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わたしたちはしばしば、違いや、場合によって対立を強調しがちです。そして、イエス・キリストのうちに、争いを和解させるための力がわたしたちに与えられていることを忘れています。十二人の集団が教会の先取りであることも心にとめたいと思います。この教会のうちに、さまざなたまもの、民族、人種、そしてすべての種類の人を受け入れる空間があります。これらすべてのものが、イエスとの交わりのうちに組み合わせられ、一致するのです(ベネディクト16世著『使徒──教会の起源』ペトロ文庫、165頁)。
ありのままの私たちは放置しておくと、いよいよ、違いと対立を強調して互いに譲ろうとしない。そして、世にある現実の教会は、そのような違いと対立そのものが糾弾されているわけではない。 こういうわけで、キリストもわたしたちを受けいれて下さったように、あなたがたも互に受けいれて、神の栄光をあらわすべきである。 (ローマ人への手紙 15:7 JA1955) 地上の諸教会は一人ひとりが特別な存在だが、事実上、違いと対立の渦に沈むことは日常茶飯事であろう。 パウロは「受け入れる」ことの基準を、千差万別の人間に置かず裁かず、キリストが私たちを受け入れて下さった事実に置いている。 教会は内部・外部において、違いと対立そのものがあることでなく(それらは避けようがない)、多様性を保持しながら、一致しないことが真の問題なのである。 何故なら、一致するか否かは、互いに愛し合うことに直結しているからだ。 では、そのためにはどうすれば良いのだろうか。 第一に、キリストから学ぶことだ。 エペソ書4章。 20 しかし、あなたがたはキリストを、このようには学びませんでした。 マタイの福音書11章。 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。 (マタイによる福音書 11:29 JA1955) 主なる神を知り続けて命を得ながら、キリストの似姿に新しく創造されていくこと──十二使徒が「教会の先取り」であるのは、そのような霊的取り扱いを、キリストの中の交わりにおいて再確認できるからだ。 神は真実なかたである。あなたがたは神によって召され、御子、わたしたちの主イエス・キリストとの交わりに、はいらせていただいたのである。 (コリント人への第一の手紙 1:9 JA1955) |
神学的探究
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