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現在、ヨブ記の釈義に挑戦中である。 ヘブル語を本格的に学んだことはないので、ヘブル語を翻訳している英語ツールに頼るしかないので、厳密に釈義をしているとは言えない。だが、私は学者ではないし、ヘブル語を極めるには時間が足りない(ギリシャ語も不完全なのに…汗)。 ヨブ記は、初期の頃、何度も読んだだけではなく、試練の中に置かれた時、19章25節が与えられ、強烈な励ましと慰めを受けた書である。 1−2章までを、序論として区分した後、1ー5節までを研究してみたわけである。 あまりにも膨大な資料と、諸々の解釈に辟易しながらも、1節ずつ、将来的な講解説教のために、釈義を実践中である。 詳細は、説教に至るまで公表しないが、一つ興味深い箇所があった。 for Job said, It may be that my sons have sinned, and cursed God in their hearts. Thus did Job continually. 上記は、KJVからの引用だが、NIVとNLTでも事情は同じであり、新改訳第三版や新共同訳、関根正雄訳でも、1章5節を参照してもらいたいのだが、後半部分に、ヨブの息子たちが心の中で「神を呪った」のかもしれないと記されている。 「呪った」という言葉は、ヘブル語の「バラーフ」が使われており、直訳すると「(神を)祝福する」という意味だ。それじゃ、意味が逆に訳されているのかという疑問が発生して調べてみた。 これは、敬虔な書記たちが、直接的な表現を上品な言い回しに変えた個所として知られているものの一つである。『新聖書注解・旧約3』(41頁、いのちのことば社)。 これだけを読むと、何とも頼りない説明に思ってしまったが、実際は、他にも同じ変更箇所が複数、存在しているのだから認めざるを得ない。『理由もなく』(教文館)の著者、佐々木勝彦氏(東北学院大学教授)も、「意訳」であり「婉曲表現」だと言っている。 聖書には、そんなワケアリがあったと、初めて知りました。 そもそも、ユダヤ人たちは、神の固有名である「YHWH」を発音不能にさせたくらいですから、あり得る話なのでしょう。 研究時間が取れるようになったので、ヨブ記の研究以外にも、アップしていきたいと思います。
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聖書釈義
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