ハニワ堂古書店

店主の西貢が日々考えたことや体験したことをつづるブログです!

ソウル体感録

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]

平日の昼間にもかかわらず、二本目の記事をあげてみる。
こんなことやってると、「仕事しろよ、このニートが」と言われかねないけど、まあニートなのは半分くらい事実なので、ニートらしく二本目の記事もあげてみます。
 
タイトルを見てピンときた人は中島みゆきファンでしょうか?
中島みゆきの「タクシードライバー」という歌の中で、「♪タクシードライバー 苦労人と見えて 私の泣き顔 見て見ぬふり」という歌詞があるのです。
 
今回はこないだソウルで出会ったタクシードライバーについて書きたいと思います。
 
その日私は、空港に行くため大荷物を抱えていた。
宿はけわしい坂の中にあったため、この荷物を持って地下鉄駅まで歩く気にもなれない。たまたま通りかかったタクシーを呼んで、乗り込んだ。
 
イメージ 1
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  ↑
タクシーに乗った場所はこんな所。結構きつい坂でした。
タクシーに乗り込んで運転手と軽く会話をする。
私が二言、三言話すと、彼も私が日本人だと気付いたようだ。
「日本人ですか?私も1年半くらい日本に住んでたことありますよ」と韓国語で言った後、「こんにちは」と日本語であいさつをした。
 
年齢は四十代後半くらいだろうか。
気さくな感じの人だった。
「私は東京の品川にある会社で働いていたんです・・・」
彼の話によれば、彼はIT関連の仕事をしていたらしい。
それが何故今はタクシードライバーをしてるのだろう?と私が不思議そうな顔をすると、彼もそれを察したらしく、「今は・・・一生懸命に生きているんです」と笑った。
 
日本と同様に韓国も景気がよろしくないご時世だ。
きちんと就職しても途中でいつリストラされるかわからない。
きっとこの人もそんな形で解雇されたものではないだろうかと思う。
 
それでも世をすねたりせず、「一生懸命に生きてる」と前向きな事が言える彼の姿に、私は軽く感動を覚えていた。
 
そうなのだ。
現状がいくら不遇でも、評価されない生き方をしていても、それは決して恥ずかしいことではない。
「一生懸命に生きている」ことに、何らやましさを覚える必要はないだろう。
 
彼は実際に日本を見てきたという経験があるためか、日本のことをやたら誉め始めた。
「ほら、見てくださいよ。韓国のこの交通マナーの悪さを」
彼は他の車を指さしながら、私に語った。
「日本では東京オリンピックでみんなマナーが良くなったのに、韓国はオリンピックから二十年も経ってまだこんな水準ですよ。本当に日本人は大したもんです
 
韓国人と話していると、ときおりこんなことを言う人がいる。
「日本はすごいのに韓国はダメだ」という形で日韓比較をおこなうわけだが、あまりに頻繁に聞くので、単なる日本人相手のリップサービスとも思えない。
彼らの本音にかなり近いのではないか。
 
「日本の会社で働いてみてわかったんですが、日本人は合理的ですね。韓国の会社では上司の顔色をうかがって部下はなかなか退勤できないんですが、日本人は自分の仕事だけすませたらすぐに退勤する。韓国も日本から学ばなければいけない点です」
 
日本でも上司の顔色をうかがって退勤できない部下はたくさんいるから、たまたま彼が見た会社がそうだっただけではないかと思うけど、彼にとっては大きなカルチャーショックだったらしい。
 
私は日本人だから、日本を誉められて悪い気はしないけど、少し持ち上げすぎかと思う。そこまで誉められると、くすぐったいを通り越して恥ずかしくもなる。
 
「最近韓国では従軍慰安婦問題とかで日本を非難する人が多いけど、私はあれについてもどうかと思うんですよ。」
彼が政治問題について過激な意見を言いだした。
「もし日本が韓国より貧しい国なら、あんなことをやりますかね?日本が自分たちより豊かだから、非難するんでしょう」
 
おお、これは韓国人としてはなかなか公然と言いにくい発言だ。
タクシーの中に私と彼しかいないから言える本音だと思う。
実のところ、韓国にも自国のナショナリズムに対して批判的な人はかなりいる。
ただ、それを公然と口にすると社会的非難を浴びざるをえないから、発言しないだけだ。
日本における天皇制タブーに近いところがある。
 
私は彼のこの過激な意見(当たっている部分もあると思うが)に、「そのとおりだ」とも「それは違う」とも答えなかった。
その国のことに関して、ろくに知りもしない外国人が軽々しく口を出すべきではないと思うからだ。
ただ「そうですか」とだけ答えた。
 
タクシーが目的地に到着すると、彼は言った。
「また韓国に来てくださいね」
私は答えた。
「ええ、また来ますよ。われわれ日本人も韓国から学ぶべきことがありますから」
彼は私の言葉に目を丸くして、そしてまた笑った。
「そうですね、お互いにいいところを学びあえばいいんですね」
「そうです。そうやってお互いに学ぶことこそが、交流ですから」
と私は答えて、タクシーを降りた。
 
韓国を去る前にいい人とめぐり会ったなと思った。
きっともう二度と出会うことはないと思うけど、あのタクシードライバーに幸多からん事を願っている。
 

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

(写真1枚目)ソウルの街角で買ったBig Issue
(写真2枚目)ソウル宗廟公園で見た紅葉。韓国は今紅葉真っ盛り。
(写真3枚目)ソウルの庶民の道、ピマッコル(避馬小路)。昔は食堂や飲み屋が延々と続く通りだったのだが、都心再開発のため今は一部しか残されていない。


韓国から戻ってきました。
11月末の韓国はとても寒かったですが、自分の原点に立ち帰ることができたような経験でした。

思えば私の外国体験は韓国から始まったのでした。
十年以上前に初めて足を踏む入れた韓国という外国に、どこかしら心ひかれ、その縁でここまで来ました。
その後韓国で一年間暮らすことにもなり、外国から来た多くの留学生たちと知り合いました。
出会った人々は、ロシア、中国、カナダ、アメリカ、イラン、パキスタン、インド、アルメニア、インドネシア、台湾、ベトナム、ウズベキスタンなど多岐にわたります。
彼らとの友情は一生大切にしていきたいと思っています。

私は韓国を訪ねることで初めて外国を知り、韓国で暮らしてさらに広い世界を知りました。 
私の世界を見る目は韓国体験を通じて養われたといっても過言ではありません。
そういう意味で、私は韓国に育てられたといえるのかもしれません。
韓国には恩があり、私自身深い思い入れがあります。

約半年ぶりの韓国だったので、韓国語を忘れていないか心配だったのですが、思ったより何とかなりました。もちろん語学力は暮らしていた時より劣化しているのですが、意思疎通にはそんなに苦労しませんでした。

今回ソウルで出会ったちょっといい話でも紹介してみましょう。

ソウルの地下鉄駅周辺でおじさんがBig Issueという雑誌を笑顔で売っていました。
Big Issueとは皆さんも知ってのとおり、ホームレスが売っている雑誌のことです。
この日のソウルは氷点下近くの寒さで風も吹いていました。
道行く人々は足早に通りすぎるだけで誰もBig Issueには見向きもしないのですが、おじさんは笑顔で売り続けていました。
「おじさんだって寒いだろうに・・・」と思いながら私は通り過ぎましたが、おじさんが凍てつく寒さの中でも笑顔を絶やさないのを見て、ふと気が変わりました。
この人になら支援してあげたい、雑誌を買ってあげたいと思ったからです。そう思って来た道をひきかえし、おじさんに声をかけました。
「一冊いくらですか?」
「3000ウォンです。(今のレートなら230円くらい)」
そうして3000ウォンを取り出そうと財布を開けてみたのですが、あいにく1000ウォン札がない。
一万ウォン札を出してお釣りをもらおうかな?でもおじさんがお釣りを持ってなかったらどうしようかな?なんて考えていたら、おじさんがこんなことを言い出しました。
「お金がありませんか?なら、このまま持って行ってください」
と言ってBig Issueを私に渡してくるのです。
「え?何ですって?」
「このまま持って行ってください。お金はまた来られた時で構いませんから・・・」
冗談ではありません。私は一時的な旅行者でこのおじさんに会うことはおそらく二度とないでしょう。
このまま雑誌だけ持って行ったら、支援どころか私がおじさんに損をさせてしまうことになります。
私はただでもらっていくことを断固拒否して、一万ウォン札を出しました。
おじさんはそれを受け取るとお釣りの7000ウォンを渡してくれました。
「きちんと数えてくださいよ。手がかじかんでるせいで、お釣りを間違えて渡しているかもしれませんから・・・」
私はお釣りがきちんと合っているのを確かめると、おじさんに「大変でしょうけど頑張ってくださいね」と言って地下鉄駅に駆け込みました。

おじさんがホームレスなのかどうかは知りませんが、寒空の下でBig Issueを売っているところから見て生活が楽ではない人でしょう。
そんな人でありながら、笑顔を絶やさず、「お金がないならこのまま持っていってください」と言えるのはなかなか無いことだと思います。
それにしてもつくづく思うのは韓国人のお金へのこだわりのなさです。見知らぬ旅行者のために切符を買ってあげたりするような韓国人の情の世界です。

ああ、思えば私が韓国語を話せるようになりたいと思ったのも、そういう韓国人たちの深い心に触れたいと思ったからなのでした。
韓国の街角で物売りをしているような人たちに気のきいた冗談でも言って笑わせられるような、そんな心のふれあいをしたいと思って言葉を学んでいたのでした。

最近すっかり忘れてしまっていたそんな初心をふと思い出しつつ、その時の目的を少しは達成できたのではないか?と一人自己満足にふける今日この頃でありました。

ソウルなう

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

(写真1枚目)ソウル繁華街の夜の風景。右手に見える見慣れた店はセブンイレブン。
(写真2枚目)ソウル中心部に残るちょっと昔の雰囲気を残した小道。こんな風景もそのうち消えてしまうのだろうか。
(写真3枚目)宿の近くで食べたスンドゥブ定食。これにご飯と焼き魚がついて5000ウォン。


今ソウルに来てます。
約半年ぶりのソウルです。
来てみてわかったことが二つありました。

一つ目はとっても寒いこと。
「日本(東京)よりちょっと寒いくらいだろう」とたかをくくっていたら、東京では一年に一度あるかないかくらいの寒さだった。
今朝は氷点下の寒さになりました。まだ11月だというのに、冬将軍は張り切りすぎだろうと思う。
多分使わないだろうけど「念のために」持って行こうかと思ってかばんの中に入れておいた毛糸の帽子とマフラーが大活躍です。
何事も「念のために」という感覚が大切なんですね。
外は寒いけど建物の中は日本より暖かいです。これが韓国の特徴ですね。

わかったことの二つ目は、韓国は何事も変化が早いこと。
留学中によく通っていた飲食店が二つあって、そこのおばちゃんにはよくお世話になってました。
それなのに、今回行ってみたらどちらもなくなっていました。
特に海鮮鍋屋(해물탕집)のおばちゃん(どちらかといえばおばあちゃんという年齢かな)は私のことを「日本の息子(일본의 아들)」と呼んでかわいがってくれました。たまにただで食事をさせてくれたり。
そういう仲だったので今回は日本でお土産を買って海鮮鍋屋に会いに行ったら、違う店に変わっていました。
おばちゃんの個人的な連絡先なんて知らなかったので、会うこともできず、残念でした。
それにしてもわずか半年くらいの間に私の馴染みの店が二つもなくなっていたなんて、いくら変化の早い韓国といえども予想できないことでした。

今日は自分が以前に住んでいた下宿に行ってみました。
下宿のおばちゃんに電話をかけてみたのですが、「この電話番号はただいま使われておりません」という機械音が聞こえるだけで、本当に会えるかどうか心配でした。
海鮮鍋屋のようにもう下宿をやめていたら(このおばちゃんは雇われ管理人)どうしようかと不安に思いながら、現地まで行ってみました。
そうしたらまだ普通に下宿で働いていたので安心しました。おまけに同じ階に住んでいた女学生(同じ大学院生ということでそれなりに仲良くしていた)とも会えました。
おばちゃんは私が来たからということで、食べきれないほど料理を作ってくれて「食べろ、食べろ」とすすめてきました。留学中はこれがイヤで仕方がなかったのですが、今回は「相変わらずだな」とむしろ懐かしい気分になりました。
変化の激しい韓国でもまだ変わらないものがあるとわかってちょっと安心しました。

そんな中、海鮮鍋屋のおばちゃんから電話がありました。
海鮮鍋屋の跡地に新しく入ったうどん屋の主人に「海鮮鍋屋のおばちゃんに連絡がついたらこの電話番号を渡してほしい」と私の携帯電話番号(空港でレンタルしたもの)を渡していたのですが、主人がおばちゃんに伝えてくれたみたいでした。
ありがたいと思いました。
うどん屋の主人に百回くらい「ありがとう」と言いたい気分です。
やはり韓国は人情の国だと思います。人と人とのつながりの中で生きている世界だと思います。
最近人付き合いをおろそかにしていた自分自身を少し反省しつつ、今は素直に他人の好意をありがたく受け取りたいと思います。

ソウルのムスリム街

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

(写真1枚目)ソウルの梨泰院(イテウォン)にあるモスク
(写真2枚目)モスクの入り口
(写真3枚目)ムスリムのための旅行会社
(写真4枚目)ムスリム食品店
(写真5枚目)ムスリムレストランでのティータイム。トルココーヒーとお菓子(名前を忘れた!)
(写真6枚目)お土産に買ったトルコのお菓子


もう半年も前のことになるが、私はロシア人の友人と一緒にソウル梨泰院(イテウォン)にあるモスクに行ってきた。
梨泰院は、近くに米軍基地があることもあり、古くから外国人の多い地区であったが、最近は米軍基地とは特に関係のなさそうなムスリムが増えているという。

梨泰院(イテウォン)の名前の由来としてよく挙げられるのが、「異胎院(イテウォン)」伝説である。1592年〜1597年の間に行われた秀吉の朝鮮出兵(いわゆる「文禄・慶長の役」)によって日本人と朝鮮人のあいの子がたくさん生まれ、その子供たちをこの地に集めたため、異胎院(イテォン)と呼ばれるようになり、その後発音が同じ「梨泰院」に名前が改められたというものである。
この伝説は、観光ガイドブックなどにもよく載せられているため、知っている人も多いとは思うのだが、私はこの伝説はただの言い伝えに過ぎないと思っている。
その理由は、「イテウォン」という地名が秀吉の朝鮮出兵以前にあったためである。15世紀後半に編纂され、16世紀初めに増補された『新増東国輿地勝覧(しんぞうとうごくよちしょうらん)』という地理書の中に「利泰院(イテウォン)」という地名が見られ、これが現在の梨泰院の名前の由来であると思われる。
また、「異胎院」伝説を主張する人々がよく典拠として用いるのが『林下筆記』という本であるが、これは19世紀の李裕元(イ・ユウォン)という人物が書いた後世の記録であり、当時そのような言い伝えがあったことはわかるが、歴史記録としてははなはだ疑わしい。
そういうわけで、私は「異胎院(イテウォン)」伝説については、疑問視せざるを得ないのである。

さて、ウンチクはここまでにしておいて、梨泰院(イテウォン)のムスリム街についてのレポートをしよう。

モスクは地下鉄梨泰院駅を出て東南側の坂を登ったところにある。近くに「梨泰院ランド」というチムジルバン(日本の健康ランドみたいなもんか)があるため、知っている人も多いかとは思う。
坂を登っていくと、少しずつイスラム系の文字や物品が増えていく。建物のつくりは完全に韓国の街なのにもかかわらず、文字や品物や、ムスリムっぽい人たちが増えてくるので、何だか不思議な気分だ。

イスラム書店があったので、同行のロシア人と一緒にそこに入ったところ、店番をしていたムスリムのお兄ちゃんに熱心に布教をされてしまった(笑)。
その後、ムスリム街を抜けてモスクへと入った。モスクの事務室に行き、モスクの中を見せてほしいと言うと、正門を開けて中を見せてもらえた。
このモスクには二つの入り口があった。正門は男性信者のための入り口で、女性は別の小さな入り口に回らなければいけないようだ。ムスリム版「男女七歳にして席を同じくすべからず」という考え方によるものであろうか。
このモスクはテクォンドー道場の一部を借りて(明らかに道場そのものより大きいけど)作ったもののようで、そのためかモスクの中にテクォンドーの車が止まっていた。
韓国的なものの象徴とされるテクォンドーと、思いっきり異国的なモスクが同居していることに面白さを感じた。このモスクも、また韓国内のムスリムたちも、韓国社会と共生しつつ自分たちの信仰や生活を守っていくためにこれまでたくさんの努力をしてきたのだろうと思うと、胸が熱くなった。

モスクを出て「お茶でも飲もうか?」という流れになり、ムスリムレストランに入った。
そこでトルココーヒーとお菓子を頼んだ。トルココーヒーはコーヒー豆を粉状にしてそのまま煮出して飲むコーヒーだった。西洋式のフィルターで漉す方式ではないため、コーヒーカップの下にコーヒー豆が残って、飲んでいると口の中がジャリジャリする。奇妙な感触だった。
お菓子の名前は忘れてしまったのだが、パイ生地の下に豆をつぶしたあんのようなものが入っていて、とても甘かった。苦いトルココーヒーとはよく合っていた。

店員はフィリピン人だった。まだ韓国に来て日が浅いのか、韓国語はあまりうまくはなかった。「韓国は寒くて大変でしょう?」と聞くと、「そうです」と言っていた。

支払いの時に驚いたのは、料金に付加税が加算されたことである。韓国のホテルの食堂などで食事するとたまに付加税が加算されることがあるのだが、それと同じものだろう。この付加税というのが何なのかわからないのだが、特定の店にだけあるもののようである。

その後、ムスリムマートでトルコのお菓子を買った。同行のロシア人が、「子供の時よく食べてた。これがおいしいんだ」と言うので、一つ買ってみて二人で分けて食べることにした。
甘〜〜いグミ状の中身に粉砂糖をこれでもかとまぶしたものすごく甘いお菓子だったが、中にナッツが入っていて結構おいしい。食べ始めると止まらなくなる不思議な魅力があった。
(ロシア語で「рахат-лукум(ラハト・ルクム)」ということを後になって知った。)

さて、梨泰院のムスリム街の話はこれでおしまい。
ムスリム街といってもそんなに広いものではなく、モスクに向かう坂道一本分にムスリム関連の店が立ち並んでいるだけなのだが、韓国でこんな風景は珍しい。これを読んでいるあなたもソウルに行く機会があれば、一度立ち寄ってみてはいかがだろう?

イメージ 1

(写真)韓国の鶏龍山(忠清南道)の渓谷の写真。本文がちょっと汚い話なので、口直しにでも。


韓国で暮らしていてどうしても許せないことが二つある。
こんなことはブログで書くものではないかもしれないが、言いたいことを自分の胸だけにしまっているとストレスがたまるので、感情にまかせて書いてしまうことにした。
もし不適切だという指摘があれば、いつでも削除するつもり。

韓国に住んでいて許せないことというのは、ずばり韓国人のエチケットに関するものだ。
もちろん全ての韓国人がこうでないのはわかっている。
ただこういう韓国人はたくさんいて、そういう人たちのために韓国自身が国際的に不当に低く評価されていると感じるのだ。
だからあえて苦言を呈するつもりで書いてみたい。

どうしても許せないことというのは、

(1)道にツバ(痰?)を吐くこと
 (ちなみに唾は韓国語で「침(チム)」、痰は「가래(カレ)」といいます。以上、どうでもいいトリビアでした!)

(2)ごみをポイ捨てしたり、自分のごみを片付けない人が多いこと
 ゴミ箱があるにもかかわらず、わざわざゴミ箱の近くの道端に捨てている人もいます。

もちろん、こんな問題は韓国にかぎったことではないでしょう。
でも今や世界の先進国の仲間入りをして、G20サミットの議長国もつとめるような国なのにこんなに公共マナー意識が無くていいのか?と思うこともしばしばです。

もちろん韓国の治安の良さや人々の親切さ、便利さなどはとても良いところだと思いますよ。
でも、そんなことは今は関係の無いことです。

大人気なく言わせていただければ、

「私の目の前で唾を吐くな!自分のごみくらいは持ち帰れ!ゴミ箱がそこにあるのに何故そこに捨てない!?」

・・・失礼しました。
でも大声で叫んだら少しはすっきりしました。

どんな理由があるにせよ、目の前で人が唾を吐いているのを見れば気分が悪くなります(少なくとも私は)。汚いなあ、と思いますよ。この道に誰が何回くらい唾を吐いたのだろうかと想像すると気分悪くなりますよ、本当。
道端にごみが散乱して、ハエがたかっていたら気分悪いですよ、そりゃ。
自分もそこに住んでいるんだから。
汚いよりはきれいな方がいいじゃないですか。

それから、ごみをポイ捨てする人たちが多いのはいやですねえ。
それを誰が片付けると思っているのでしょう?
実際には誰かが掃除しなければいけないのに。
自分は汚すだけ汚して、掃除は他の人にやらせればいいとでも思っているのでしょうか?散乱したごみを見ると、そういう人間のエゴのようなものを感じるので不快です。

韓国人は愛国心が強いという俗説をよく聞きますが、つば吐きやごみのぽい捨てを見る限り、怪しいものだと思います。
自分の国を自分で汚していて、何が愛国でしょうか?
安重根や李舜臣のことを学校で教えるより先に、自分達の国を自分たちの手できれいに維持していくための公共マナーを先に教えるべきではないのでしょうか?
それこそが本当の愛国ではないのでしょうか。

何にせよ、唾を吐いてる人やごみをぽい捨てする人を見ると気分が悪いんですよ。
今さっきそういう場面に遭遇して、すごく胸糞悪くなったので、怒りに任せてこんな記事書いちゃいましたよ。
この文章はそういう単なる個人的なつぶやきです。
まあ、本来ブログなんてそんなものなのかもしれないけど・・・。

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]


.
西貢
西貢
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(1)
  • kino3
友だち一覧
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

標準グループ

登録されていません

検索 検索

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事