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店主の西貢が日々考えたことや体験したことをつづるブログです!

つれづれ旅日記

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第三章、ハノイ歩き
 銀座をぶらつくのが「銀ブラ」なら、ハノイをぶらつくのは「はのブラ」だろうか。どうもしっくりこない。
 まずハノイについての豆知識を話そう。
 ベトナムは南北に細長い国であり、かつては三つの世界に別れていた。
 北部ベト族の世界、中部チャム人の世界、南部クメール人の世界である。
 10世紀に中国王朝の支配から独立したベト族が13世紀の元寇を耐え抜いて、15世紀に中部チャム人のチャンパ王国を滅ぼし、17世紀以降南部クメール人の土地を併合して、現在のベトナムの領土をつくりあげた。ベトナムの歴史は、北部ベト人による南進の歴史といえるかもしれない。
 ベトナムは南部と北部に大河があり、その河口にデルタが発達した。北の河が紅河(ホン河)であり、ハノイ市を貫流している。南の河はメコン川であり、サイゴン(現在のホーチミン)がそのデルタの中にある。このメコンを遡れば、アンコール・ワットで有名なカンボジアである。
 河を流れる土が黄色いから黄河というように、流れる土の色が紅いから紅河である、・・・というのは私の友人が言っていた説なので、真偽のほどは定かでないが、そう言われてみると本当に紅く見えるのだから不思議だ。
 ハノイは漢字で書くと「河内」であり、紅河とは切っても切れない関係にある。ハノイの他にもハタイ(河西)やハナム(河南)といった、紅河にまつわる地名は数多くある。
 ハノイの中心部にあるホアンキエム湖は、紅河の一部が埋め立てによって本流から切り離され、池となったものである。私はその周辺のホテルに泊まって毎日ホアンキエム周辺を歩き回っていた。
 ハノイの話をあと少しだけさせてもらう。ハノイという地名は割合新しく、19世紀以降の名前である。それ以前にはここはタンロン(昇竜)といった。
 唐の滅亡(907年)によって中国勢力のベトナム支配が弱まると、ベトナムでは独立の気運が盛り上がり、939年、ベトナム最初の王朝である呉朝が誕生する。その後いくつかの王朝が興廃を繰り返し、1010年初の長期王朝である李朝が誕生する。この王朝が都としたのがタンロン(今のハノイ)であった。
 その後陳朝(1225〜1400)、黎朝(1428〜1789)の都であり続けた。 
 しかし、ベトナム最後の王朝である阮朝(1802〜1945)は都を中部のフエに移し、タンロンは単なる地方都市となり、その時ハノイ(河内)と改称された。
 しかしホーチミンに率いられたベトナム共産党政府が再びここを首都とし、現在に至っている。
 ハノイはフランスの植民地支配を受けたためか、洋風の建物が多い。専門家によれば南仏プロヴァンス様式だという。壁の黄色い建物が多く、日本には無い異国情緒を感じる。

 ハノイを歩いてまず感じるのはバイクの多さである。気をつけながら歩かないとバイクに轢かれて病院送りなんてことにもなりかねない。信号はところによってはあるものの、青信号が極端に短く、あまり意味をなしていない。
 私が主に歩き回ったのはハノイ旧市街と言われるところで、3階4階建ての建物が所狭しと並ぶ、空の狭い地域である。外国人観光客が最も多いところなので、お土産屋さんも多く、何かと声をかけられることの多い地域である。
 街を歩いていると必ず声をかけてくるのがバイクタクシーとシクロだ。
 バイクタクシーとはその名のとおり、バイクの後ろに乗って目的地に連れて行ってもらう交通手段である。シクロとは自転車つきの人力車であり、遥かに体格のいい白人を小柄なベトナム人が乗せている光景などを見ると、植民地時代に戻ったかのような錯覚を受ける。どちらもベトナム語ができないかぎり、トラブルになることが多く、私はベトナム人と一緒の時しか乗らなかった。
 「Hello!」こんな声をかけられても乗る気がないのなら無視するに限る。向こうも悪い人ではないから、無視していればあきらめてくれる。
 東南アジアはどこでもそうなのかもしれないが、物売りの子供をよく見かける。私は日本では絶滅したと思われる靴磨きの子供がいることに感動していた。宮城まり子の「ガード下の靴磨き」の世界がここではまだ健在なのである。
 そういえばベトナムはテレビドラマ「おしん」が大ヒットした国である。しかも「おしん」は「子守りをする女性」という意味のベトナム語になっている。私が話したベトナム人も「おしん」に関する熱い思いを語ってくれた。
 ベトナムで物を買うときほとんどの商品には値札がついていない。あまり定価という概念が無いためらしい。客を見ながら値段をつけるというやり方がここでは生きている。
 よって値段を下げるためには交渉する他なく、交渉次第ではかなり安くすることも可能である。(ただしそれでも現地の人間が買うよりは高いかもしれないのだが)
 ベトナムの買い物で困るのは、お金の単位が大きいことである。ベトナムのお金の単位はドンであり、私が行った時の為替レートは1円=150ドンくらいであった。よって一回の食事で一万ドンくらいは出すし、高いものを買おうとすれば10万ドンを超える。
 この時いかに混乱せずに日本円に換算して考えられるかが勝負である。普通に一桁くらい勘違いすることがある。
 ぼったくられるのがいやな人はデパートか国営百貨店にでも行こう。安いかどうかは知らないが、きちんと値札はついているので安心である。
 私はホアンキエム湖の東南部にあるチャンティエンプラザというデパートによく行っていた。日本ではデパートなんて行きたいとも思わないが、ベトナムでは不思議と心が休まる気がした。現代っ子なのだなあ、と思う。
 しかしこのチャンティエンプラザもなかなかの曲者だった。見かけは日本にでもありそうな万国共通の(その反面、きわめて非ベトナム的な)デパートなのだが、困ったことにお釣りをきちんと出さない。毎回お釣りが200ドンほど少なく、代わりにガムが一枚付いてくる。サービスなのかぼったくりなのかよくわからないデパートである。
 意外に聞こえるかもしれないが、ハノイでは乞食をほとんど見なかった。それはこの国の政策なのかもしれない。帰国する前日の夜に傷病兵と盲目の老婆を見た他は、乞食らしい人にはついぞ出会わなかった。
 そういえばその夜に面白い事件が一つあった。私が歩きなれたホアンキエム沿いの道を歩いていたら突然女の子に話しかけられた。日本人でいえば中学生くらいの背格好である。
 少年のような声だった。「Hey, do you like postcards?(どうも、ポストカードはいかが?)」
 ポストカードを売りつけようとしているのだな、と思い、「Không cần(いらない、という意味のベトナム語)」と答えたものの、彼女はなおも食いついて離れない。頼んでもいないのにポストカードを取り出し始め、早口の英語で説明し始めた。
「OK. This is Ho Chi Minh Museum. This is Nha Trang where many people come during summer vacation. This is a very famous resort. OK, this is Hue which was the capital of Nguyen dynasty. Many court, many people, it’s fantastic! You like Halong Bay? It is not so far from Hanoi. You can enjoy watching beautiful rocks. There is a legend of Dragon! Many visitors come here every year・・・(これはホーチミン博物館。これは夏休みに沢山の人が来るニャチャン。とても有名なリゾート地だよ。これは阮朝の都だったフエ。沢山の宮殿に沢山の人、とてもすばらしいところ!ハロン湾は好き?ハノイからそんなに遠くないよ。美しい岩が沢山見られるよ。竜の伝説があって、毎年多くの観光客がここを訪れていて・・・)」
私はこの少女の英語の上手さに驚嘆していた。発音にくせはあるものの、泉のようにあふれ出す言葉。
 正規の英語教育を受けたとは思われない物売りの少女にこんな力があるとは。生きるためのひたむきさをそこに見たような気がした。
「How much?(いくら?)」
 私はこの子の英語力に感心して買う気になった。
「1dollar!」
 それは高い、1万ドンにまけて、と交渉したら案の定値下げした。この様子からすると原価はもっと安いのだろう。しかしそれ以上に値下げする気は起こらなかった。
 私は財布から一万ドンを取り出し、ポストカードと交換したが、その後が大変だった。
 予想はしていたことであるが、その子の妹分と思われるもっと小さな女の子たち――中には幼稚園児のような子もいた――が私のそばに群がってきた。
 その子たちは英語が上手くはなく、何を言っているのかわからなかったが、それぞれ手にマリービスケットやガムを持って、値段を言っているようだった。
 私は無視して立ち去ろうとしたが、二人の子がついてきた。一人は小学生のような体格で、もう一人は幼稚園児のようだった。
私はふと興味がわいて、「Em bao nhiêu tuoi?(お嬢ちゃん、年いくつ?)」と慣れないベトナム語で聞いてみた。
 マリービスケットを持った大きな子の方が左手の指を一本、右手の指を三本立てて、「mươi ba(13)」と答えた。不思議なことに私のベトナム語が通じていた。少女は13歳にしては体が小さかった。発育のいい日本人とは大違いである。
ガムを持った小さな子もひょこひょこ歩いて私達にようやく追いついたので、私はまた同じ質問をしたところ、その子は「sáu(6)」と答えた。
少女たちは道端に座り込んで私を見ていた。買ってくれることを期待してるのだろう。でも私に買う気は無かった。
私は20歳だと言うと、少女たちは顔を見合わせて「hai mươi(20)」を反芻していた。
 買う気はなかったがこの子達が不憫に思え、何か買ってやろうと思った。
 そこを折りよくバナナの天秤棒をさげたおばさんが通りかかったので、呼び止めて料金交渉を始めた。
 おばさんはバナナ一房1ドルだと言ったが、明らかに不当な価格である。
 そこで「tám nghìn(8000ドン、日本円の五十円強くらい)」と主張したら、私の発音が悪いためかおばちゃんの耳が悪いためか「năm nghìn(5000ドン、日本円の三十三円くらい)」と聞き間違えたようで、5000ドンはできない、7000ドンならいいと言いだした。
 これ以上下げさせるのもわずらわしかったのでその額で買うことにした。
 おばちゃんはそこに子供がいるんだから子供たちのためにあと2房ほど買えと言い出した。この子たちとグルなのかもしれない。
 買ったバナナをその子達にあげようとしたら、あっけなく拒否された。13歳の子だけならともかく、6歳の子のほうも首を振って頑なに拒んだ。
 いらない、いらない、いらないから買え、と言っているようだった。
 私に買う気が無いことを知った13歳の子は、このままでは埒が明かないと悟ったのか、うわーんと声をあげた。泣き落としである。6歳の子も真似してワーと叫びだした。
 どうもこれはまずいと思いあわてて逃げ去ったので、その子たちがそれからどうなったのか知らない。今でもホアンキエム湖で道往く外人の袖を引いているのだろうか。
 バナナは食べ切れなかったのでホテルの人にあげることにした。 

                       (続く)

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(上)旅行中に使ったハノイ地図

第二章、再会
 他の東南アジア諸国はどうだか知らないが、ハノイはバイクの町である。
 自動車などは数えるほどしか無いのに比べ、バイクだけは数え切れないほどある。
 そのバイクがほとんどホンダであり、ヤマハであり、スズキであるのが面白い。
 ハノイでは老いも若きも男も女もみんなバイクに乗る。運転できない人はバイクタクシー(そういう物があるのだ)に乗る。バイクがハノイっ子の足になっている。
 しかしヘルメットをかぶっている人間は誰もいない。少なくとも見たことがない。フンも鼻歌を歌いながら、よそ見をしながら、片手を離しながら気楽に運転していたが、一緒に乗っている身からすればとても危なっかしい。せめて事故は私のいない時に起こしてほしいものだ。
 無数のバイクが光の川となって闇のハノイを流れてゆく。何だか不思議な気分になってぼんやりしていると、音を立ててバイクが止まった。小ぎれいな喫茶店の前だった。
 さあ入ろう、とフンが手招きした。二人の女の子も私に入るよう促した。
 喫茶店の中は薄暗くライトアップされ、しゃれた音楽が流れていた。こざっぱりした身なりの若者達が優雅に談笑していた。昨日までのビンザンとは随分違うな、と思った。
 ビンザンはベトナムを語る上での一つのキーワードである。漢字では「平民」と書き、一般庶民の事を指す。
 ここで言うビンザンとは大衆食堂(クアンコム・ビンザン)のことである。似た意味の言葉としてニャンザン(人民)があるが、これは共産党政府が好んで使うため、一般のベトナム人にとってはビンザンのほうが馴染み深い。ちなみにベトナムの政府公認新聞の名前は「ニャンザン」である。
 店の中はたいして混んでいなかったので、空いてる席に適当に座ってみた。あとの3人も私が腰掛けた席のそばに座った。
 一つのテーブルに4人が顔を合わせたが、短い沈黙があった。それを破ったのがフンである。
 「西、よく来たな」そんなことを言ったと思う。それとも、「会えて良かった」だったかも。まあ、どちらでもいいことだが。
 「僕らは君を心から歓迎するよ。」
 本当にそんなことを言ってたのだろうか?英語で話していたので思い出せない。
 「明日から僕らが時間のあるかぎり君の案内をするからね。」とフンは言う。
 「明日は僕が案内しよう。」と、フン。「ホーチミン廟は行ったことがあるかい?」
 ない、と首を振ると、「よし、じゃあ決まりだ。明日はホーチミン廟!」呆気なく決まった。
 「じゃあ、明後日は私が案内するから・・・」と言って髪の長い女の子が言う。彼女は私の手帳に自分の名を書き込んだ。「ヴァン」それが彼女の名前だった。
 彼女がもう一人の娘を指して、「紹介するわ。これ私の妹のフック。」
 はじめまして、とフックが挨拶した。フックはあまり口を開かず終始控えめにしていた。
 「何を飲む?」と聞かれたものの、ベトナム語が読めないので何が出てくるのか見当もつかない。
 Lipton(紅茶)やCàphê (コーヒー)やtrà(茶)くらいはわかるものの、知らない飲み物を頼んでみたかった。結局選んだのは熱い生姜湯みたいなもので、とても飲み辛かった。
 「氷を入れればいい。」と彼らは主張するが、東南アジアで氷は大敵である。東南アジアに行った日本人が食中毒でやられる原因の多くは生水、氷、生野菜である。
(・・・でも結局このお店の衛生管理を信用して、氷を入れました。)
「ハァーイ」と女性の声がして、私の隣に座った。
 「久しぶりね、西」メガネをかけた丸顔の女性。顔に残る火傷の痕が生々しい。
 「久しぶり、ラン・フウン!」私は目を丸くした。
 彼女の名前はラン・フウン。熱帯的な顔立ちと火傷の痕を負った女性。連絡がとれなかったので、おそらく会えないだろうと予想していたのだが、誰かが彼女を呼んでくれたのだろう。
 「フウン、私が以前にあげた折り紙を覚えてる?」
 私は以前、ラン・フウンに折り紙を教えようとして、返り討ちにされた経験がある。私よりずっと早く鶴を折りあげて、「私は折り紙が好きなの」と気勢を上げていた。私はすぐさま白旗をあげ、彼女に折り紙をプレゼントしたのである。
 フウンは何の事だろうとしばらく考えてから、「ああ、あれね。」と言ったが、それ以上は語らなかった。
 彼女は一年半前に会った時に比べて遥かにおしゃれになっていた。かつての素朴な面影は見られなかった。
 「久しぶり〜」と、もう一人やって来た。
 「おー、マイチー」と歓声があがった。端正な顔立ちで、フンからは「僕らの仲間うちで一番きれいな娘」と言われているマイチーだった。以前より髪が伸びて記憶の中のイメージとうまく重ならなかったため、一瞬戸惑いを覚えた。
 「西、久しぶり。他の日本の友達は元気にしてる?」
 うん元気だよ、と答えて、胸の奥に熱いものがこみ上げてくるのを感じた。
 これで私を迎えてくれる人が5人になった。私という一人の日本人のために、これだけの人数が集まってくれた事に私は素直に感謝していた。生来涙もろい私はついホロリとしてしまいそうで、あわてて目元をぬぐった。
                        (続く)

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(上写真)ベトナム初の大学、文廟(ヴァンミュウ)

はじめに
これは、2004年にベトナムに行った時の旅行記です。
20日間もハノイにいたわりには、あまり遊ぶ時間はなく、帰国前の四日間だけフリータイムとなり、現地人の知り合いを訪ね歩いたりしました。
フンやトゥーやチャン、フウンやマイチーたちとはもうしばらく連絡をとっていませんが、彼等も元気にしているといいなあ、と思います。

第一章、ハノイの夜風
 どれだけ眠っていたのか覚えていない。昨日までの疲れが、堰を切ってあふれ出たように、私の全身に回りきっていた。
 疲れは背中に降り積もり、肩の上に上がりこんで頭の中に靄をかけたかと思うと私の目をふさぐ。そうなったら私の負け。疲れが気分を変えてどこかへ行ってしまうまでは大人しく寝ていなければならない。
 目が覚めたときには空高く上っていたお日様が半分顔を隠していた。
(いつの間にこんなに寝ていたんだろ・・・)寝ぼけ眼でぼんやりテレビ画面を見つめた。
 テレビの中のアングロサクソンのお兄さんたちが私の気を知りもせず、ぺちゃくちゃとしゃべり続けている。
 困ったな、もう銀行もしまっただろうなと思い、ベッドに横になった。「あー、どうしよう。お金が無いのに」声を出すと部屋が余計に広く感じられた。
 この部屋に泊まっているのは私一人だが、ベッドは三つ。アンバランスな広さである。ベッドには赤や青の鮮やかなシーツがかけられ、花柄のカーテンは夕方の風に揺れている。
 ベッドから身を起こして考えた。何をすべきだろう?
 しなければならないことは一つだが、それに先立つ物がない。お金だ。
 とりあえず電話をかけるだけのお金があることを確認してフロントに下りた。赤いカーペットの階段がいやに薄暗かった。
 ここはベトナム社会主義共和国の首都ハノイである。ベトナムというとホーチミン(サイゴン)が有名だが、私が来たのはマイナーなほうだ。軽い観光旅行のつもりで入国したのが運のツキ。昨日までの苦労が骨身にこたえていた。
 私にはハノイに住んでいる知り合いが何人かいた。全員ベトナム人で日本語はできないが、入国前に行くことは知らせておいたし、入国後もネットカフェのEメールで連絡を取り続けていた。
 ホテルの従業員が私の顔を見て「ハロー」と言った。その口元に笑みがあった。「May, May I use phone?(で、電話を使ってもいいですか?)」間の抜けた私の下手くそな英語。それでも従業員は笑顔で「OK」。受話器を差し出した。受話器を受け取ると私はメモ帳を開いた。彼が教えてくれた電話番号・・・。
 一つ一つの数字を間違いのないように丁寧に打ち込んだ。かかってからしばらくして「アロー」という女性の声がした。しまった!間違えたか?
 私はフンという名の男性にかけたはずなのに・・・。間違えたのか、それとも彼が誰かと同棲しているのか。頭の中はこんがらがったが、動揺を口調に出してはいけない。なるべく冷静を装いながら、フンさんはいますかと尋ねたところ、男の声が聞こえたので、ためしに言ってみた。
 「Hi, this is Nishi. I’m your Japanese friend・・・」
 電話の奥の声がクスリと笑った。やはりフンだった。
 彼は今夜私に会いたいからヴァンミュウに来てくれと繰り返した。
 「Van Mieu?(ヴァンミュウ)」
 「Yes, it’s the first national university!(そう、ベトナム最初の国家大学だよ!)」
 ヴァンミュウは有名な観光スポットなので知っている。しかしそこまでどうやって行くのか。タクシーを使うとしてもお金が無い。
 それでも、とりあえずそちらに向かうよ、と言って電話を切った。顔を上げると授業員がニヤニヤしながら電話代を請求してきた・・・。
 日本円はあった。しかし現地通貨は無かった。これではタクシーにも乗れやしない。仕方なく、レートが不利だとは知りつつもホテルで両替してもらうことにした。
 ここで注意しなければならないのは、ホテルの支配人と従業員で相場が違うことだ。もちろん従業員はわざと高い交換比率をふっかけて、余剰分を着服しようとしているのである。
 私の場合、さっき支配人が言ってた交換比率と違う、と言って適正価格に下げさせた。
 その後タクシーに乗って、ヴァンミュウへと向かった。
 Van Mieu(ヴァンミュウ)は漢字で書くと「文廟」である。孔子を祀るための廟で、かつては教育機関が置かれたこともあった。日本でいえば湯島聖堂みたいなものだろう。ベトナムは中国に倣って科挙を導入したが、その合格者の名前がヴァンミュウに今でも残っている。
 ヴァンミュウに着くと男がタクシーの方に駆け寄ってきた。
 「Nishi?」フンだった。メガネの奥の顔が笑っていた。一年半ぶりの再会。あまり変わってはいないな、と思った。
 フンと一緒にジーパン姿の女の子が二人来ていた。「私を覚えてる?」と背の高いほうの女の子が言った。うん、と答えたものの自信が無かった。そしてもう一人は全く見覚えがなかった。お茶でも飲もうか、とフンが言う。私に異存などあるはずも無く、彼らの言うままについていくことにした。
 女の子二人はバイクにまたがり、私もフンの後ろに乗って、二台のバイクは発進した。案の定、ホンダのドリームだった。
 バイクの二人乗りに不安はあったが、ハノイの夜風がノーヘルの頭に心地よかった。
 
(続く)

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