|
極端だが、所属教会によっては、物事を超霊的主義で判断することもある。祈りと断食、癒しを強調するあまり、病院に行くなとか、薬物療法を中断させようとする(断薬) 。で、コレは非常に危険である。特に、精神科医療は自殺・自死との関連が深いので、薬の服用は、たとえ霊的に変化が見られたとしても、継続すべきである。瞬間的に癒されても、最優先は経過観察で再発のリスクだ。坑精神病薬は、依存性質を持っているので、服用を中止すると、服用前よりも症状が不安定になる。 統合失調症等に限らず、日常生活動作に支障がある時(仕事は可能だが掃除はできない等も含む)、若しくは、人格障害において「知らぬは本人ばかり」というケース。牧師による牧会、精神科医による薬物療法、臨床心理士によるカウンセリングに加えて、精神保健福祉士によるソーシャル・ワークが必要になる。自殺・自死・事故の他、クライアントの孤立にも対処しなければならないからだ。 無論、段階的・複合的に考えるべきで、個別に対応するのが普通である。教会は、キリスト教のカウンセリングだとか、リカバリーの類によって、精神科医療と福祉を否定すべきではない。 |
精神科医療と福祉
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
|
精神科医との相性は、好き嫌いというより、福祉的な視点ならば、医師が薬物療法を絶対視しないことは重要。臨床心理士とのカウンセリングで治療効果があるなら、こしたことはない。 カウンセリングで、キリスト教信仰に関して、否定されたりはしないので安心すること。仮に否定されたら、特定宗教団体系列の病院か、心理療法として偏向性があると予想されるので、別病院に行った方がいい。しかし、臨床心理士との関係にも相性があるので、通常、医師もそうだが、クライアントが自由選択できる。 精神科では完治と言わず、完解と言う。病気・障害はすべて共生していくべきだし、受容しなければ逆に治療は遅れる。 キリスト者の場合(一般の方々も同じだが)、診察を自分で決断せず、牧師に相談すること。信頼できる教会員・家族とも連携しながら、個別に決めないことが大切だ。 |
|
上記の名称は、学術的な区分を科に命名しただけで、すべての科が広い意味での、即ち、一般的意味での精神科である。誤解されやすいが、神経内科は、精神科でもないし、神経科でもない。内科の一領域だ。例えば、アルツハイマー病など、映画『レナードの朝』に描かれているような方々を治療する科である。 対して、心療内科は、精神科のイメージがあまりにも悪くて作られた科である。確かに看板は新しいし、治療方針も異なる場合もあるが、精神科医は精神科と心療内科で重なっている。加えて、薬物療法の処方も殆ど同じだ。軽症うつ病などで診断書が必要な時、職場との関係で、心療内科のイメージの方が認知されているかもしれない。 しかし、大事なのは、病棟があるかどうか、複数の臨床心理士が配置されているかどうか、精神保健福祉士(特に精神病だと不可欠)がいるかどうかである。精神科医との相性も大切だ。 軽度の場合(自分が病気だという病識がある、一部の人格障害等)、病棟のないクリニック等が良いかもしれない。 |
|
一口に精神科医療と言っても、識別しなければならない点がある。精神科病院なのか、否かである。厳密な定義はしないが、精神科病院には「病棟」が常設されている。通常、開放病棟、閉鎖病棟、保護室に区分される。理学療法や作業療法が強調されている病院も少なくない。「病棟」がない病院には、ケア・ホーム等の福祉施設がある。両者に共通しているのは、精神保健福祉士(サイコロジカル・ソーシャル・ワーカー、PSW)の存在であろう。複数の臨床心理士によるカウンセリング・ルームがある病院は、非常に良い環境にあると予想する。 キリスト者だって、心の風邪を引く時はある。教会で牧会者が、精神医学やカウンセリングを否定しても、すべての教会員がメンタル・ヘルスを完全に実行できるわけでもない。 |
全1ページ
[1]




