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2005年に開設した当ブログに度々登場してその都度罵倒していた父が、今月18日に亡くなりました。
7年前に長期入院した折、憎んでいた相手に対しても「はははザマミロ!早よ死ね!」とは思わんものやなぁ、
と何度も思いましたが、今回は早よ死ねはともかく、少々状態がよくなったところで退院、
いや病床から起き上がることすら望めないことが分っていたので、なるべく苦しまずに逝ってくれれば、
というなんとなく複雑な感情でした。
2015年の年末、飲んだくれてタクシー帰りした夜の2時ごろに兄からTel。
父が大腸に出血を起こして手術中やから家族集まれ、と呼び出されました。
その時は手術は手間がかかったものの、これまで通り命が云々などと脅されても大したことはないと信じていたし、
実際いつも通りの憎たらしい親父のまま帰って来ました。
しかしこの後、そのような症状になったのはデイサービスの食事のせいやといい出し、
元々好きでもなかったデイサービスをやめてしまいました。自宅から出る機会がより少なくなった父は、
同居する母と弟に当たり散らし、我儘な正確に拍車がかかるようになりました。
同じ相手に同じようなことしかしないので、短時間にボケもひどくなって行きました。
正月からその暮らしをしていて半年ほどたつと、母が限界になってきました。
デイサービスは週一しかなかったのですがその機会もなくなり、父は四六時中小姑みたいに
母のしていることを監視してネチネチ嫌味を言うそうです。週2ぐらいでケアを頼んでいた看護婦も辟易し、
仕事につくなり「奥さん、お買い物に出て下さいね」なんて言う始末。
お盆が過ぎる頃には、日頃から気に入らない私を家にすら入れなくなったり、
ワガママ+ボケがどんどん高じていた昨年末、よくある誤嚥肺炎を起こして、近所の病院に入院しました。
実はその時、背骨の棘突起が1か所折れていて、背中が痛い痛いというていたのですが、
病院は背骨の検査をしないまま、肺炎の治療のみを終わらせ、その後骨折に気付いた次第。
そんなお粗末な診察ってありなん?と今でも思いますが、日頃から文句ばかり言うてた父に、
みなあまりまともに耳を傾けなかったのも事実。骨折と聞いて「なんで早よ見つけんかってん!」
と医者に文句を言うても、彼らには馬耳東風。
骨折は思ったよりすんなり治ったのですが、骨も弱っているし、嚥下の力がなくなっていて、
退院しても元の暮らしに戻れないまま再入院。そんなことを2,3回繰り返した後、
次の退院後は食事も流動食のみ、トイレも寝たままですることになる、と聞いて、
介護の病院への転院を決断しました。自宅でそんなことは不可能やし、無理にやったら母も倒れるやろうし、
結局父自身もすぐに死んでしまう、というのは本人にも分ったようです。
そこに移っても、相変わらずブチブチ文句や嫌味ばかり言うていて、あの調子では当分死なんわ、
と思っていたのですが、約1か月でご臨終。天井の空調機から兄貴が覗いとるとか言うので
「それはお迎えちゃうんか!」と突っ込んでいたら、2日後ぐらいからは意識もなくなり、
その2日後に亡くなりました。最期はもう少し持つやろう、と思っていたら急にストンと逝きました。
会話ができなくなってからの父は、単に苦しそうな息をする老人だったので、
息が止まって白い顔になった父を見た最初の言葉は「しんどかったなぁ」でした。こちらもそうでしたが。
あの親父にしては出来過ぎの、静かで穏やかな死でした。納棺後のエンバーミングもうまくいき、
笑って寝ている顔をみて、こんな表情はもう子供の頃ぐらいまで遡らんと覚えがないなぁ、と思うほどでした。
葬儀は簡素に、しかし来てくれた人々にはケチらんといっぱい楽しんで、笑って帰ってもらってくれ、
という遺言通りに式も終わりました。
遺影は、我々がまだ学生時分の頃のもの。今の兄貴より少し上ぐらいの時の写真にしました。
お爺さんになった後より、まだ若くて精悍やった顔の方が、親父らしいです。
まあ、照れくさいけど、ゆっくり休んでください。
死ぬまでに一発どついたんねん、と思ってたけど、かなわんかったな。
ワシも死んだらシバきに行きますのでよろしく(^^)/
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お悔やみ申し上げます。
2017/6/29(木) 午後 5:00
> よかもん人生さん
ありがとうございます。
人生の大きな節目です。
2017/7/1(土) 午後 7:02 [ ケンジ ]