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先週の土曜日のことです。
武豊という競馬のスーパーヒーロー
その弟も武幸四郎という名の知れたジョッキー
その幸四郎がジョッキーを引退し調教師としての第一歩。
鞍上は武豊。
兄弟船ならぬ兄弟馬・・・
俺とオヤジのヨ〜〜〜〜〜♪
実はこの兄弟の父親も騎手で調教師 故 武邦彦氏
武幸四郎調教師 初陣!!
鞍上 天才 武豊・・・
見事1着・・・
朝一番なのにすごい人・・・・
すごい歓声・・・
この日は2戦2勝のコウシロー先生!!(笑)
メモリアル
そのわずか2R後にもう一つメモリアル勝利。
川島信二騎手300勝達成!!
今年初勝利!!
いや、半年待った300勝
本人も「長かった」と・・・・
そんな彼の勝利が目の前で見れるとは・・・・・何か縁を感じました。
17年前 川島騎手はデビューしました。それは奇しくも3/3。
当時、川島騎手の師匠は安藤先生。
その安藤先生は川島騎手に「鞭(ムチ)」を託しておりました。
この「ムチ」こそ「ジュンぺー兄さんの(鞭)ムチ」でした。
「ジュンぺー兄さん」
それは25年前、亡くなった「岡潤一郎騎手」のこと。
川島騎手よりだいぶ先輩の安藤先生の弟子です。
通算成績 225勝
競馬を知らない人には「すごいの?」って感じでしょうが、5連続勝利記録や最優秀新人騎手などをマーク
そして、古い競馬通にいわせれば「天才 武豊のライバルになっていたであろう存在」とも言われています。
※武豊騎手が1年上
私が16歳の時「リンデンリリー」という馬でGIを制覇。
人懐っこい顔でニコニコしていたのが印象的でした。
私は、普通の高校に行ったので「馬」とは離れていきますが、高3の正月大事件が・・・
「ジュンぺー兄さんがレース中落馬 馬に蹴られて 蘇生会(病院)に運ばれた」という一報
面会謝絶・意識不明・・・・
そして、バレンタインデーが終わった2月16日
帰らぬ人となりました。
前年、安藤先生も体調を壊されており、復帰された直後のことでした。
時がたって安藤先生の弟子となった川島騎手デビュー前に「ジュンぺー兄さんの鞭」を渡したそうです。
ネットでは色々書かれているようですが「○○のようになれ」とは絶対に言わない先生だと思います。
言ったとすれば「彼くらいにはなれ」とか「彼を追い越す位になれ」とか・・・そういう先生です。
そもそも、先生なんて言ったことありませんが(笑)
17年かかって300勝
騎手としてはそんなに勝っている騎手とは言えない川島騎手ですが。
無事、騎手としてジュンぺー兄さんの225勝を超え300勝の区切りを迎えたこと、その姿を見れたことはとても感慨深いものがありました。
ジュンぺー兄さんが生きた24年間。
同じくらいの時が経ちました。
それでも、京都競馬場の4コーナーにそっと手を合わせる自分がいます。
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【競馬日記】
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私の住む、近畿地方は、山の奥に行かないと「桜の花」は見られなくなりました。
かわって、東北地方では「桜が満開」となっています。
岩手・水沢競馬場
向こう流しの「満開の桜」の中を「競走馬」が走る姿は「東北の遅い春」を感じさせます。
メインレースはその名も「桜花特別」
1頭のサラブレッドが「中央競走馬登録」を抹消され岩手競馬に移籍してきました。
アドマイヤコリン
父 ディープインパクト(七冠馬) 母 シルクプリマドンナ(オークス馬)
超良血のサラブレッド。デビュー前には1億円に迫る金額で取引された馬でした。
「新天地」での初の競馬。ゲートオープン、スタート・・・コースを1周半。
向こう正面の「満開の桜」を横目にレースは進みます。
残り半周、桜並木に別れを告げ、スピードが上がる3コーナー。
忽然とレース画面からアドマイヤコリンの姿は消えてしまいました。
馬体故障・騎手落馬・競走中止
レース後、アドマイヤコリンはゴールすることなく馬運車で運ばれていきました。
予後不良・安楽死処分・・・・
「咲く桜、残る桜も 散る桜」(良寛)
7年遡った2010年ゴールデンウィーク、一本だけ、遅咲きの桜が「満開」でした。
水沢競馬場には「阿久利黒賞」というレースがありました。
「阿久利黒」とは坂上田村麻呂の蝦夷・北方討伐の折、戦利品と手に入れた「名馬」のことだそうです。
廃止を免れ、全国地方交流競走「ダービーグランプリ」復活、それに伴い、「阿久利黒賞」が行われるのは最後でした。
圧勝したのは「ロックハンドスター」
「岩手の星」になるようにと名付けられた競走馬は、その後、岩手三冠を制し、東北の競馬ファンが待ち望んだ「スターホース」となっていきます。
2010年の大晦日。水沢競馬場
桜並木はじっと雪に耐えていました。
その前を「岩手の星」はシーズン最後の走りを見ました。
「圧勝・ロックハンドスター古馬を撃破!!」
父マーベラスサンデーがそうであった様に、桜の咲くころにはもっと強くなってくれるだろう。
メイセイオペラのように中央のGIを勝てる馬に育つのではないか。
期待は膨らんでいったのです。
2011.3.11
未曽有の大地震が東北地方を襲います。
競馬場の施設も大きな損害を受け、一度は消えていた「岩手競馬廃止」という声が再び上がり始めます。
競馬や馬より「生きることが先」
「我慢」することしかできない関係者や競走馬。
そんな中、開催にこぎつけ、秋には「岩手競馬を支援する日」と銘打ちJRA東京競馬場で「南部杯」が行われることとなりました。
本当なら「地元」の走り慣れたコースでのレース。
しかし、スタートが芝で途中からダートコースになる東京1600ダートコース。
返し馬で芝とダートの分かれ目を飛び越えた「岩手の星」
まさにその場所でつまずき、レースを終え、水沢に帰ることはありませんでした。
ロックハンドスター斃死 4歳
主戦騎手だったら、体調が戻っていたら、岩手で開催されていたら・・・
震災さえなかったら・・・
すべては考えても「むだ」なことなのかもしれません。
昨日、アドマイヤコリンが競走中止をした後「ロックハンドスター」のことを思い出され「花は咲く」のメロディーが思い起こされました。
真っ白な 雪道に 春風香る
私は懐かしい あの街を思い出す
叶えたい夢もあった 変わりたい自分もいた
いまはただなつかしい あの人を思い出す
誰かの歌が聞こえる 誰かを励ましてる
誰かの笑顔が見える 悲しみの向こう側に
花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く 私は何を残しただろう
いつか、水沢の桜並木を走った馬が「メイセイオペラ」に続いて花を咲かせる日が来るのをねがっています。
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久しぶりにブログをのぞくと・・・まだ継続してされている人がいます。
結構な数の方が「フェイスブック」では友達になっていただいているのですが・・・・
やっぱりブログがいいって人も多いのは事実です。
競馬のブログを作って研究結果を載せていたりしたのですが・・・・・
嫌がらせというか「自分がすごい」みたいなやつに「理論をパクられたり」それで「ネット商材」を作られたりとあまりいい思い出もないので【競馬】の理論については書かなくなり・・・・・
挙句の果てに「競馬ブログを消される」ってこともありましたので「もうどうでもいいや」と本体のブログもほったらかしにしておりました。
しかし、中には何もないブログを見てくださっている方もいるので・・・・
実はフェイスブックで「競馬グループ」を作って話をしたりしているのですが・・・・・
「なんか前の方がもっと楽しく話せていたな・・・(決していまが楽しくないわけじゃないんですが)とも思います。
つうことで2000万馬券も「あと一歩」のところでしたし・・・・時間の許す限りブログも書いていきたいと思うようになりました。
まずは回顧・・・・・
大断層馬で同枠の馬でかぶせて 4枠 特に7番は決定的。
前日オッズは4番人気継続して100万単位で複勝が入る。
去年の菊花賞の勝馬張りに人気していましたので・・・・・
そして、同値を示した3枠5番。
まさにこの二頭で決まったわけですが・・・・・
3着18人気で2000万馬券( ゚Д゚)
18番は実は清水社長所の馬だったので・・・・見てはいたし、
先週の新聞広告の「角田=じゃんぽけのダービー」を指していることもわかってたし・・・・
でも・・・・これはないよな〜〜〜
って友人との結論・・・・・
それが来てしまうのも競馬・・・・・・
1週目の石田衣良+フサイチコンコルド
2週目の角田光代+ウオッカ
終わったので・・・
オークスは「国」
ダービーは「和田竜」
特にダービーは・・・・オペラオー 和田竜(笑)
こんな感じです。
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「僕たちジョッキー 競馬関係者もそうなんですけど 皆さんの生活とは必要のない分野でご飯を食べさせてもらってる訳ですけど そのことを肝に銘じてまた来たい 馬券を買いたい そんなレースをしますので 応援宜しくお願いします」 金曜ナイターに先んじて開かれたイベントで永島太郎騎手はそう言って頭を下げました。 永島太郎 1974年生まれ 京都府出身 1991年デビュー 同期には 日本ダービージョッキー岩田康誠 や 松浦政宏 ... レースで永島騎手が来ると、ツイッターでもメールでも「取ったでしょう?」といわれるくらい周りの人には私の「永島好き」はしられている。 同郷、同い年それもあるが心情がどうしてもかぶってしまう所にもあります。 デビューして騎乗馬にも恵まれ初騎乗初勝利。 小牧、岩田のツートップのしたぐらいにはいつも「永島太郎」の文字があった。赤木騎手が第三の男といわれるようになっても、馬券的には「穴なら永島」というのが、場内予想屋の中にもよくきかれました。 小牧騎手、赤木騎手がJRA所属となり、岩田騎手もJRA移籍濃厚となっていった頃「次は永島の時代が来る」そう思っていたのですが・・・ しかし、時を同じくして永島騎手の成績は低下していきます・・・ 6位→7位→12位→17位→18位・・・ 「このまま、終わっていくんかなぁ。太郎は乗れる(追える)騎手なんやけどなぁ」と予想屋のおっちゃん。 2009年永島騎手が北海道に遠征することが発表されました。 「若手騎手でもないのになぁ・・・」そう思っていたのですが「道営の星五十嵐」を敵に回しこじ開けたり、逃げ馬をたたきに行ったり見ているだけで「がむしゃらさ」がでたレースが多かったと思います。 2011年12月 暮れも押し迫る園田競馬場。園田金盃。 鞍上がぽっかり穴の空いた「ホクセツサンデー3歳馬」・・・ 園田3歳最強馬オオエライジンの2番手で有り続けた馬。古馬との対戦。 鞍上は永島太郎に決まりました。 無様な競馬をすれば・・・・何とか善戦して欲しい。 その思いは全くの杞憂に終わります。 「ホクセツサンデー永島!!!初コンビで決めました!!!」 場内にそのアナウンスが流れた瞬間・・・ 私は馬がおかしかったので、木村騎手を見ていたのですが・・・ 表彰式、久しぶりにファンに配る花束をいっぱい持って、しかし、笑顔はなく。「今の僕の成績では乗せてもらったことが感謝です」と何回も語る永島騎手。 吉田アナが「俺のレースをみたか!!と胸張っても・・・・」と言ったときに永島騎手の目の色が変わります。 「トップの人間ならまだしも僕はまだまだなんで。。。。」 「まだまだ」・・この言葉にはたえず上を目指すって意味があるように思いました。 ナイター当日は「ホクセツサンデー」と「永島太郎」は敵味方となってしまいましたがそれを見るのもまた一つの楽しみなんですよね。 「強さを知っているからこそ,自分の馬をどうのるか・・・ってのが」 結局は0.2秒ぐらいで私の太郎馬券は終わっちゃいましたけどね・・・(泣 逃げ馬の出遅れ・・・たろ〜〜〜怒) いろいろな人の想いが「競馬」ってものには凝縮されています。 「生活に必要のない・・・」多くの競馬ファンはそんなことは無いと思います。 レジャーの一つとして、夏の風物詩の花火のように「そのきんナイター」が生活に必要なものの一つとして定着されることを願っております。 ※ 永島騎手の言葉 録音している訳じゃないので言葉がちょっと違うかもしれません。ただニュアンスは間違っていないと思います。 |
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7月28日
とても、日差しが痛かった「福山市営競馬場」
6Rに日本地方競馬最多勝馬「モナクカバキチ」が出走しました。
島根のおばあちゃんのお墓参りのついでに初めて訪れた「福山競馬場」
よそ者?とわかるのか、たくさんの人に声をかけて戴き、子供にもおやつとかいろいろ頂いて(笑)
昭和って雰囲気がいっぱい残っている競馬場でした。
まさか、カバキチの「ラストラン」になるとは思っていなかったのですが結果的にはカバキチの最後のレースに立ち会うことが出来ました。
オグリキャップ、ディープインパクト・・・そんな馬のラストランに比べれば、人も少なく、何のコールもなく地味に終わっていったという印象ですが、大切なことをいろいろ教えてくれました。
【詳しくは55勝時の記事をどうぞ ↓】
ついに、アングロアラブは3頭になってしまいました。
就職して、水曜日が休みになり、いつも中央ではなく、園田競馬場に足を運びました。
そこには、たくさんのアングロアラブが走っていました。
お気に入りは「益田の怪童」ニホンカイユーノスでした。
それは、奥さんの田舎で親近感を持ったというのもありましたが、やっぱり、日本一小さな競馬場からこんな強い馬が出るとはという驚きと、パドックのやる気のなさからの圧勝という個性が大好きでした。
そして、サンバコール
サラブレッド導入後サラブレッドに混じって走らされたアングロアラブ。
2002年の兵庫大賞典
サラブレッド園田三冠のロードバクシン・・・
その中にアラブのサンバコールは田中学を背に返し馬に向かいます。
益田競馬の休止(事実上廃止)が夏に迫っていたこの年、GWのまっただ中にサンバコールは奇跡を起こします。
向正面で、後方から上がっていったあの足は今でも忘れられません。
吉田アナの名実況「あっぱれアラブのサンバコール」はこうして生まれました。
ちなみに「サンバ・コール」でなくて「サン・バコール」なんですけどね(笑)
そんな、数々の思い出をアラブは残してくれました。
福山に行く機会もそうそう無いですし、現役で走るアングロアラブ種を見ることも先日が最後になると思います。
しかし、息子と娘と最後に日本一のアラブ馬の最後の走りを見れたことは宝物になると思います。
モナクカバキチ 216戦55勝 無事是また名馬
ゆっくり余生を過ごせることを祈っております。 |


