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【弁慶上使】

 いつか、スペインで『闘牛(TORO)』を生で鑑賞した事がある。
序章として荒々しい闘牛(TORO)の前に、ALGUACILILLOという騎士が登場し、闘牛士の門が開いて闘牛士達を闘牛士の門まで迎えに行く。
 3人の闘牛士(TOREROS)が登場し、ラッパとタンバリンの音色に合わせながら、次々と闘牛に矢を刺す。次々と矢を放つ度に観客は「オ〜レッ」と歓声を上げる。その時見た光景は「スペイン人は、何と惨いことをするのか?」と一瞬、目を覆いたくなる。それを20〜30分やり、闘牛の正気を弱めた所で、いよいよ、マタドールが登場し、まだ、気力がある闘牛にムレタという赤いフランネルの布を持って、これから闘牛(TORO)との戦いを想像する。
 ムレタを自由自在に操り、闘牛(TORO)と舞いながら、最後は脳天にとどめの矢を突き刺す。それを、『真実の瞬間(LA HORA DE LA VERDAD)』と呼ぶ。
 その瞬間、観衆の歓喜と共においらも歓声を上げ、いつしかスペイン人とこの芸術に魅了されたのを忘れていた。

 同じ様な光景が歌舞伎にも存在する。『弁慶上使』という演目を鑑賞した。
 概要を簡略して説明すると、源義経が平時忠の娘、卿の君を正室にしていることから、源頼朝は平家の一門、謀反を企てていると疑い、武蔵坊弁慶を正室の居る所へ向かわせ、卿の君の身代わりの腰元のしのぶを刺し殺す。
 それは実は弁慶が若かりし頃、母おさわと契りを交わしたことがあって、腰元しのぶが自分の娘であった事を告白される。その瞬間弁慶は痛く打ちひしがれ、懺悔の念を感じながらも、侍従太郎が最後に亡き娘の首を刈るのを見守る。おいらはその瞬間「ハッ!」と息を呑み、『闘牛』を述懐した。
そして、荒々しい弁慶を演ずる中村橋之助の使命感と親の情愛故に、殺害した娘を思う気持ちの苦悩・葛藤をみごとに表現しているのを痛切に感じ取った。

人間とは何と酷い事か?

 その両者の芸術はその人間の内なる一部の『野蛮な世界』を端的に表現しており、人間の本能の部分である『凶暴性』を無意識に感じ取るからこそ、観衆は歓喜し、共感したりする。

 人間の『凶暴性』の内なる存在の良し悪しの問題を論じているのではない。人間には確実に良心の部分と残虐性の部分が確実に存在するのであり、闘牛や歌舞伎の『殺生』『暴力』の【美学】が確実に存在する。

 人の環境の問題や時代背景、考え方の差異など色々な複合要因はあると思うが、その残虐さを露呈するか、しないか或いは実践してしまうか、そうでないかをこの二つの芸術で考えさせられた。

 事実、現実の世界でも食生活において知らず知らずに殺生をしているのである。肉を食べたり、魚を食べたり、人間は残酷の上で成り立っている。
 しかし、現在の食生活はスーパーなどで加工された物を食しているので、今一、殺生と結び付け難い。
 そして、格闘技など、今とてもブームだが、二次元の世界で発せられる『暴力性』を肌で実感できる人はそうはいないと思う。

 だから、人間の残忍さを同類に位置する、二次元の世界ではない【芸術】で感ずることが重要ではないかと思われる。なぜなら、様々な動植物の殺生のお陰で、今日生かされていると実感するからだ。

 だから、現世においても、環境や法整備によって、犯罪(殺人)を相対的に減らすことはできても、無くなることは無いと実感させられたし、犯罪を減らす為には各々のモラルに起因すると考える。と同時にそのモラルを高める努力を啓蒙していかなければならないと改めて考えさせられた。

【死の側より照らせば、ことに耀きて、ひたくれなゐの、生ならずやも】斉藤 史


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