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店主の西貢が日々考えたことや体験したことをつづるブログです!

われ思う。ゆえにわれ書けり

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今日は韓国関東巡礼日記をお休みして、映画の感想について述べたいと思います。

本日私は、今更ながら「千と千尋の神隠し」という映画を見ました。

もちろんそれなりに昔の映画なので、劇場で見られるはずもなく、パソコンのデスクトップを通して見ました。

私は今まで「宮崎作品はもののけ姫で終わったはずだから、それ以後の作品は見ない」と公言していたのですが、友人のロシア人が「いい映画だから一緒に見ようよ」と強く誘ってきたので、なりゆきで一緒に見ることになりました。

私とそのロシア人と、もう一人アルメニア人学生を加えて、三人で一緒に見ました。
英語吹き替えに韓国語字幕という豪華(?)な言語状況で見たのですが、なかなか楽しめました。

そのロシア人は「もうすでに5回見た」という猛者でして、アルメニア人学生も「3回見た」そうで、初めて見るのは私だけでした。
(日本人としてそれはどうなのか?と自問自答したい気分です)

とにかく、久々に宮崎作品を見ることになりましたが、やっぱり背景の美しさはジブリ作品ならではのハイクオリティーでした。
特に自然描写の美しさは他の追随を許さないレベルだと思います。

また、建物にこびり付いたしみや、木枠の傷のような細かな部分まできちんと描きこまれているところには、作画スタッフのこだわりを感じます。

間違いなく世界最高レベルのアニメーション作品でしょう。

そして、映画を見て、いくつか思うことがあったので、それについて少し感想を語りたいと思います。

このアニメの主要テーマは「現代日本における子供の成長」だと私は思います。

この物語の中には二組の家族が登場します。
千尋の家族と、湯婆婆&坊の家族です。

千尋は両親と離れ、一人油屋という湯屋で働き、その中で様々な経験を積み、いつの間にか仲間を増やし、両親を助けることができるほどに立派に成長していきます。
その一方で湯婆婆によって過保護に育てられた坊は、身体は千尋より大きく成長しているにもかかわらず、外の世界を恐れ、一歩も外に出ようとしません。
この坊の姿は、言うまでもなく、大人になっても一人立ちできない引きこもり的な人間の暗喩です。
宮崎監督は、湯婆婆と坊の家族を描くことによって、母親の過保護によって引きこもりの息子(坊は息子で間違いないですよね?)が作られていく姿を描いたものと考えられます。

以前にどっかで読んだ話なので、出典を覚えていないのですが、「油屋」は性風俗産業の暗喩だという説があり、私もその通りだと思っています。

もしこの説のとおりならば、「千と千尋の神隠し」は、性風俗店での勤務経験を通じて、少女が大人の世界を垣間見ながら成長していく物語ということになります。

それと対照的に描かれている人物は坊です。
坊は少年なので、性風俗店で働くような機会はありません。
それどころか父親不在の家庭の中で(「父親不在」は日本におけるごく一般的な家庭風景ですが)、母親の過剰な愛情を一身に受けることで、坊はいくら年齢をかさねても「母親にとってのかわいい坊や」以上に成長することができません。

引きこもりの原因としてよく指摘されている、「父親不在の家庭において母親が息子に過度の愛情をそそぐことによって、息子の成長が阻害される」という問題がここでは描かれているわけです。

千尋が両親と別れずにそのまま家にいたならどうなっていたかはわかりませんが(千尋も両親によってその成長が阻害されていた可能性はあります)、幸か不幸か彼女は性風俗店での勤務を通じて大人になります。
現代社会において、少女には成長の機会が「性風俗産業」という形で(それは決して望ましいものではないのでしょうけど)与えられています。

しかしながら、(かつての宮崎作品の中では主人公になっていたはずの)少年たちには何らの成長の機会も与えられず、「父親不在家庭」における母親の過剰な愛情が、少年たちの成長をむしろ阻害しています。

「千と千尋の神隠し」では、現代日本社会における、社会的成長の男女差までも描かれているわけです。

どうでもいい話かもしれませんが、坊が千尋の腕をつかんで一緒に遊ぼうと誘うシーンを見て、私は新潟で起きた少女監禁事件を思い出しました。
あの事件の犯人も息子を溺愛する母親との相互依存関係によって、心は子供のまま大人になってしまった人間でした。
彼は「友達がほしい」という理由のために、母親に内緒で小学生の少女を誘拐して監禁していました。
もし坊があのまま千尋を力ずくで思い通りにしようとしていたら・・・?と想像すると、ゾッとします(宮崎監督なので、絶対そんな展開にはしないと思いますけど)

しかし、母親の過保護によって成長の機会を奪われていた坊にも転機が訪れます。
湯婆婆の双子の姉妹である銭婆の魔法によって屋敷を抜け出し、銭婆の屋敷で初めて糸紡ぎや編み物のような「労働」を行ないます。

このような労働経験を通じて、坊は湯婆婆に対しても口答えができるほどまでに成長しました。
やはり宮崎監督ですので、坊にも救いを用意しておいたのでしょう。

何にせよ、千尋の例からも坊の例からも言えることは、「親と離れることが子供の成長を促進する」という監督のメッセージではないかと思います。
逆にいえば、「(現代社会において)子供の成長を阻害しているのは親である」という宮崎監督の現代社会(家族)に対する批判が、あの映画の中にはこめられているような気がしました。

最後にちょっとトリビアなのですが、「千と千尋の神隠し」の韓国語訳は「센과 치히로의 행방불명(千と千尋の行方不明)」といいます。
やっぱり「神隠し」という言葉は日本特有のもので、うまく翻訳できるものではないみたいです。

植民地の三類型


今日は龍山(ヨンサン)の電気街に行ってデジタルカメラを買ってきました。
龍山は韓国の秋葉原のような街ですが、それはあくまでも「電気街」という意味の秋葉原です。
決して二次元キャラクターが大手を振っている街ではありません。

龍山に行くのは3年ぶりくらいなので、どれくらい「秋葉原化(萌えの街化)」したかと期待(?)して行ったのですが、昔と何も変わらず純然たる電気街でした。
安心すると同時に、日本の秋葉原が世界の中でいかに特殊であるかを思い知らされました。

それはともかくとして、デジタルカメラを買うのは初めての経験なので、店員とどんな話をすればいいのかわからず、無駄に疲れました。
画像のピクセルがいくらだとか、レンズの大きさがどうとか、バッテリーの充電方法がどうだとか、そんな韓国語が頭から出てこなくて、ちょっぴり自己嫌悪に陥りました。
韓国に来て九ヶ月にもなるのに、まだこんなレベルの会話もできないのかと恥ずかしくなりました。
でもよく考えてみたら、私は日本でもデジカメなんて買ったことないんですよね。今まで使っていたのは家族のお古ですから。
それじゃあ、店員とうまく話せないのも仕方ないと自分を慰めつつ、本日の話題に移ることにしたいと思います。

今回は欧米諸国や日本のような列強が世界のあちこちにつくった植民地についての話です。
以前から、元植民地だった国にはある共通のタイプがあると思っていました。
それで、今日はそれらの植民地を強引に三つのタイプに分けてみました。
これは単なる私の思いつきであり、何の論証もしていない(できない)永遠の仮説ですので、話半分くらいに聞いておいてください。
大雑把にまとめたものですので、当然例外もあれば、間違っている点もあります。
当てはまらないものや間違っているものを探し始めたらきりが無いので、華麗にスルーしていただければと思います。


(植民地類型1)アジア型
 三つのタイプの中では一番現地人の人口が多く、先進的な(=近代文明に近い)文化を持った地域。この地域ではすでに(近代国民国家とは違う形にせよ)国家形成が行なわれており、列強はその国家を潰したり併合したりという形で植民地化を行なった。
このタイプの植民地の現地人はそれなりに高度な文化を持っているため、近代文明をうまく吸収して独立後うまくやっている国も多い。
地域としてはアジアからアフリカ北岸部。

(植民地類型2)アフリカ型
 アジア型より現地人人口が少なく、アジア型ほど高い文化を持たなかった地域。全体的に国家形成が遅れており、部族ごとに分かれていたりする。列強はその部族間の対立を利用して植民地化をおこなったりした。
植民地化以前に国境が定められていなかった場合がほとんどなため、植民地を領有した列強の都合によって国境線が定められることが多い。そのために国境がいかにも不自然な直線だったりする。
植民地化以前に国家形成の段階にすら達していなかったため、独立後、近代国家を自分達の手で運営することになると失敗することが多い。
地域としてはサハラ砂漠以南のアフリカ(ただし独立後も白人の影響力が強い南アフリカは例外的か)。

(植民地類型3)アメリカ・オセアニア型
 三つのタイプの中で最も現地人人口が少なく、植民によって移り住んだ白人が圧倒的多数を占める地域。これらの地域では現地人は植民者を避けてひっそりと暮らさざるを得ず、その地域の大部分は植民者のものになる。そのため、植民者の文化がその地域の主要文化になる。
これらの地域における独立とは、先住民ではなく、植民者によってなされる。
そのために独立した後は、ヨーロッパ的な伝統をうけついだ独立国となり、近代国家としてうまくやっていける国が多い。
地域としては南北アメリカ大陸から、オーストラリア、ニュージーランドなどです。

・・・「遅れている」とか「高い文化」とか、差別的な用語が色々出てきますね。
こんなことを考え付いてしまうのは、きっと私の中に差別意識があるからなのでしょう。

イメージ 1

(写真)本文とは全く関係ないけど、韓国のお寺。写真は毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)を安置した毘盧殿。



ものの本などによると、外国人と話すときに政治と宗教の話はするな、と言われているそうだ。
でも私はよくしちゃうな。
韓国人と植民地問題の話をしたり、中国人とチベット問題の話をしたり、アメリカ人と太平洋戦争の話をしたり・・・(笑)。結構危ない話題をしちゃってるのかもしれない。

つい先日ロシア人と話をしたのだが(かりにAさんとしておきましょう)、Aさんが突然こんなことを言い出したので、驚いた。

「日本には天皇がいてうらやましい。私も日本みたいな王様のいる国に生まれたかった」

どういう意味なのかよくわからなかったので、さらに聞いてみると、Aさんの意見は次のようなものだった。

国家というのは個人にとっては大きすぎるもので、自分が国家の一員であるという帰属意識を持てないのが普通だ。だから国家には国民を統合するための中心となる存在が必要で、天皇はまさにそういう存在としてふさわしいのだという。
(Aさんは「家族の中における父親のように」という表現を使っていた。ロシアの父親はそんなに存在感がでかいのか?家庭不在の日本の父親とはずいぶん違うようだ)

大統領は任期があって、辞めたら全く関係ない人が後を継ぐので、継続性が無い。
王家のように連続性があってこそ初めて、国民統合のシンボル的役割を果たすことができるのだという。

ロシアは1917年の革命によって王家を失ったが、日本には革命が起こらず、王家(=皇室)が維持された。そのことがうらやましいのだとAさんは言う。

ロシアがそれほど国家としての統一がとれていないのかどうか、私にはよくわからないのだが(チェチェン問題なんかで騒がれているから実際そうなのかもしれないけど)、少なくともAさんは日本が天皇を中心として統一がとれていることをうらやましがっているようなのだ。

そしてさらにAさんは、私に天皇を尊敬する心が不足していると指摘した。

まさかロシア人にそんなことを言われるとは思っていなかったので驚いたという話なのだが、ロシアという国が現在どういう状況にあるのかと少し考えてしまった。

私はロシア革命がそんなにいいものだとは思っていないのだが、一昔前の日本のインテリ達は「ロシアには革命が起こったのに、何故日本では起こらないのか?」と慨嘆したものだ。
そのために昔の学生達の間ではロシア文学やロシア民謡などが流行り、革命の先進国としてロシア(当時はソ連)にあこがれる人々も多かったという。
そうやってかつて日本の知識人があこがれたはずのロシアの人から「日本には天皇家があってうらやましい」と言われると、正直驚く。

最後に私は「ロシア革命が起こらずにロマノフ王朝が続いていたら良かったと思うか?」と聞いてみたところ、「そう思う」と答えてくれた。

革命のあった国は革命によって失われたものを嘆き、革命のなかった国は革命によって得られなかったものを悲しむ。
人間は無いものねだりをする生き物なのだろうなあと思った。


我ながら不器用な性格だと思う。
コミュニケーション能力というのだろうが、他人との関係を円滑にする能力が不足しているような気がする。

おしゃれやら芸能人やら流行やら、そういうものに関しては全くわからない。
小学生の方が私よりよく知っているだろう。
そういう能力に関しては小学生以下と言っていい。

あと、運動やらダンスやら音楽やら、そういう身体を使うものは苦手だ。かけっこをしたらビリになる自信がある。

どうやら私は、いわゆる「普通の人」より持っている能力の種類が少ないらしい。

ある一部分の能力に関してはクラスで一番になれるのに、ある一部分の能力に関してはビリにしかなれない。

そういうバランスの悪い人間である。
幼い頃はそのバランスの悪さゆえによくからかわれた。
「○○しかできないバカ」だと、小学生の時には下級生からも嘲笑われたことがある。
今でもその状況はあまり変わっていないらしい。

「普通の人は五本の指を持っているが、君には三本しか指がない。でもその三本が他の人より長いのだ」

というのは、知人が私を評価した言葉だ。

この言葉を聞いたときは、ちょっと悲しかった。
普通の人が当然持っている能力が自分には欠落しているというコンプレックスだ。

自分はどんなにやっても普通の人のように器用に生きることはできないのかと思った。
何でもそつなくできて、バランス良く生きている人を羨んだりもした。

でも最近気がついた。
指が三本しか無いなら、その指をひたすら伸ばせばいいのだ、と。
能力の種類がそもそも少ないのなら、残りの能力を他人よりも伸ばすべきなのだと。

自分の出来ないことは他の人にやってもらえばいい。
自分が何でも出来なければいけないことはないのだ。
そのかわり自分は普通の人たちができないことをやればいいのだ。

そうやってこそ、自分でも世のために役に立つことができる。

専門家になりさえすれば社会的にも評価を受けることができる。

できないことを嘆くよりも、できることをひたすら伸ばすことを考えよう。
そうしなければ自分は、ただの社会不適応者でしかないのだから。

イメージ 1

(上の写真)ネット上で適当に拾ってきてマリア・テレジアの写真(というか、肖像画の写真)。これって、著作権は大丈夫だよね?(笑)



歴史を勉強していると、すごく単純な疑問ほど難しいと思うことがあります。
たとえば、男系相続の問題などもそうです。

世界中の王家(もちろん日本の皇室も含む)の相続のやり方を見ていると、女系血族による相続よりも男系血族による相続の方が圧倒的に多いことがわかります。(中国しかり、ヨーロッパしかり、日本しかりです)
これは何故なのでしょう?

「君主が男性であることが多いから」というのが一つの答えでしょう。
でも「じゃあ何故男性君主が多いのか?」とさらに突っ込んで質問してみると、答えられる人は少ないと思います。

今回はこの謎について、私なりの仮説を述べていきたいと思います。(基本的に私の頭の中だけで考えた妄想なので、私の独断と偏見に満ちておりますが、そこはご了承ください)

以前から「男系相続には一つの危険性がある」と考えていました。
それは、「世継ぎとして生まれた子供が君主の子供でない可能性がある」という問題です。
女性の場合は自分が出産するわけですから、生まれてくる子供の母親であることは明白です。
でも父親は誰だかわかりません。
君主以外の男と性交したとしても子供は生まれるわけですから、もしお妃様が不倫していたら、君主の血をひかないお世継ぎが生まれてしまう可能性があるわけです。
もしその子の血筋を誰も怪しまなければ、君主の血を継がない子が次の君主になってしまうわけです。
これは実質的には王朝の断絶であり、血の連続性を尊ぶ王室においてはとても大きな問題でしょう。

だから中国などではそういう事態を防ぐため、皇帝のお世継ぎを生む可能性のある女性をすべて宮廷の一角に隔離して、普通の男(=生殖能力のある男)との接触を禁じたわけです。いわゆる「後宮」の誕生です。
しかし、この後宮の維持費というのは常に国家財政を圧迫しますし、後宮は一般官僚が出入りできない「密室」であったために様々な陰謀の舞台になります。
それほどのデメリットを背負ってまで、男性君主、ひいては男系相続にこだわらなければいけない理由は何だったのでしょう?

日本の女系天皇問題に関して、男系相続の根拠をY染色体の継承という面で説明しようとする人もいますが、私はこれナンセンスだと思っています。
だって天皇制が始まった時代の古代人達がY染色体の存在を知ってたはずがありませんから。
日本の皇室で男系相続が続いてきた理由は、別のところに求めるべきでしょう。

「君主の血を継がない世継ぎが生まれる危険性を内包しながらも、何故男系相続が一般的なのか?」
という問題に関する私の答えは単純明快です。
それは、
「女性君主よりも男性君主の方がたくさんの子供を作るのに有利だから」
だと思います。

言うまでもなく女性の場合は妊娠から出産までを自分が引き受けなければいけません。
妊娠してから出産するまでの1年足らずの期間には次の子供を作ることができません。
さらに前近代において出産は死の危険を伴うものでした。
そのために一人の女性が、生まれてから死ぬまでに産める子供の数はたかが知れています。
生殖可能な期間も女性より男性の方が長いです。
女性の場合50過ぎて子供を生むことは珍しいですが、男性の場合は十分ありえます。

そういうわけで、女性君主よりも男性君主のほうがたくさんの子供を作るのに有利なことは明らかです。
生まれた子供がほぼ確実に大人になれる時代なんて、人類の歴史の中で見ればほんのここ数十年の現象です。
それ以前の時代においては乳幼児の死亡率はとても高かったのです。
そういう時代において王家のように、「絶対にお世継ぎを残さなければいけない」家の場合、とにかくたくさん子供を作る必要がありました。
そんな状態で、女性君主がひたすらたくさん子供を生もうとしたとしても、ほとんど不可能です(マリア・テレジアのように治世と出産を両方こなしたスーパーウーマンもいますけど、あれは例外でしょう。普通の女性には真似できませんよ)。

王朝というものは、「始祖から連綿と血によってつながっている」という共同幻想のもとに成り立っているシステムです。
お世継ぎが生まれなければ即崩壊してしまうシステムなのです。
そういうシステムのもとでは、「生まれた子供が君主の子じゃないかもしれない」というリスクは、「お世継ぎがいない」という絶望的な状況に比べれば小さなものなのです。
だって「お世継ぎがいない」というのは誰が見ても明白な事実であるのに対し、「お世継ぎが前君主の血をひいていないかもしれない」という問題はどこまでいっても疑惑の域を出ないからです。(今ならDNAを調べたりすればわかるのでしょうけどね。昔はわからなかったでしょう)疑惑ならば握りつぶしてしまえばよいのです。

というわけで、世界の王家などで男系相続が一般的な理由として、私は「男性と女性の生殖能力の差異」を挙げたいと思います。

他にも面白いご意見などありましたら教えていただけるとうれしいです。

それでは、また。


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