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〜VINE AND GRACE MINISTRYの日記です♪〜

霊性の神学

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JOYFUL EXILES 1 ケータイ投稿記事

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ジェームズ・フーストン著の『喜びの旅路』(いのちのことば社)。霊性の神学の範疇に位置している書。

2007年に翻訳・出版されたが、本書は殆ど理解されていないように思える。

否、知識として読了することが可能でも、教会の改革にまでは至っていない。しかしながら、「喜びの旅路」を読み込み、真剣に実践するならば、信仰の「再形成」が生じるであろう。

フーストンは「キリストへの亡命者たち」に関して、次のように、序文で問いかけている。

私たちは一個人としてのまならず、共同体の一員として生きています。信仰生活における公的側面は、本来キリストにある私たちの成長を育むべきなのですが、実際は、混乱を生み出しているように思います。「私は教会に行っています。でも…」「私はこれこれの組織で奉仕しています。しかし…」「今この神学校で訓練を受けているんですが。だけど…」「キリスト教の宣教を私は信じています。しかし…」なぜこうしたことばが、私たちの口から出てしまうのでしょうか。また、数あるキリスト教組織や機構に対して疑問を抱いてしまうのは一体なぜなのでしょうか。私は本書を、「(キリストへの)亡命者たち(exiles)」を念頭に置いて執筆しました。ここでいう亡命者とは、それまで自分が慣れ親しんできた、既成のものから離れ、危険を伴う場所へと踏み出して行き、自分を取り巻く文化の規範や組織のあり方、姿勢などを、預言者的な目で吟味するための勇気を必要としている人たちのことです(21頁)。

私たちはどうだろうか。自分自身にとって、「既成のもの」から離れているだろうか。自分の国の文化と規範に支配されていることを知りながら、妥協しているだろうか。キリスト教的な常識に対して、何の疑問も覚えずに、日常生活を送るだけなのか。

フーストンの問いかけは、挑戦的でありながら、本当えは、あたりまえのことを言っているに過ぎない。私たちは疑問を持って良いのであり、既存宗教化したキリスト教に「何故」「どうして」「しかし」と語らなければならない。

キリストへの亡命者たちは、相互に隠されているかもしれない。一見、残された者として、誰からも相手にされず、苦しんでいるかもしれない。

主は預言者エリヤの訴えを聞かれた。

19:14 彼は言った、「わたしは万軍の神、主のために非常に熱心でありました。イスラエルの人々はあなたの契約を捨て、あなたの祭壇をこわし、刀であなたの預言者たちを殺したからです。ただわたしだけ残りましたが、彼らはわたしの命を取ろうとしています」(列王記上)。

神が「残された者」の存在を示されたのは、この時だった。何度も重ねて、神に対して私たちは訴え続ける。神の応答は、召命であり選びという絶対的な恩寵であった。

神に残された者は、キリストへの亡命者たちとなる。

例え、自分自身の働きが小さく、弱さと無力を痛感しても、私たちは責めるべきでなく、償いを強要させる必要もない。

キリストの故に、神から愛されているからこそ、罪だらけの私たちは改めて生き直すことが可能とされるのだ。

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