| フレデリック・フランソワ・ショパン 1810年〜1849年 ポーランドの音楽家 ・ ヨーロッパにおいて作曲家として またピアニストとして有名でありました 様々な形式、美しい旋律、半音階的和声法などによって ピアノの表現様式を拡大し それまでなかった ピアノ音楽の新しい地平を切り開きました |
| 女流文学家 ジョルジュ・サンドとの9年におよぶ交際 劇的な破局の間には 24の前奏曲集・幻想曲・バラード第4番 英雄ポロネーズ・舟歌・幻想ポロネーズ等 数多くの傑作が生まれました |
| 生涯を通じて 肺結核に悩まされた病弱の芸術家 ・ 繊細なイメージと よくマッチした作風のものばかりでなく 自らの中の閉塞感を打破しようとする想いや 大国ロシア帝国に蹂躙される 故国ポーランドへの想いからか 時として 情熱的な作風の曲も多く見られます ・ 幼少の頃からいろいろな面で才能を発揮し ユーモアにあふれ 物まねと漫画を書くのが得意で 学校では クラスの人気者であられたそうです・・・ |
| フランス人の父ニコラ ポーランド人の母ユスティナ との間に生まれる |
| 1817年・7歳 アダルベルト・ジウニーよりピアノを習いはじめる 現存する初めての作品 『ポロネーズ・ト短調』 を作曲出版される |
| 1849年・39歳・10月17日・パリで永眠 ペール・ラシェーズ墓地に埋葬される |
| 彼の意向により心臓だけは ポーランドに持ち帰えられる ・ ・ ・ |
| アルトゥール・ルービンシュテイン 1829〜1894 ポーランド出身のピアニスト ・ かつて 史上最高のショパン弾き と称えられ 現在も数多くの愛好者を持つ 晩年のショパン演奏者 ・ 前半生はヨーロッパで 後半生はアメリカ合衆国で活躍 ショパンの専門家として有名 ブラームスやスペインのピアノ音楽も 得意としました 20世紀の代表的なピアニスト |
| ユダヤ人の家庭に生まれ ワルシャワで勉強し ベルリンでカール・バルトに師事した後 1900年にベルリンでデビュー 1904年にパリに行きフランス人作曲家の サン・サーンスやポール・デュカス ラヴェルやヴァイオリニストのジャック・ティボーと面会 ・ 国際ピアノコンクール優勝 |
| 1912年・ロンドンデビュー 1932年・第二次世界大戦中・アメリカ合衆国で暮らす 1946年・米国籍を取得 1982年・ジュネーブで死去 |
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♪Etude As-dur op.25 n 1
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| | サブタイトル.....♪エオリアン・ハープ |
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| マウリツィオ・ポリーニ 1942年生まれ イタリア出身の現役ピアニスト |
| 最も高い評価を受けている 巨匠のお一人 |
| 1960年 ショパン国際ピアノコンクール 優勝者 |
| 作品を極限まで追究探求し ギリギリまで追い込んでいく ・ 聴衆も 固唾をのんでそれを見守らなければならない・・・ ・ 一音も聴き逃すまいとする 観客は聞き耳を立て 水を打ったように静まりかえる会場の中・・・ 彼は独自の音楽を繰り広げる ・ 作曲家が意図した音楽というよりも 今この時代だからこそ という演奏に 彼は重きをおく ・ そこには古き時代の作曲家たちではなく 現代の私たちと共に生きる ベートーヴェンやショパンやドビュッシーがおります |
| 1942年 ミラノに生誕 5歳からピアノを始め 9歳でデビュー |
| 15歳の時 ジュネーヴ国際コンクールで 第2位に入賞 ・ ヴェルディ音楽院を卒業した翌年の60年に 「ショパン国際コンクールで優勝」 |
| 70年頃になってようやく 楽壇に登場 並はずれた成功を収め 世界中に名声が広まりました ・ 現代最高のピアニストの一人として 日本でも絶大な人気を 誇っております |
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| スビャトスラフ・リヒテル 1915年〜1997 旧ソヴィエトを代表するピアノ奏者 ・ ドイツ人を父にウクライナで生まれ 主にロシアで活躍 ・ その卓越した演奏技術から 20世紀最大のピアニストと呼ばれました ピアニストの両親のもとに 独学でピアノをマスター オデッサ歌劇場で働き始める ・ 22歳になってからモスクワ音楽院に進み 本格的にピアノを勉強し始めた ・ 彼の教師 ゲンリヒ・ネイガウスは 「何も教えることがなかった。」 という言葉を残しています |
| 1940年(25歳) モスクワ音楽院小ホールで プロコフィエフのピアノソナタ第6番を初演 リヒテル伝説が生まれる 1942年(27歳) リヒテルのデビュー演奏会が開かれる |
| 1945年(30歳) 全ソビエト音楽コンクールピアノ部門で第1位受賞 1950年(35歳) 初の国外演奏旅行へ出かける 1953年(38歳) スターリンの葬式で演奏 |
| ロシア三大ピアニストは リヒテル、ギレリス、ペトロフ という評価は未だに揺るいでいない ・ この三人以上の技術を持つ ロシアのピアニストは増えたにもかかわらず 真の後継者は未だに現れてはおりません・・・ |
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