|
ローマ書(聖書口語訳) 10:17 したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。 信仰は「聞くこと」(ακο??)から、特に、「神の言葉」(? δ? ?κο? δι? ??ματο?? Θεο?)を「通して」聞くことである。「言葉」は「ρ??μα」が使われており、「神の語りかけ」というニュアンスだ。ギリシア語訳聖書のEPT(1904年)では「神」(θεο??)である。 但し、欽定訳聖書(KJV、1611年)はもちろん、J.カルヴァンの『ローマ書註解』(1539年)以前から、ローマ書10章17節は「神の言葉」(異本)となっていた。 これは16節の「誰が福音を信じたのか」という言葉を、「だから」「それ故に」と、パウロは受け答えているのだ。信仰は「キリストの言葉を聞くこと」だが、へブル語では「シェマー」で、「聞くこと」と「従うこと」の両方の意味がある。キリストの言葉を聞き続ける者だけが従うことが可能とされる。 申命記(聖書口語訳) 6:4 イスラエルよ聞け。われわれの神、主は唯一の主である。 ……云々と釈義を試みても、聖書解釈に確かさを含ませる以外に用途はないが、やっぱり、聖書の言語に通じ、翻訳では誤読、若しくは、表層的な通読になるのを避けたいものである。大切なのは、釈義をした後の、福音のメッセージを放つことだと思う。 教会奉仕者など、狭義の献身者に限らず、信仰者は誰でもライフ・メッセージを生きるように召されているものだ。教職と平信徒の隔ての壁など、キリストが打ち壊して下さった。キリストと神の語りかけを、今日も聞いていこう。 ルカの福音書(聖書口語訳) 10:39 この女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、御言に聞き入っていた。 |
聖書釈義
[ リスト ]




