまうということもまず考えにくい。そのため東ドイツや北朝鮮のように国境に兵士を多数置いて自国人を見はらなくてもよい。

日本はこのように外国からの侵略を直接受けず、また人間の出入りが極めて少ない国であるため、政治権力の力によってきっちり締めあげなくても日本民族による社会はまず壊れない。
中世の時代に天皇権力と将軍権力が分立し、一つの政治権力が日本全体を支配する体制が無くなっても、日本社会はゆるやかな統合性を維持し続けた。
日本の国土が将軍家領、寺社領、藩領などのようにそれぞれの政治権力によって分割されても日本社会の一体性は崩れなかった。
幕末の時代には幕府を倒そうとする新政府軍と幕府を守ろうとする奥羽同盟との間で激しい戦いが繰り広げられたが、戊辰戦争が終われば日本はまた一体性を取り戻した。中国のように国共内戦が中国と台湾という二つの国を生むようなことはなかった。
どんなに権力が分裂しようが日本社会は壊れないという安心感こそが、日本で権力分立が進んだ原因であったと思う。

それに対して朝鮮半島はどうか?
朝鮮半島の最初の統一は新羅による統一だが(676年)、これは唐の勢力を追い払うことによって達成された。
新羅と結んで百済、高句麗を滅ぼした唐は、百済故地に熊津都督府を、高句麗故地に安東都護府を置いて朝鮮半島の直轄支配を目指した。
新羅はこのような唐の野望を打ち砕くため、高句麗遺民や百済遺民と手を結んで唐に対する硬軟織り交ぜた抵抗を試みた。
その結果唐は676年に朝鮮半島から手を引き、新羅による半島統一が成し遂げられたのだが、朝鮮における統一・分裂は常に他国からの侵略・独立の問題と直結している。
朝鮮半島で百済・新羅・高句麗の三国分立が可能だったのは同時代の中国が五胡十六国、南北朝の分裂時代で朝鮮半島への圧力が相対的に少なかったからである。
中国で統一王朝が成立してしまうと初めは隋、次に唐による侵略が行なわれた。
こうなるともう半島内で分裂している場合ではない。政治的に統一して抵抗しなければ朝鮮民族そのものが消えてしまいかねない。
新羅時代末期に高麗や後百済のような国々が独立して後三国の角逐が可能だったのは中国で唐が滅亡して五代十国の分裂時代だったためである。
超大国中国に近接している朝鮮のような国にとっては、中国が分裂してくれている時代の方がその圧力を受けずに自由にやれるのである。

新羅の滅亡と高麗の統一は、朝鮮史上で見れば古代中央集権国家の崩壊と再生のドラマとして見ることができるのかもしれない。
(日本で平将門が京都の朝廷を滅ぼして関東を都に新国家を作れば、高麗の王建とそっくりな状況が生まれたかもしれない。しかし日本は古代中央集権国家が崩れ行くのを放置し、それを滅ぼさない形で別の権力が並立する道を選んだ。)
その後の朝鮮の歴史は第一回で述べたとおりだが、中央集権国家高麗が制度疲労を起こすと、新たな中央集権国家朝鮮がそれに替わった。
超大国中国や、契丹、女真、モンゴルといった強力な北方民族と近接している朝鮮にとって、政治的統一は朝鮮民族社会を外敵から守るために必要であり、権力の分裂は民族の危機に直結したのであろう。
そのために日本のような権力分立の道を歩まず、高麗時代以降は中央集権制を維持することに全力を尽くしたのだと思う。
朝鮮ではその支配領域内に王権以外の権力が存在することが許されず、それゆえに地方勢力が育たず、地方の特産物の開発が進まなかったのであろう。

韓国の地方でのお土産をめぐる私の議論はあちこちを経めぐってようやくスタート地点に戻ってきた。
まだ書きたい内容は残っているが、キリがいいのでこのテーマはこれで終わりにする。

俗権と聖権(2)


丸山真男著『「文明論之概略」を読む』(岩波新書)という本を今読んでいる。
これは福沢諭吉の「文明論之概略」をダシにして丸山真男が政治学について色々語っている本なのだが、最近私が常々考えていた俗権と聖権の分立の話が出ていて非常に面白い。

福沢諭吉は日本と中国の歴史的発展の相違点として、日本では権力が天皇と将軍に分けられたのに対し、中国は皇帝が全ての権力を独占したと指摘する。
福沢は天皇権力を「至尊」と表現し、将軍権力を「至強」と表現する。
「至尊」というのは物理的な実力は弱いが、世の人々に正しいとされる「正統性」を持つ権力のことであり、私がここで「聖権」と呼ぶものである。
一方「至強」というのは正統性を持たないが、人を屈服させることのできる物理的な力(「暴力」と言い換えてもいいかもしれない)を持った権力のことであり、私がここで「俗権」と呼ぶものである。

日本においてはもともと諸豪族の中で最も力を持っていた王が大王となり、その後天皇となって中央集権制を作り、俗権と聖権を一身に兼ね備えた。
しかしその後天皇権力は弱まり、将軍が暴力装置を握るようになり、天皇(聖権)と将軍(俗権)の並立状態が長く続いた。
しかし中国では皇帝が正統性と暴力装置をともに掌握し、皇帝専制が行なわれた。
この状況を福沢は「至尊の位と至強の力とを一に合して人間の交際を支配し、深く人心の内部を犯して其の方向を定むるものなれば、此の政治の下に居る者は、思想の向ふ所、必ず一方に偏し、胸中に余地を遺さずして、其の心事、常に単一ならざるを得ず(上巻、139頁)」と述べて、聖権(至尊)と俗権(至強)が一体化してしまうと、その社会に多様な物の考え方が生まれにくいということを指摘している。
(中国皇帝=専制的という話をすると、「皇帝が必ずしもすべて自分の意のままにできたわけではない」という反論が必ずやってくると思う。そりゃそうである。皇帝専制システムがあるからといって皇帝が完全にやりたい放題だったわけではない。実際には外戚や宦官の意のままに動かされるロボット皇帝だっていただろうし、また皇帝だからこそ自由が封じられることだって多かったはずである。たとえば皇帝が一人で庶民達の世界に紛れ込んで遊びまわることなど到底できなかったであろう。しかし私の言う皇帝専制とはそんなことではない。皇帝が実際に個人的な欲望をどの程度充足できていたかは問題ではなく、皇帝がその領域内に住む全ての人間を従属させることができたということが重要なのである。たとえば、帝国内に住む官人の権力や民の権利はあくまでも皇帝の許す範囲内でのみ行使可能であり、皇帝がそれをいくらでも制限することが可能なのであれば、皇帝専制とみなしてよいだろう。またそのような措置が皇帝の名のもとに行なわれるのなら、実際の皇帝の意思とはかかわらず、専制的支配が行なわれていたと見なせる)

こういう話をすると、何となく今の中国や北朝鮮における思想・言論の弾圧が思い浮かぶ。
中国共産党や朝鮮労働党は単に自分たちが俗権の支配者であることに飽き足らず、「正しさ」までも独占しようとするため、自分たちの考えに反対する思想や言論を封殺しにかかるのであろう。
ロシア、中国、北朝鮮のようなかつて専制的な権力支配が行なわれていたと見なされる国ほど社会主義革命が起こり、その支配が長期化するのもおそらく偶然ではない。
社会主義の独裁システムと前近代の専制的王権が類似しているからこそ、これらの国々で社会主義一党独裁が受け入れられやすいのであろう。

このような俗権と聖権を兼ね備えた前近代的王権万能主義を、西洋人たちは長い間「東洋的専制」と言う言葉で呼んできた。
「東洋的」というのはつまりヨーロッパ的ではないということであり、ヨーロッパには無いアジア的な専制だと考えられてきたのである。(この場合ロシアは東洋、もしくは東洋と西洋の中間に入るのだろう)
ヨーロッパの場合は、ある意味日本とよく似ているのだが、俗権と聖権の分離が起こった。
俗権は神聖ローマ皇帝とかフランス王とかイングランド王とかいったもので、聖権はローマ教皇を頂点にする教会権力である。
このような教皇権と王権という二大権力の分立を利用して、貴族・騎士たちは王権をある程度牽制しながら独自の荘園経営につとめ、市民たちは都市の自治を実現していった。
このような権力の分立化傾向が、ヨーロッパの各地域や各都市の多様性を生んだと言われている。

ヨーロッパ史の中でこのような権力の分立が起こった時代を「中世」といい、王権と貴族・騎士が土地を媒介にしてギブアンドテイク的主従関係を結んだ支配システムのことをフューダリズム(=封建制)と呼ぶ。

日本の鎌倉・室町時代を「中世」と呼び、また「封建制」と呼ぶこともあるのは、明治以来の日本の学者が日本史の中に西洋的封建制(と彼らが考えているもの)を発見したためである。
彼らは日本史の中に「東洋的専制」とは異なる「西洋的封建制」を見出すことによって、アジア的停滞の道ではなく、ヨーロッパ的近代化の道を日本も歩むことができるだろうという証拠を見つけ出したのである。
ある意味、「歴史的発展の脱亜入欧」と呼べるものが、日本における「中世封建制」の発見であった。

だんだん何を述べているのかわからなくなったけど、次回に続く。

(続く)

俗権と聖権(1)


以前に韓国の地方を旅行していて驚いたことがある。
その時は忠清南道(チュンチョンナムド)の儒城(ユソン)温泉というところに行っていて、ソウルにいる友人たちのために温泉まんじゅう的な何かをお土産に買っていこうと思っていた。
そこで宿の主人に「このあたりでいいお土産はありませんか?」と聞いてみたところ、主人は「知らない。思いつかない」と言う。
韓国でも最も有名な温泉である儒城でまさかお土産が無いはずはないだろうと不審に思い、お菓子とかそういったものでなくても特産物くらいあるでしょうとさらに質問してみた。
そうしたら宿の主人は、「このあたりの特産品はソウルに行けば買えるはずだから、ソウルで買いなさい」と言う。
冗談じゃない。どうしてソウルにいる友人のお土産をソウルで買うのだ。これでは本末顚倒ではないか。

という経験をして、どうして韓国では地方のお土産が少ないのかと考えた。
もちろん近年の観光旅行の発達や地方自治の導入などで、地方らしさの掘り起こし作業が進められており、地元の特産品やイベント作りは盛んに行なわれている。
それにもかかわらず、韓国では日本に比べて地方色あふれるお土産がまだまだ少ないと思う。(多けりゃいいのか?と思われる方もいるとは思うが、旅行者としてみれば多い方がうれしい)

この違いはどこにあるのか?
私は、この違いが近代以前における日本の権力分立化の傾向と韓国の権力集中化の傾向に根ざすものと考えている。
日本では平安朝の後期頃から京都の朝廷による地方支配が破綻をきたし、地方に独自の勢力が生まれる傾向を示し始めた。それは源頼朝の鎌倉幕府創設によってさらに加速し、公家の朝廷と武家の幕府という二つの権力が並立する状況が1868年まで続いた。
そのような権力の並立状況は、必然的に様々な権力が分立する傾向を生んだ。たとえば天皇・朝廷が存続し続けているかぎり、将軍・幕府権力の下にいる武士たちは100%将軍権力に従属することなく、時には天皇・朝廷権力を利用して将軍・幕府権力を牽制し、自己の勢力を温存することが可能である。
そのような二大権力の並立状況を利用することで、日本では各地方に自生的な権力が成長し、結局は幕藩体制といわれる諸侯国分立の状況が生まれた。
それぞれの藩は自力で領国の経営につとめなければならないため、産業の育成が必須であり、その結果として地方ごとの特産品が生まれた。加賀の輪島塗や佐賀の有田焼など現在でも有名な地方の特産品は各藩による特産品作りの努力の賜物である。
このような歴史的経緯が、強い一体性を持ちながらも同時に地方色豊かな日本社会を生んだのだと思う。
私は、日本社会の基本的性格は、一体性のもとでの絶妙な多様性であると思う。日の丸の赤地は、単に同じ色の塗りつぶしではなく、実は微妙なグラデーションを成しているのである。

一方で韓国はどうかといえば、後三国の分裂時代を経て936年に高麗の王建が朝鮮半島を統一して以後、1945年の南北分断に至るまで、基本的に朝鮮内の権力は一極集中の中央集権型であった。
王建が朝鮮半島の統一をなしとげた936年という年は、日本でいえば平将門と藤原純友による承平・天慶の乱の真っ最中にあたる。
韓国はこの時期以降権力の集中化の動きが強まるのに対し、日本では逆に権力の分立化が加速していく。日本と韓国の歴史的発展の決定的な分水嶺は、この930年代頃にあったといえるのかもしれない。
高麗王朝はその成立初期においては各地域の豪族たちによる連合体的な性格をもっており、国王である王建自身ももとは地方豪族の一人に過ぎなかった。そういう意味で戦国大名の連合体的性格を持っていた江戸幕府と似た性格を持っていたといえるのかもしれない。
しかし高麗王朝は江戸幕府のように各勢力の地方支配をそのまま認めるのではなく、中央から地方官を派遣して支配するという中央集権体制の確立につとめた。
もともと朝鮮半島はそんなに広くはない。中央から官吏を派遣して地方を監視させれば、地方勢力の勝手な動きを取り締まることはそう難しくない。
朝鮮は中国ほど広くはないため、中国と同様の中央集権制を施行すれば、中国より容易に地方を取り締まることができる。
中国王朝が何度も地方反乱によって滅ぼされているのに対し、朝鮮の王朝が地方反乱で滅びなかったのは、その支配領域の狭さに比べて地方支配が密に行なわれていたためではなかったか。
いずれにせよ、朝鮮は中央集権的支配を続けた。
その傾向は高麗から朝鮮への王朝交替後により一層強まった。
高麗時代以来の地方豪族は地方官に使役される小役人(吏)に転落し、とても地方の独自勢力と呼べるものではなくなった。
唯一地方に土着して勢力を張ったのは都から地方へと下って来た官僚層の子孫たちであり、彼らは田舎(郷)の貴族階層(両班)ということで「郷班」と呼ばれた。
しかし彼らもその権力の根拠は「かつて官僚として王朝に仕えたことがある」ということであり、王朝体制と別個の独自勢力を形成するには至らなかった。
また彼ら自身も機会があれば中央の国政に参画したいと願ったため、その目は常に中央に向き、地方独自の価値を作り上げるという努力はなされなかった。
そのような傾向は近代化以降も続き、「人はソウルに、馬は済州島に」という言葉のごとく、ソウルへの人口・機能集中が進んだのである。
地方のお土産が(日本に比べて)少ないという傾向も、このような歴史的経緯の中で理解されるべき事柄であろう。

俗権と聖権の話をしようと思ってこの文章を書き始めたのだが、長くなりすぎた。
なので、続きはまた別の記事として書こうと思う。
(続く)

イメージ 1

(図)手塚治虫著「アドルフに告ぐ」のワンカット。ナチスの将校となったカウフマンを嫌うカミルの母親。カウフマンは何とかして弁解を試みるが、子供まで収容所に送り込んだ彼の言葉は、説得力ゼロである。


2011年大みそかの紅白歌合戦に少女時代、KARA、東方神起など韓国からたくさんのグループが出場して話題になった。
実はこの紅白歌合戦の裏で、韓流紅白をぶちこわせという嫌韓デモがNHKホールのすぐそばで起こっていたらしい。

デモに参加したある男性によれば、アメリカ人のレディーガガが紅白に出場するのは「親日」だから問題なく、「反日」の韓国人が紅白に出場するのは許せないのだという。

レディーガガの親日というのが何なのかよくわからないのだが、この人にとっては韓国人=反日というのはほとんど既定の事実らしい。
日本人がそれぞれ違うように、韓国人にだって色々な人がいるというのに、この人の頭の中では「韓国人=反日=敵」なのであろう。
日本社会に巣くう排外主義による洗脳の結果を見たような気がする。

このように身近に住む外国人・他民族を敵とみなして排撃しようとする動きを見るにつけ、ナチス時代のユダヤ人差別は決して他人事ではないな、と思う。
あの時代のドイツも不景気の中で排外主義が燃え上がり、その矛先が一番身近な他民族であるユダヤ人に向かった。
日本ではこの排外主義の矛先が、一番身近な他民族である朝鮮民族に向かっている。
いずれナチスのような極端な排外主義を鼓吹する勢力が日本でも多数派を占めるようになるのではと不安になる。
われわれは歴史の過ちを二度と繰り返してはならない。
そのためには過去の歴史から学ばなければならないだろう。
ナチス時代のドイツの歴史から、今学ぶべきことが多いと思う。

ナチス時代のユダヤ人迫害を思う時、いつも思い出す漫画がある。
それが手塚治虫の「アドルフに告ぐ」である。
もちろんこれは漫画であり、ナチス時代のドイツの現実を忠実に映し出したものではない。
だが、人間が他者を差別するようになるプロセスを描いた作品であり、参考になる部分が多い。

この漫画の主人公であるアドルフ・カウフマンは、ドイツ人の父と、日本人の母の間に生まれ、少年時代を神戸で過ごした。
カウフマン家の近所にはユダヤ人のアドルフ・カミルが住んでおり、二人は親友同士だった。
カウフマンの父はナチスの幹部であったため、ユダヤ人の子とは遊ぶなと言い聞かせていたものの、カウフマンとカミルの友情は壊れなかった。

アドルフ・カウフマンは、おそらく当時のナチス幹部の子弟の中で、最もユダヤ人に対する差別意識を持たない子供であった。
彼の母親が日本人であり、なおかつ少年時代を過ごしたのが日本であったため、ドイツ人とユダヤ人の対立を見ずに育ったことがその原因である。
彼は父の遺言によってヒトラー・ユーゲントに送られることになった時も、「カミルと別れたくない」とごねて、「ユダヤ教に改宗すればドイツに行かなくてもいいかな」などと考えるほど、ユダヤ人に対する嫌悪感を持っていなかった。

しかし、ドイツに行ってヒトラーユーゲントに入ったことで、彼のユダヤ人観は一変する。

当時のドイツでは白昼堂々とユダヤ人に対する暴行や嫌がらせが横行し、ヒトラーユーゲントではユダヤ人がいかに残忍で汚くて嘘つきであるかを教え込まれた。
このような環境で育つうちに、彼は次第に「ユダヤ人は差別されても当然なんだ」と思い込むようになり、自ら率先してユダヤ人狩りを行なうようになる。

特に彼の反ユダヤ感情を増幅させたのはある二つの事件による。
一つ目は、カウフマンの初恋の人であるエリザの家族を、カウフマン本人が収容所送りにしたこと。カウフマンは本当はやりたくはなかったのだが、上官に監視されている状況で、やむを得ず彼らを捕えて収容所に送り込んだ。
二つ目は、親友アドルフ・カミルの父親をカウフマンが撃ち殺したこと。これも上官の命令でやむにやまれず撃ったものだったとはいえ、親友の父親を殺したという罪悪感は、カウフマンを大いに苦しめることになる。

この二つの事件の結果、カウフマンは親友カミルや初恋の人エリザに対して激しい「やましさ」を抱くことになった。
その結果として反ユダヤ感情が高まるというのは、逆説的であるが、実際にはよくあることだと思う。

カウフマンは自分自身の犯した罪の大きさに恐れおののき、崩壊しそうになる心を守るため、自己正当化を試みた。
その時に彼が頼ったのはヒトラーが唱える反ユダヤ主義であり、彼はそれを信奉することによってユダヤ人に対する「やましさ」を心の奥底に押し込めたのである。

それ以後のカウフマンの行動・言動は、まさにナチスエリートのそれであった。

「ユダヤ人は基本的に犯罪者である。だから彼らを弾圧するのは当然であるし、そうしなければならないのである。」
「ユダヤ人は幼い子供であっても容赦するな。子供だって大きくなれば立派な犯罪者になるのだから。」

こんな狂った論理に従ってカウフマンはユダヤ人弾圧の急先鋒となる。

犯した罪の大きさを直視できないから相手を悪者として迫害することで自己正当化をはかるが、それによってさらに罪は大きくなる。
カウフマンはユダヤ人迫害の悪循環から抜け出せないまま、罪を重ね、反ユダヤ主義への心理的依存を強めていく。

その結果、エリザやカミルの家族からも嫌われ、エリザを強姦し、カミルを拷問にかけるまでに至ってしまうのである。

「ユダヤの豚め!」
かつての親友カミルに対して、カウフマンが最後に投げかけた言葉がこれであった。

差別意識は人間を狂わせ、人間関係を崩壊させる。
そんなことを「アドルフに告ぐ」という漫画は我々に教えてくれている。


山野車輪の『嫌韓流』が流行って以降、ネット上での韓国叩きがやけに増えたような気がする。
ネット上での活動だけならまだ害は少ないのだが、あげくの果てには在特会のように在日の人たちにいやがらせをする輩や、韓流ブーム(私はこの言葉があまり好きではないが)に抗議するデモまで起こったりしている。
思想・表現の自由というのは堕落するとこんなふうになってしまうのかと暗い気持ちにさせられることがしばしばである。

彼らが韓国もしくは朝鮮民族を卑下し、あざけるのは日本人の昔からの朝鮮観とつながるものであり、まだ理解できる(決して容認すべきではないが)。
しかし最近彼らが「自分たちは差別されている」という被害者意識を前面に出して韓国・朝鮮民族叩きをやっているのはまことに不可解である。
たとえば、「韓国ドラマばかりを連日テレビで流すのは日本人差別である」とか「税金をおさめていない在日が生活保護を受けるのは日本人差別である」とかのたぐいである。(ちなみにネット右翼が無知なだけなのだろうが、在日も納税者である)
不思議なのは、差別している当人自身が「自分たちは差別されている」とやたらに言いたがることである。彼らには差別する自分たちの姿が見えていないのだろうか?

ネット右翼は韓国や在日の人々がいかにひどい差別主義者であるかをしきりに説きたがる。
そういう差別主義者たちによって自分たちは迫害されており、日本は韓国と断交して在日を追い出さなければならないと彼らは言う。
自分自身の差別的言動・行動をたなにあげて何を言っているのかと不思議に思っていたが、最近このからくりがようやくわかってきた。
彼らが叩いている差別主義者の韓国・在日の姿は、実は鏡に映った自分の姿なのである。

ネット右翼の多くは、インターネットで得た韓国や在日に関する偏った知識のみをもって敵の姿を作り上げる。
彼らがソースとしてとり上げるのは常にニュースやどこかのサイトから得てきたネット上の知識であり、リアル(ネットではないという意味)の体験にもとづいているものはほとんどない(今のところまだ見たことがない)。

(きっと彼らは韓国で見ず知らずのおじさんに切符を買ってもらったり、お酒をおごってもらったりした経験の無いまま(どちらも私の実体験)、ネット上の極端な話だけを信じて韓国を敵視しているのだろう。人生損しているねと思う。)

どうしてろくに韓国人と付き合ったこともない人たちが韓国人のことをそんなによくわかるのか?
当然わかるはずがないのである。日本のニュースや日本語に翻訳されたニュースのみを見て韓国人を理解できるはずがない。
彼らがわかったと思っている韓国人・在日の姿は、実は自分たちがよく知っている自分自身の姿の投影に過ぎない。
だからネット右翼は発言すればするほど自ら墓穴を掘ることになる。敵だと思って叩いているのは実は自分自身の姿だからだ。

こんなふうにネット右翼に対して批判的なことを言うと、彼らから必ずこんな批判が返って来る。
「韓国にもネット右翼みたいなのがいるのに、そちらを批判せず、日本のネット右翼だけを批判するのは不当な日本差別である」と。
もちろん韓国にもネット右翼のような輩がいるし、私自身もそれについては問題だと思っている。
しかし、韓国のネット右翼に対して日本人である私自身が何か言ったとしても全く説得力を持たないし、すべきことでもないと思う。
ネット右翼を生み出す排外主義はその国の抱える病であり、治療することができるのはその国の人間しかいないからだ。
だから私は日本のネット右翼に対しては批判する。韓国のネット右翼についての批判は韓国人自身がすべきことだろう。外国人である私がとやかく言うべきものではない。

ネット右翼たちのネット上での愚かしい言動は目も当てられない。
これが多くの外国人の目に留まることで日本の評価が下がってしまうのを私はひそかに恐れている。


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