シンフォニーチャペルの栞

〜VINE AND GRACE MINISTRYの日記です♪〜

☆リラ☆の日記帳

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The Piano

映画『ピアノレッスン』のサウンド・トラック。

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過去にマイケル・ナイマンの「The Piano」を紹介されて、映画を観るよりも先に聴いていた。

このアルバムだけで十分だったため、正直、ずっと後になって映画を観ても、良い映画だったが、そんなに感動したわけじゃない。

好きなのは「楽しみを希う心」である。

音楽は贈り物であって、疲れ果てた者への心に直接響く。

孤独

自分が経験してきた事柄と、理解している事柄の間には乖離が存在する。経験と理解は、自分自身の存在と関係に遅延して、他者、若しくは、他者から到来するものだからだ。

実体、即、関係である。……だからこそ、「在る」と言うことは「関係がある」ことと同じ意味になる。……ところで、個々のものの間に横たわる関係は互いの出会いの関係であるから、一般的に言えば、偶然的なものである。……したがってこのような「在る」の論理から言えば、個別者は「関係」を通じて、その都度「何であるか」が決まる、と言うほかない(八木雄二著『「ただ一人」生きる思想』ちくま新書123-125頁)。

キリストを通してでなければ、神に至ることは不可能なのと同様に、他者の存在と関係があるからこそ、自分自身を「一人で生きる」ことができる。

だから、孤立と独立は異なると言われることもある。

ところが、現実においては「一人で生きる」ことの実体と関係が引き裂かれてしまいがちかもしれない。

自己というものが構成されたあとでも、他者を失ったとき、自己は他者とともに実質的に崩壊していってしまう(同書125頁)。

だから私は、孤立と独立の違いが分からない、認めたい。何故なら、他者は存在しているだけでは、自分自身と何の関係もない風景に過ぎなくなってしまうからだ。

逆に、他者と関係しているだけならば、自分自身の存在自体が消尽していくだけであろう。

完全な自己一人の世界の孤独に耐えることは、人間には不可能であって、人間が孤独に耐えている、というのは、最愛の人であるにしても、何かを想定すればこそ、人は孤独に耐えるのである。その力を失えば、人間の脳は自己破壊を自動的にはじめる(同書126頁)。



療養中

カルヴァンの『キリスト教綱要』を再読している。大学時代から読んでいるが、読み込むのは久しぶりである。

「フランス王への献辞」だけでも、教えられることが多い。

神に向かわせる書物は、神学的な基礎を押さえながら、聖書をたくさん引用する。必然、読者は聖書を開き、内容と文脈を確認するしかない。そうなれば、神に向かい、祈りたくなるのも時間の問題だ。

ところが、神学のための神学書は、聖書の引用が少なく、ひたすら、他の神学著作の参照を強調するだけである。即ち、祈らなくても良いし、聖書で確認することを拒絶しようとする。

『キリスト教綱要』は、何度読んでも、神との関係を正される神学書である。

他にも、読まなければならない本が多いので、詳細には触れないでおく。

ところで、私は最近、インフルエンザになって数日間、身動きが取れないでいる。

ピークは去ったと思うが、主日なのに今日も、布団から起き上がれなかった。なので、珍しく、すべての奉仕を辞退し、休みをもらった。

昨年からの疲労が今になって……みたいな感じだろうか。

何もできなくなったし、治っても数日間は安静とのこと。『キリスト教綱要』だって読むのを中断している。

しっかりと休んで、完治させたい。

それにしても、私が礼拝奉仕の殆どをしているので、私が倒れてしまうと、教会としては非常にまずい。ヘルプの奉仕者が必要かな〜?でも、そゆ人がいれば、とっくの昔からそうしてます。

ひとまず、メンバーには過去のメッセージのデータをまとめて渡して、緊急時に使ってもらおう(今回そうだったし)。

神との対話

タイトルのまんまである。

キリスト教信仰は、神をただ信じるという一点に尽きるものではない。

神を信じる過程で、どうしたって祈り続けなければ挫折してしまう。

そして、祈りこそ、神との対話なのである。

でも、祈りが宗教的な頑張りとなってしまいがちなのも事実。祈りによって「神を動かす」などの表現は、非常に危険だと思う。

だから、私たちは「キリストを信じて祈る」「対話する」わけです。

信仰抜きの祈りは、どこにでもある宗教心。

祈り(対話)抜きの信仰は、別に「キリスト教信仰」じゃなくても可能です。

神との対話は、信仰者が試練に置かれた時に、火に油が注がれるように「祈られる」もの。

祈りながら、信じながら、そして、神の恩寵を受け取っていく。

言うまでもなく、聖書と教会共同体を土台にした「神との対話」です。

祈りは決して無味乾燥なものでなく、全身全霊の出来事となります。

何故なら、神の愛に満たされた対話なのですから。

年内の礼拝準備も、殆ど終わりました。次は年始の準備です。

私たちの教会では、賛美、説教、聖餐、交わりの四つくらいしか強調していません。←

説教では、準備原稿の段階で、自分の拙い能力の範囲で釈義と解釈をします。

でも、あくまでも原稿なので、説教中はそれらを土台にしながらも、釈義と解釈を提示したから「おしまい〜」みたいにはなりません(^^;;

小さい私は他の諸先生方と違い、僅かなことしかできません。神学的な探究も、司牧も、何においても、取り柄がないのですが、ひたすら、神の言葉を聞き続ける一点を大事にしています。

説教者の説教の出来栄え云々は関係ないと思います。世には、説教者よりもはるかに博識で、霊的経験が豊かな方々だって存在するからです。

パウロは「宣教の言葉の愚かさ」と言っていますが、だとしたら、私の場合、愚かさの極みです。

だけど、福音信仰に生き続けることは可能です。

神を愛し、人々を愛することは普遍の真理でしょう。

周囲には、そのような尊敬すべき方々がいるので、私は更に、自分自身の理想と野望に死んで、利害関係に左右されないために、神の愛と隣人愛を基準にして歩みたいと思います。

キリストの命令された愛は、損得勘定抜きの愛。たとえ、自分が不利になり、損害を被るかもしれなくても、同労者たちを見捨てません。一緒に沈没しても、心から良いと思える気持ちを忘れたくないのです。

祈りと黙想の時間が長くなる今日この頃……

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