教会専用のプレイズ・ファイルの編集・校正・印刷。
昨日、i-tune から、歌詞を確認しながら終えたところです。やはり、実際に賛美しながらじゃないと、校正ミスとなります。
礼拝では、ワーシップ・リードやPAも兼任しますが、ソングブックやCDの購入、i-tune & i-pod へのインポートと同期作業だって、賛美奉仕なのです。何故なら、奉仕の最中に賛美をしないことは、あり得ないからです。
礼拝の時は具体的な賛美を担当しなかったとしても、だからこそ、前に立つ奉仕者には、すべての事柄から恵みを受けるという謙遜さ、控えめさが大切なのです。
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主日礼拝は、家族で捧げることになりました。
誰が集まっても、集まらなくても、教会は、普段からの絶えざる礼拝と賛美が不可欠です。
主日の日曜をベースにしながらも、宗教改革者のジャン・カルヴァンが言ったように 「毎日が、主の日」なのですから。
日本は、 ピューリタン主義(日曜絶対主義)が強く、曜日に関する 穏健性と 弾力性を持たないようになっていることは、非常に残念です。
主日を特別の日だとは理解していますし、キリストの復活顕現の 「週の初めの日」を礼拝日に定めたことは、すばらしいと思います。
でも、国内、何処の教会でも、主日礼拝なら日曜日ってゆうのが多過ぎて、主日に仕事が入って、 教会堂(ドイツ語・キルへ)に行けなくなってしまうのは、融通性がない宗教制度のように思えます。
私たちは、 キリストに対する信仰共同体(ドイツ語・ゲマインデ)となっていることを思い出すべきかと。 共同体による礼拝は、いつでも・何処でもです!
教会堂じゃなくても、レンタル・スペースでも、映画館・図書館等、(キリスト信仰と不可分離の)神礼拝が捧げられるなら、栄光となります。事実、初代教会は、若しくは、聖書に描写される教会は、諸教会であり(教団・教派主義でなく)、家々の教会(教会堂やシナゴーグではなく)だったのです。
基督教には、 「定住性」と 「遊牧性」があるのではないでしょうか。
伝統的・保守的な地域教会と、家々の教会は、互いに排除し合う関係となってはならないと、オランダの神学者ヘンドリック・クレーマーも警告していました。
既存の地域教会が 「定住型」「求心力」だとすれば、家々の教会は 「遊牧型」「遠心力」だと地域変動的に考えますと、ここに本当に、 「旅人の神学」の 「教会論」が、理論としても、実践においても、実現可能なのではないでしょうか。
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主よ、今年はインフルエンザと風邪が、寒波の中で流行し、苦しみの中にある方々が増えています。一人ひとりに、主の癒しがありますように。同時に、多忙と激務に駆り立てられた日本人にとって、憩いと安息の時ともなりますように
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>内緒さん
主日礼拝に関しては、様々な角度から、考察することができると思います。
基本的には、主日礼拝は「守るもの」(義務)というより、「(喜びの故に、自由に)捧げるもの」(恩寵)です。
理論的にではなく、経験的に語る機会があればと願っています。
2012/2/12(日) 午後 3:17