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昨春だったと記憶しています。 重い問題を抱えた或るメンバーが、様々な経緯と解放を受けながらも、結局、離れ去り、過去、縁のあった伝統的教会に無断で移ってしまいました。 詳細は守秘義務があるので何も言えませんが。 しかしながら、私たちが受けた事柄に関しては共有可能と思います。 実は、ブログ更新をしていなかったのは、その件が影響しており、主が再び私を導いて下さるまで、礼拝奉仕以外、殆ど何もしないと決意したからです。 長い間、そして今でも休むことにしています。 さて、私たちは先の伝統的教会の牧師と引継ぎ等の話をしたのですが、いつものことながら見下され、馬鹿にされた次第です。 私以外の奉仕者も、その牧師と話したのですが、同じ扱いを受けて憤っていました。 あまりの、「古い体質」故に。 そして、その奉仕者は私に「今までこんなに苦しい環境、他教会との人間関係に耐えてきたなんて、本当に知らなかった」「すみませんでした」「何故、既存の地域教会が酷いことばかり言ってくるのか、とても悔しいです」など、打ち明けてくれた。 私は慣れていたが、今回の事案では、神の導きと守りに委ねることにしたのだ。 曖昧なことしか書けず申し訳ないが、その後、私は生き方を変えることにした。 少なくとも、そのように祈り続けている。 エリヤは、バアルの偽りの預言者たちから逃走した後、神に語られ、新しい使命を授けられた。 私もまた、新しい使命が人からでなく、神から与えれるまで何もすることはできないと考えた。 自分から何かをしようとするならば、私たちは必ず失敗してしまう。 神の導きにより、扉が開かれるならば、あとは服従していくだけ、まぁ、ふっついていくだけである。 以来、神学や語学を徹底的に、不完全ながらも学ぶことを辞め、主に聴きながら服することに限って生きている。 正直に告白すると、厳しい現実の僅かな言語的反映である、このようなブログをよく投稿できたものだと、自分自身、驚いている。 でも、そのような季節があっても良いわけだし、キリストにあって私たちは真に自由とされている。 キリストにある新しい人として歩むことは、古きを捨て去ることと並行作業である。 他者のために、燃え尽きに至るまで己を鞭打つ時もあれば、キリストを憩いとして何かを待ち望む時もある。 主の時の到来を信仰で受容できるようになりたいものだ。 |
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