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2、国境の町、丹東(9月20日)前編
瀋陽の高速バスターミナル(遼寧省快速汽車客運站)
瀋陽(シェンヤン)から丹東(ダンドン)に行くバス。82元で約4時間かかった。
遼寧省瀋陽の高速バスターミナル(快速汽車客運站)で丹東行きのバスに乗り込んだ私は、約4時間バスに揺られたすえに丹東に到着した。
バスに乗り込んだのが3時だったので、今は7時前。あたりはすっかり暗くなってしまっていた。 バスから降りると、おじさんやおばさんがやたらに声をかけてきた。 おそらく宿屋の客引きだろう。 私はすでに宿を予約してあるので、客引きを完全に無視して宿の方へ向かう。 予約しておいた宿は、チェンシャンビジネスホテル(誠詳商務酒店)という所で、一泊148元。九緯路と江城大街の交差点にある。 色々と迷いながらもようやくホテルを見つけて、中に入った。 フロントのお姉さんが「予約はしましたか?」と言うので、予約内容をプリントアウトした紙を見せた。 するとお姉さんの顔がにわかに曇った。 「今は日本人は泊まれないんですよ」 ああ、ここも駄目なのかと思った。 実は私は瀋陽(シェンヤン。遼寧省の省都。私が丹東の前に滞在していた町)でも、宿の予約を入れたにもかかわらず断られてしまい、中国渡航前日に急遽宿を予約しなおしたことがあった。 だからこの宿でも断られる可能性があるな、と覚悟して来てみたのだが、案の定断られてしまった。 しかしここで断られたからといって「はい、そうですか」と言って引き下がるわけにはいかない。 初めて来たばかりの異国の町で、旅行荷物を抱えながら当ても無く宿を探し歩くほどしんどいことはない。夜道は危険なうえに、今は日本人に危害を及ぼしかねない輩がわんさかいるのだからなおさらだ。 「私は予約しましたよ!ここが駄目なら、別の宿を紹介してください!」
下手くそな中国語で、それでも強気で交渉してみた。 お姉さんもさすがに申し訳ないと思ったのか、別のホテルに色々と連絡してくれた。当てが見つかったのか、「一緒に行きましょう」と言うので、荷物を持ってそのお姉さんの後について歩いた。 しかし結果は散々だった。二、三軒まわってみたものの、すべて「日本人は無理だね」と断られてしまった。 中国のホテルは保安上の理由から、宿泊が制限されるものが数多くある。たとえば100元以下の安宿は、まず外国人は宿泊不可である(実際には非合法に宿泊させる宿もあるが)。私も以前に120元程度の宿を予約しようとして、「外国人は無理です」と断られてしまった経験がある。 今は連日の反日デモのおかげで保安上の理由から、安宿は軒並み「日本人お断り」になってしまっているのだろう。 私と宿のお姉さんは途方にくれた。このまま泊まるところが決まらなかったら、最悪野宿になってしまう。これほど危険なことはない。 最初に泊まる予定だったチェンシャンビジネスホテル。ここのおじさんにはずいぶんお世話になり、丹東を発つ日には握手をして別れた。
もう一人いた宿のおじさんも宿を探して電話をかけてくれて、どうやら当てが見つかったらしい。彼はお金を握りしめると、私を連れてタクシーに乗り込んだ。 また断られるのじゃないか?と私は不安な気持ちのまま、ただおじさんの後について行った。 タクシーを降りると、おじさんは廃墟のようなオンボロビルの門前に行き、そこで暗証番号を入力して中に入った。 本当にこんなボロビルの中にホテルがあるのか?と私は半信半疑で彼のあとについていった。 ハオユエンビジネスホテル(灝源商務旅館)の入り口。初めてここに来たときにはホテルとは思えなかった。
三階まで上がると、突然きれいなフロントが現れた。わりといいホテルのようだ。
私は何だか狐につままれたような気分のまま、お金を払わされて部屋に通された。 部屋はビルの外観とは似つかわしくなく、ずいぶんときれいだった。 ハオユエンビジネスホテルの部屋。トイレの電気はつかなかったが、温水がきちんと出たのでわりと便利だった。
宿の名前はハオユエンビジネスホテル(灝源商務旅館)といって、江城大街と九江路の交差点にある林江名城というビル群の中にあった。 チェンシャンホテルのおじさんがここを紹介してくれたのは、保安上の理由だろう。ハオユエンホテルは他のホテルと違って、一見するとホテルに見えない。 さらにフロントに行くにはまず門のところで暗証番号を入力したうえ、三階まで登らなければいけない。 さらにはそのフロントを通過しなければ客室には行けないのだから、デモ隊が集団で客室まで襲撃しに来ることはかなり困難である。 さらに客室自体がかなり少ないようで(このビルの3階だけがホテルになっている)、宿の従業員が客の顔を把握しやすい。 これらの点を考慮して、ここなら日本人客を泊めても大丈夫だと判断したのだと思う。 「夕飯は食べたか?」とチェンシャンホテルのおじさんに聞かれたので、「まだだ」と答えたら、「カップラーメンでも食べるか?」と言われた。
その口ぶりから、私が外出するのをあまり好まないようだった。 私が彼の話を理解してなさそうだったためか(実際によく理解できてなかったのだが)、彼は筆談で説明してくれた。 いわく、 「なるべく人と話すな」 「日本人は今は危険だ」 「これは釣魚島(尖閣諸島)問題のためで、君のせいではなくて、君の政府のせいだ」 「もし国籍を聞かれたら韓国人だと答えろ」 中国人自身がここまで反日デモを重く受け止めているとは思っていなかったので、正直言って驚いた。いつもどおりの平穏そうな日常の裏で、かなり大きな問題が進行中なのだということをあらためて感じた。
その一方で、そこまで心配してくれるこのおじさんの心遣いがうれしかった。 「私は韓国語ができますから、韓国人のふりはできますよ」と言ったら、彼は「それは良かった!ここでは君は日本人ではなく、韓国人だ」と安堵していた。
まさか、韓国経験がこんなところで活きることになるとは思いも寄らなかった。 中国で韓国人になりすますために韓国語を学んでいたわけではないのだが、今は背に腹は変えられない。自衛のために韓国人を名乗らせてもらうことにしよう(この時、私は自分の韓国名も考えていた。いざ名前を聞かれた時に答えに窮しないためにである)。 「夕飯は何が食べたいんだ?」と聞かれたので、「朝鮮料理が食べたい」と答えたら、チェンシャンホテルのおじさんは、私を連れてタクシーに乗り、店の前まで連れて行ってくれた。
そして「これをタクシー運転手に渡しなさい」と言ってハオユエンホテルの住所を書いた紙を渡してくれた。 朝鮮料理店の前でチェンシャンホテルのおじさんとはお別れになったが、彼はチェンシャンホテルからハオユエンホテルまでのタクシー代とハオユエンホテルから朝鮮料理店までのタクシー代を全て払ってくれた。 その心遣いには本当に頭がさがる思いで、これだけで私は中国人に恩義を感じずにはいられない。 (つづく)
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つれづれ旅日記
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このブログも一カ月以上放置していたが、いい加減更新したい。
なので、書きためていた旅行記を順次アップしていくつもり。
中国国旗を付けた日本製自動車。デモ隊に壊されないための自衛策であろう。(遼寧省・丹東にて)
「このレストランは100%香港資本で作られた企業です。」という横断幕が付けられた「吉野家」(遼寧省・瀋陽駅前にて) 釣魚島(尖閣)を守るための署名運動。女性ばかりの平和そうな雰囲気だったが、「駆除倭寇 振興中華!(倭寇を追い払って中華を発展させよう!)」というスローガンはなかなか激しい。(遼寧省・瀋陽の懐遠門近辺にて) 1、私が中国に行ったわけ
2012年9月、日中国交回復四十周年を目前として、これまでにない規模の反日デモが中国全土で繰り広げられた。
私はちょうどその時に中国旅行を計画していた。 「今中国は危険だぞ」「渡航はまた別の機会にした方がいいのでは?」という知人たちの忠告を受け、また自分でも中国ニュースを調べながら、渡航すべきか延期すべきかを思い悩んだ。 たしかにデモ隊が日本大使館・領事館や日本料理店を襲撃しているのは事実らしい。 また在中邦人たちもなかなか「日本人だ」と名乗れないような事態になっているとも聞く。 しかしそんな話を見聞きしても、中国行きを取りやめようという考えはわいてこなかった。 それは、一つには今まで準備してきたことを無駄にしたくないという思いによるものであり、もう一つは「こういう情勢だからこそ」見られるものがあるだろうという好奇心のためである。 私が中国に渡るのは単に楽しく快適な旅がしたいからではない。中国、ひいては東北アジアという地域についての理解を深めたいからだ。安全で快適な旅をしたいのなら、他の地域に行けばいい。 中国に行くからには、そこでしか見られないもの、そこでしか得られない経験をしたい。多少の不便や危険はもとより覚悟のうえだ。 今の中国が危険だというならどれほど危険なのか、自分の目で確かめてみたかった。 自分の目で確認もせずに、他人からの又聞きで知ったかぶりをする人間にはなりたくない。 10年前に「東アジアとともに生きていこう」と誓いを立ててからというもの、何らかの形で常に東アジアとの関係を保ちながら今まで生きてきた。 「反日」や「尖閣」をキーワードにして東アジアがにわかに騒然としてきた今、現地で何が起こっているのかを確かめるために中国に渡るのは決して意味の無いことではなかろう。 そういう思いから、周囲の反対にもかかわらず、私は中国に渡ることにした。 この文章はその中国旅行の行程の一部、中国と北朝鮮の国境の町丹東(ダンドン)を訪れた際の日記である。 荒削りで読みにくい部分も多い文章ではあるが、書いた当時の旅先の雰囲気を残すため、推敲は最小限に抑えた。 反日デモが吹き荒れているという報道ばかりが流されていた中国の、ちょっと変わった旅行記としてお読みいただければ幸いである。 (つづく)
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中国の上海と杭州に行ってきました。
なので、それに関する記録を少し残しておきます。 日記形式の記録もあるのですが、それはまたの機会として、今回はメモ的に旅をしながら考えたことを書いてみたいと思います。
今回は上海と杭州なんていう有名な都市に行ってきたものの、あまり観光地らしいところには行きませんでした。
上海に行ったというのに外灘(バンド)も見ていないし、杭州に行ったのに六和塔にも登っていない。 それで「アンタ、何しに行ったの?」と中国の知人からもお叱りを受けております。 では私が観光地めぐりをしないで何をしていたかと言いますと、あまり観光客の行かない宗教施設を見に行ってたのです。
それがタイトルにもある孔子廟と城隍廟(じょうこうびょう)です。 孔子についてはもう説明の必要はありませんね。中国の昔の偉い人です。
・・・という説明はあまりにも端折りすぎだと思うので、少しだけ説明しておきます。 孔子は本名を孔丘と言い、春秋時代(紀元前770年〜403年)の魯(ろ)の国の人で、儒教の開祖として知られています。 儒教は漢代以降中国の官学となったため、孔子は文宣王(ぶんせんおう)と呼ばれ、畏敬の対象となりました。 そのため中国の各都市には孔子廟が造られ、それに併設される形で公立の学校も建てられ、地方における儒教教育の拠点となりました。 孔子廟は、「文宣王(=孔子)の廟」ということで、略して「文廟」とも言います。 また、城隍廟というのは都市の守り神(城隍神)を祀る廟です。
その土地の守り神という点では日本の産土神(うぶすながみ)に近いものと言えるかもしれません。 昔の中国の都市にはたいてい孔子廟と城隍廟がセットで設けられ、都市の統合の象徴的役割を荷っていました。
そのような孔子廟と城隍廟が、辛亥革命、日中戦争、文化大革命を経た現代にどれほど現役で残っているのかを知りたくて、あえて観光客があまり行かないであろう孔子廟と城隍廟を見て回ったというわけです。 見てきたのは、旧上海県城の孔子廟と城隍廟、それから旧杭州府城の孔子廟と城隍廟です。
(上海の城隍廟の様子。道士たちが祈祷を行っているようだ)
旧上海県城の城隍廟は思ったより観光地になっていて(豫園が近くにあるからですかね)道教式の儀式みたいなことをやっていて面白かったです。 一方、上海の孔子廟の方は中国人でも知らない人が多いらしく、知人の中国人に「上海の孔子廟を見てきた」と言ったところ、「上海には孔子廟は無いはずだ」と否定されてしまいました。あるんだけどなあ・・・。 (旧上海県の孔子廟の大成殿。孔子を祀る建物) (旧上海県の孔子廟の明倫堂。勉強するところ)
(旧杭州府城の孔子廟の孔子像。道教の神像みたい)
旧杭州府城の孔子廟はただで入れたので良かったです。
それから城隍廟の方は特に見どころがあるようにも見えなかったのに、わざわざ韓国語の表示まで有って驚きましたね。そんなに韓国人がこの廟を熱心に訪ねてくるのか? (旧杭州府城の城隍廟の功徳箱。何故か韓国語でも書いてある。「功徳箱」は日本なら「賽銭箱」、韓国なら「福田函」に当たるか)
・・・で、これらを見て思ったことは、「日本の神社みたい」ということです。
何がありがたいのかよくわからないけどとりあえず拝んどけばいいことあるだろう、という感じの現世利益的な祈り方をされているように思えるんですよね。 もちろん城隍廟は本来日本の産土神みたいなその土地の神を祀る廟ですから、神社みたいになるのは当然だと思うんですよ。(中国は道教、日本は神道ですけど) でも孔子廟のような儒教的な施設までが、日本の神社みたいになっていたのは驚きました。 写真を見ていただければわかると思うんですけど、これは参拝者が孔子様へのお願いを書いた紙です。 (願いことを書いた紙がたくさんぶらさげてあった。杭州の孔子廟にて)
(子供の受験合格と家族の健康を祈る母親の願い事。日本の絵馬みたいなものか)
写真の紙には子供の大学受験がうまくいくようにという願いと家族みんなが健康で安らかに暮らせますようにという願いが書かれています。 受験だけならともかく、家族の健康まで孔子様に祈れば何とかしてくれるのか?孔子様はそんなに万能か? と私なぞは疑問に思いますね。 何というのか現在の中国の人にとって孔子というのは、日本人にとっての菅原道真ポジションの神様みたいになっているのではないかなと思います。 儒教の聖人というよりはむしろ関羽のような道教の神様という感じ。 孔子廟にびっしり吊るされている合格祈願の紙を見て、日本の合格祈願の絵馬を思い出したのは私だけじゃないはずだ。 孔子廟は韓国にもあるんですけど、いやむしろ保存状況は韓国の方がいいんじゃないかと思うくらいにたくさん残っているんですけど、中国とはずいぶん様子が違うんです。
まず韓国では中国みたいに入場料を取って参拝者を迎え入れたりしません。 それから韓国では孔子を祀る建物である大成殿を原則的に公開していません。 また、中国みたいにでっかい孔子像を造ったりしません。基本的には孔子の位牌があるだけです。 中国と韓国で同じ孔子廟でもこんな違いが出るのは、お互いのお国事情の違いによります。
中国ではもうすでに儒教が官学としての地位を失い、道教的な宗教施設となって参拝者を呼び込むことで生き残ろうとしているのだと思います(よく知らないけど)。 でも韓国ではまだ孔子廟が儒教施設として現役なんです。韓国では今でも全国的な儒教組織が勢力を保っており、孔子廟はその地域の儒教組織の拠点としての役割を果たしています。 そのような儒教組織は、昔からの伝統的な儒教式祭祀を守ろうとしています。 だから一般の参拝者を呼び込んで観光地化する気はなく、中国みたいに大成殿にでっかい孔子像を造って参拝者に公開したりはしないのです。 道教や仏教と異なる儒教式の純粋な信仰は中国よりも韓国で残っていると言えるのでしょうかね。 ちなみに日本にもわずかながら孔子廟はあります。
日本で一番有名な孔子廟といえば、JR御茶ノ水駅の近くにある湯島聖堂です。 これは江戸幕府が造った孔子廟で、江戸時代には昌平坂学問所という幕府直轄の学校が併設されていました。 私は一度この湯島聖堂の祭礼である釈奠(せきてん)を見に行ったことがあるのですが、祭官を務めていたのは神田明神の宮司さんでした。 日本の神道が仏教と融合していたのは有名な話ですが、儒教とまで融合していたとは知らなかったのでずいぶん驚いたものです。 日本のこの状況を見ると、中国の孔子廟の道教化を笑えませんね。 結局孔子廟の純儒教的性格を守り続けているのは韓国くらいのものなのだろうかと思います。(北朝鮮で孔子廟がきちんと残っているとは考えがたい。台湾やベトナムはどうだか知らないけど) 次に城隍廟ですが、韓国にも城隍廟がありました。
「ありました」と過去形で言うのは今は無くなってしまったからなのですが。 韓国も李朝時代には中国にならって地方都市に孔子廟と城隍廟をセットで造っていました。 しかし、城隍廟というのはあくまでも中国の模倣として政府が造らせたものであったため、中国のように民間に浸透せず、李朝の滅亡とともに消えていってしまったようです。 ただし、城隍廟とほぼ同義の「城隍堂」という言葉は韓国の土着信仰と結びついて現在でも残っています。 韓国の田舎を歩くと村の入り口などに石が積まれていることがあります。 それをソナンダン(서낭당)と言うのですが、これは城隍堂を意味する韓国語「ソンファンダン(성황당)」がなまったものです。 村の入り口に石を積む習慣はおそらく中国の城隍神信仰とは関係無いのでしょうけど、中国から城隍神信仰が入ってくると、この石積みを「城隍堂」の名前で呼ぶようになったのでしょう。 (ソナンダンに祈りをささげる女性。写真はこちらのサイトからお借りしました。http://www.cbinews.co.kr/news/articleView.html?idxno=38810)
孔子廟が民間信仰化して儒教本来の姿を失いつつある中国と、未だに儒教本来の姿をかたくなに守り続けている韓国。
城隍廟が道教的な民間信仰として今でも残っている中国と、城隍廟そのものは消えてしまったけど在来の民間風習の中にその名前だけをとどめている韓国。 中国と韓国は共通する面も多くあれど、違う点もたくさんあります。 今回は孔子廟と城隍廟を見て回ることでそのような共通点と相違点に気付かされたような気がします。 |
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(1枚目)日本の大阪で見た南仏プロヴァンス風ホテル(ラブホテルかと思われる)。ベトナムに多い洋風建築はまさにこんな感じ(笑)。壁は黄色く屋根は赤茶色に塗られ、やたらに縦に長く、各窓にバルコニーのような張り出し構造を持つ。 |
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<写真1枚目>ベトナム料理の定番、フォー(pho)。香草をたっぷりのせたフォーを食べながらタイガービールを飲むと、「ベトナムに来たなあ」としみじみ感じる。 |



