シンフォニーチャペルの栞

〜VINE AND GRACE MINISTRYの日記です♪〜

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ラテン語の学び方 2

前回、ラテン語には「歴史的発音」と「ローマ・カトリックの発音」が存在することを学んだ。

さて、本日は、BC3年の聖人ヴァレンタインの記念日である。但し、第二バチカン公会議以降、正式なものではなくなった。

1 Varentine 英語
2 Valentinus ラテン語

ラテン語表記の「Valentinus」を、どのように発音すれば良いのだろうか?

v(u とも書かれる)は英語の v の音を表す(アモロス著 『ラテン語の学び方』南窓社 齲)。

上記のように、私たちは発音を学んだはずだ。

v = u だから、「Valentinus」(ヴァレンティヌス)である。

ところが、Wikipediaでは「ウァレンティヌス」となっている。

一体、「Va」は「ヴァ」なのか、それとも「ウァ」なのか?

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大西英文著『はじめてのラテン語』(講談社現代新書)には、古典ラテン語の立場から、以下のように書かれている。

v : これもすでに述べましたね。英語の w に相当する子音[ w ]です。「ヴ」[ v ]ではありませんから、くれぐれも注意(同書37頁)。

大西氏の「古典ラテン語」の立場は、「ローマ・カトリックの発音」を「中世の一時期多少のくずれを見せるもの」(同書13頁)とする考え方である。

しかしながら、ギリシャ語と同様、エラスムス式再建発音を採用しておらず、古典ラテン語の中の「ローマ・カトリックの発音」と把握すれば良い。

研究文献の対象の違いもあるので、私たちは「ローマ・カトリックの発音」を使う。

だから、今日は「Valentinus」(ヴァレンティヌス)の記念日である。
するとデドモと呼ばれているトマスが、仲間の弟子たちに言った、「わたしたちも行って、先生と一緒に死のうではないか」。 (ヨハネによる福音書 11:16 JA1955)

「デドモ」は、ギリシャ語の「Δυμο??」(ディディモス)で「双子」という意味だが、その由来は不明である。

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師であるかたに従おうとするトマスの決意はまことに模範的です。それはわたしたちに貴重な教訓を与えます。すなわち、トマスの決意は、心から進んでイエスと一致しようとする態度を表します。トマスは、イエスと運命をともにし、イエスとともに最高の死の試練にあずかることまでも望みました(ベネディクト16世『使徒──教会の起源』ペトロ文庫、150頁)。

再度、ラッツィンガーの記事となったが、意図的なまとめとしての投稿となる。

使徒トマスは個人的に、非常に大切な存在である。上記の聖句によって、私はそれまでの入院生活に終止符を打ったのだ。

持病と障害により、当時の私は治療のため、地元で長期入院していた。

一人の時、何の希望もなかったはずの私に「わたしたちも行って、先生と一緒に死のうではないか」と語られたのである。早速、私は退院して、東京に戻ることを決意していた。

ところが、東京に戻って教会の方々に聖言をシェアすると、そのような解釈は間違っている、何故なら、トマスの決意は結果的に空回りだったから……という顏をされてしまった。折角の再会が台無しになったが、そうか、自分の聖書解釈は間違いであり、そのような間違った選択も、神は祝福して下さる御方だと信じ続けていた。

ところが、次の一文を読み、聖書解釈に対する疑惑が確信に変えられた。

実際、もっとも大事なことは、イエスから決して離れないことです。福音書が「従う」という動詞を用いるのは、イエスが向かうどんなところにも、弟子は行かなければならないことを表すためです。こうして、キリスト信者として生きるとは、イエス・キリストとともに生きることだと定義されます。それは、イエスとともに過ごす生き方にほかなりません(同書150頁)。

福音書の「従う」とは「ακολουθω」(アコルソー)という言葉である。他に「同行する」「〜の仲間となる」という意味を持つ。

これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために、お話しになったのである。こう話してから、「わたしに従ってきなさい」と言われた。 (ヨハネによる福音書 21:19 JA1955)

トマスは自分の言っていることが何なのか十分に理解していなかったはずだ。「双子」というあだ名なのだから、もしかすると彼自身の中に「死をも厭わない熱狂的なトマス」と「疑惑と不信仰のトマス」が、二重人格的に共存していたかもしれない。

だが、パウロはコリントのキリスト者を同じように励ましている。

前にも言ったように、あなたがたはわたしの心のうちにいて、わたしたちと生死を共にしているのである。 (コリント人への第二の手紙 7:3 JA1955)

使徒とキリスト者の間に見られることは、何よりもまず、キリスト者とイエス自身の間の関係にいえることです。両者は生死をともにします。キリストがわたしたちの心の中におられるように、わたしたちもキリストの心の中にいます(同書151頁)。

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トマスの言葉から絶えず疑惑と不信仰が、神の愛に包まれていることを、私たちはこれからも学ぶであろう。

同時に、トマスは最初の、見ずして信じる者の幸いを経験した。

八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。 それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。 トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。 イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。 (ヨハネによる福音書 20:26-29 JA1955)

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アウグスティヌスもそのように解釈している。私たちも同じ者になりたいと願う。

彼は人間を見て触り、見たことも触ったこともない神を認めた。しかし彼は見て触った前者により、もはや疑いを離れて後者を信じたのである」(アウグスティヌス『ヨハネによる福音書講解説教』教文館、408頁)。

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