シンフォニーチャペルの栞

〜VINE AND GRACE MINISTRYの日記です♪〜

教会論

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教会形成論 2

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 キリスト教会における人間論不在は、諸悪の根源に等しい。神の創造した人間の起源に関して、私たちは創造の秩序救済の秩序を、積極的に対立させてきたのではないだろうか。

But we preach Christ crucified, 1 CORINTHIANS 1:23(KJV)

 その通りなのだが、贖罪信仰だけの強調は、神の創造の働きを限定する意味で、福音信仰を窮屈な霊的状況に導く可能性が高い。

 世の仕事で疲れた時、古代ローマ帝国の時代と同じように、温泉で安らぐことで、キリストが与える霊的安息に移ることが許されている。自然に触れて、動物たちと戯れることは、すばらしい息抜きである。夏の涼しい夜風に吹かれながら、食べたり飲んだりすることは否定されない。労働から離れて、趣味に没頭することも大事である。忘れてはならないが、それら一切は神の前で、善人でも悪人でも変わらずに経験することである。

for he maketh his sun to rise on the evil and on the good, and sendeth rain on the just and on the unjust. MATTHEW 5:45(KJV)

 エミール・ブルンナーは、『自然と恩寵』(ブルンナー著作集1所収、教文館)の中で、次のように述べている。

われわれの世代の神学的課題は正しい自然神学を再発見することである(同書、213頁)。

 自然神学とは何だろうか。一応、アリスター・マクグラスの簡単な定義を引用しておく。

自然神学は、創造論に基礎を置き、自然の研究をとおして神について少なくとも何らかを知ることができるということを肯定する神学思想である(『科学と宗教』130頁、教文館)。

 自然神学の詳細な中身や論争、是非に関しては、目下の主題ではないので態度を保留したい。あくまでも私たちの関心は、神学的人間論不在、――即ち、決定的な思考停止と、その結果としての、自明性の喪失に対する強力な「否」を叫ぶことである。

 20世紀前半に、神の死の神学は「神の不在」を言いたい放題だったが、後半、神学的な世俗化の主導権を握る現代思想だとか、哲学、力動的精神医学、精神分析等は、構造主義に強く影響されて、結局、「人間の死=不在」に墜落してしまった。

 引用文献は枚挙に暇がないので、後日改めての機会にするが、キリスト教会では聖書信仰啓示宗教、若しくは、神秘主義反知性主義という極端が支配するようになったと考えられる。種々の原因が予想されるが、対抗的に「宗教改革の神学」や「霊性の神学」が提起された。

And Aaron shall offer his bullock of the sin offering, which [is] for himself, and make an atonement for himself, and for his house.
And he shall take the two goats, and present them before the LORD [at] the door of the tabernacle of the congregation.
And Aaron shall cast lots upon the two goats; one lot for the LORD, and the other lot for the scapegoat.
And Aaron shall bring the goat upon which the LORD'S lot fell, and offer him [for] a sin offering.
But the goat, on which the lot fell to be the scapegoat, shall be presented alive before the LORD, to make an atonement with him, [and] to let him go for a scapegoat into the wilderness. LEVITICUS 16:6-10(KJV)

 しかしながら、伝統的・制度的教会から、贖罪の山羊(ルネ・ジラール)を、常に絶えず不可欠とする共同体成長(≠形成)に至る過程は、試練の道だったと言わざるを得ない。何故なら、アザゼルのために山羊を荒野に放つために、対抗的共同体は、モーセの座が設置されており、制度的・人工的な、弱さと強さの序列化・差別化が残存しているからだ。

Saying, The scribes and the Pharisees sit in Moses' seat; MATTHEW 23:2(KJV)

 基本的に、モーセの座とは、誰でも、どんなものでも、交換可能という問題点がある。モーセの座対抗的共同体によるスケープ・ゴートを正当化・合理化させる根拠である。キリストに対する信仰共同体は、恵みの御座が存在しており、キリストだけが贖罪の山羊となって下さったのだ。キリストの十字架の贖罪信仰が打ち立てられる時、対抗的共同体から信仰共同体に移行して、Now where remission of these [is, there is] no more offering for sin. HEBREW 10:18(KJV)と言われる。キリストの十字架の死によって、不自然な共同体維持のための犠牲者は不要となり、終止符が打たれたのだ。

Let us therefore come boldly unto the throne of grace, that we may obtain mercy, and find grace to help in time of need. HEBREWS 4:16(KJV)

Let us go forth therefore unto him without the camp, bearing his reproach. HEBREWS 13:13(KJV)

 キリスト教会が罪論と同時に、共同体的な人間論を忘却すると、心理的な交わり霊的な交わりだと錯覚するかもしれない。だからこそ、キリスト教会の諸個人に対する善意の過干渉であったり、善意の放置、善意の治療等に、聖書と福音理解を掘り下げるための、方法論的な懐疑キリストとの関係で考えることが禁止されて、自分自身は教会の中で異邦人だと感じてしまう。そのような激しい疎外感は、自分自身に対する憎悪と卑下に直結するに違いない。

 クリスティアン・メラーは、前掲書『慰めの共同体・教会』(342−343頁)の中で、エルンスト・ランゲの言葉を、慎重に紹介している。

最後に、この<犠牲者たちのアンサンブル>に付け加えられるのは、だんだんと常に数を増すばかりである、社会に適合できない人びと、アウトサイダーの人びと、社会的に心理的に病んでいる人びと、孤独な人びと、職業に挫折している人びと、結婚生活に傷ついた人びと、認められ、受け入れられること、更には暖かく受け入れられること、依存することを求め続けている社会的な差別を受けている人びとなどである。教会生活に忠実な人びとや活動的に協力する人びとのかなりの部分が――全く、そのような素振りがなくても――この範疇に属している。何かのセクトにでも属そうかと、精神治療を受けようかと内心思ったり、アルコールか病気に逃避しそうになりながら、その途中で、かなり多くの人びとが、その土地の教会に、それでも最後の拠点を得たいと願うことがある。残念ながら、多くの場合、そのことに教会が気づかないのである。

 だからこそ、キリストが<犠牲者>たちと共におられ、主の食卓に招いて下さっている。故に、「恵みの御座」における交換は、喜ばしい交換なのであって、富=商品的な交換価値とは、一切無関係である。

No man can serve two masters: for either he will hate the one, and love the other; or else he will hold to the one, and despise the other. Ye cannot serve God and mammon.

 本稿は、「直接性」を考察する暇がなかったし、基礎概念の構築に力を尽くしたので、ただの理論的教義に誤解されるかもしれないが、すべての内容が、自分自身の問題と、教会共同体に関連する葛藤や喜びに還元されることを承知していただきたい。

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引用文の中の、最後の文、「残念ながら、多くの場合、その事に
教会が気付かないのである。」という文を読み、そうだ、そうだ!と
思いました。

これを、うまく伝えられる人や媒体はあるのでしょうか?

この本に触れた人は、そうだ、そうだ、と、思っても、
自分で咀嚼し、消化して、教会でシェアとかできたらいいけど
できるかな?と、考えました。

だけど、これは、とても大事なことを話しているので、
教会監督者以外、私のような、ただの信徒でも、より多くの人に
知ってもらいたいことが書いてある!と、直感的ですが、
思うのです。

2012/2/25(土) 午後 9:44 [ - ]

星月夜さん
引用文の最後は、ランゲの著作が邦訳されていないため、文脈は曖昧ですが、確かにリラは、すべてのキリスト者に向けて書かれていると思います。教会=我々ですからね。そして、教会と我々の関係が引き裂かれて、制度対諸個人という対立的病理は根深いかと。メラーは、それにも関わらず教会に人々が集まることの奇跡に驚き、何とかして希望を抱かせる記述をしていました。

2012/2/25(土) 午後 9:59 ☆リラ☆


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