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ヨーゼフ・ラッツィンガーを突破口にして、カール・ラーナー、イブ・コンガール等の、現代カトリック神学を学ぶことになった(福音主義神学の重要な関連書、翻訳文献等は、恐らく殆ど、読了済みだった)。
特に、現代カトリック神学研究のきっかけを与えてくれたラッツィンガーを知りたくて、ファーガス・カー著『二十世紀のカトリック神学』(教文館)を調べてみた。 ギリシア正教会府主教ダマスキノスは、当時、教理省長官だったラッツィンガーに手紙を書いている。『主イエス』という宣言が「正教会は、ローマ・カトリックから見れば、いくぶん劣った教会であり、ローマ・カトリック教会のみが唯一の真の教会とみなされねばならない」(同書302頁)という意味を懸念したのである。 基本的に、ラッツィンガーは法王だった時、即ち、ベネディクト16世だった時は、正教会に対して非常に好意を表明している。その分、プロテスタントの諸教会とは一致できないと考えていたフシがある。 ところが、カトリックとプロテスタントは同じ西方教会なので、神学的に共通点が多く、フィリオ・クェ的に、東方教会はアリウス主義等の影響もあるはずなのに。 神学的な不一致にも関わらず、ラッツィンガーは以前の教え子ダマスキノスに、カトリック教会も「傷を負っている」と答えている。 なお、第二バチカン公会議において、ラッツィンガーは、カール・ラーナーと連携して活動した。 ラッツィンガーは、幾人かの司教たちが教会一致に関連する項目において過度なマリア崇敬を持ち出そうとしたことに対して、それは障碍であると嘆いている。彼が皮肉を込めて評しているところによれば、ある人々はヨセフ、ロザリオ、および世界をマリアに捧げることとマリアの聖なる御心に対する信心等々以外には関心を持っていないように思われたのである──そしてそれは、彼らには神学上の知識が欠落していることを示しているのであった(同書306頁)。 所謂、トマス主義に対する評価を検討する必要のなかったラッツィンガーだったが、その分、ハイデガー、ヤスパース、ニーチェ、ベルクソン、ブーバーに加えて、オリゲネス、婚姻神秘主義、バルタザール、シャルダン、ラーナーから大きな影響を受けることになった。 イブ・コンガールは「危険な学識経験者たち」という記録に、ラーナーだけでなく、ラッツィンガーも数えている。 理由は何だろうか。 それは、一般に認められているように、司教の団体性に関する公文書の助祭職に関する最後の三行において、彼らが独身性について言及しなかったからである(同書307頁)。 プロテスタントからすると、絶句してしまう批判内容だが、ラッツィンガーが婚姻の秘跡を大切にしていることが伺える。 キリストの体としての教会、聖霊の宮としての教会を教えられることは多いが、キリストの花嫁としての教会が何故か強調されない。 神論において、愛の神、義の神、聖なる神は本質的な視点である。義の神はキリストの体、聖なる神は聖霊の宮に対応している。 それなのに私たちは、キズ付いたままであり、神の愛を信じることに困難さを覚えている。何故なら、婚姻がただの象徴以上の秘跡であることを、誰も教えてくれなかったからだ。 若い者が処女をめとるようにあなたの子らはあなたをめとり、花婿が花嫁を喜ぶようにあなたの神はあなたを喜ばれる。 (イザヤ書 62:5 JA1955) |
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2014年02月23日
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