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8月になりました。この記事書いたら1000件まであと9件ですな。
しかし、こんな風に今まで通り記事をUPでけるのも、今日を入れて後23日。
お盆は総括に向けて書きまくらんとアカンかもしれません。実行するかどうかは分りませんが。
7月は、早々に1件UPしたものの、その後上京して帰ったら夏が本気出し始めました。
アッツイ暑い!それでも例年は、家に帰ったら窓を全開にしたり、休みの日には打ち水したりして
冷房入れずに我慢できたのが、今年はいきなりガンガン!
何故か?それは会社の冷房がメゲたからでした。今もこんな風に、絶賛休業中!
初めは「クーラーの効きが悪くなったかなぁ?」ぐらいで我慢していたものの、何日かしたら18度とか16度にしても、生ぬるい温風しか出しよらん!
たまに来客があった時など「うわ、何ですのん?熱中症になりますよ!」なんて心配される始末。
周旋屋に聞いてみると、「クーラーは店子が置いた分と思います」なんて言いやがるので、
こんなのを買ってごまかそうとしてみました。 たまたまたまっていたTポイントの無効が近づいていたので、ただで持って来てはくれたけどアカン!アカン!!
所詮はラジエーターや。「自然な涼しさ?」そんなんちゃうねん!ちゃんと冷やしてくれ!!!
いやもう仕事にもならんので、家主にSOS!いざとなったら「そのぐらい設置してくれとるもんやろが!」
と怒りにまかせてゴネてみたる!「もしもし?あの〜(以下略)」
「ああ〜、そうですか〜。とりあえず業者に見に行かせます」やった!助かった!大家さん神!!
ところが業者は素早く来たものの、「設置は11日の日曜日、朝9時が最短です」やて!お盆になっとるがな!!
この日は8月6日、被爆された方は偲ばんといかんねやろけど、
ワシが暑いのはそんなんと比べたらあかんのちゃうこ??
大した仕事もないし、ホンマ家におったろか!とも考えましたが、とりあえず今日、金曜日まで来ました。
昼間アッツイ暑い分、帰宅したらもう冷房ギンギン!火照った体がようやく落ち着いて、2時前後に目覚めます。
そこからシャワー浴びて終身。このころにはだんだん、寝床も冷えて来てるのが救いですが、
朝起きたらやっぱり寝汗でシャツびっしょり!おかげで少し痩せれました。
悪い事ばかりやないかも知れんけど、ホンマにもう仕事にならんので、早く冷房が来るのを心待ちにしとります。
涼しくなったらブログもラストスパートするから、早く来い来い日曜日〜!
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健康
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不肖、ケンジ!・・・なんていうたら名門白陵高校の宮嶋先輩に怒られますが、
ワタクシ、50になるまで一度も、人間ドックに行った事ありませんでした。
健康診断ですら、21世紀になってからは2002年、2014年と今回で3回目。 学生時分から雇われてた時は、当たり前のようにうけていたんですが、誰にも言われなくなったら
全く行くこともなくなりました。歳とった方が見る所多いというのに。
まあ、わかってはいるけど・・・・とのばしていたものの、40歳、50歳の人は半額にしますよ!
などという人間ドックを見つけたので、やってみることにしました。
食事も早め。珈琲も21時以降はダメ!と気づいたのが21時半で飲まず。飲酒などもっての外!
と、健康的な一夜を明かして(ちゃんと寝ましたが)、いつもより早くガキの頃とは大分変った方法で検便もとり、
大阪港までやってきました。
ここです。船員て、独自の保険を持ってますが、私の協会けんぽでもOK。前職が造船所やったので、
大阪港もこういうところも、なんとなく馴染みがあります。白髭伸び放題の私を見て、
何人かは私を船乗りと思ったかな?実際は船乗りって、今メッチャ数減ってるはずですが。
オシッコもとって、採血から○○測定と、健康診断と変わらないメニューのあと、初バリウム!
思ったより少ない量の白い粘り気のある液体を、駄菓子のような甘い粒粒と一緒に飲みます。
ん?思ったより飲みやすいし、げっぷも出ない。でも、ねたまんま体をあちこちグリングリンされるのは、
やはりエエ気持ではなかった。天井には、明らかにこの機械の上部が当たった跡もある!
逆さになったままガン!なんてやられたらかなわんなぁ、と思ったけど、大将十分上手でした。
あとはまた、普通の健康診断みたいなことをやって、問診。女の子みたいな保健師の兄ちゃんに呼ばれました。
言葉は丁寧ですが、要は「飲み過ぎ食べ過ぎ太り過ぎ!この数値で何で痛風の痛みがないのが不思議やわ。
とりあえず酒と白米を減らせ。週3回散歩せえ。3か月で5㎏減らすため、毎月電話したるさかいのぉ!」
ということを言われました。まあ、仕方ないか。ガキの頃から暴飲暴食を続けてきましたが、いよいよ終点です。
「お前はこのぐらいメタボなんぢゃえぇ!」という死刑宣告みたいなものですが、今回は素直に受け止めます。
なぜか。
一つはやはり、ずーっと精密検査をさぼってきて、自分の体がどうなっているか初めて知り、
そのうえで目標を決めてもらったこと。さすがお金を出しただけ(半額やけど)あります。
もう一つは、何年も着てきた軍服が、どうにも着るのがしんどくなってきたからでした。
検査2日前の土曜日、5年ぶりにイタ飯屋で豪華なハロウィンをしたのですが、その日のお昼も、
うどん屋に行って飲んでました。
うどん屋の大将が「軍服で来たらうどんはタダにしたる」なんていうけど、軍服なんてこんな機会ぐらいしか
会社まで持ってくることもないので、この機をとらえて行った次第。
で、待ってる間、話しながらお茶だけというのもしんどい。うどんタダやし。お金払わずというのも何なので、
ビールを飲んでたら、これまたおでんやら前の日の残りのうどんを揚げたんとか、
タダで持って来てくれます。ありがたい!と、調子に乗っていたら、パチン!と、
一番下のお腹のボタンが飛んでしまいました。
そもそも着るときから、襟のホックが全然はまらない。自分の皮の内側に入って涙がちょちょぎれる!
首がきついので肩も腕も痛い!ホンマ、帝国軍人も予備役ですわ
![]() ハロウィンは何とかやり過ごしたものの、本音を言えばもう、軍服いや〜!
にもかかわらず!最近居合の先生が「当流は戸山流で、陸軍戸山学校の流れを汲むものであるから、
君は神社の奉納演武の時は軍服で行うように。神殿への例と皇居遥拝も指揮せよ。特に来年5月は、
新しい天皇陛下が即位される『御世替わり』やから、よろしく頼む」などと言われています。
有名な映画に出た、と自慢して回ってた罰が当たったか・・・。
という訳で、また軍服を凛々しく着こなす帝国軍人に戻るためにも、あの保育士、
じゃなくて保健師の兄ちゃんの言うことを聞いて、体重を減らし、健康な体を取り戻す所存であります。
なんてやってたら、もうお昼。健康体になるための食事を探していたら、
なんやこれ?ボルシチかいな??面白いな!
でもいくら食生活を変えるからというて、お昼これだけは嫌やな。
あの兄ちゃんもお昼は食うてええと言うとったので、余所で食べた後買うてみました。
うん。結構美味しい!しかしこれ、どこでが作っとんやろ?と裏を見ると、「宮崎健児なんとか」という
会社か団体かわからんような名前が書いてありました。帰って調べたら、
「提供社の都合により、削除されました。概要のみ掲載しております」
なんて書いてある。謎にしときたいのね。
と言う感じでぶらぶらしていたら
港町らしい本屋!海図は買うたことないけど、昔何か船の雑誌買うたなあ。懐かしい!
また少し海や船に近い縁ができた!
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2005年に開設した当ブログに度々登場してその都度罵倒していた父が、今月18日に亡くなりました。
7年前に長期入院した折、憎んでいた相手に対しても「はははザマミロ!早よ死ね!」とは思わんものやなぁ、
と何度も思いましたが、今回は早よ死ねはともかく、少々状態がよくなったところで退院、
いや病床から起き上がることすら望めないことが分っていたので、なるべく苦しまずに逝ってくれれば、
というなんとなく複雑な感情でした。
2015年の年末、飲んだくれてタクシー帰りした夜の2時ごろに兄からTel。
父が大腸に出血を起こして手術中やから家族集まれ、と呼び出されました。
その時は手術は手間がかかったものの、これまで通り命が云々などと脅されても大したことはないと信じていたし、
実際いつも通りの憎たらしい親父のまま帰って来ました。
しかしこの後、そのような症状になったのはデイサービスの食事のせいやといい出し、
元々好きでもなかったデイサービスをやめてしまいました。自宅から出る機会がより少なくなった父は、
同居する母と弟に当たり散らし、我儘な正確に拍車がかかるようになりました。
同じ相手に同じようなことしかしないので、短時間にボケもひどくなって行きました。
正月からその暮らしをしていて半年ほどたつと、母が限界になってきました。
デイサービスは週一しかなかったのですがその機会もなくなり、父は四六時中小姑みたいに
母のしていることを監視してネチネチ嫌味を言うそうです。週2ぐらいでケアを頼んでいた看護婦も辟易し、
仕事につくなり「奥さん、お買い物に出て下さいね」なんて言う始末。
お盆が過ぎる頃には、日頃から気に入らない私を家にすら入れなくなったり、
ワガママ+ボケがどんどん高じていた昨年末、よくある誤嚥肺炎を起こして、近所の病院に入院しました。
実はその時、背骨の棘突起が1か所折れていて、背中が痛い痛いというていたのですが、
病院は背骨の検査をしないまま、肺炎の治療のみを終わらせ、その後骨折に気付いた次第。
そんなお粗末な診察ってありなん?と今でも思いますが、日頃から文句ばかり言うてた父に、
みなあまりまともに耳を傾けなかったのも事実。骨折と聞いて「なんで早よ見つけんかってん!」
と医者に文句を言うても、彼らには馬耳東風。
骨折は思ったよりすんなり治ったのですが、骨も弱っているし、嚥下の力がなくなっていて、
退院しても元の暮らしに戻れないまま再入院。そんなことを2,3回繰り返した後、
次の退院後は食事も流動食のみ、トイレも寝たままですることになる、と聞いて、
介護の病院への転院を決断しました。自宅でそんなことは不可能やし、無理にやったら母も倒れるやろうし、
結局父自身もすぐに死んでしまう、というのは本人にも分ったようです。
そこに移っても、相変わらずブチブチ文句や嫌味ばかり言うていて、あの調子では当分死なんわ、
と思っていたのですが、約1か月でご臨終。天井の空調機から兄貴が覗いとるとか言うので
「それはお迎えちゃうんか!」と突っ込んでいたら、2日後ぐらいからは意識もなくなり、
その2日後に亡くなりました。最期はもう少し持つやろう、と思っていたら急にストンと逝きました。
会話ができなくなってからの父は、単に苦しそうな息をする老人だったので、
息が止まって白い顔になった父を見た最初の言葉は「しんどかったなぁ」でした。こちらもそうでしたが。
あの親父にしては出来過ぎの、静かで穏やかな死でした。納棺後のエンバーミングもうまくいき、
笑って寝ている顔をみて、こんな表情はもう子供の頃ぐらいまで遡らんと覚えがないなぁ、と思うほどでした。
葬儀は簡素に、しかし来てくれた人々にはケチらんといっぱい楽しんで、笑って帰ってもらってくれ、
という遺言通りに式も終わりました。
遺影は、我々がまだ学生時分の頃のもの。今の兄貴より少し上ぐらいの時の写真にしました。
お爺さんになった後より、まだ若くて精悍やった顔の方が、親父らしいです。
まあ、照れくさいけど、ゆっくり休んでください。
死ぬまでに一発どついたんねん、と思ってたけど、かなわんかったな。
ワシも死んだらシバきに行きますのでよろしく(^^)/
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弟が昨夜、1泊の入院をしました。
親知らずを4本一度に抜くため、全身麻酔をして一晩、痛み止め等のケアを病院でするためでした。
元はといえば、これらの親知らずが悉く虫歯になったのが原因。
障害者の弟は、難しい場所の治療を嫌がっている間に、あっちもこっちも真っ黒けになったのです。
それにしても、4本いっぺんに引っこ抜いてもうたら、後のバランスが大変ちゃうの??
1本ずつ4本する人は、バランスが悪くなったのを修正してるうちに4本とも、ってなるのに、
ハナから4本でバランス悪なったら、もう抜く歯は要る歯ぁやで!下手したら総入れ歯も??
どうしようもない奴やけど、食べることの他に大した生甲斐もない弟がそないなるのは、ちょっと可哀そうかな・・・。
なんて思ってたら、昨夜帰宅時に兄と会い「今日手術やねんで」ええ〜〜〜??
アッサリしたもんやなぁ!心配してやる暇もないがな。
で、遅まきながら今朝、見舞いに行くと、殆ど腫れもなく、血が止まらない所を洗いに行ってました。
考えたら、親知らずを抜くのに普通入院まではせんもんなぁ。
母「夕食は御粥ぐらいしか食べられへんでしょう、って言われてたのに、鶏の煮物とか何とか全部完食。
もう今日は退院の予定やで」とのこと。
痛がらずに済んだのは、やはりワザワザ入院したからなんかな?油断は禁物やけど。
んで、これがその抜いた親知らず
ホンマ、先っぽが悉く真っ黒けやわ。それも1本は、大きすぎるから砕いてとったらしい。
やっぱり手術がよかったんかもね。
なんてことを一人になった病室で考えてたら、看護婦が入ってきて「あ、退院ですね!」
ワシ「???」 看護婦「あの、ご本人様では?」
ワシ「違うわ!なんで背広に着替えとんねん!双子やからって間違えるなよ!」看護婦「スミマセ〜ン」
しかし確かに、双子やねんから一人でおったら間違えられるのも仕方ないかな、と鏡を見て思うケンジでした
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