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ハンス・キュンク著の『教会論』(新教出版社)の上巻を、断続的に読んでいる。恐らく、教会論としては最高峰であろう。 様々な箇所から読み込んでいるが、今回は、教会の起源を考えさせられた。何故なら、キリストの十字架以前の弟子群を、教会の基礎だと解釈されることは重要であり、家の教会やシンプル・チャーチ、ハウス・チャーチ等の神学的な出発点になる可能性を秘めているからだ(そのような出発点に無関心で、非制度的な教会形成の現場だけを強調するのは、ただのキリスト教功利主義だ)。 キュンクは、教会の起源に関して、次のように書いている。 復活前のイエスはその生涯の間中いかなる教会も創設しなかった(同書109頁)。 この発言には驚いてしまったが、その理由さえキュンクは先回りをして答えている。 では十二人の集団の創設はどうなのか。この集団こそ残りの者の排他的な集まりではなく、イスラエル全体の召命を表現するに違いない。…また知恵と意志とをそなえた人間として主のあとに従うようにされた、より広範な弟子たちの集団(*七十の弟子たち)も、イスラエル全体に対する宣教のために現在していなければならない。確かにこのような宣教の任務に関して彼らに特別な要求が課せられている。しかしこの弟子たちの集団は、決して規則として立てられた生活様式(*初代教会)を示しているのではなく、またこの集団に属するということは決して救われるための条件でもない。弟子たちの集団も、またましてや回心への心構えをそなえたイスラエル人も、決してイエスから組織的な仕方で集められたのではない(同書110-111頁)。 この辺りの理解は、A.B.ブルース著『十二使徒の訓練』(いのちのことば社)という、19世紀の著作にも見られるので、伝統的な教会理解を踏襲している。だから、「復活以前のイエスは、その説教と活動によって、復活以後の教会の出現のための基礎を作り上げた」(同書113頁)という積極的・肯定的側面も、キュンクは見逃していない。 復活以前の弟子たちは、議論の余地はあると考えるが、確かに教会の基礎だったし、教会自体は、五旬節(ペンテコステ)に、聖霊によって新しく創造されたのである。 アルベルト・シュバイツァー(1875-1965)は、『新約聖書における教会像』(現代神学双書)の中で、教会の「境界」を確定することは難しいが、しかし、「この境界は存在しているはずである」(同書32頁)としている。 弟子たちの集団は、一方ではイエスの働きに本当に出会った人たちの共同体であり、他方では「多くの人々」のための使者の群れである(同書35頁)。 キュンクによれば、教会の基礎は、復活後の主の意図と使命に仰ぐだけでない。 キリストの出来事全体のうちに有するのである。したがって、イエスの誕生、活動および弟子たちの召集から、イエスの死去と復活ならびに復活者の証人たちへの聖霊の授与に至るまでの、イエス・キリストにおける神の行為全体が、教会の源泉なのである(『教会論・上』115-116頁)。 キリストの弟子たちと教会に断絶は存在していないことに安心感を覚える。 |
教会論
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