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第四章、トゥーとチャン
フンが私をバイクに乗せて、集合住宅の前で下ろした。外にはしとしと雨が降っていた。
フンは勝手知ったる我が家のようにズンズン奥へと入っていくが、私はここぞとばかりに遠慮して日本人らしさを発揮していた。
20代前半の聡明そうな女性が私を中に招き入れた。ベトナム人に多いすっきりした感じの美人である。
彼女の名前はトゥーという。フンの友達だそうだ。
「Is she your lover?(彼女はあなたの恋人?)」と後で聞いたら、フンは「No!」と否定した。そういう関係ではないらしい。
彼女の家が何階建てなのかはわからないが、一階には茶の間と台所があった。二階以上に寝室があるのだろう。
台所ではトゥーのお母さんが料理をしており、茶の間にはトゥーより背の高い女の子がいた。
彼女の名前はチャン。トゥーの妹である。日本語を勉強しているという。
この家には彼女が書いたと思われる「おかあさん、おたんじょうび おめでとう」という文字や「あかさたな」の五十音表が散見された。
「はじめまして」とチャンが綺麗な日本語で話しかけてきた。
「はじめまして、」と私が返す。
聞くところによるとチャンは半年前に大学に入学し、それから日本語の勉強を始めたという。わずか半年しか勉強してないわりには彼女の日本語はうまかった。
日本語を誰に習ったのか、と彼女に尋ねた。彼女は水島さんだと言い、知ってるかと付け加えた。私は知らないと答えた。
日本に行ったことがあるかと尋ねたら、ない、でもいつか行ってみたい、と答えた。
日本に来たら私が歓迎するよ、と言って少し陰鬱な気分になった。
豊かさの違い―――それは私たち二人の間に厳然と存在していた。
海外に遊びに行ける日本人と、母国の外に出られないベトナム人。
わずか一握りの選ばれた者達だけが祖国の壁を越えることができる。
彼女はその壁を越えることが出来るのだろうか。もし越えて日本に来たとしても、そこで祖国ベトナムの後進性をまざまざと見せ付けられることになるのだろうか。
トゥーが食事を運んできた。もう夕食の時間である。床の上に食事を盛った皿が並べられ、みんなが車座になってあぐらをかいた。私だけが正座をしていた。
「その座り方は何なの?」とチャンが目を丸くした。これが日本のフォーマルな座り方なんだよ、と説明したら、「でも私にはできない」と悲しそうに足を組み替えていた。
日本にあぐらは無いの、とチャンが言う。
「あるにはあるけど・・・」どう説明したらいいのかわからない。私の下手な英語ではなおさらだ。
食事が始まった。私は元来食べるのが遅い性質なので、なかなか箸が進まない。それを見かねたのかトゥーが口を出した。
「このご飯はどれもおいしいんだから、遠慮せずにもっと食べなさいよ。」
どうやら遠慮してると思われたらしい。
「I know, I know.(わかってる)」と答えて再び箸を動かす。
茶碗があくともう一杯食べるかと聞かれ、トゥーのお母さんがあんまりうれしそうにおかわりを出してくれるものだから、四杯も食べてついに音を上げた。
食事が終わるとトゥーがホットレモンティーを出してくれた。やはりLiptonだった。
ベトナムではLiptonが紅茶の代名詞のようになっている。喫茶店などでLipton印が無いことはまず無い。
「ホアンキエム湖はどうして湖なんだろね。」と私が言った。
「どういう意味?」とトゥーが答える。
「あんなに小さいのにLake(湖)というのはおかしくない?せいぜいPond(池)じゃない?」
「昔はもっと大きかったんだけどね。」フンの答え。「だんだん小さくなって今のようになったんだよ。」
ホアンキエムとはハノイの中心部にある湖(大きさからいえば池)である。漢字で書くと「還剣」。
ベトナムの英雄レー・ロイ(黎利)がこの湖の亀から剣を賜り、それを使って北からの侵略者を追い払った。
このことを記念して、彼は湖に亀の塔を建て、それが今のハノイの顔になっている。
「池と湖では、大きさだけじゃなくて用途が違うんじゃないかな。」という新説をトゥーが発表した。
「池は飲み水を汲んだり洗濯したりする所だけど、湖は見るものなのよ。」彼女はふっと髪をかきあげた。
それでも私が納得できない様子を見て、「昔の人が使い始めた呼び方を今の人たちがそのまま使ってるだけでしょ、きっと。」と結論づけた。
チャンはトゥーほど英語が得意でないためか、湖の定義論争には加わらなかった。
お母さんに至ってはおそらく英語が出来ないからなのだろう、ただ私たちのやり取りを微笑ましそうに見ているだけだった。
「ハノイはどうですか?」とチャンから質問が出た。
ベトナム人から何度この質問を受けたかわからない。その度に私は返答に窮するのであった。
「日本と比べるとどう?」
日本に比べると汚いし、うるさいし、排気ガスが多いし、所在無げに座ってるオッチャンが沢山いるし、・・・どれもマイナス評価ばかりだ。ただ、それがハノイの味であり、魅力でもあるのだが。
「it’s very interesting・・・(とっても面白い)」と私は苦し紛れに答えた。
何故?とチャンがさらに尋ねてくる。
いよいよ返答に窮した私はこう言った。
「ハノイには色々な人がいるから。シクロの人もいるし、パンを道端で焼いて売ってる人もいるし、靴磨きや物売りの人もいるし・・・」
「日本にはそういう人がいないんですか?」
「Yes,」と続けて、「日本はほとんどの人がサラリーマンで、とても画一的だから・・・」明らかに苦し紛れの発言である。
「だからハノイはバラエティに富んでいて面白い。」
「フーン、」気の無い返事の後、「西さんはベトナム料理で何が好きですか?」という質問が飛び出した。
「えーと、フォー、ブン、チャオ、・・・それからバイン・ミー、ビッテット・・・」それ以上料理の名前が浮かんでこない。さっきの料理の名前すらわからない。
軽く説明しておくと、フォーはうどんより細い米麺で、ブンは米で出来たそうめん、チャオはお粥、バイン・ミーはフランスパン、ビッテットは肉と野菜の鉄板焼き。
「私は日本料理では天ぷらが好きです。」とチャンは言う。
でも天ぷらは新しい料理なんだよ、と私が説明した。昔は天ぷらで油が悪くて死ぬ人もいたんだよ、と言うと彼女は驚いていた。あ、でも安心してね。今はもう大丈夫だから、と念のため付け加えた。
「日本語は漢字がとても難しいんです。」
へえ、そうなの?と聞くと、頷いて、「一番難しい」と言う。
そうかな、でもね、と私が口を開く。
「ベトナムにも漢字がたくさんあるじゃない。」
これは事実である。実際ベトナムの寺院やお守りには漢字がたくさん書いてある。また、普段使っている皿にも、中国風の女性像と共に「麻姑献寿」の四文字がよく書いてある。かつてのベトナムは日本以上の漢字大国だったのだ。
しかしクォック・グー(国語)の普及と共に漢字が駆逐され、嘆かわしい事に漢字の読めるベトナム人は今ではほとんどいない。
「日本語を勉強する、しないに関係なく、漢字は勉強しておいたほうがいいよ。漢字を勉強することでベトナムの文化を知ることにもなるからね。」と英語で言ったものの、誤解を与えてしまったようだ。
「漢字」を英訳するとChinese characterだが、この言葉はまことに都合が悪い。まるで漢字が「中国の文字」という印象を与えてしまうからだ。
ベトナム人の対中意識はあまり良くないのではないかと思う。
ベトナムの歴史は中国王朝の支配と侵略を抜きにしては語れない。ベトナム最初の王朝と言われるのは10世紀の呉朝であるが、それまでハノイを含むベトナム北部(これが狭い意味でのベトナム)は中国王朝の長い支配下にあった。つい25年まえには中越戦争が起こっているし、後漢と戦ったハイバー・チュン(徴姉妹)が民族的英雄としてもてはやされている国である。対中感情が悪いとしても何の不思議もない。最近では中国の経済躍進のためベトナムは圧迫感を感じていると言う。
フンが思い出したように口を開いた。「今中国がどんどん経済成長してるだろ。そのうちアジアは日本陣営と中国陣営に分かれるような気がするよ。」そうなったらベトナムはどうなるんだろう、と言いたげな口ぶりだった。
「それはない。」と私は何の根拠もなしに言った。そうなってほしくない、と思った。
軽はずみにChineseという単語を繰り返していたことを悔いた。もう少し慎重に使うべきだったかもしれない。
「そろそろ時間も遅くなったから・・・」とフンが立ち上がった。トゥーも明日テストがあるから、と二階に上がっていた。
そろそろ立ち去るべき時が来たと感じた。
「Cám ơn(ありがとう)」や「Tạm biệt(さようなら)」と下手なベトナム語で連呼すると、「君がベトナム語を覚えるのが早いか、チャンが日本語を覚えるのが早いか競争だな。」とフンがからかった。
見送りに出てきたトゥーが「西さんはバイクを運転しないの?」と尋ねた。
「運転できないから・・・」と言うと、「やればできるから、やってみなさいよ。何事もチャレンジよ。」とやりこめられた。
しかしいくら生命保険をかけているとはいえ、命は惜しい。おとなしくフンに運転してもらった。
フンは私をバイクの後ろに乗せて夜のハノイを走った。
ホアンキエムの亀の塔が見えてきたとき、もう少しで日本に帰らなければならないのだなと思った。ちょっぴり淋しい気がした。
(続く)
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