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本9日は68年前にソ連軍が満州、南樺太、千島等において、対日侵攻を開始した日である。
当ブログの読者のみなさんには言うまでもないことですが、この侵攻は昭和16年4月から、5年間、相互の不可侵を定めた日ソ中立条約を反古にしたものであること、また本土決戦前の土壇場になって火事場泥棒的に戦果をふんだくり、同地域に在留していた日本人に対する悲惨な凌辱を行い、戦後も長く抑留したことから、戦後日本の根深い対ソ不信の原因となってきた。
この侵攻の原因は、昭和20年2月のヤルタ会談によるものとされている。
時の米大統領ルーズベルトが、スターリンに対して参戦を促したもの、とされるが、同年秋に予定されていた本土決戦においても、米軍はソ連との共同作戦を欲していたのであろうか?
調べると、ソ連参戦直前においては、米国は独力で日本を屈服できると考えていたらしい。それができるかどうかについては後述するが、まずここでちょっと、日米ソ、3者の思惑を背景に、本土決戦実施の可能性を検討してみたい。
日本側が、対米講和の条件をよくするため、米英(支那はどっちでもいい)のみと「講和の用意がある」とし、対ソについては「中立条約を一方的に破棄されたもの、承服できない」とすることで、戦争を継続すれば、終戦の状況はどうなっていたであろうか。
8月15日に日本はポツダム宣言を受諾したが、その大きな動機となったのは、一つは原爆、もう一つはソ連の参戦であったといわれる。
原爆については、どれだけ頑張っても次の原爆が使えるのは10月、そこから月1ペースとなる。本土決戦の計画は、その第1弾が南九州に対するオリンピック作戦。これが11月の予定で、それまでには多くて2発の原爆が投下されていることになる。
しかしそんなことはあまり重要ではない。理由は
1. 硫黄島、沖縄のように小さな島で、軍艦も飛行機もない相手に対する圧倒的な戦力を以てしても、米軍には相当の犠牲が出た。面積も人口も全然違う本土決戦での犠牲となると、更に計り知れない。
2. 原爆の惨状は、我々の世代でももう、夏になるたび嫌と言うほど見せられている。米軍の行いつつある非道がこのようなものだ、と、中立国を介して流せば、本土決戦の犠牲に加え、日本人を殲滅する戦争目的に対する疑義は容易に醸成されうる。ベトナム戦争に対する反戦運動のような動きも期待できる。
3. ソ連は11月までも待ってくれない。北海道上陸の可否は分らないが、もっと重要なのは朝鮮半島。各個陣地は頑張っているが、38度線には9月中に達するであろう。そうなると米軍も、本土決戦に先んじて南朝鮮占領作戦を始めざるを得なくなる。それもソ連を牽制するには、5年繰り上げの仁川上陸が必要となる。
もはや本土の外に何の影響も持たない日本に対する処理のために新たな敵、ソ連に対する備えが後手に回ることに米国は耐えられるのか?それもどこかで下手を打つと、日本に対して意固地になっている間に、朝鮮戦争のような紛争も起きかねない。「原爆は戦争を変えた」と言うが、それを逆手に取ることを、なぜ日本政府は考えなかったのか?
そして戦後は、継戦の可能性を考えるだけで狂信的だの荒唐無稽だの、あの時点で降伏したことこそ最良の判断であったという。昭和天皇のご聖断でもあるから、保守の人でも異を唱える人が少ないと思われるが、全滅したのならともかく、ろくすっぽ戦いもしないで民間人を放り出して降伏なんて、そりゃあ軍民とも納得しませんわ。
私は戦後のポリシーなど、情けなくて大嫌いですが、こんな状態に貶められてのスタートなら、卑屈になるのも仕方がないといえば仕方がないと思います。
お盆が近づいてきて、今年もまた下らん戦争ものが目につくようになりましたが、
私が今夏抱く感慨は以上の通りであります。
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歴史を探るケンジ
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ナイス、5ポイント進呈します。
2013/8/9(金) 午後 5:39
ありがとうございます。
この辺りの歴史って、観念論や運命論にとらわれすぎてると思います。
2013/8/10(土) 午後 3:39 [ ケンジ ]