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第400回
2010年6月20日 《朝鮮戦争勃発》・・4
朝鮮戦争は、第二次大戦の終結までは、日本の統治であったために、朝鮮人の独立の機運もなく、ソ連と中国の共産主義とアメリカの民主主義との領土争いの気配が濃厚でしたね。 こう云う様に大国の思惑が絡んでいますから、地域の部族の争いと違って、戦争も長引いて仕舞いました。
北緯38度線以北では、日本の降伏に依ってソ連の進駐が予定より早く進んで、各地で自発的に生まれたと云う人民委員会は10月にはソ連軍によって接収されてしまいました。
ソ連の進駐が早すぎたため、38度線は降伏受諾線ではなく、分割占領線となってしまいました。 朝鮮国内の足並みが揃っていない状況のもとで、李承晩やソ連の支援を受けて重慶に亡命していた金日成を始めとする満州抗日パルチザン出身者など、様々な亡命者が帰国して来ました。これが決め手となって占領軍政下で南北朝鮮の政治情勢は大混乱に陥ってしまいました。
そして、左右の対立の激化は南北分断の一因ともなりました。特にソウルでは朝鮮人の意志を糾合することは一層困難になりました。 その後、信託統治案を巡る左右の対立とイデオロギーの違いから対立を始めていたアメリカ・ソ連の意向が反映されて、アメリカ軍の占領地域ではアメリカが推す李承晩を中心とした政権と、李承晩の権力の基盤が作られました。
その反面、ソ連軍政下でもスターリンが選んだ金日成がトップに据えられ、多数を占めていた国内の共産主義者は時間を掛けて粛清されることになったと云います。 「粛清」とは「殺す」と云う事ですよ。スターリンと云う独裁者は、同じ思想の共産主義者でも、意見が違えば無条件に粛清と云う名の下で殺してしまう・・と云うことで、スターリンに祭り上げられた北朝鮮の金日成も同じ事をしたようです。 戦時中に行われた「テヘラン会談」ゃ「ヤルタ会談」や「モスクワ会談」などでも朝鮮半島は20年〜40年などの連合国による「信託統治案」が出て、最終的には5年間の信託統治案がモスクワ協定によって成立した様で、独立国家の建設を準備するための米ソ共同委員会が設置されましたが、具体案に於いて米ソの意見が激しく対立した為に、此の信託統治案は暗礁に乗り上げてしまいました。。。。。 |

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