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開拓当初、私たちはたったの二人からスタートしました。 初めはひたすら聖書をメッセージし、互いに教えられたことをシェアするだけ。 元々、約1000人が集うメガチャーチのメンバーだったのですが、ある深刻な出来事をきっかけに、全国的に有名な宣教師の助言を受けながら、別の教会を探す放浪の旅をしている最中、神に献身することになった次第です。 現在、その教会は福音によって回復し、再度、神に用いられています、感謝ですね。 さて以前も考察しましたが、私たちのような教会のスタイルを、家の教会、シンプルチャーチ、ハウスチャーチなど、様々な呼び方があります。 しかしながら、私たちはリアルタイムとインターネットをリンクさせたり、実際に集まったりと、定住型というより、遊牧型。 聖礼典(信仰告白とバプテスマ)、一緒に集まることの代わりに、ネットワークで地理的制約を壊していること。 地下教会的に活動しているため、表舞台には立っていないこと。 上記の二点が信仰共同体として人々が集まることよりも、牧会・宣教型になっている理由だと思われます。 特に、地域教会で対応されなかった方々への牧会やミニストリーは解決まで時間、お金、精神力、体力、時間など、すべて投資せざるを得ませんでした。 今回、無理のないように、主日、土曜(礼拝準備)、水曜(ミニストリー)に奉仕をし、持病が苦しいため、他の日々は療養に専念したり、神学を研究したり、歌の練習などをしています。 正直、次から次へと問題対応に追われて、まともに寝ること、食べることもできなかった二年前と比べると、のんびりさせてもらっています。 これからどうしようかな〜って祈ったり考えたりしても、過去のように1年ごとの計画や、ヴィジョンをすえることもしていません。 JCMNや、他の地域教会の友人牧師たちと話してても、私の奉仕が一体何なのか、理解された試しがありませんけど(私でもわかってないのだからあたりまえ)、「私たちにはできない形で、主に用いられてる」とはよく言われます。 それなのに、神の御前で徹底的に謙遜となれない自分自身の罪があり、キリストを信頼しながらも頑固さや悲しみが存在します。 自分自身とその弱さでなく、神を常に見上げていきたいですね。 |
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私も教会が始まった経過は似ています。
発足五年やって思うことは
最初会堂のない教会、つまり家の教会の増殖をめざしましたが、これは一進一退して結果的にまだ一つです。
課題はやはり弟子が育つには時間がかかるということ。
献身した忠実な弟子が育たないと、家の教会は生まれない。
弟子になる人材を与えられていることが必要ですが、一般の教会はまず人集めです。
教会でバザー、イベントして人集め。
牧師中心でメッセージして人を繋ぎ止める。繋ぎ止めたら会堂を作る流れ。
万人祭司の教会にならない。だから家の教会にして万人祭司を目指す。
ところが会堂が家に変わっただけで、結局牧師中心の教会になってしまう。
だから日本で家の教会があまり成功していない。
そんなことがわかってきた。
じゃあどうすればいいのか?
ということを考えています。
2016/7/1(金) 午前 8:14 [ bea*in* ]
> bea*in*さん
万人祭司という視点は、もっと注意を払っていきたかったです。
弟子不足、メンバー不足という致命的な弱点はありましたけどね…
牧会比率は、1:7から1:10を限度にして、それ以上の教会規模になったら、家の教会のネットワークを維持させたまま、弟子育成した方に段階的に任せていく、みたいな考え方を持っていました(幸いなことに同時にメンバーが二桁になったことはなく笑)。
特有の牧師中心はありますね、確かに私も三回は倒れて燃え尽きています。
但し、「一時的に」既存の地域教会での予約制牧会、時間・曜日厳守など、多忙な職の方々が参加できないシステムの脆弱性をフォローするには、一対一の牧会や24時間制対応の牧会があるにこしたことはないと考えています(健康上の理由から、24時間制は今もうしません)。
弟子育成は共感できます、結局、メンバー各自が奉仕者になるのを整えていくのが牧会者の働きですからね。
過去のことを振り返らされたり、家の教会での牧師中心と万人祭司の関係、とても学ばされました。
改めて祈って考えてみます。
2016/7/1(金) 午前 9:21