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マタイの召命
神学的探究
[ 中川 (研究所) ]
2014/2/5(水) 午後 11:14
すみません。自論を展開しました。そのつづきですが、「独学」を成功させ決してそれが意味のない個人の代物にさせず、公益性を持つためには「見る」必要があります。たとえば、私はルター研究所に派遣されました。そこで見たものはたくさんあったのですが、一つ決定的にルター研究において欠けているものを見つけることができました。日本におけるルター研究の現場の限界です。ルター研究の地平はまるで開けていないのに、いかにもルター研究が成立しているかのように一般には思われています。現場を見ればその長所と短所、利点と欠点、満たしと欠如が分かります。限界を見極めなければなりません。そのためには「見る」ことです。「見る」ことは力です。ワトソンとクリックはDNAの二重らせん構造を理論ではなく実は盗み「見た」から描けたというのが彼らの虚像にかくれた真実です。それでですね、いいことを思いついたのですよ。それをやろうじゃないかと。リラさんの悩みを解消する術を思いついたのです。これについては内緒コメントにします。お楽しみに。
マタイの召命
神学的探究
む、難しいですね(°_°)
神学が「独学」というのはわかります。実際、神学研究会に参加し始めて、自分自身で色々学ぶようになりましたし。
でも、その後は……とゆうと、う〜ん、わかりません。説教と牧会、人間観や世界観には微妙に独学の効果が現れ始めていますが。
ボンヘッファーのような、牧師共同体だとか、神学共同体のような何かでしょうか。バルトが言うように「神学者でないような人間は存在しない」かもしれませんが、マジョリティーである一般の信仰者たちは学ぶ必然性がないのも事実。神学はアカデミズム以外なら、「関心がある」というのが動機でしょうし。
まあ、私は学べることの幸いな現在しか見えていません(・・;)
マタイの召命
神学的探究
[ 中川 (研究所) ]
2014/2/5(水) 午後 8:57
むずかしい・・・これは私の持論にすぎないので大いに変更する可能性を持っているのですけど。
神学を学ぶことの本質は「独学」でしかないと私は思っています。他のいかなる学びであっても基本はそうなのですが、とくに神学においてはそれがほとんどです。神学に師がいるとすれば、ポンと石を投げるだけの働きです。たとえば、八木先生がポンと一つ石を投げると、私たちは「ああ、そうか!」と広がりを持ちます。いかに重要なことを言っているかを理解するのだし、そこにインスピレーションを与えられるからです。そして1から100を得ようとします。ところが、まるで反対の人もいます。石がポンと投げられてもその意味が分からないのです。教会において霊性を養う神学もそうです。実は、神学の学びとは「独学」でしかなく、ポンという石が必要であって、またその「独学」を発展させる対話とさらなる投石の必要でしかないのかもしれない。とすると、これからの教会の必要は、この「独学」を形にする何かです。それはあるところでは教会の奉仕という形を取るのかもしれませんが・・・もっと何かが必要で、そこに研究会の何かがあると。で、分かっていません。
マタイの召命
神学的探究
マタイの召命
神学的探究
マタイの召命
神学的探究
[ 中川 (研究所) ]
2014/2/5(水) 午後 0:19
続きを書こうとしたらパソコンの前で眠ってしまいました(笑)。
私も「無理」はできなくなってきました。
リラさんは病気を抱えているのだからなおさらでしょう。
何か無理にするのではなく、自然体で、いつもの信仰生活をそのままに何かできないものか、いつも考えていました。
神学研究会の講義をネット配信できないかと思ったのですが、もっと講義を配信するだけの技量を身につけねばならないことに気づかされました。
一時的にとん挫しています。
ネットでどんどん無料配信してしまえば面白いと思って。
自分で自分の講義を見ましたが、ネット配信用になっていないことがわかりました。
ネット配信用の講義を録画してUPすることを準備していなかいとならなくなってくるかと・・・
マタイの召命
神学的探究
これでもギリギリ……とかは、日常茶飯事ですよね。中川さんは無駄を省いてると思いますけど。てゆうか、以前から見ていて、倒れないか心配です。まあ、中川さん自身、あまり顔に出しませんし、笑顔ですから、甘えられることも沢山だと思います。
数年前、私も、燃え尽き一歩手前で、主に奇跡的に助けられ、以来、無理はできなくなりました。
>文句を聞くよりも、大切なことを小さく築いていったほうがいいからって、最近はそんな想いが強くあります。
神様の賜物と召命は変わらないと思います。中川さんは、私以上に多くのコトを任せられている代わりに、試練も数えきれないと感じます。
主が中川さんの健康を支え、「大切なことを小さく築く」ことができますように。





