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第401回
2010年6月21日 《朝鮮戦争の勃発》・・5
朝鮮戦争のお話は3回くらいで終わらせる積もりでしたが、朝鮮内部の抗争が、アメリカ・ソ連の争いになって来ましたのでもう少し続けたいと思います。 どうやら、米ソの対立も激しくなりましたので、米ソの代理戦争の様相になって来ました。
米ソ両国による冷戦の激化は、朝鮮半島にも大きな影響がありました。北半部では昭和21年2月8日に、金日成を中心とした共産勢力が、ソ連の後援を受けた朝鮮臨時人民委員会を設立しました。そして翌年の8月には重要産業国有法が施行され、共産主義国家設立への道を歩み出しました。 このように、北半部での共産国家設立の動きに対して、日本の統治時代にアメリカに亡命して独立運動を繰り広げていた李承晩は、南半部での早期の国家設立をアメリカに迫りました。その結果、昭和22年6月には李承晩を中心とした南朝鮮過度政府が設立されて、北半部と南半部は別々の道を歩み始めることになりました。
そして金日成は南半部に送電を停止したりして、南北の対立は決定的になり、李承晩は対抗して朝鮮労働党を参加させない選挙を実施して、正式な国家を設立させることを決断しましたが、済州島では南朝鮮労働党のゲリラが武装蜂起して、その鎮圧の過程で軍部隊の反乱や島民の虐殺などが発生したと云います。
このような事が続いて、1948年8月15日に李承晩が大韓民国の成立を宣言し、金日成もこれに対抗して朝鮮民主主義人民共和国を成立させました。此の結果、北緯38度線は単なる境界線ではなく、事実上の「国境」となりました。 此の頃、地続きの中国大陸では、國共の内線の末、ソ連の支援を受けて戦って居た毛沢東の率いる中国共産党が勝利し、1949年10月1日に中華人民共和国が成立しました。
敗北した蒋介石の率いる中華民国政府は台湾に亡命し、その後も中華人民共和国との対立を進めていました。 こう云う情勢の中で、金日成はソ連を訪問して韓国との開戦の許可を求めたり、中華人民共和国を訪れて毛沢東の援助をすると云う約束を取り付けたりしました。
こう云う情勢から、南北の戦争が勃発したようです。。。。 |

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2010/10/12(火) 午後 0:44 [ チ ○ ポ溶けるかと思った! ]